スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
坪内 淳(つぼうち じゅん、1969年 - )は、日本の国際… 坪内 淳(つぼうち じゅん、1969年 - )は、日本の国際政治学者。聖心女子大学文学部国際交流学科教授。専門は、国際政治学・安全保障。母は俳優の坪内ミキ子。 早稲田中学校・高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒、1997年同大学院政治学研究科博士課程単位取得満期退学。 山梨大学教育人間科学部専任講師、助教授、准教授を経て、2015年4月より聖心女子大学文学部国際交流学科教授。2001-02年、フルブライト奨学金にて、ハーバード大学客員研究員(ケネディ行政大学院ベルファー国際問題研究所・国際安全保障プログラム・フェロー)。
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広岡勲(ひろおか いさお、1966年12月29日-)は、日本… 広岡勲(ひろおか いさお、1966年12月29日-)は、日本のジャーナリスト、新聞記者、大リーグ球団職員、学校法人学園理事、大学教員、専門学校役員、公益財団法人役員。 2020年1月1日現在、学校法人江戸川学園理事、江戸川大学社会学部教授、江戸川学園おおたかの森専門学校校長(旧:江戸川大学総合福祉専門学校)、読売巨人軍社長付アドバイザー、公益財団法人日本相撲協会理事補佐・危機管理担当を兼務する。 日本エッセイスト・クラブ会員。 東京都大田区出身。早稲田中学校、早稲田高等学校を経て、1991年、米国ハワイ州ハワイ・パシフィック大学社会科学部(Bachelor of Arts in the Social Sciences)卒業。
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伊関 友伸(いせき ともとし、1961年 - )は、日本の行… 伊関 友伸(いせき ともとし、1961年 - )は、日本の行政学者。城西大学経営学部教授。特定非営利活動法人ハンズオン埼玉監事。東京都出身。 2006年8月から2007年3月まで、北海道夕張市の医療再生アドバイザーとして、夕張医療センター設立に携わった。研究分野は行政学・地方自治論、地域医療・自治体病院の経営。博士(福祉経営:日本福祉大学から授与)。総務省「地域医療の確保と公立病院改革の推進に関する調査研究会委員」など、国・自治体の委員等を数多く務める。 私立早稲田中学校・高等学校、東京都立大学法学部法律学科卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。1987年埼玉県庁入庁(県民部県民総務課調査係)、北埼玉郡大利根町企画財政課長(県派遣)、総合政策部計画調整課主査(計画フレーム担当)、健康福祉部社会福祉課地域福祉担当主査、県立精神医療センター・精神保健福祉センター総務職員担当主幹、2004年城西大学経営学部マネジメント総合学科助教授。
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山田 均(やまだ ひとし、1959年7月 - )は、日本の宗… 山田 均(やまだ ひとし、1959年7月 - )は、日本の宗教学者、僧侶。武蔵野大学名誉教授、浄土真宗本願寺派東京仏教学院講師。元名桜大学教授。専門は、東南アジア仏教史。 東京都練馬区出身。早稲田中学校・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部に進学。サンスクリットと仏教学を平川彰教授に師事。1983年同学部東洋哲学科卒業。 大学院進学後は東洋学を福井文雅教授に、タイ仏教を石井米雄京大教授に師事。タイに留学してクメール碑文をウライスィー・ウォーラッサリン教授に師事。 タイの壷やタイの鍵など、軽妙なエッセイでも知られる。 無外流居合兵道皆伝免許の他、富木流合気道、小笠原流弓馬術、講道館柔道を学ぶ。ピアノは大藪祐歌(ピアニスト、リスト・バルトーク国際コンクール優勝)に師事。
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釜井 俊孝(かまい としたか、1957年3月7日 - ) は… 釜井 俊孝(かまい としたか、1957年3月7日 - ) は、日本の応用地質学者。京都大学名誉教授。専門は地すべり。 東京都生まれ。1975年早稲田高等学校卒業。1979年筑波大学第一学群自然学類地球科学専攻卒業、利根コンサルタント入社。1986年日本大学大学院理工学研究科博士前期課程土木工学専攻修了、工学修士。同年通商産業省入省、工業技術院地質調査所研究官。同主任研究官を経て、1995年日本大学理工学部土木工学科助手、日本大学博士(工学)。同専任講師、助教授を経て、2000年京都大学防災研究所助教授。2007年同教授。2019年第7回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。2022年京都大学名誉教授、日本応用地質学会論文賞受賞。
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齋藤 美穂(さいとう みほ、1955年 - )は、日本の心理… 齋藤 美穂(さいとう みほ、1955年 - )は、日本の心理学者。学校法人早稲田大学副総長、早稲田大学名誉教授。 1979年聖心女子大学文学部心理学専攻卒業。1985年早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程単位取得退学。1993年色彩学論文賞受賞。1996年早稲田大学人間科学部助教授。1997年早稲田大学博士(人間科学)。同年日本社会心理学会第一回島田一男書受賞。 2001年早稲田大学人間科学学術院教授。2006年早稲田大学人間科学学術院長、早稲田大学人間科学部長、学校法人早稲田大学評議員、早稲田実業学校評議員、学校法人早稲田高等学校評議員。 2008年早稲田大学人間総合研究センター所長、学校法人早稲田大阪学園評議員。
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森山 茂徳(もりやま しげのり、1949年3月 - )は、日… 森山 茂徳(もりやま しげのり、1949年3月 - )は、日本の政治学者。首都大学東京都市教養学部法学系名誉教授。専門は東アジア比較政治。法学博士(東京大学・1985年)。 この他学外では、第1期日韓歴史共同研究委員会(2002年-2005年)委員を務めた。
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八巻 和彦(やまき かずひこ、1947年5月8日 - )は、… 八巻 和彦(やまき かずひこ、1947年5月8日 - )は、日本の哲学者、早稲田大学名誉教授。専門は、哲学、倫理学、文明論。早稲田中学校・高等学校校長なども務めた。 山梨県出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業、1971年早稲田大学第一文学部卒業。1974年東京教育大学(現筑波大学)大学院文学研究科修士課程修了。1976年東京教育大学大学院文学研究科博士後期課程中退。同年和歌山大学助手。1977年和歌山大学講師。1980年和歌山大学助教授。1986年より1988年までフンボルト財団研究奨学生としてドイツ・トリーア大学付属クザーヌス研究所に滞在。1990年早稲田大学商学部助教授、1992年教授。1997年早稲田大学学生部副部長。
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熊坂 賢次(くまさか けんじ、1947年1月28日 - )は… 熊坂 賢次(くまさか けんじ、1947年1月28日 - )は、日本の社会学者。慶應義塾大学名誉教授。 東京都出身。早稲田高等学校、1969年早稲田大学政治経済学部卒業。1976年慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 1979年日本大学農獣医学部専任講師。1990年慶應義塾大学環境情報学部助教授、1994年教授、2001年学部長、2012年名誉教授。 ソフトピアジャパン理事長などを歴任。
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鳥羽 至英(とば よしひで、1946年6月23日 - )は、… 鳥羽 至英(とば よしひで、1946年6月23日 - )は、日本の会計学者。早稲田大学名誉教授。国際教養大学客員教授。 東京都練馬区生まれ。1965年早稲田高等学校卒業。1969年早稲田大学政治経済学部卒業。1976年早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了、「監査証拠論の研究」で商学博士の学位を取得。1976年東京都立商科短期大学専任講師、1978年専修大学商学部専任講師、1979年助教授、1984年教授、2005年早稲田大学商学部教授となる。2017年定年となり、名誉教授。
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中村 浩三(なかむら こうぞう、1917年(大正6年)7月1… 中村 浩三(なかむら こうぞう、1917年(大正6年)7月10日 - 2008年(平成20年))は、日本のドイツ文学者、翻訳家、早稲田大学名誉教授。 島根県生まれ。1944年早稲田大学文学部独文科卒。早稲田高等学校講師、1951年早稲田大学理工学部助教授、1957年教授、1968 - 1974年語学教育研究所長、1988年定年退任、名誉教授。 1991年『少年ルーカスの遠い旅』で産経児童出版文化賞受賞。ドイツの児童文学を多く訳し、『大どろぼうホッツェンプロッツ』三部作がロングセラーとなっている。
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大場 千秋(おおば ちあき、1902年11月18日 - 19… 大場 千秋(おおば ちあき、1902年11月18日 - 1978年11月28日)は、日本の文化人類学者。 北海道出身。早稲田中学校 (旧制)、水戸高等学校 (旧制)卒業。1928年、東京帝国大学文学部心理学科卒業。東大副手、水戸高等学校教授を経て、1949年茨城大学教授。66年定年退官、名誉教授、茨城キリスト教大学教授。73年定年退職。長男は大場牧夫、次男は大場幸夫。
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安藤 更生(あんどう こうせい、1900年(明治33年)6月… 安藤 更生(あんどう こうせい、1900年(明治33年)6月10日 - 1970年(昭和45年)10月26日)は、日本の美術史家。日本の仏寺、中国美術、鑑真、書道などを研究した。 東京出身。本名は正輝。早稲田中学を経て東京外国語学校(現東京外国語大学)を卒業。早稲田大学仏文学科へ進むも中退(1924年)。 会津八一に師事し、1923年、奈良美術研究会を創設(のち東洋美術研究会)。1929年に研究誌『東洋美術』を創刊。1938年、中華民国に渡り、新民印書館に勤務。安藤が編集した『北京案内記』は、北京に関する案内書としては、名著と言われ、評価が高い。1966年、多摩美術大学で教授を務めた。戦後は早稲田大学教授を務めた。
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西谷 啓治(にしたに けいじ、1900年〈明治33年〉2月2… 西谷 啓治(にしたに けいじ、1900年〈明治33年〉2月27日 - 1990年〈平成2年〉11月24日)は、日本の哲学者。専門は宗教哲学。京都学派に属する。京都大学名誉教授。文化功労者。 1900年、石川県鳳珠郡能登町生まれた。宇出津小学校に入学するが、1年生の時に一家で東京へ移住。1912年に早稲田中学に進学。成績優秀であり、卒業時には大隈重信総長から優等賞を授与された。しかし、中学卒業時に肺結核へ罹患していることが分かり、大きな衝撃を受けた。第一高等学校への進学をあきらめて北海道函館で療養生活を送ったが、1年後に回復し、第一高等学校へ進学。 大学進学にあたっては、若年のうちに同郷(現かほく市)の出身である西田幾多郎の著書『思索と体験』に出会っていたこともあり、京都帝国大学文学部哲学科に入学。
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留岡 清男(とめおか きよお、1898年9月16日 - 19… 留岡 清男(とめおか きよお、1898年9月16日 - 1977年2月3日)は、日本の教育者・教育学者。専攻は価値心理学、教育科学・生活教育論。 東京府北豊島郡巣鴨村(現・豊島区)出身。旧制早稲田中学校を経て1920年6月、第二高等学校卒業。東京帝国大学法学部に入学し、翌年文学部に転部、1923年3月、東京帝国大学文学部心理学科卒業。 1923年4月、東京農業大学予科大学部講師(英語等担当)。1925年3月、東京農業大学予科大学部教授。1926年から法政大学講師、武蔵高等学校講師を兼務。1929年法政大学児童研究所設立に参画。1929年病気に伏した留岡幸助に代わり、教職を辞して北海道遠軽の家庭学校社名渕分校教頭に就き教護事業を継ぐ。
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宇賀田 順三(うがた まさぞう、じゅんぞう、1898年8月1… 宇賀田 順三(うがた まさぞう、じゅんぞう、1898年8月10日 - 1979年5月19日)は、日本の法学者。専門は、憲法・行政学。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1961年)。九州帝国大学教授、八幡大学(現・九州国際大学)学長・理事長をつとめた。 1898年、茨城県古河市生まれ。 前身の法学校、専門学校から創設に於いて実質的な八幡大学の真の中心人物といえる宇賀田は1952年に学長に就任した。1954年人事に関し学長の宇賀田と一部教授陣との確執が大学紛争に発展し各メディアで報道される事になった。この八幡大学事件は八幡市長、八幡市議会、八幡商工会議所、安川電機株式会社等が両派の斡旋に動き、福岡地方裁判所小倉支部にて調停となったが断裂し、凡そ1年の及ぶ騒動は1955年1月、結局宇賀田の学長辞任(事実上解任)という結果で終止符を打った。
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江川 英文(えがわ ひでぶみ、1898年7月19日 - 19… 江川 英文(えがわ ひでぶみ、1898年7月19日 - 1966年8月21日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。正三位勲二等旭日重光章。弟子に池原季雄など。 1898年、東京府東京市生まれ。早稲田中学校、第一高等学校文科丙類を経て、1922年、東京帝国大学法学部法律学科に入学。 卒業後の1925年、東京帝国大学卒業、東京帝国大学助手に採用される。1927年、東京帝国大学助教授に昇任。1936年、教授に昇任。1959年3月、東京大学を定年退職。同年6月、東京大学名誉教授の称号を受けた。その後も1959年4月より立教大学法学部教授となり教鞭をとり続けた。
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山口 左仲(やまぐち さちゅう、1894年4月21日 - 1… 山口 左仲(やまぐち さちゅう、1894年4月21日 - 1976年3月11日)は、日本の寄生虫学者。学位は、医学博士・理学博士。寄生蠕虫類(吸虫・条虫・線虫・鉤頭虫など)の形態・分類学に関する多くの業績を残した。 長野県南佐久郡小海村(現・小海町)で代々造り酒屋を営んでいた黒澤家の五男として生まれる。 小海村小学校を卒業後、東京の旧制早稲田中学校に進学。医学に進んだ動機は不明だが、1918年(大正7年)に岡山医学専門学校を首席で卒業し、銀時計を授与される。しかし、自分は医者には不向きと考え、同年、同郷の山極勝三郎教授を東京帝国大学医学部に訪ねて病理学教室に入室し、7年間を過ごす。1925年(大正14年)に論文「口腔唾液腺の研究」(原題はドイツ語)で医学博士を取得。
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石井 満(いしい みつる、1891年2月9日 - 1977年… 石井 満(いしい みつる、1891年2月9日 - 1977年11月13日)は、日本の作家、出版人、教育学者。 千葉県生まれ。第一高等学校在学時代は芥川龍之介らと同期であった。東京帝国大学法科大学卒業。大学院で交通政策を学ぶ。新渡戸稲造に師事。鉄道院事務官、東京市電気局総務課長を経て、1946年日本出版協会会長。 GHQの指導で戦争責任を問われた出版社の粛清を行い、夏目漱石の著作権問題の処理に当たった。学校法人精華学園理事長などを務めた。
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笠井 藍水(かさい らんすい、1891年(明治24年)1月3… 笠井 藍水(かさい らんすい、1891年(明治24年)1月3日 - 1974年(昭和49年)11月15日)は、日本の歴史家・郷土史家。徳島県の郷土史研究や各市町村史編纂の基盤確立に大きな役割を果たした。本名は笠井(吉田) 高三郎(かさい(よしだ) たかさぶろう)。 1891年1月3日、徳島県美馬郡脇町に笠井量平の三男として生まれる。 1909年、早稲田中学校を卒業する。卒業後、水彩画講習所でデッサンの勉強をしていたが、家族の要請により、1910年に脇町に帰郷する。 1913年8月23日、脇町収入役に就任し、『美馬郡郷土誌』編纂のために美馬郡教育会嘱託を兼任する。1915年10月19日、辞任する。
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中江 丑吉(なかえ うしきち、1889年(明治22年)8月1… 中江 丑吉(なかえ うしきち、1889年(明治22年)8月14日 - 1942年(昭和17年)8月3日)は、大正・昭和期の中国学者。 中江兆民の長男として大阪に生まれた。小石川竹早小学校、旧制早稲田中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1913年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。翌年8月に袁世凱の憲法制定顧問となった有賀長雄博士の助手として北京に赴く。これは当時官界にあった曹汝霖・章宗祥が日本留学中に中江家に寄寓していたという機縁によるものである。その期限が満了した1915年夏に日本に帰国。しかし、数ヶ月後に再び中国に渡り、以降30年にわたる北京での生活を始める。1919年、五四運動の際には曹汝霖・章宗祥を救出し、その前後から中国思想の研究に励む。
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佐藤 忠勇(さとう ただお、1887年〈明治20年〉11月 … 佐藤 忠勇(さとう ただお、1887年〈明治20年〉11月 - 1984年〈昭和59年〉4月1日)は日本の水産学者。カキの浄化法を確立した人物であり、的矢かきの生みの親である。 1887年(明治20年)11月、東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区本所)に生まれる。旧制早稲田中学校に入学し、当時教師をしていた浮田和民から「自分の一番得意なものを専攻し、それを社会に役立てよ」と言われたことから水産学を志すことを決心した。卒業後、東北帝国大学水産大学(現在の北海道大学水産学部)に入学。プランクトンの研究を行い1908年(明治41年)卒業。1913年(大正2年)には北海道庁技手に就任、北海道水産試験場に勤務する。
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坪内 士行(つぼうち しこう、1887年〈明治20年〉8月1… 坪内 士行(つぼうち しこう、1887年〈明治20年〉8月16日 - 1986年〈昭和61年〉3月19日)は、日本の演劇評論家、早稲田大学教授、戯曲家、振付師。女優・坪内ミキ子の父。 現在の愛知県名古屋市に生まれる。坪内逍遥の兄・義衛の三男で、逍遥に子がなかったため7歳のときに養子となった。旧制早稲田中学校を経て、1909年(明治42年)早稲田大学文学部英文科卒業。その後、ハーバード大学に留学して演劇を学び、1915年(大正4年)に帰国。翌年、留学中深い関係となったアメリカ人女性マッグラルド・ホームズが後を追って日本に来た。しかし逍遥は士行に娶合わせるつもりで鹿嶋清兵衛の娘のくにを養女にしており、この関係を許さなかった。
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権田 保之助(ごんだ やすのすけ、1887年(明治20年)5… 権田 保之助(ごんだ やすのすけ、1887年(明治20年)5月17日 - 1951年(昭和26年)1月5日)は、日本の社会学者。 東京生まれ。明治32年、早稲田中学に入学。東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。1921年大原社会問題研究所に入る。1924年にヨーロッパに渡る。のちに日本大学講師、文部省の委託を受けて各地の都市研究に従事する。 1919年(大正8年)に実施した、小額俸給生活者の家計調査は有名。また同時期、京都の映画監督で、「日本映画の父」として知られる牧野省三が設立した「教育映画」の製作会社「ミカド商会」、ならびに「牧野教育映画製作所」に対し、同社の顧問となった文部省の星野辰男(保篠龍緒)とともに協力する。
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岡田 満(おかだ みつる、1886年4月19日 - 1962… 岡田 満(おかだ みつる、1886年4月19日 - 1962年4月28日)は、日本の大正・昭和期における歯科医、大学教授。滋賀県出身者の歯科医として、初の医学博士。 1886年(明治19年)4月19日、滋賀県野洲郡守山村吉身(現・滋賀県守山市吉身)で誕生。 父は滋賀県議会議長や衆議院議員を務めた岡田逸治郎、母は逸治郎の3番目の妻・義子。八男七女の七男として誕生したが、長男と四男が夭折しており対外的には五男と称す。 1898年(明治31年)早稲田中学入学に伴い上京し、長兄岡田国太郎宅より通う。1908年(明治41年)7月20日、東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)第14回生(本科6名の一人)として卒業する。
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西 成甫(にし せいほ、1885年1月6日 - 1978年8… 西 成甫(にし せいほ、1885年1月6日 - 1978年8月17日)は、日本の解剖学者、エスペラント運動家。東京帝国大学名誉教授。医学博士。西成度の孫。 東京出身。早稲田中学、第一高等学校、東京帝国大学医学部卒。大沢岳太郎に師事。1911年ハイデルベルク大学へ留学し、M. Furbringer, H. Brausに師事。1915年東北帝国大学教授、1922年東京帝国大学教授、1945年定年退官、名誉教授、49年群馬大学学長。1945-1966年日本エスペラント学会理事長。弟子には浦良治など。祖父は裁判官で第6代大審院長を務めた西成度。 1978年8月17日、心不全のため神奈川県横浜市の国立横浜病院にて死去。
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