スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
青井健(あおい たけし、1977年8月5日 - )は、岐阜県… 青井健(あおい たけし、1977年8月5日 - )は、岐阜県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。 小中学校では攻撃的ミッドフィールダーを務めていたが、帝京高校サッカー部所属時にディフェンダーにコンバート。2年時に第73回選手権で準優勝、3年時に高円宮杯第6回大会でベスト4に入る活躍を見せた。 卒業後東京ガスへ入社し、東京ガスサッカー部およびFC東京でプレー。1999年、負傷を頻発させたこともあって現役を引退。 2003年よりFCディバインのチーム代表として、育成年代のサッカー指導にあたっている。
熱田 眞(あつた まこと、1976年9月16日 - )は、東… 熱田 眞(あつた まこと、1976年9月16日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 帝京高校では、2学年上に松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌、小峯隆幸、1学年下には松波和幸(正信の弟)、依田光正、吉成大と江田広(共にペルー人)がいた。日本高校選抜で10番を背負い、国士舘大学時代は伊藤卓、佐藤尽、今野彰、金沢丈などスタメン全員がプロになった。国士館時代日本一を多数経験。1998年のJFLでは学生ながらリーグ日本人得点2位とオールスター戦では2得点でMVPに選出された。 1999年入団後ルーキーながらレギュラーとなるが2年でJ2降格となる。J2ではアシスト王となりJ2優勝J1昇格に貢献。
サブロクそうすけ(1976年2月8日 - )は、日本のお笑い… サブロクそうすけ(1976年2月8日 - )は、日本のお笑い芸人、元プロ野球選手(投手)。本名及び旧芸名は杉浦 双亮(すぎうら そうすけ)。2016年の1シーズン、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに所属した。選手としての登録名は「サブロク双亮」。ジモン軍団のメンバー。 太田プロダクション所属。山内崇とのコンビ、360°モンキーズ(2018年1月限りで解散)でボケを担当していた。 八丈島の出身で、埼玉県大宮市(現さいたま市)・東京都渋谷区で育つ。実家は寺院で、父親は僧侶だった。帝京高校から帝京大学に進学した。 下記、プロ野球選手の引退発表時に芸名の改名を発表。2017年12月10日から芸名を本名から「そうすけ」に改めた。
阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、… 阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、神奈川県高座郡寒川町の元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはゴレイロ。 2010年よりFリーグ湘南ベルマーレGKコーチ。 寒川町立旭小学校2年生からサッカーを始める。寒川町立旭が丘中学校、帝京高校から国士舘大学を経てアルビレックス新潟に練習生として加入。いわばエリートコースである。(本契約には至らず)。佐川急便東京SCに移籍し引退。 その後、esporte藤沢でフットサル転向し、湘南ベルマーレの前身であるP.S.T.C.LONDRINAに入団。別名「ロンドリーナの師範ゴレイロ」と呼ばれ、2003年には全日本フットサル選手権大会優勝に導いた。
松波 正信(まつなみ まさのぶ、1974年11月21日 - … 松波 正信(まつなみ まさのぶ、1974年11月21日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 帝京高等学校では、2学年上は森下仁志、1学年上には清野乙彦と清野公彦兄弟、同学年には阿部敏之、丸山良明、小峯隆幸、時岡宏昌、2学年下には熱田眞がいた。松波和幸は実弟。 2年生次に出場した第70回全国高校サッカー選手権では7得点を挙げ大会得点王に輝き、同校を優勝に導いた大型ストライカーとして注目を集めた。3年時に一旦は大学進学を決めていたが、現地観戦した第1回ナビスコカップで盛り上がりを目のあたりをしてプロ入りを決断する。開幕したばかりのJリーグの4クラブ(名古屋グランパスエイト、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原)からオファーがあり、ガンバ大阪に加入。
丸山 良明(まるやま よしあき、1974年10月12日 - … 丸山 良明(まるやま よしあき、1974年10月12日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。 帝京高校出身では、2学年上には森下仁志、1学年上に日比威、清野乙彦と清野公彦兄弟、同学年に松波正信、阿部敏之、小峯隆幸、時岡宏昌、2学年下には熱田眞がいた。2年生時に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝、3年生時には主将を務めた。早稲田大学進学後も、4年生時に主将として関東大学リーグ優勝に貢献した。 大学卒業後、1997年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)へ加入。シーズン序盤に行われたヤマザキナビスコカップ予選では、日本代表招集のため井原正巳と小村徳男が不在だったこともあり、全試合に出場した。
阿部 敏之(あべ としゆき、1974年8月1日 - )は、埼… 阿部 敏之(あべ としゆき、1974年8月1日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 浦和市立田島中学校3年次には全国中学校サッカー大会ベスト4。帝京高等学校2年次には松波正信らと共に高校選手権優勝に貢献しU-20日本代表候補に選出された経験を持つ。 筑波大学を中退して1995年に鹿島アントラーズに入団。ブラジル留学を経て、鹿島アントラーズにて主力として活躍。フィリップ・トルシエ監督就任直後の1998年9月には日本代表候補にも選ばれた。 2000年、出場機会を求めて浦和レッドダイヤモンズに移籍。チームはJ2ながらこのシーズンは自己最多の7得点を挙げ、チームのJ1昇格に貢献した。
依田 和孝(よだ かずたか、1974年(昭和49年)6月20… 依田 和孝(よだ かずたか、1974年(昭和49年)6月20日 - )は、日本の政治家、福祉事業経営者、第一勧業銀行・みずほ銀行、日本維新の会所属の衆議院千葉1区支部長。 東京都葛飾区生まれ、ロサンゼルスK・LCarver School、目黒区立東山小学校、葛飾区立末広小学校、葛飾区立新宿中学校、帝京高校、 1998年、専修大学法学部法律学科卒業。 1998年、第一勧業銀行入社し、中小企業、医療法人、融資業務を担当。 2009年、みずほ銀行を退社。 2010年、社会福祉法人双樹苑に入社。 2011年、株式会社在宅支援総合ケアーサービス設立、稲毛駅前訪問看護ステーションを開設。 2012年、居宅介護支援事業所「在宅コーディネート稲毛」開設。
三澤 興一(みさわ こういち、1974年6月8日 - )は、… 三澤 興一(みさわ こういち、1974年6月8日 - )は、埼玉県入間郡大井町(現:ふじみ野市)出身の元プロ野球選手(投手)。2001年6月までの登録名は「三沢 興一」(読みは同じ)。 アトランタオリンピック野球の銀メダリスト。 帝京高校では1991年春夏、1992年春夏の4季連続甲子園出場を果たす。2年秋の明治神宮大会では決勝で松井秀喜を擁する星稜高校に敗れた。高校通算29本塁打を記録するなど3年時はエースで4番だった。 1992年の第64回選抜大会では4連投の末、決勝戦で東海大相模高校を3-2で破り、優勝を果たす。同年の第74回全国選手権では1回戦で尽誠学園高校に0-1で敗れ、春夏連覇の夢を絶たれる。
小峯 隆幸(こみね たかゆき、1974年4月25日 - )は… 小峯 隆幸(こみね たかゆき、1974年4月25日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にセンターバック)。 兄の影響でサッカーを始める。帝京高校では古沼貞雄の下、2年次に全国選手権優勝。2学年上には森下仁志、同学年には阿部敏之、松波正信、丸山良明、時岡宏昌、2学年下に熱田眞がいた。1993年に順天堂大学に進学し、総理大臣杯とデンソーカップで優勝を経験。順大の2学年上には名波浩がいたが、小峯は自らスパイク磨きの担当を買って出るほど名波を慕っていた。 大学卒業後もサッカーを続けることを希望していたが進路が決まらず、母校である帝京高校の練習に参加していた。その後練習生として東京ガスサッカー部に加入し、1998年より正式に東京ガス(後のFC東京)へ入団した。
日比 威(ひび たけし、1973年6月2日 - )は、東京都… 日比 威(ひび たけし、1973年6月2日 - )は、東京都出身の元サッカー選手で現在は順天堂大学蹴球部監督。 1973年に東京都で生まれる。 1989年に帝京高等学校に進学。1学年上には森下仁志、同学年に清野乙彦と清野公彦兄弟、1学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌がいた。 3年生の時には第70回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝する(四日市中央工業高等学校と両校優勝)。 1992年に順天堂大学に進学したのち、1996年にJリーグのアビスパ福岡に入団する。1年間在籍したが出場機会は無かった。 1997年にJFLの水戸ホーリーホックに移籍する。2年間でリーグ戦に48試合に出場し、1998年に引退した。
清野 乙彦(きよの おとひこ、1973年4月23日 - )は… 清野 乙彦(きよの おとひこ、1973年4月23日 - )は、日本の元サッカー選手、元フットサル日本代表、NPO法人FCUスポーツクラブ理事長、芸術蹴球家。 読売サッカークラブの下部組織でプレーし、1988年にはバンコクで開催された第3回アジア・ジュニアユース決勝大会のメンバーに選ばれた。その後は帝京高校へ入学し、第70回全国高等学校サッカー選手権大会で四日市中央工との両者優勝に貢献した。1学年上には森下仁志、同学年に双子の弟である清野公彦、1学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、小峯隆幸、時岡宏昌がいた。 高校卒業後の1992年に弟と共にJリーグの名古屋グランパスエイトへ加入した。 ポジションはサイドバックで1995年まで在籍した。
清野 公彦(きよの きみひこ、1973年4月23日 - )は… 清野 公彦(きよの きみひこ、1973年4月23日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。双子の弟・清野乙彦も元サッカー選手。 帝京高校では、1学年上には森下仁志、1学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、小峯隆幸、時岡宏昌がいた。 1992年に、兄と共に創設されたばかりの日本プロサッカーリーグ・名古屋グランパスエイトに入団。フォワードとしてプレー、1993年まで在籍した。
森下 仁志(もりした ひとし、1972年9月21日 - )は… 森下 仁志(もりした ひとし、1972年9月21日 - )は、和歌山県海南市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー(MF)。 帝京高校では、2学年上に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、1学年下に日比威、清野乙彦と清野公彦兄弟、2学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、時岡宏昌がいた。 順天堂大学卒業後の1995年にガンバ大阪に入団。2001年7月に、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、翌2002年には完全移籍となった。2002年にはチームキャプテンを務めた。 2004年には大学時代の同期・名波浩が在籍していたジュビロ磐田に完全移籍 するが、若返りを進めるチームにあって出場機会にはあまり恵まれなかった。
松浦 玄嗣(まつうら もとつぐ、1972年4月29日 - )… 松浦 玄嗣(まつうら もとつぐ、1972年4月29日 - )は日本の歯科医師・タレント・ラジオパーソナリティである。 医療法人社団天生会グループ理事長。有限会社七舟代表取締役社長。歯学博士。 タレントとしては、かまたまご、とやまたまご、NEXT Generation's MUSICなどを担当。 東京都北区に生まれる。中央区立泰明小学校・北区立田端中学校・帝京高等学校を卒業後、東京歯科大学に入学。 1990年代 当時流行したワールドミュージックブームに乗り「極楽マンボマニアーズ」「マンボキングス」として、「インクスティック」「gold」、「SPACE LAB YELLOW」「原宿クロコダイル」等を拠点にライブを行う。
鹿野 浩司(しかの こうじ、1971年4月3日 - )は、東… 鹿野 浩司(しかの こうじ、1971年4月3日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。 サッカー選手の鹿野修平は息子。 帝京高校時代は、吉岡雄二らと共に3年次の1989年に春のセンバツ、夏の選手権と春夏連続で甲子園に出場。 夏の選手権では、2回戦の米子東高戦から準々決勝の海星高戦にかけて8打数連続安打を記録する。これは現在も水口栄二らと並んで大会最多連続安打記録である。決勝の仙台育英高戦では、延長10回に大越基から決勝2点適時打を放つなどして優勝に輝いた。 1989年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5巡目で指名され入団する。しかし、一軍出場の機会がないまま1994年限りで現役を引退。
遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈… 遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈読み同じ〉、1970年8月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元日本代表。 実子はサッカー選手の遠藤雅己。 松戸市立新松戸北中学校、帝京高等学校、順天堂大学を経て、1993年、当時旧JFLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田)に入団。帝京高校サッカー部では岩本三郎、巻田清一は2学年上、飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行は1学年上、同期に池田伸康、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。 元々はフォワードとしてプレーしていたが、磐田が1994年にJリーグ昇格後、就任したハンス・オフト監督により左サイドバックにコンバートされる。
保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - )… 保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - ) は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはミッドフィールダー。 埼玉県さいたま市(旧大宮市と旧浦和市のそれぞれを出身とする資料がある)出身。神奈川県厚木市の厚木ゴールプランダーズでサッカーを始め、第5回全日本少年サッカー大会出場。その後、北浦和サッカー少年団で少年時代を過ごし、浦和市立本太中学校へ進学。中学時代には関東選抜に選出される。 帝京高校では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいた。
浅沼 達也(あさぬま たつや、1970年7月13日 - )は… 浅沼 達也(あさぬま たつや、1970年7月13日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手(ミッドフィールダー)であり、現在はコンサドーレ札幌のアカデミースタッフをしている。 帝京高校では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、2学年下に森下仁志がいた。 現役時代は吉原宏太らとチーム1、2を争う人気選手で、1997年にチーム初にして当時のジャパンフットボールリーグでも2例目の選手個人応援サイトとして彼の応援サイト「浅沼ストーカーズ」が出来たほどであった。
池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は… 池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は、日本の元サッカー選手、現サッカー指導者である。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。ポジションはミッドフィルダー(攻撃的MF、守備的MF)、フォワード(ウインガー)。 小学時代の1982年にFC浦和の一員として全日本少年サッカー大会に出場し3位入賞と優秀選手に選出された。中学時代は地元の浦和ルーテル学院へ通学しながら、クラブチームのロクFCでサッカーを学んだ。高校は強豪の帝京高等学校へ進学。帝京高等学校サッカー部では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。
飯島 寿久(いいじま かずひさ、1970年1月6日 - )は… 飯島 寿久(いいじま かずひさ、1970年1月6日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(主に右サイドバック)。 帝京高等学校サッカー部では1学年上に巻田清一、岩本三郎、同期に礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、1学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、浅沼達也がいた。 2009年5月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。 現中部大学第一高等学校指導者。 2014年から愛知県長久手市でカフェ を夫人と経営している。 2021年から一般社団法人地域部活童振興会の運営するAsonlense郡上フットボールクラブの指導を開始している。
木島 敦(きじま あつし、1969年9月6日 - )は、埼玉… 木島 敦(きじま あつし、1969年9月6日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手で、現在はサッカー指導者・解説者である。ポジションはMF。 中学時代にU-16日本代表に選ばれ、帝京高校から東京農業大学を経て、東芝に入社。 東芝サッカー部がコンサドーレ札幌に変わると、出向選手として所属。1996年シーズンは14試合に出場し2得点9アシストとチーム1の得点生産率と活躍した。 シーズン終了後大分トリニティに移籍。 引退後は札幌に戻り、ベアフット北海道の監督に就任する一方、スカイパーフェクTV!などでのサッカー解説やサッカー教室の主宰として活動。 現在はベアフット北海道を辞め、サンクFCくりやまに所属した後、2009年からクラブフィールズ・ノルブリッツ北海道の監督に就任。
芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は… 芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者、野球指導者。現在は帝京長岡高等学校の野球部監督。 帝京高校で高校野球大会に通算3回出場。3年時の1987年は、春夏の甲子園に共にエースとして出場。春の59回大会は、前年の秋の成績が芳しくなかったこともあってそれほど注目されていなかったが、2回戦で優勝候補の一角で、近畿大会王者の京都西を完封。準々決勝で野村弘、橋本清、立浪和義、片岡篤史らを擁するPL学園高校に延長11回、2-3でサヨナラ負け、2試合連続で好投したことで、一躍注目を浴びることとなった。夏の第69回選手権大会では2回戦・対東北高校戦でノーヒットノーランを達成(選手権大会史上20人目)するなど、3試合連続完封して準決勝に進出したが春夏連覇したPL学園に打ち込まれ、5-12で再び敗れた。
本田 泰人(ほんだ やすと、1969年6月25日 - )は、… 本田 泰人(ほんだ やすと、1969年6月25日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元サッカー選手。元日本代表。現在は、サッカー解説者や鹿島アントラーズのアドバイザーを務める。 帝京高等学校サッカー部では1学年上に岩本三郎、巻田清一、同期に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行、1学年下には池田伸康、遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也がいる。卒業後の1988年に本田技研工業サッカー部(現:Honda FC)へ入団。1988年9月25日の日産自動車(現:横浜F・マリノス)戦でデビューを果たす。1992年に鹿島アントラーズへ移籍。1993年にはチームの1stステージ制覇に貢献するなど、Jリーグベストイレブンに選出。
村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )… 村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )は、東京都目黒区出身のサッカー審判員(元プロフェッショナルレフェリー)、元サッカー選手(ポジションはDF)。岐阜県在住。 目黒区立第八中学校、帝京高校から立正大学卒業。帝京高校時代の同級生に森山泰行、礒貝洋光がいる。大学卒業後、当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた西濃運輸でプレーしたが、1997年シーズン終了後の旧JFL解散とともにチームが廃部となることが決まり、「サッカーに関わっていたい」という思いと、学生時代に取得していた4級審判員の資格を思い出し、28歳にして審判の道を目指すことになる。 学生時代に取得した4級審判員資格は失効していたため取り直し、西濃運輸での社業の傍ら1998年に2級審判員、2002年に1級審判員の資格を取得。
森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は… 森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は、岐阜県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。ポジションはFW。JFA 公認S級コーチ。 笠松中学校時代は全国中学校サッカー大会3位を経験。高校は東京の帝京高校に進学。中学時代まではドリブルで自ら持ち込みゴールを決めるタイプだったというが、高校で礒貝洋光と出会ったことにより、周りを活かすよりも活かされるタイプの選手であるという自覚を持ちプレースタイルを変えていく。帝京サッカー部では1学年上に岩本三郎、巻田清一、同期に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、1学年下には池田伸康、遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也がいる。
礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月… 礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の元サッカー選手。元日本代表。 小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると天才サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。 1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また、1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。
的場 浩司(まとば こうじ、1969年3月28日 - )は、… 的場 浩司(まとば こうじ、1969年3月28日 - )は、日本の俳優、タレント。埼玉県上尾市出身。 トラック運転手(生花店)をしていた18歳の時に、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の草野球コーナーに出演。1988年の映画『首都高速トライアル』で本格的にデビューを果たし、翌1989年のテレビドラマ『はいすくーる落書』『ママハハ・ブギ』でその名は全国区となる。一時期ロックグループ炎達で歌手としても活動していた。オフィスジュニアに所属していたが、2014年8月からは株式会社バダスプロモーションに所属している。 全編曲:炎達。・入江純
岩本三郎(いわもと さぶろう、1969年1月14日 - 20… 岩本三郎(いわもと さぶろう、1969年1月14日 - 2005年4月)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。兄の岩本慎二郎はサッカー指導者。 小学6年時に船橋FCの選手として全日本少年サッカー大会優勝に貢献し、優秀選手に選出 。当時は天才少年と称された。 船橋市立坪井中学校を経て帝京高等学校に進学。同期には巻田清一、1学年下に礒貝洋光、森山泰行がいる。帝京高校1年時に日本ジュニアユース代表に選ばれ、同年8月のAFC U-17選手権1985予選、1985年2月の本大会に出場した。1年時と2年時には日本ユース代表に選ばれた。3年時には帝京高校で主将を務めたほか、東京都選抜に選ばれ国体少年の部優勝に貢献した。
巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は… 巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 帝京高等学校ではサッカー部に所属し、第63回全国高等学校サッカー選手権大会では1年生で早くも試合に出場している。決勝戦は長崎県立島原商業高等学校と対戦し、1対1で引き分け、両校優勝となった。国立競技場を経験したことについて「自分を大きく成長させてくれた場所である」と語っている。同期に岩本三郎、井出俊哉1学年下に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、2学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、浅沼達也がいる。 東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグ2部に所属していたNTT関東サッカー部へ加入し 2シーズンを過ごす。
奈良原 浩(ならはら ひろし、1968年5月16日 - )は… 奈良原 浩(ならはら ひろし、1968年5月16日 - )は、埼玉県白岡市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 埼玉県白岡町でクリーニング店を営む家庭に生まれる。4歳の時に軟式野球のボールとグローブを買ってもらい、父と仕事の合間などにキャッチボールをするようになった。白岡市立篠津小学校ではスポーツ少年団で野球をし、篠津中学を経て帝京高校に進学。帝京では練習時間の2/3が守備練習に充てられ、監督の前田三夫による優れたノックで守備を鍛えられたという。1学年上に河田雄祐と小林昭則、1学年下に芝草宇宙がおり、チームは2年春の選抜大会で準優勝している。夏は東東京大会決勝で敗れて主将となった2年秋は東京都大会で優勝すると3年春も選抜大会に出場し、初戦で高知高校と対戦して自身は「1番・遊撃手」として2安打1盗塁の成績を残したが、チームは0対3で敗れている。
河田 雄祐(かわだ ゆうすけ、1967年12月22日 - )… 河田 雄祐(かわだ ゆうすけ、1967年12月22日 - )は、東京都練馬区出身の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。 帝京高3年時、第57回選抜大会に出場。主将、先頭打者としてチームを牽引し、準優勝に輝く。同級生に小林昭則(元ロッテオリオンズ)、1年後輩にプロでもチームメートとなる奈良原浩がいた。 1985年のプロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから3位指名を受けて入団。 1987年と1990年にウエスタン・リーグで盗塁王を獲得。同年にプロ入り5年目で一軍初出場を果たした。 1994年、プロ入り9年目にお立ち台に初めて立った。同年5月18日、読売ジャイアンツの槙原寛己が広島戦で完全試合を達成した試合では、9回表の先頭打者として代打で出場し、あわやヒットかというセンターフライに打ち取られている。
小林 昭則(こばやし あきのり、1967年8月5日 - )は… 小林 昭則(こばやし あきのり、1967年8月5日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2023年4月より藤井高等学校野球部監督を務めている。 帝京高では2年秋の都大会決勝で4番・秋元宏作を擁する国学院久我山高と延長13回の末に惜敗、1985年の春の選抜に出場。広島商業高、東海大五高、池田高を完封するなど順調に勝ち進む。しかし、決勝で伊野商業高の渡辺智男に本塁打を打たれた上に完封を喫し、準優勝にとどまった。春季関東大会では決勝で横浜高の相川英明に投げ勝って優勝。夏の東東京大会では、決勝まで進むが古賀道人擁する関東一高に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に河田雄祐、1年下に奈良原浩がいた。
北野 誠(きたの まこと、1967年7月17日 - )は、香… 北野 誠(きたの まこと、1967年7月17日 - )は、香川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW、MF。 高松市立勝賀中学校から帝京高校に進学し、2年次の全国高校サッカー選手権大会では鋤柄昌宏、岩井厚裕らと共に同校の大会2連覇に貢献。3年次もレギュラーとして三連覇に挑むがベスト8で黒崎久志を擁する宇都宮学園高校(現・文星芸術大附属高校)に敗れた。 卒業後の1986年に、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の日立製作所(現・柏レイソル)に入部。1992年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属の京都紫光サッカークラブに移籍。クラブが京都パープルサンガに移行した期間を含めて3年間プレーの後、現役を引退。
岩井 厚裕(いわい あつひろ、1967年1月31日 - )は… 岩井 厚裕(いわい あつひろ、1967年1月31日 - )は埼玉県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはDF。 帝京高校で一年生の頃からレギュラーとして試合に出続け全国高校サッカー選手権をキャプテンとして自身が決勝ゴールを決め優勝した。東海大学で1年生の頃から試合に出続け4年連続全国優勝などの輝かしい経歴を経て、1989年に日本サッカーリーグ1部の全日空サッカークラブ(1992年に横浜フリューゲルスへと改組)へ入団。一学年先輩の元日本代表FW前田治とは高校・大学・全日空/横浜Fと同じ道程を辿ることになった。日本リーグ時代からJリーグ創生期の全日空および横浜Fでレギュラーのセンターバックとして活躍。
鋤柄 昌宏(すきがら まさひろ、1966年4月2日 - )は… 鋤柄 昌宏(すきがら まさひろ、1966年4月2日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはFW。 1983年、1984年、帝京高校在学中に全国高等学校サッカー選手権大会で2度優勝を経験。 1988年、筑波大学在籍中にカタールで行われたAFCアジアカップに出場する日本代表Bのメンバーに選ばれる。 同年、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)入団。Jリーグに移行し、ヴェルディ川崎と改称された後も所属するが、カップ戦のみの出場で、Jリーグのリーグ戦には不出場。1994年途中に浦和レッドダイヤモンズに移籍し、古巣のV川崎戦でJリーグ初出場を飾る。1995年にジャパンフットボールリーグの福島FCに移籍。
前田 治(まえだ おさむ、1965年9月5日 - )は、日本… 前田 治(まえだ おさむ、1965年9月5日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。福岡県福岡市出身。 現役時代はスピード豊かな突破とボールの落下点に絶妙に合わせるポジショニングの良さが特徴のストライカーであった。高校サッカーの強豪帝京高校へ進学すると1983年度の高校選手権決勝の清水東高校戦では決勝点となるボレーシュートを決め同校を4度目の選手権制覇に導く原動力となった。 卒業後の1984年に東海大学に進学。東海大は当時、関東大学リーグ2部に在籍していたが、2年間で1部に昇格させ、昇格初年度の1986年に関東大学リーグ1部優勝に導く原動力となった。
平岡 和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )… 平岡 和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )は、熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 小学生時代より将来を嘱望された選手であり、熊本県松橋中学から帝京高等学校へサッカー留学。 3年生の時には主将としてFWの前田治やMFの広瀬治らと共に、1983年度全国高校サッカー選手権において3度目の全国制覇を果たした。清水東高校との決勝戦において前田治の決勝点となるアシスト(左サイドからのクロス)をした。 1984年に筑波大学へ進学。4年生の時には主将を務め、副主将の長谷川健太と共に1987年の総理大臣杯準優勝、4年ぶり6度目の関東大学リーグ制覇に貢献し名門復活の足掛りを築いた(元日本代表の中山雅史、井原正巳は2年後輩にあたる)。
広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、埼玉… 広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 小学校3年生の時にサッカーを始め、5年生の時にクラブチームの三菱養和SCへ加入。中学は地元の与野西中学校へ進学したが中学ではサッカー部に所属せず、引き続き三菱養和でサッカーを学んだ。 高校進学の際には「全国高校サッカー選手権でプレーをしたい」という希望から東京都の帝京高等学校へ進学。1年次からレギュラーの座を掴むと同期の平岡和徳と共に中盤を形成し、1983年の高校選手権でベスト4進出。3年次の全国高校サッカー選手権では膝の故障もあって万全のコンディションではなかった が、同校の3度目の全国高校選手権制覇に貢献した。
谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、… 谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、東京都府中市出身の元サッカー選手。元日本代表。 現役時代は俊足を活かした快速フォワード(ウインガー)として名を馳せ、サイドから中央へと切り込み鋭いシュートを放つなど高いサッカーセンスを持つ、と帝京高校時代から将来を嘱望されていた。第60回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をマークし、得点王の座に輝く。帝京高での同期に楠瀬直木、1期後輩に前田治、広瀬治、平岡和徳。同高校卒業後の1983年に日本サッカーリーグの強豪・フジタ工業クラブサッカー部に入部し、翌1984年には10代で日本代表に選出され、国際Aマッチ3試合に出場した。 フジタではペルー系日系人のホルヘ平野が在籍していた縁でペルーに短期留学を経験。
楠瀬 直木(くすのせ なおき、1964年4月17日 - )は… 楠瀬 直木(くすのせ なおき、1964年4月17日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ディフェンダー。シンガーソングライターの楠瀬誠志郎は実兄。日本サッカー協会公認S級ライセンス所持。 帝京高校では、1982年に鹿児島県で行われた高校総体で全国優勝。法政大学を経て、1987年に読売サッカークラブに入団し、1995年に本田技研工業サッカー部で現役生活を終える。 現役引退後は兵庫FC監督を経て、少年サッカースクールを栃木県小山市で開講。2003年からは長くVERDY S.S小山ジュニアユースで監督を務めた。2009年にJFA公認S級コーチライセンスを取得。
伊東 昭光(いとう あきみつ、1963年4月2日 - )は、… 伊東 昭光(いとう あきみつ、1963年4月2日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・二軍監督。長男はサッカー選手の伊東駿多。 2014年から2015年まで東京ヤクルトスワローズの二軍監督を務め、現在は東京ヤクルトスワローズ編成部長。 ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 中学時代リトルリーグの全日本のエースとしてアメリカに遠征。帝京高校2年春(1980年)の第52回選抜高等学校野球大会では決勝戦まで勝ち進み、決勝戦では中西清起がエースの高知商業と対戦するが敗北して準優勝に終わる。優勝候補に挙げられた夏の東東京大会は準決勝まで進むも、早稲田実業との準決勝で1年生エースの荒木大輔に3安打で完封され、0対4で敗れて甲子園への出場を逃した。
木梨 憲武(きなし のりたけ、1962年〈昭和37年〉3月9… 木梨 憲武(きなし のりたけ、1962年〈昭和37年〉3月9日 - ) は、日本のお笑いタレント、歌手、俳優、画家。1980年に石橋貴明とお笑いコンビ「とんねるず」を結成。キナシコッカ株式会社代表取締役社長兼所属タレント。妻は女優の安田成美で、間に2男1女。 東京都世田谷区千歳台で自転車店「木梨サイクル」(のちに祖師ヶ谷大蔵に移転)を営んでいた木梨作三の長男として生まれる。両親は静岡県伊東市の出身。世田谷区立塚戸小学校、世田谷区立千歳中学校卒業。 1977年に帝京高校へ入学し、サッカー部に入部。部内ではムードメーカーで、当時同校の野球部にいた同級生の石橋とよくコンビを組んで友人達にネタを見てもらっていた。
吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2… 吉野 晃章(よしの てるゆき、1962年〈昭和37年〉3月2日 - 2004年〈平成16年〉4月15日)は、日本の放送作家、脚本家。東京都港区出身。血液型O型。 帝京高校在学中サッカー部に所属。当時のチームメート木梨憲武と出会い、遅れて石橋貴明とも付き合いを始める。高校卒業後、グランドシートを扱う会社に就職するが、木梨・石橋とはとんねるず結成後も付き合いを続け、仕事の合間を縫ってコントのアイディア提供を行っていた。「とんねるずのオールナイトニッポン」では、中期ごろから共に番組収録に参加し、その独特な笑い声はリスナー達にはお馴染みだった。林家パー子よりも軽いと言われた笑い屋で、ハガキ職人の常連に感謝された。
名取 篤(なとり あつし、1961年11月12日 - )は、… 名取 篤(なとり あつし、1961年11月12日 - )は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 浦和市立木崎小学校時代にサッカーを始め、浦和市立木崎中学校時代は県大会ベスト4の経験を持つ。 1977年に東京都の帝京高等学校へ進学。1年次の7月に行われた西ドイツ遠征メンバーに選出されると、冬の高校選手権ではスーパーサブとして優勝に貢献。2年次の秋にはU-20サッカー日本代表に選出され、翌1979年には清水市商高の風間八宏、仙台向山高の鈴木淳とともに1979 FIFAワールドユース選手権メンバーに選出され高校生トリオとして名前を馳せたが、名取には出場機会はなかった。 3年次の高校選手権では川添孝一らと共に2年ぶり3度目の優勝に貢献、この活躍により名取は一躍脚光を浴び、少年ファンや女性ファンから支持を得た。
石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年〈昭和36年〉10… 石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年〈昭和36年〉10月22日 - )は、日本のお笑いタレント。1980年に木梨憲武とお笑いコンビ「とんねるず」を結成。アライバル所属、兼同社代表取締役社長。 趣味: 野球・ゴルフ・映画鑑賞・酒・料理・競馬前職はホテルマン。「センチュリーハイアット東京」に勤務。「ホテルオークラ」にはホテルマンの研修時に訪れた経験がある。 結婚歴は2回で4人の娘がいる。元モデルである1人目の元妻との間の娘は、女優の石橋穂乃香(旧芸名・穂のか)。2人目の妻は、女優の鈴木保奈美(2021年離婚)。 東京都葛飾区の貧困家庭に生まれ、小学一年生の時に父の経営する零細企業「石橋化成」が倒産。
小門 洋一(こかど よういち、1961年8月19日 - )は… 小門 洋一(こかど よういち、1961年8月19日 - )は、元競輪選手、元サッカー選手。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。日本競輪学校第49期卒業。競輪選手現役時は日本競輪選手会神奈川支部所属。師匠は、伯父の小門道夫。ホームバンクは平塚競輪場(元は小田原競輪場)。息子の小門勇太はフットサル選手。 帝京高等学校サッカー部出身で2学年上に早稲田一男、宮内聡、金子久、同学年には現サッカー解説者の川添孝一、元サッカー日本代表の名取篤、とんねるずの木梨憲武、1学年下に辻谷浩幸らがいる。高校3年時(1979年)にはFWとして夏の高校総体ではベスト4、東京都選抜として国体優勝。冬の高校選手権では優勝に貢献。
川添 孝一(かわぞえ こういち、1961年7月4日 - )は… 川添 孝一(かわぞえ こういち、1961年7月4日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者である。選手時代のポジションはフォワード(右ウイング)。 桜峰小学校4年時にサッカーを始め、桜島中学校では3年時に全国中学生サッカー大会で3位入賞。 卒業後に帝京高校の事務職員となった姉と共に上京し、同校へ進学。1年時から出場機会を得ると、冬の高校選手権(第52回)では3試合に出場。2年時には東京都選抜に選ばれ国体少年の部で優勝、3年時の1979年には名取篤、小門洋一らと共に高校総体で3位、国体少年の部で連覇。冬の高校選手権(第54回)では決勝の韮崎高校戦での1得点を含む5得点3アシストを挙げて優勝に貢献し、得点王となった。
宮内 聡(みやうち さとし、1959年11月26日 - )は… 宮内 聡(みやうち さとし、1959年11月26日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、指導者。 帝京高校時代は攻撃的MFとしてプレー。1976年の第55回全国高等学校サッカー選手権大会で3位になり優秀選手に選出。1977年は早稲田一男、金子久らと共に第56回全国高等学校サッカー選手権大会優勝に貢献し優秀選手に選出された。卒業後の1978年に早稲田、金子と共に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業(現ジェフユナイテッド市原・千葉)に入部。同年に日本ユース代表に選出され、1979 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選ばれたが、試合出場機会は与えられなかった。 所属する古河電工では2年目の1979年からスタメンに定着しリーグ戦第4節の東洋工業(現サンフレッチェ広島F.C)戦で初得点を記録したが古河での練習中に右膝半月板を損傷。
高橋 貞洋(たかはし さだひろ、1959年10月7日 - )… 高橋 貞洋(たかはし さだひろ、1959年10月7日 - )は埼玉県出身の元サッカー選手(FW)。元サッカー日本代表。 帝京高校時代は俊足の左ウイングとして活躍。3年時に全日本に選出され、1977年6月1日の1.FCケルン戦で史上最年少の17歳227日でデビューを果たす(ただし国際Aマッチではないため、市川大祐の17歳322日を最年少デビューとする)。帝京高の同級生には宮内聡、金子久、早稲田一男、大園浩一、1学年上には佐々木則夫、2学年下には名取篤がいた。 その後、国士舘大学へ進学し、1979年にはユース代表に選ばれ、日本で行われた第2回FIFAワールドユース選手権に出場した。 卒業後は、フジタ工業(現 湘南ベルマーレ)に入団した。