スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
伊藤 竜司(いとう りゅうじ、1990年7月23日 - )は… 伊藤 竜司(いとう りゅうじ、1990年7月23日 - )は、東京都出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 帝京高等学校2年次に、同校5年振りとなる全国高校サッカー選手権に出場。ヘディングでゴールを決めた。3年次も出場したが初戦敗退となった。2009年、高校卒業後にJ2・横浜FCに入団した。2010年6月、JFL・FC琉球に期限付き移籍で加入。 2012年、松本山雅FCに完全移籍で加入、2013年に再びFC琉球に期限付き移籍。同年シーズン終了後、松本・琉球から契約満了により退団。 2014年、藤枝MYFCへ移籍 するも、2月10日退団が発表された。同月15日、東京23FCへ移籍。
村松 知輝(むらまつ ともき、1990年7月10日 - )は… 村松 知輝(むらまつ ともき、1990年7月10日 - )は、埼玉県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)。 帝京高等学校時代は右サイドの快速MFとしてプレー。2年次の第86回全国高等学校サッカー選手権大会はサブだったが、翌年の第87回全国高校サッカー選手権大会は主力選手として活躍。 その後浜松大学(現常葉大学)を経て、カターレ富山に入団。2014年シーズン途中にはHonda FCに期限付き移籍で加入。 2017年のPFCマシュアル・ムバレクでのプレー後、同年12月にはJリーグ合同トライアウトに出場したが、新たな所属チームを決めないまま現役引退を発表。 その後は2020年より地元のFCカラスト埼玉南西でアマチュア選手としてプレーを再開。
山崎 侑輝(やまざき ゆうき、1990年4月21日 - )は… 山崎 侑輝(やまざき ゆうき、1990年4月21日 - )は、東京都足立区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役選手時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダーだった。 小学5年生時にサッカーを始め、中学・高校時はFC東京の下部組織に所属。スピードのあるサイドアタッカーとして活躍した。同期には井上亮太、三田啓貴、岩渕良太、畑尾大翔、平野又三、藤原広太朗、山村佑樹、宮澤勇樹、六平光成らがいた。 2009年に井上と共に鹿屋体育大学に進学。2012年にはサッカー部主将を務めるのと併行して、特別指定選手としてJリーグ・ロアッソ熊本に登録された。同年4月30日の大分戦でJリーグ初出場。同年12月、2013年から熊本へ正式加入することが発表された。
新 裕太朗(しん ゆうたろう、1990年3月11日 - )は… 新 裕太朗(しん ゆうたろう、1990年3月11日 - )は、埼玉県上尾市出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード。 U-16日本代表経験を持つ。青山学院大学を経て、2012年より福島ユナイテッドFCへ入団。 2015年、アスルクラロ沼津へ完全移籍も1年で退団。
中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、… 中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、埼玉県朝霞市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校2年生の時に岡ファイターズという少年野球チームに所属し、野球を始めた。朝霞市立朝霞第二中学校では軟式野球部に所属し、髙島祥平とは中学時代から同じチームに所属していた関係がある。一つ下の学年であった。帝京高校入学時は内野手兼投手だったが、同級生に大田阿斗里(横浜ベイスターズに入団)や垣ヶ原達也(青山学院大学→日立製作所)といった好投手がおり、投手としての自分に限界を感じて野手を志したという。子どもの頃は埼玉西武ライオンズのファンだった。 帝京高等学校入学後1年夏からベンチ入り。
大久保 択生(おおくぼ たくお、1989年9月18日 - )… 大久保 択生(おおくぼ たくお、1989年9月18日 - )は、東京都江東区出身のプロサッカー選手。JFL・アスルクラロ沼津所属。ポジジョンはゴールキーパー(GK)。 5歳の時に兄の影響でサッカーを始め、小学4年生の時にGKへ転向。 1997年度の高校サッカー選手権で準優勝した帝京高校に憧れ、同中学校・高校へ進学。高校3年次には自身の好セーブで総体ベスト8入り。それまで代表歴は無く無名だったが同年夏にはU-18日本代表に初選出された。同年冬の選手権では2回戦で広島皆実に0-2で敗れた。 複数クラブからオファーを受けた中、三浦知良とGKコーチを務めていた田北雄気を慕って2008年に横浜FCへ加入。
浦田 延尚(うらた のぶひさ、1989年9月13日 - )は… 浦田 延尚(うらた のぶひさ、1989年9月13日 - )は、東京都品川区出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 帝京高校では2年次と3年次にインターハイに出場、2年連続で大会優秀選手に選ばれている。 2008年に横浜F・マリノスに入団。しかし出場機会は無く、2010シーズン終了後に契約満了が発表された。 2011シーズンよりサガン鳥栖に加入。念願のJリーグデビューを果たしたが、レギュラー獲得には至らず同年オフに退団が発表された。 2012シーズンより愛媛FCに加入。愛媛では開幕初年度からレギュラーに定着し、2015年にはクラブ史上最高順位の5位フィニッシュ&昇格プレーオフ進出を果たした。
大田 阿斗里(おおた あとり、1989年8月12日 - )は… 大田 阿斗里(おおた あとり、1989年8月12日 - )は、日本の警察官。警視庁第四機動隊所属。 プロ野球選手(投手)として2008年から2016年まで活動。右投右打。2008年から2012年までは、名前の阿斗里(あとり)を登録名に用いていた。また、警察官転身後も警視庁の硬式野球部にも一時所属していた。 3歳まで沖縄で暮らした後に東京へ転居。小学3年生で江戸川区軟式野球連盟・仲町ビックフィガースで外野手として軟式野球を始め、5年生で投手に転向。6年生の時に江戸川区選抜として世界大会に出場した。 進学した帝京高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年夏から3季連続で甲子園に出場した。2年夏は8強、2007年春のセンバツでは小城打線を相手に、江川卓と並ぶ大会史上2位タイとなる20奪三振の活躍、4強入りに貢献する。
浅田 大樹(あさだ だいき、1989年4月5日 - )は、東… 浅田 大樹(あさだ だいき、1989年4月5日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 2012年に法政大学からHonda FCに加入。同期入部には齋藤達也と河野大星がいる。 2014年よりJ3に加盟するFC琉球に完全移籍。 2015年を以て、FC琉球との契約が満了。2016年、藤枝MYFCに移籍。 2020年公式ホームページを開設。https://wift.jp/teams/daiki-asada/home/ 2020年をもって藤枝MYFCとの契約が満了。 2021年よりFC刈谷に移籍。しかしわずか1年で退団。そしてこの年限りで現役引退となった。
酒井 良彦(さかい よしひこ、1987年8月25日 - )は… 酒井 良彦(さかい よしひこ、1987年8月25日 - )は、NHKのアナウンサー。 東京都江戸川区出身。私立帝京高校を経て[要出典]、上智大学経済学部経営学科を卒業後、2010年に入局。 スポーツアナウンサーとして活動しており、2021年現在、主に大相撲、ラグビー、卓球などのスポーツ実況と地域報道を担当している。 ※太字は、レギュラー番組。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
金井 智之(かない ともゆき、1987年1月23日 - )は… 金井 智之(かない ともゆき、1987年1月23日 - )は、東京都出身のフットサル選手。圧倒的なスピードでピッチを駆け回り、積極的に仕掛けるプレーを持ち味としているアタッカー。 2016年に現役引退。引退後は湘南ベルマーレの普及コーチに就任。現在はサテライトコーチも兼任。 大学卒業後に名古屋オーシャンズサテライトへ加入。第1期生のキャプテンを務め、2011年に名古屋オーシャンズトップチームへ昇格。同年のAFCフットサルクラブ選手権カタール2011優勝メンバー
上野 大樹(うえの ひろき、1986年10月13日 - )は… 上野 大樹(うえの ひろき、1986年10月13日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。元プロ野球選手の上野貴久は実兄。 帝京高では1年夏に甲子園出場するが登板なし。東洋大学に進学。3年秋までは1勝止まりだったが、2008年の第57回全日本大学野球選手権大会にて、最優秀投手賞に選ばれる。4年秋はMVP、最優秀投手の活躍で、明治神宮野球大会にも優勝して4冠に貢献。東都大学リーグ通算8勝3敗。 2008年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名され、12月19日に契約した。 2009年には、7月3日の対オリックス・バファローズ戦(千葉マリンスタジアム)に中継ぎ投手として一軍デビュー。
宇佐美 里香(うさみ りか、1986年2月20日 - )は、… 宇佐美 里香(うさみ りか、1986年2月20日 - )は、日本の空手家で、空手指導者である。東京都葛飾区出身。帝京高等学校、国士舘大学文学部卒業、同大学院スポーツ・システム研究科修士課程修了。 井上派糸東流慶心会宗主井上慶身に師事。身長は159cm。段位は三段。種目は形。帝京高等学校、国士舘大学文学部を経て、鳥取県教育委員会の職員として勤務していた。 2011年、「SUNRISE JAPAN(サンライズジャパン)」のメンバーに選ばれた。 2012年の世界空手道選手権大会優勝を花道として、2013年3月5日に現役引退を表明。その後は指導者の道を歩むべく国士舘大学大学院へ進学。 2015年3月、国士舘大学大学院を卒業。
関口 訓充(せきぐち くにみつ、1985年12月26日 - … 関口 訓充(せきぐち くにみつ、1985年12月26日 - )は、東京都多摩市出身のプロサッカー選手。関東サッカーリーグ・ジョイフル本田つくばFC所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。 男四人兄弟の三番目として生まれる。2004年に帝京高校から仙台に入団。2007年にスーパーサブとして44試合に出場した。2008年はチームの軸となり、リーグ戦は1試合の欠場のみの41試合に出場し6得点と、チームの入れ替え戦進出に貢献した。 2009年は得点こそ減ったものの、もともとの武器だったドリブルに加え、状況によって仲間へのパスを選択するなどプレーの幅が広がり10アシストを記録。[要出典]この年リーグ戦、天皇杯含め55試合に出場し、仙台のJ2優勝、天皇杯ベスト4進出の原動力となった。
足助 翔(あすけ しょう、1985年10月28日 - )は、… 足助 翔(あすけ しょう、1985年10月28日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 帝京高校、国士舘大学時代はセンターバックを務め、2008年に東京ヴェルディに加入。サイドバックにコンバートされプレーしたが、1年で戦力外となる。シーズンオフのJリーグ合同トライアウトを経て、2009年、当時J2に昇格したカターレ富山に入団した。楚輪博監督の下ではサイドバックとして起用されたが、シーズンを通じてレギュラーポジションを獲得するには至らなかった。2010年9月に安間貴義監督が就任するとセンターバックとして起用され、11月に負傷欠場するまで全試合に出場。2011年からはキャプテンに指名された。
山腰 泰博(やまこし やすひろ、1985年9月16日 - )… 山腰 泰博(やまこし やすひろ、1985年9月16日 - )は、東京都出身のサッカー選手。関東サッカーリーグ2部・tonan前橋所属。ポジションはフォワード(FW)。
横山 知伸(よこやま とものぶ、1985年3月18日 - 2… 横山 知伸(よこやま とものぶ、1985年3月18日 - 2024年1月4日)は、東京都練馬区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 石神井マメックスFC、帝京高等学校を経て、1年浪人して早稲田大学スポーツ科学部へ進学。早大蹴球部の主力メンバーとして活躍し、4年時の2007年度、全日本大学選手権で優勝を経験した。大学の同期には、兵藤慎剛、鈴木修人、山本脩斗、島村毅らがいる。 早大卒業後は大手証券会社への入社が内定していたが、川崎フロンターレ・向島建スカウトの打診を受け、内定を蹴って2008年に川崎に入団した。 加入初年度はセンターバックとして見られていたが、09年は関塚隆監督のコンバートによりMFへとポジションを移した。
トクサン(本名:徳田 正憲、1985年3月18日 - )は、… トクサン(本名:徳田 正憲、1985年3月18日 - )は、日本の男性YouTuber。東京都大田区出身。主に野球の動画を投稿している。 小学校3年生の時にソフトボールを始める。中学生になり軟式野球クラブチーム大三連ネオナインに所属。2000年4月、帝京高校へ入学し硬式野球部に入部する。控え遊撃手として3年夏には第84回全国高等学校野球選手権大会に出場。高校の同期には元広島東洋カープの吉田圭や松本高明、元東京ヤクルトスワローズの高市俊がいて、後輩には元日本ハムファイターズの杉谷拳士がいる。 大学は創価大学に進学。1年生からベンチに入ると2年秋にはけがをしたレギュラーの代わりに出場した試合での活躍をきっかけにレギュラーへ定着。
大沢 朋也(おおさわ ともや、1984年10月22日 - )… 大沢 朋也(おおさわ ともや、1984年10月22日 - )は、埼玉県狭山市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード、または攻撃的ミッドフィールダー。 三菱養和スポーツクラブを経て帝京高校で中心選手として活躍。高校在学中から各年代の日本代表に選出され、2001 FIFA U-17世界選手権にも参加した。帝京高校では2学年先輩に田中達也、田村雄三、1学年上に平松大志、同期に中村英之、1期後輩に関口訓充、足助翔などがいる。 帝京高校在学時にはエースとして平山相太、中村北斗らを擁する国見高校を破り、20年ぶりの高校総体優勝を実現した。 2003年、高校卒業後にJ2の大宮アルディージャに入団してプロサッカー選手となり、同年にJリーグデビューを果たしたが、トップチームでの公式戦出場はデビュー戦の1試合のみで、2005年に大宮がJ1に昇格しても出場機会は得られないまま、同年シーズン限りで大宮とは契約満了となった。
安江 祥光(やすえ よしみつ、1984年8月25日 - )は… 安江 祥光(やすえ よしみつ、1984年8月25日 - )は、ラグビーユニオンの選手。ジャパンラグビーリーグワンのクボタスピアーズ船橋・東京ベイに所属している。 15歳からラグビーを始めた。 2003年、帝京高校卒業後、帝京大学に入る。 2007年、大学卒業後、日本IBMビッグブルー(現・BIG BLUES)に加入。同年10月27日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のリコーブラックラムズ戦にて途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に加入。 2016年、三菱重工相模原ダイナボアーズへ移籍。 2025年3月22日、40歳の時に、ジャパンラグビーリーグワン2024-25シーズン第12節のトヨタV戦で、トップリーグ時代109試合(日本選手権やカップ戦などを含む)、リーグワン41試合、計150試合出場を達成した。
高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千… 高市 俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 流山市立東小学校、流山市立東部中学校卒業。 帝京高校時代は松本高明、吉田圭らがチームメイト。自身はエースを務めたほか、高校通算12本塁打を記録するなど打撃も良く、登板しない際には三塁手としても出場していた。3年生時(2002年)には第84回全国選手権に出場し、最終的に準決勝まで勝ち進んだが、2回戦の光泉高校(滋賀県代表)戦以外はピリッとせず、伝令役の選手に「エースならしっかりしろ!」と一喝される一幕もあった。 青山学院大学では国際政治経済学部に在籍。山岸穣の卒業後にエースとなる。3年春から4年春にかけて同大学のリーグ3連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。
吉田 圭(よしだ けい、1984年7月4日 - )は、東京都… 吉田 圭(よしだ けい、1984年7月4日 - )は、東京都北区出身の元プロ野球選手(内野手)。広島東洋カープに所属していた。 帝京高校では1年秋から一塁手で出場、2年春から外野手。3年時に夏の甲子園でベスト4。また東東京大会準々決勝では芝浦工大高に対して9回1死までノーヒットノーラン。チームメートの松本高明と共に2002年ドラフト2巡目で広島東洋カープに投手として入団。高校通算18本塁打を放った打力も評価されていた。 しかし、左肩を痛め1年目は治療に専念するも、以前のような投球は出来なくなり、シーズン終了後にコーチから野手転向を勧められ、2年目以降は外野手で1軍定着を目指した。 2006年8月31日の巨人戦では一塁手として初スタメンを果たす。
中村 英之(なかむら ひでゆき、1984年6月3日 - )は… 中村 英之(なかむら ひでゆき、1984年6月3日 - )は埼玉県さいたま市出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF。 小学校4年から6年まで柏レイソルの下部組織チームに所属し第19回全日本少年サッカー大会で、柏レイソル下部組織として初の全国優勝を成し遂げた。 中学時代は浦和レッズの下部組織に所属し、2000年に帝京高校に進学した。2002年度全国高校総体・茨城インターハイでは決勝で長崎県立国見高等学校を倒し全国優勝。大会の優秀選手にも選出された。同級生には大沢朋也、横山知伸、山口貴弘、一年後輩には関口訓充がいた。 2003年に順天堂大学に進学し、1年次から全日本大学選抜に抜擢され、2006年の全日本大学サッカー選手権大会では小宮山尊信、佐藤健太郎、村上祐介らと共に準優勝という成績を残した。
山口 貴弘(やまぐち たかひろ、1984年5月8日 - )は… 山口 貴弘(やまぐち たかひろ、1984年5月8日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 2000年に帝京高校に入学し、キャプテンを務めた。高校卒業後、早稲田大学へ進学し、副キャプテンを務めた。大学卒業後の2007年に湘南ベルマーレに加入し、2012年までプレー。その後、2年間のV・ファーレン長崎への期限付き移籍を経て、2015年に大分トリニータへ完全移籍した。3年間で44試合に出場し、2017年を以て現役を引退。 2018年1月、湘南ベルマーレU-15藤沢のコーチに就任した。 湘南ベルマーレへの入団時には、ポジショニングが良く、1対1に強いセンターバックと評価された。
松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )… 松本 高明(まつもと たかあき、1984年4月12日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は広島東洋カープの広報担当者。 帝京高等学校では3年夏の東東京大会で打率.591とチーム最高打率を残す。地方大会では出塁した第一打席は必ず先制の生還を果たしていた。甲子園では1番バッターとして5試合4盗塁と活躍しベスト4。また1試合5残塁という珍記録を持っている(2回戦で、2安打2四球1敵失に加え3盗塁を決めるも、一度も生還できず)。これは個人最多残塁の大会タイ記録。 その後、同期の吉田圭とともに2002年ドラフト5巡目で広島東洋カープに入団した。 3年目の2005年に初の一軍昇格。 2006年はセ・パ交流戦で4割近い打率を残す。
田邉 篤(たなべ あつし、1984年1月10日 - )は、日… 田邉 篤(たなべ あつし、1984年1月10日 - )は、日本のラグビー選手。 2002年、帝京高校卒業後、帝京大学に入る。 2006年、帝京大学卒業後、日本IBMビッグブルーに加入。同年9月2日に行われたジャパンラグビートップリーグ第1節のコカ・コーラウエストレッドスパークス戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。 2009年、横河武蔵野アトラスターズに加入。 2010年、近鉄ライナーズに加入 2016年10月にトップリーグ100試合出場を達成。 2017年、NTTドコモレッドハリケーンズに加入。 2018年、釜石シーウェイブスに加入。 2019年、釜石シーウェイブスを退団した。
木島 徹也(きじま てつや、1983年8月20日 - )は、… 木島 徹也(きじま てつや、1983年8月20日 - )は、千葉県千葉市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。元サッカー選手の木島良輔は実兄。 帝京高校卒業後、佐川急便東京SCに入団するも1年で退団。その後はクラブを転々とし、2008年にセレクションを経て入団したFC Mi-O びわこ Kusatsu(現・MIOびわこ滋賀)との契約満了後に現役引退を発表。しかし翌年9月に以前所属していた沖縄かりゆしFCで現役復帰。2013年1月にFC町田ゼルビアに完全移籍により加入。 2016年にはカマタマーレ讃岐でJリーグでのキャリア初の2桁得点を記録した。また同年4月17日、清水エスパルス戦で決めたゴールは、4月のJ2月間ベストゴール賞を受賞した。
平松 大志(ひらまつ だいし、1983年7月3日 - )は、… 平松 大志(ひらまつ だいし、1983年7月3日 - )は、栃木県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にセンターバック(CB))。 帝京高校サッカー部入部時には「実力が下から2番目の選手だった」と述懐。帝京での1学年先輩に田中達也、田村雄三、同期に本田弘幸(本田圭佑の兄)、1期後輩に大沢朋也、2期後輩に関口訓充、足助翔などがおり、2001年高校総体でベスト8に進出。第80回全国高等学校サッカー選手権大会では作陽高校に敗れ初戦敗退。2002年に中央大学へ進学し、サッカー部主将を務めた。大学での同期に天羽良輔、田中翔太、小林優希。 2006年、水戸ホーリーホックへ入団。同年5月14日東京V戦でデビュー。
下嶋 兄(しもじま けい、1983年1月13日 - )は、日… 下嶋 兄(しもじま けい、1983年1月13日 - )は、日本のタレント、スポーツリポーター、俳優、元ジャニーズJr.。東京都出身。身長171cm、体重66kg。帝京高等学校卒業、日本大学文理学部中退。オフィスさかや所属。 峰竜太、海老名美どり夫妻の長男。一般人の姉がいる。 また従弟に落語家の林家たま平、ぽん平兄弟がいる(いずれも母・美どりの長弟である林家正蔵(旧名・こぶ平)の実子)。 2002年の日本大学1年次に「礼儀作法を身につけさせたい」との両親の意向で、礼儀作法に厳しいジャニーズ事務所に入所する。 2010年7月30日、読売テレビ(ytv)の『情報ライブ ミヤネ屋』でテレビ信州のキャスターとして登場、父の峰とテレビ信州アナウンサーの松井美幸と共に黒部ダムの観光の様子等々の中継も交えての出演を親子共々に行った。
上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は… 上野 貴久(うえの たかひさ、1982年12月9日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手、元社会人野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツに所属していた。実弟は千葉ロッテマリーンズに所属していた上野大樹。 中学時代は地元の軟式野球チームブラックキラーズに所属していた。帝京高時代は控え投手だったが、進学した東洋大学の野球部では1年生春から主戦投手になる。東都大学リーグ通算75試合登板し14勝28敗、防御率3.43、228奪三振。 大学卒業後の2005年はNTT東日本に入社、同社硬式野球部に所属。2006年の都市対抗では、予選で3勝、本戦で1勝をあげた。同年の大学生・社会人ドラフト会議で読売ジャイアンツから3巡目指名を受け入団(契約金1億円、年俸1500万円)。
田村 雄三(たむら ゆうぞう、1982年12月7日 - )は… 田村 雄三(たむら ゆうぞう、1982年12月7日 - )は、群馬県渋川市の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 1995年に前橋ジュニアユースに入団。1998年に帝京高校に進学。サッカー部では田中達也や下嶋兄と同級生だった。2000年には東京都国体選抜に選ばれた。中央大学へ進学し、2003年・2004年と関東大学選抜に選ばれた。2005年に湘南ベルマーレに入団。2010年をもって現役を引退し、湘南の強化部スタッフに就任。 2015年12月、いわきFCの強化・スカウト部門のスタッフに就任した。2017年1月1日、いわきFCの監督に就任した。Jリーグの監督になるために必要なJFA 公認S級コーチライセンスを取得していないため、2021年シーズンをもっていわきの監督を退任して、2022年よりスポーツディレクターに就任すると発表された。
田中 達也(たなか たつや、1982年11月27日 - )は… 田中 達也(たなか たつや、1982年11月27日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 RB大宮アルディージャWOMEN所属の田中聖愛は長女。非凡なドリブルとスピードが武器だった。 3つ年上の兄の影響でサッカーを始め、小学2年生で周陽スポーツ少年団に加入する。周南市立周陽中学校3年生の時、山口県の選抜メンバーに選ばれる。周陽中学校3年時、帝京高等学校サッカー部3年に同じ徳山市出身で同姓同名(異字)の田中龍哉が所属していた縁もあり、同部のセレクションを受けて合格し、同校に進学する。1年時に全国高校選手権準優勝。
中島 俊一(なかじま しゅんいち、1982年6月16日 - … 中島 俊一(なかじま しゅんいち、1982年6月16日 - )は、群馬県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはMF。 長野郷中学校を卒業し、帝京高校から流通経済大学を経て2005年に名古屋グランパスエイトに入団。しかし、3年間で公式戦出場が3試合と出番に恵まれず、2007年オフに戦力外通告を受ける。数チームの練習に参加したが、なかなか所属先が決まらず試練の時となったが、約半年のブランクを経て2008年シーズン途中から日本フットボールリーグのFC琉球への加入が決定。琉球でのプレーぶりが認められ、2009年からJ2の水戸ホーリーホックに移籍。この際「絶対に諦めないプレーをするので見て欲しい」と気持ちの入ったコメントを残した。
君島 奈津子(きみじま なつこ、1981年7月21日 - )… 君島 奈津子(きみじま なつこ、1981年7月21日 - )は、栃木県出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長163cm。得意技は袖釣込腰。 柔道は10歳の時に矢板スポーツ少年団で始めた。矢板中学から帝京高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権57kg級で5位となった。2000年に国際武道大学へ進むと、2年の時には全国女子体重別52kg級決勝で旭川南高校3年の佐藤愛子に敗れるも2位になった。3年の時には選抜体重別で3位になると、学生体重別では2位だった。4年の時には選抜体重別と学生体重別で3位となった。2004年に警視庁の所属となると、アジア選手権で3位になった。2005年の選抜体重別では決勝でコマツの宝寿栄を有効で破って優勝を飾った。
久光 重貴(ひさみつ しげたか、1981年7月8日 - 20… 久光 重貴(ひさみつ しげたか、1981年7月8日 - 2020年12月19日)は、神奈川県出身のフットサル選手。フットサル日本代表。 1981年、神奈川県に生まれる。1987年、小学校1年から横浜サッカークラブつばさに入団しサッカーを始める。1993年、セレクションに参加した約500人中9人の狭き門を突破しヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)ジュニアユースに入団し中学時代の3年間プレー。中学卒業後、高校サッカーの名門・帝京高校に進学し、ナオト・インティライミとの出会いをきっかけにカスカヴェウ(現ペスカドーラ町田)の一員となる。2008年、湘南ベルマーレフットサルクラブに移籍。 2009年にはフットサル日本代表にも選出されたが、2011年に骨髄炎を発病。
久保田 学(くぼた まなぶ、1981年6月27日 - )は、… 久保田 学(くぼた まなぶ、1981年6月27日 - )は、島根県松江市出身のサッカー選手。ポジションは、FW。引退後、横浜市内の中学校で体育教師をしている。 松江市立第二中学校からサンフレッチェ広島ユース入り。同級生は、駒野友一、森崎和幸・浩司兄弟。ユース3年次初旬には2種登録選手となるが、高校サッカーへの憧れから帝京高校へ転校した。その後、東京学芸大学へ進学、2004年には全日本大学選抜に選ばれた。 同年の8月、特別指定選手として横浜FCに選手登録、翌年2005年に同球団とプロ契約した。 2006年はニューウェーブ北九州へ移籍、活躍するも、契約満了にともないこの年限りで退団、地元に戻りペルフォルトゥーナ宍道に所属した。
森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )… 森本 稀哲(もりもと ひちょり、1981年1月31日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家、タレント、YouTuber。 1998年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。2006年から2008年にかけて3年連続でゴールデングラブ賞を受賞、2007年にはベストナインにも選ばれた。2011年には横浜ベイスターズへ、2014年には埼玉西武ライオンズへ移籍し、ライオンズ在籍中の2015年に現役を引退。2023年から北海道日本ハムファイターズの一軍外野守備走塁コーチを務める。 小学生の時、汎発性円形脱毛症にかかり、髪の毛が抜けてしまう。
ノグチピント・エリキソン(Erikson Noguchipi… ノグチピント・エリキソン(Erikson Noguchipinto、1981年1月27日 - )は、ブラジル出身の日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。 旧名はエリキソン・フランク・ノグチ・ピント。2003年に日本へ帰化した。帰化前の登録名はピント、帰化後はノグチピント・エリキソン。 ブラジル・リオデジャネイロにて、ブラジル人の父親と日系ブラジル人の母親との間に生まれ、10歳の頃に日本へ移住し、埼玉県加須市の加須西中学校で3年間サッカー部で活躍する。帝京高校から練習生として大分トリニータに入団。外国籍選手枠の関係上、2002年はサガン鳥栖に期限付き移籍していた。2003年は大分トリニータに練習生として参加していたが、4月に帰化申請が認められたため正式契約となった。
ディエゴ・加藤・マラドーナ(ディエゴ・かとう・マラドーナ、本… ディエゴ・加藤・マラドーナ(ディエゴ・かとう・マラドーナ、本名:加藤 謙太郎(かとう けんたろう)、1980年10月31日 - )は日本のお笑いタレント、サッカー選手。通称「カトケン」。神奈川県横浜市出身。 特技はサッカー。中学時代は横浜マリノスジュニアユースに所属。帝京高等学校在学中は全国高校サッカー選手権大会にて2度の準優勝。後に順天堂大学に進学し、サッカー部に所属。 大学卒業後、ワタナベコメディスクールに6期生として入学。帝京高サッカー部の1学年後輩にあたる岸本拓也と「ダイヤモンズ」を結成。帝京高サッカー部のユニホームを着用してコントを行なっていた。コンビ時代はメントレGの「メントレ地球貢献プロジェクト」に出演。
矢野 隼人(やの はやと、1980年10月29日 - )は、… 矢野 隼人(やの はやと、1980年10月29日 - )は、元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。通称“和製ロナウド”(ヴェルディ川崎の公式愛称)、“ヤナウド”。 大阪生まれ、名古屋育ち。名古屋市立高針台中学校(湊川誠隆と同級生)経て愛知FC在籍時の高校2年時に愛知県立愛知工業高等学校から帝京高校に転入。高校2年時には中心選手として、全国高校サッカー選手権大会で準優勝を経験。同時に全日本ユース選抜にも選ばれる。高い身体能力とスピード感あるドリブルが持ち味だった。 1999年には日本サッカー協会強化指定選手(現:特別指定選手)としてヴェルディ川崎でJリーグデビュー。2002年にはヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍をしたが結局プロでは無得点という結果に終わる。
高橋 泰(たかはし ゆたか、1980年9月29日 - )は、… 高橋 泰(たかはし ゆたか、1980年9月29日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはFW。 帝京高校3年時に高校選手権に出場して大活躍するも、どこのクラブからもオファーは無く、そこへサンフレッチェ広島が選手権後にオファーし、入団となった。プロ同期入団は、池田学徳、吉田幸生、宮崎光平。初年度の1999年には早くも主力として活躍、優秀新人にも選ばれた。将来を嘱望されるものの、コンディション調整がままならず、好不調の差が激しく、徐々に出番を失う。 2004年には当時J2の大宮アルディージャに期限付き移籍するものの思うような活躍はできず。2005年、ジェフ千葉に移籍。
関 泰章(せき やすあき、1980年〈昭和55年〉6月18日… 関 泰章(せき やすあき、1980年〈昭和55年〉6月18日 - )は、日本の元俳優である。 中学2年生の秋、調布シニアリーグの中心打者だった関は秋の関東大会の準決勝で、江戸川南シニアリーグのエース・松坂大輔と対戦。翌年の夏には二人ともシニアリーグの日本代表チームのメンバーに選ばれ、世界大会(AA世界野球選手権大会)が開催されるブラジルに一緒に遠征した。代表チームを率いたのが調布シニアリーグの渡辺忠監督であったことから、関はチームの副主将を任された。 1996年、帝京高校に進学。プロ野球選手の森本稀哲と人形師の鈴木章人とは高校の同期。 1998年に夏の甲子園に出場。チームとしては3年ぶりの甲子園出場であった。
藤倉 寛(ふじくら ひろし、1980年4月24日 - )は、… 藤倉 寛(ふじくら ひろし、1980年4月24日 - )は、栃木県出身の元サッカー選手でポジションはDF。現在は帝京高等学校サッカー部監督。 2024年、母校・帝京高校サッカー部の監督に就任。15年ぶりに全国高校選手権出場に導いた。
中田 浩二(なかた こうじ、1979年7月9日 - )は、滋… 中田 浩二(なかた こうじ、1979年7月9日 - )は、滋賀県滋賀郡志賀町(現:大津市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。元日本代表。 妻は女優・タレントの長澤奈央。 滋賀県大津市出生。小学校低学年のころは父親の転勤の関係で転校を繰り返しており、サッカーを始めたのは神奈川県横浜市の横浜市立南戸塚小学校2年の時である。小学校3年の時、鳥取県米子市の米子市立義方小学校に転校し、そこで本格的にサッカーを始めるようになる。小学校5年の時、全日本少年大会に出場する。米子市の米子市立後藤ヶ丘中学校に進学し、中学3年の時に全国中学校大会に出場する。
貞富 信宏(さだとみ のぶひろ、1979年7月5日 - )は… 貞富 信宏(さだとみ のぶひろ、1979年7月5日 - )は、東京都出身の元サッカー選手である。ポジションはMF。 帝京高校時代は、2学年上に松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江田広(共にペルー人)、同級生には中田浩二、木島良輔、藤田芳正がいる。 2009年からは横浜FCサッカースクール スクールコーチ。
木島 良輔(きじま りょうすけ、1979年5月29日 - )… 木島 良輔(きじま りょうすけ、1979年5月29日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 同じくサッカー選手の木島徹也は実弟である。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。 高校時代は帝京高校の10番として活躍。2学年上には松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江田広(共にペルー人)、同級生には中田浩二、貞富信宏、藤田芳正がいる。 1998年開幕前にテスト生を経て横浜マリノスに入団。古賀誠史、井手口純が同期。2000年のシーズン終盤からサイドハーフとして出場機会を増やす。2002年9月に大分トリニータに期限付き移籍し、大分のJ1昇格に貢献するが、シーズン終了後に大分と所属元の双方から戦力外となる。
金剛 弘樹(こんごう ひろき、1979年2月12日 - )は… 金剛 弘樹(こんごう ひろき、1979年2月12日 - )は、埼玉県入間市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。現在は立正大学硬式野球部で監督を務めている。 帝京高では、1995年夏の第77回全国高等学校野球選手権大会優勝も含めて3度出場。ただし控え投手のため試合出場は2試合で、途中から外野守備に就いたのみで登板機会はなかった。 立正大学に進学し、東都大学野球に加盟する同校野球部に入部すると150km/hをマークして一躍スカウトから注目されたが、2年生の時に右肘を故障して手術するなど戦列を離れると以降は救援に回ってプロ入りの機会を逃す。大学では3学年上に広田庄司がいて武田勝、吉見宏明と同期であった。
森田 真吾(もりた しんご、1978年12月9日 - )は、… 森田 真吾(もりた しんご、1978年12月9日 - )は、高知県出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはDF。 オーバーラップを武器とする左SBの選手であるが、水戸ホーリーホック所属時は中盤から前線でのプレーが多かった。 図南SC群馬(現:tonan前橋)でのプレーを最後に引退。以降は指導者の道に転じ、2019年から前橋市立前橋高等学校サッカー部の監督を務めている。
ダビド・ソリア・ヨシナリ(David Soria Yoshi… ダビド・ソリア・ヨシナリ(David Soria Yoshinari、1977年9月18日 - )は、ペルー出身の元サッカー選手。MF。日本名、吉成 大(よしなり だい)。 ペルーから日本の帝京高校に留学し、卒業後の1996年には当時JFLのコンサドーレ札幌に入団。同期入団に吉原宏太がいる。当時の札幌には優秀な外国人選手が多くいたため、若い吉成大は外国人枠から弾き出されるケースが多く、1997年限りでペルーに帰国。スポルティング・クリスタルで主力となった2000年にはペルー代表にも選ばれた。 日系人のためニックネームはチーノ(中国人)、サムライ。兄のハビエル・ソリアもペルー代表経験を持つサッカー選手である。
依田 光正(よだ みつまさ、1977年8月7日 - )は、東… 依田 光正(よだ みつまさ、1977年8月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 帝京高校では、1学年上には熱田眞、同級生には松波和幸(松波正信の弟)、留学生の吉成大 と江田広(共にペルー人)、2学年下には中田浩二、木島良輔がいた。 2004年にモンテディオ山形よりザスパ草津(現:ザスパクサツ群馬)に加入。主に右サイドバックとして、13試合に出場。2004年、翌年のJ2リーグ参戦が決定していた草津において、その年に行われた天皇杯・5回戦の横浜F・マリノス戦においてVゴールを決め、その年の年間王者を破る大金星に貢献した。2006年オフに戦力外通告を受ける。 2007年からは群馬の育成スタッフとなり、若い世代を育てる一方でサッカー中継の解説も務めた。