スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鎌田 和彦(かまた かずひこ、1965年11月8日 - )は… 鎌田 和彦(かまた かずひこ、1965年11月8日 - )は、日本の実業家、プロ経営者。株式会社オープンハウスグループ代表取締役副社長。 過去には、株式会社インテリジェンス(現・パーソルキャリア)の創業者メンバーとして20年間、経営に関与(1999年~2008年まで代表取締役社長)してきた。 神奈川県小田原市生まれ。小田原市立城内小学校(現・小田原市立三の丸小学校)、港区立港中学校(現・港区立三田中学校)、東京都立小山台高等学校を経て、1988年(平成元年)3月、慶應義塾大学文学部人間関係学科卒業。在学中は学生ベンチャー企業に参加した。慶大の文学部を選んだ理由は社会学者になって大学教授の道を目指そうと思っていたから。
塩澤 賢一(しおざわ けんいち、1958年9月19日 - )… 塩澤 賢一(しおざわ けんいち、1958年9月19日 - )は、日本の経営者。アサヒビール会長を務めている。 東京都大田区出身。大田区立出雲中学校、東京都立小山台高等学校を経て、1981年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にアサヒビールに入社。取締役、常務を経て、2017年にアサヒグループ食品副社長に就任。2019年3月から社長に就任した。2023年3月から取締役会長。
淵田 敬三(ふちた けいぞう、1954年11月18日 - )… 淵田 敬三(ふちた けいぞう、1954年11月18日 - )は、日本の実業家。浦和レッドダイヤモンズ取締役社長付。 神奈川県横浜市出身。東京都立小山台高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。高校時代はサッカー部に所属。 1978年三菱自動車工業株式会社入社。米国子会社副社長、関東三菱自動車販売株式会社社長を経て、2014年浦和レッドダイヤモンズ社長に就任。2019年に退任し、取締役社長付に就任。
平川 克美(ひらかわ かつみ、1950年7月19日 - )は… 平川 克美(ひらかわ かつみ、1950年7月19日 - )は、日本の実業家、文筆家。 東京都大田区に生まれ育つ。東京都立小山台高等学校を経て、1975年に早稲田大学理工学部機械工学科を卒業。1977年、渋谷区道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹とともに設立、代表取締役となる。 2001年5月、株式会社リナックスカフェを設立し代表取締役に就任。株式会社ラジオカフェ代表取締役。2011年4月、立教大学特任教授。2014年3月、隣町珈琲店主。2016年4月、立教大学客員教授、早稲田大学講師。 著書に『経済成長という病』(2009年)、『移行期的混乱』(2010年)、『言葉が鍛えられる場所』(2016年)など。
宗岡 正二(むねおか しょうじ、1946年5月3日 - )は… 宗岡 正二(むねおか しょうじ、1946年5月3日 - )は、日本の実業家。新日鐵住金代表取締役会長や、全日本柔道連盟第4代会長を務めた。 山口県下関市出身。東京大学農学部農業経済学科卒業。東京都立小山台高等学校において、中西宏明(日立製作所会長、経団連会長)の1年後輩であった。 新日鐵住金の前身である新日本製鐵に第1期生として新卒入社。2008年4月、三村明夫(のちの会長、相談役)より社長職を引き継ぐ。2012年10月より住友金属工業との合併に伴い創立した統合会社の新日鐵住金の代表取締役会長兼CEOに就任した。2014年4月、同社代表取締役会長専任となった。2009年1億7060万円の役員報酬を、2013年1億600万円の役員報酬を受けた。
中西 宏明(なかにし ひろあき、1946年〈昭和21年〉3月… 中西 宏明(なかにし ひろあき、1946年〈昭和21年〉3月14日 - 2021年〈令和3年〉6月27日)は、日本の実業家。位階は正三位。勲等は旭日大綬章。 一般社団法人日本経済団体連合会会長(第5代)、株式会社日立製作所相談役(取締役会長兼執行役、代表執行役兼執行役社長兼取締役、代表執行役兼執行役会長兼CEO兼取締役)、日本赤十字社副社長、一般社団法人中東協力センター会長、公益財団法人奈良先端科学技術大学院大学支援財団理事、一般社団法人2025年日本国際博覧会協会会長、株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズ会長、株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズ最高経営責任者、株式会社日立製作所副社長、株式会社日立製作所社長、一般社団法人日本電機工業会会長などを歴任した。
原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月… 原田 義昭(はらだ よしあき、1944年〈昭和19年〉10月1日 - )は、日本の政治家、通産官僚、弁護士、実業家。船井電機代表取締役会長。日韓トンネル実現九州連絡協議会会長代行、原田国際法律事務所代表。 環境大臣(第26代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第4次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、厚生政務次官(第2次橋本改造内閣)、衆議院議員(8期)、衆議院消費者問題に関する特別委員長・財務金融委員長・外務委員長、自由民主党総務会長代理・国際情報検討委員長・外交経済連携本部幹事長・競争政策調査会長・衆議院議員総会副会長・道州制推進本部長・人事委員長・筆頭副幹事長・福岡県支部連合会長・総務会副会長、中小企業庁参事官、通商産業大臣秘書官、関東通産局総務課長を歴任した。
勝田 泰久(かつた やすひさ、1942年(昭和17年)2月2… 勝田 泰久(かつた やすひさ、1942年(昭和17年)2月20日 - )は、日本の実業家。学校法人大阪経済大学元理事長。りそなホールディングス初代社長。東京都出身。 大和銀行の取締役、常務、専務、副頭取、頭取を歴任。大和銀ホールディングス社長やりそなホールディングス初代社長も歴任した。大和銀行時代には都市銀行として下位であった同行の生き残りのため、スーパーリージョナルバンク構想を打ち出し親密地銀、財務内容の悪化した地銀、破綻地銀を引き受け規模の拡大を図った。また、政界、官僚とのパイプも他都銀頭取に比べ太く、同構想を進展させる上での利点となった。 2003年のりそな銀行の発足と同時に同行の頭取に就任するも、直後にりそな銀行が公的資金の注入を申請したことに伴いりそな銀行頭取、りそなホールディングス社長を辞任することになる。
中杉 弘(なかすぎ ひろし、1941年〈昭和16年〉9月5日… 中杉 弘(なかすぎ ひろし、1941年〈昭和16年〉9月5日 - )は、日本の思想家・実業家・宗教家。本名は黒須 英治(くろす ひではる)。 都立小山台高校中退後、工学院大学専門学校応用化学科卒後、日本電酸工業株式会社に就職、5年間研究室に勤務後、退職。フィリピン国立イーリスト工科大学より、副学長、工学博士授与。日本平和神軍総統、花月食品兼、グロービートジャパン会長として30年間従事して、300店舗達成、イオンド大学総長、正理会名誉会長、宝榮山妙法寺管長。 かつて日経企画出版局などから多くの著作物を刊行しており、『般若心経の大予言』を宝榮山妙法寺の在家僧侶養成講座のテキストとして使われている。 「近年では『寺門興隆』2011年6月号と2012年5月号で宗教法人を売買で取得したとされる宝榮山妙法寺」とウイキペディアで書いている人がいますが、これはウソです。
滝 久雄(たき ひさお、1940年2月3日 - )は、日本の… 滝 久雄(たき ひさお、1940年2月3日 - )は、日本の実業家。株式会社エヌケービー取締役会長、株式会社ぐるなび取締役会長、公益財団法人日本交通文化協会理事長、文化功労者。 三菱金属鉱業株式会社、交通文化事業株式会社での勤務を経て、財団法人日本交通文化協会専務、株式会社エヌケービー社長、株式会社ぐるなび社長などを歴任した。 東京府出身の実業家である。ぐるなび創業者で同社代表取締役会長兼社長、ぐるなびの母体であるエヌケービー取締役会長、日本交通文化協会理事長などを務めた。文化功労者。ペア碁考案者。1パーセントフォーアートを提唱し、パブリックアートの振興なども行った。 東京府東京市渋谷区神泉町生まれ。
御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 19… 御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 1995年8月31日)は、元キヤノン社長。 東京都出身。マサチューセッツ工科大学大学院電子工学科、スタンフォード大学修了。キヤノン創業者御手洗毅の子。 1974年にキヤノンに入社。中央研究所所長などを務めた後、1993年に山路敬三の突然の退任を受け第五代社長に就任。社長として辣腕を振るったが、1995年に間質性肺炎のため、在職のまま死去。後任社長には従兄の御手洗冨士夫が就任した。
御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - … 御手洗 冨士夫(みたらい ふじお、1935年9月23日 - )は、日本の経営者・実業家。キヤノン代表取締役会長。 第6代、第8代キヤノン社長を経て、同会長。第2代日本経済団体連合会会長を務め、現在は名誉会長。内閣府経済財政諮問会議議員。若者の人間力を高めるための国民会議議長。鉄道貨物協会会長。読売新聞グループ本社監査役。ラグビーワールドカップ2019組織委員会会長。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会名誉会長。 大分県立佐伯鶴城高等学校から転入して東京都立小山台高等学校、中央大学法学部卒業。「財界総理」といわれる日本経済団体連合会会長職に私立大学出身者として初めて就任した。
福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、… 福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、日本の通産官僚・実業家。学校法人東洋大学総長(2018年12月より)。通商産業事務次官・株式会社神戸製鋼所副会長・株式会社電通総研社長・学校法人東洋大学理事長などを歴任した。 東京府出身。父の福川篤四郎は鉄道官僚で運輸省鉄道総局総務長官などを務めた。東京都立第八高等学校(現:東京都立小山台高等学校)から慶應義塾大学工学部に進むも転学し、1955年3月に東京大学法学部卒業。 大臣官房企画室長、大平正芳内閣総理大臣秘書官、貿易局長、通産大臣官房長、産業政策局長を経て、1986年6月から1988年6月まで事務次官。中曽根内閣からの要請で、1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけに、省内で台頭してきた原発撤退派を排除する使命を担ったとされる。
水野 幸男(みずの ゆきお、1929年7月16日 - 200… 水野 幸男(みずの ゆきお、1929年7月16日 - 2003年1月24日)は、元情報処理学会会長・日本オペレーションズ・リサーチ学会会長・NEC副社長である。藍綬褒章受章者。 日本の情報処理分野に対し、先駆的に多くの技法・技術・技能を持ち込み、情報処理分野の発展につくし、日本の情報処理分野の父といわれる。日本の汎用機黄金期及び情報システム構築法の基礎を築いた点から、没後に富士通の池田敏雄・NECの水野幸男の双璧として譬えられることも多い。 なお、阪大MACの研究などでNTT中央研究所(現NTT先端研究所)の研究者との共同開発などが多い。(現NTTデータの前身のデータ通信処理事業本部ではない)
ジョージ・フィールズ(George Fields、日本名・宮… ジョージ・フィールズ(George Fields、日本名・宮田譲治/みやた じょうじ、1928年 - 2008年10月2日)は、日本東京府生まれのオーストラリアの事業家、国際ビジネスコンサルタント。フィールズ・アソシエイト代表。産能大学客員教授。 1928年に、東京で生まれる。父親が日本人で母親がオーストラリア人のハーフ。初等教育、中等教育は日本で受ける。都立八中卒業。東京が空襲を受けた後、父の勧めでオーストラリアへ移住し大学へ進むことになった。パスポートを取得するまでの1年間は父親の知人の紹介で撮影所で働く。1954年、シドニー大学経済学部卒業。英国ユニリーバ勤務を経て、1964年ASIマーケットリサーチ日本支社赴任とともに来日、以後日本に居住。