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稲田 亮(いなだ りょう、1971年〈昭和46年〉3月24日… 稲田 亮(いなだ りょう、1971年〈昭和46年〉3月24日 - )は、日本の政治家。新潟県見附市長(2期)。元国土交通官僚。元大分県中津市副市長。 新潟県見附市出身。新潟県立長岡高等学校を卒業。その後新潟大学工学部に入学し、同大学大学院工学研究科を修了した。1995年、運輸省に入省し、外務省ブラジル大使館一等書記官、国土交通省港湾局海岸・防災課災害対策室課長補佐、同局国際・環境課国際調整官、国土交通省鉄道局施設課長補佐、国土交通省九州地方整備局大分河川国道事務所長、中津市副市長(地方創生シティーマネージャー) 、国土交通省鉄道局国際課国際協力室長、一般財団法人国際臨海開発研究センター研究主幹を経て、国土交通省港湾局産業港湾課クルーズ振興室長を最後に退官し、2021年9月には2022年に行われる予定であった見附市長選挙に出馬を表明した。
磯田 達伸(いそだ たつのぶ、1951年10月1日 - )は… 磯田 達伸(いそだ たつのぶ、1951年10月1日 - )は、日本の政治家。新潟県長岡市長(3期)。 新潟県長岡市出身。長岡市立四郎丸小学校(1964年3月卒業)、長岡市立南中学校(1967年3月卒業)、新潟県立長岡高等学校(1970年3月卒業)を経て、1976年(昭和51年)3月に明治大学政治経済学部経済学科を卒業。 1976年(昭和51年)4月に長岡市役所に入庁後、企画部長、都市整備部長、財務部長を歴任する。 2011年(平成23年)4月に長岡市地域政策監に就任後、2012年(平成24年)4月に長岡市副市長に就任。 2016年(平成28年)8月10日、森民夫長岡市長が新潟県知事選挙へ出馬する意向を正式に表明。
長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 -… 長島 忠美(ながしま ただよし、男性、1951年1月9日 - 2017年8月18日)は、日本の政治家。 新潟県中越地震で被災した新潟県古志郡山古志村の、最後の村長である。衆議院議員(4期)、復興副大臣、復興大臣政務官兼農林水産大臣政務官、山古志村長(2期)、山古志村議会議員(2期)、東洋大学理事長、国際ボランティア学生協会特別顧問、自民党たばこ議員連盟幹事長代理を務めた。
久住 時男(くすみ ときお、1949年(昭和24年)11月2… 久住 時男(くすみ ときお、1949年(昭和24年)11月20日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元新潟県見附市長(5期)、新潟県市長会長。Smart Wellness City 首長研究会会長。 新潟県見附市、福島県伊達市など、7市2団体が国に申請していた総合特別区域「健幸長寿社会を創造するスマートウエルネスシティ総合特区」(以下SWC特区)が、 2011 年12月に「地域活性化総合特区」として指定された。この特区は、「地域資源を最大限活用した地域活性化の取組による地域力の向上」というテーマに合致した申請者を指定するもの。SWC特区では、生活習慣病や寝たきりの予防、移動困難者の減少などによる地域住民全体の健康づくりの支援、科学的、客観的なエビデンスに基づき地域住民の健康状態を的確に把握できる仕組みの構築を政策課題とし、「健康で幸せ=健幸(身体面の健康だけでなく、人々が生きがいを感じ、安心して豊かな生活を送れる状態)」なまちづくりを目指すもの。
森 民夫(もり たみお、1949年〈昭和24年〉4月9日 -… 森 民夫(もり たみお、1949年〈昭和24年〉4月9日 - )は、日本の政治家、建設官僚。新潟県長岡市長(5期)、全国市長会会長(第28代)などを歴任した。 新潟県長岡市生まれ。長岡市立四郎丸小学校、長岡市立南中学校、新潟県立長岡高等学校を経て、1972年、東京大学工学部建築学科を卒業。民間の設計事務所である市浦都市開発建築コンサルタンツ(現:市浦ハウジング&プランニング)に就職。 退職したのち、1975年に建設省に入省し、住宅局建設指導課に配属される。1987年茨城県土木部住宅課長、1990年建設省住宅局建設指導課建設専門官、1992年建設省住宅局住宅整備課地域住宅計画官を歴任した。建設省では東京ドーム建設計画に関わり、また1995年、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では建築物危険度判定支援本部長を務めた。
大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日… 大橋 和夫(おおはし かずお、1928年(昭和3年)8月3日 - 2005年(平成17年)10月25日)は、日本の政治家。千葉県船橋市長。 新潟県長岡市出身。表町小学校、旧制長岡中学校、旧制新潟高等学校を経て、東京大学法学部卒業後、自治庁に入庁。外事広報課長、地方課長、衆議院議長秘書官、埼玉県財政課長等を歴任、1968年4月、千葉県へ赴任。企画部長を経て、1971年7月には千葉県教育長に就任、県立高校7校を新設開校したのをはじめ、若潮国体の開催、千葉県立美術館の開館等に尽力。後に川上紀一と千葉県知事の座を巡って争うが、知事選挙において川上に敗れる。 習志野文化ホール理事長を歴任後、1981年7月、公選制第6代の船橋市長に就任した。
長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 199… 長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 1990年10月28日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。位階は従三位。勲等は勲一等。 新潟県長岡市で生まれ育つ。旧制新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)卒業後、旧制第一早稲田高等学院(現在の早稲田大学の教養課程)入学している。その後は、父の死去に伴い旧制早稲田高等学院を中退し、17歳で長谷川酒造社長に就任する。 その後、戦時中は1942年5月、南西方面艦隊海軍民政府に志願し、インドネシアのセレベス島マカッサルに勤務したとされている。1944年12月、帰国した。 終戦後、青年団活動を経て、上組村議、宮内町議、長岡市議を2期、新潟県議会議員を4期を務めあげた。
村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日… 村山 達雄(むらやま たつお、1915年〈大正4年〉2月8日 - 2010年〈平成22年〉5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(12期)、大蔵大臣(第82代・第91代・第92代)、厚生大臣(第60代)を歴任。税制通で知られ、消費税導入にもかかわった。 新潟県長岡市坂之上町生まれ。株屋をやっていた幸太郎の三男。 長岡市立表町尋常小学校から長岡中学校に進む。長岡中二年の時、母が死去、姉静子に身のまわりの面倒をみてもらうようになった。当時の旧制中学は五年制だったが、中学四年生から旧制高校を受験できた。担任教諭の勧めで一高を受験、合格した。 1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。
大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月… 大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月25日 - 1988年(昭和63年)2月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた。新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業。箱根富士屋ホテルに勤めた。 1936年(昭和11年)静岡県熱海市でホテル大野屋を開業した。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した。熱海市会議員を務め、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した。日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]。 佐藤栄作の秘書を経て1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から出馬して初当選。
小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月… 小林 孝平(こばやし こうへい、1908年(明治41年)7月15日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)、長岡市長(5期18年)。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校、旧制第四高等学校を経て、東京帝国大学農学部卒業。農林省官僚となるが、同省の先輩に当たる和田博雄の勧めにより辞職。1950年6月に行われた第2回参議院議員通常選挙に全国区から日本社会党公認で立候補し初当選を果たした。議員在職中は安保条約やベトナム賠償問題などで、政府の姿勢を厳しく質したことから「マムシの孝平」と渾名される。1956年、再選。 その後社会党を離党し、革新系無所属として1961年の新潟県知事選挙に挑み落選(当選は自民党推薦の塚田十一郎)。
清沢 俊英(清澤、きよさわ としえい、1890年(明治23年… 清沢 俊英(清澤、きよさわ としえい、1890年(明治23年)8月7日 - 1980年(昭和55年)10月16日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。 新潟県古志郡長岡町渡里町(現長岡市)で浄土真宗大谷派妙宗寺に生まれた。1908年(明治41年)長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を卒業した。 1928年(昭和3年)長岡労働向上会を組織し日本労農党新潟県連合会常任執行委員に就任。日本労農党、日本大衆党、社会大衆党、全国農民組合、日本農民組合などの中央委員を務めた。1936年(昭和11年)三宅正一に次いで無産政党員として長岡市会議員に当選。その他、全国労働組合新潟県委員長、日本漁民組合中央委員も務めた。
栗山 英資(くりやま えいすけ、1887年(明治20年)11… 栗山 英資(くりやま えいすけ、1887年(明治20年)11月6日 - 1961年(昭和36年)2月11日)は、大正から昭和時代前期の政治家。新潟県三条市長。 栗山虎吉の長男。土地家屋貸付業を営む。1904年(明治37年)3月、長岡中学校を卒業する。1915年(大正4年)4月、南蒲原郡裏館村長に就任。同村が三条町に編入すると、1921年(大正10年)3月より同町会議員に3選し、1931年(昭和6年)3月、三条町長に就任した。市制施行すると三条市会議員、同議長を経て、1938年(昭和13年)2月7日、三条市長に当選した。
田村 文吉(たむら ぶんきち、1886年(明治19年)9月2… 田村 文吉(たむら ぶんきち、1886年(明治19年)9月22日 - 1963年(昭和38年)6月26日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位。郵政大臣(第2代)、電気通信大臣(第2代)、参議院議員(2期)、長岡市長(第8代)。北越製紙社長。 新潟県長岡市の紙問屋田村文四郎の三男として生まれる。新潟県立長岡中学校を経て、1911年に東京高等商業学校(一橋大学の前身)専攻科を卒業、越後鉄道に入社し、経理課長として実務経験を積む。 1915年、父たちが設立した北越製紙(現:北越コーポレーション)に支配人として入社し、1934年に専務、1940年には社長に就任。工場の新設・拡充をリードし、北越製紙を現在の規模に育て上げた。
小原 直(おはら なおし、1877年(明治10年)1月24日… 小原 直(おはら なおし、1877年(明治10年)1月24日 - 1967年(昭和42年)9月8日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。岡田内閣、阿部内閣、第5次吉田内閣で司法大臣・法務大臣などの閣僚を務める。新潟県長岡市出身。 新潟県古志郡長岡弓町(長岡本町、長岡町を経て現:長岡市)に、旧長岡藩士田中敬次郎の三男として生まれる。その後、長岡裁判所検事・元会津藩士小原朝忠の養子となり「小原」姓を名乗る。新潟県第七中学区公立第一番小学校(現:長岡市立阪之上小学校)、旧制:新潟県立長岡中学校(現:新潟県立長岡高等学校)から、麹町区永田町の橋本圭三郎宅の書生となり共立学校四年級に編入。旧制第一高等学校では松平恒雄(宮内大臣、初代参議院議長)、長島隆二(大蔵省理財局長心得、政友会代議士、桂太郎総理の娘婿)らと同級であった。
磯部 尚(いそべ ひさし、1875年(明治8年)11月23日… 磯部 尚(いそべ ひさし、1875年(明治8年)11月23日 - 1935年(昭和10年)11月1日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。磯部四郎の娘婿。 福井県福井市で士族の日比登の二男として生まれる。1887年、私立長岡学校(現在の新潟県立長岡高等学校)卒。京都帝国大学教授で工学博士の日比忠彦は実兄。第一高等学校を経て、1898年に東京帝国大学法科大学を卒業。卒業後、直ちに弁護士を開業した。弁護士・貴族院議員の磯部四郎の長女艶子と結婚し、姓を改めた。 本所区会議員、東京市会議員を経て、1917年の第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。その間、田中義一内閣で司法参与官を務めた。
川上 栄太郎(榮太郎、かわかみ えいたろう、1870年6月1… 川上 栄太郎(榮太郎、かわかみ えいたろう、1870年6月13日(明治3年5月15日)- 1930年(昭和5年)9月28日)は、明治から昭和初期の酒造家、地主、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県古志郡中通村長。 越後国古志郡摂田屋村、のちの新潟県古志郡中通村(上組村、宮内町を経て現長岡市 摂田屋)で、酒造業・川上生三郎の長男として生れた。1886年(明治19年)長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を卒業。高橋竹之助から漢学・詩文を学んだ。1897年(明治30年)家督を相続し家業の酒造業を営んだ。 長岡酒造組合長、新潟県酒造組合連合会長、長岡米穀株式取引所理事長、新潟県地主協会評議員、中越酒造社長などを務めた。
川上 淳一郎(かわかみ じゅんいちろう、1865年9月7日(… 川上 淳一郎(かわかみ じゅんいちろう、1865年9月7日(慶応元年7月18日) - 1931年(昭和6年)11月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 新潟県出身。1878年、長岡学校(現新潟県立長岡高等学校)入学。1885年、東京専門学校卒。農業を営む。前東谷村(のち東谷村→栃尾市→長岡市)会議員、同村長、古志郡参事会員、新潟県会議員、同参事会員となる。また栃尾銀行、長岡銀行、北越新報各取締役、越佐新聞社社長を務めた。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において新潟県郡部から立憲国民党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。