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寺崎 浩(てらざき ひろし、1904年3月22日 - 198… 寺崎 浩(てらざき ひろし、1904年3月22日 - 1980年12月10日)は、日本の小説家、詩人。 岩手県盛岡市生まれ。父は検事。早稲田大学仏文科中退。1926年、同級の田畑修一郎、火野葦平らと同人誌『街』を創刊。西條八十に師事し、佐伯孝夫らと詩誌『棕櫚の葉』を創刊。のち横光利一に師事。 1935年、文壇デビューを果たし以後は小説を中心に執筆。1936年、徳田秋声の娘喜代と結婚。1941年、報道班員としてマレーに赴く。 戦後は中間小説を多く書いた。代表作に短編集『祝典』、長編『情熱』、詩集『落葉に描いた組曲』など。『からたちの花』は山田耕筰の伝記小説である。墓所はさいたま市思い出の里市営霊園。
吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日… 吉井 勇(よしい いさむ、1886年(明治19年)10月8日 - 1960年(昭和35年)11月19日)は、明治末期から昭和中期の日本の歌人、劇作家、小説家である。元伯爵(華族)。宮中歌会始選者、日本芸術院会員。本名の読み仮名は「よしい いさみ」。 “いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)”の歌詞で知られる『ゴンドラの唄』の作詞者。北原白秋らと「パンの会」を結成。石川啄木らとは雑誌「スバル」を発行して耽美派の拠点とした。京都の祇園を愛し、「祇園歌人」の異名で呼ばれた。人生享楽の世界を歌った代表作『酒ほがひ』(明治43年)のほか、『祇園歌集』(大正4年)、『人間経』(昭和9年)、『天彦』(昭和14年)などがある。
森田 草平(もりた そうへい、1881年〈明治14年〉3月1… 森田 草平(もりた そうへい、1881年〈明治14年〉3月19日 - 1949年〈昭和24年〉12月14日)は、作家・翻訳家。本名:森田 米松。夏目漱石の門下生の一人であるが、特に私生活での不祥事が多かったことから、門下生の中では異色の存在として扱われることが多い。 岐阜県方県郡鷺山村(現・岐阜市)生まれ。1895年に高等小学校卒業後、日清戦争の影響を受け海軍軍人となるべく単身上京し、海軍予備校だった攻玉社に入学。しかし校風が合わず退学し、日本中学校(現日本学園中学校・高等学校)に入学。同校を1899年に卒業。さらに金沢の第四高等学校に入学するが、恋人の森田つね(のちの妻)との同棲が見つかり、つねの親が学校に訴えたため退学処分を受ける。
永井 荷風(ながい かふう、1879年〈明治12年〉12月3… 永井 荷風(ながい かふう、1879年〈明治12年〉12月3日 - 1959年〈昭和34年〉4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壯吉()。号に金阜山人()、断腸亭()ほか。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東京市小石川区(現在の文京区)出身。父・久一郎は大実業家だったが、荷風は落語や歌舞伎の世界に入り浸った。父は荷風を実業家にするために渡米させるが、荷風はアメリカ駐在を経てフランスにも滞在、同時代のフランス文学を身につけ帰国した。明治末期に師・森鷗外の推薦で慶応義塾教授となるが、江戸文化を無秩序に破壊しただけの幕末維新以後の東京の現状を嘆き、以後は、戯作者のように生きた。 永井久一郎と恒(つね)の長男として、東京市小石川区金富町四十五番地(現:文京区春日二丁目)にて出生。
長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)… 長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)11月30日 - 1969年(昭和44年)11月11日)は、日本のジャーナリスト、文明批評家、評論家、小説家。明治・大正・昭和と三代にわたり、新聞記事・評論・エッセイ・戯曲・小説・紀行と約3000本もの作品を著した。大山郁夫らとともに雑誌『我等』(後に『批判』)を創刊し、大正デモクラシー期の代表的論客の一人。「如是閑」は雅号、本名は萬次郎。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東京府深川区深川扇町(現在の東京都江東区木場)で、山本金蔵(幼名・徳治郎)・たけの次男として生まれる。山本家は江戸城築城に携わった棟梁の家系で、代々幕府から俸禄を受けていたが、金蔵の代からは材木商を営んでいた。