スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
遠藤 奈央子(えんどう なおこ、1974年9月20日 - )… 遠藤 奈央子(えんどう なおこ、1974年9月20日 - )は、教育者としての顔をもつ実業家。社会起業家。社会福祉士。一般社団法人民間学童保育協会 設立代表理事。 新潟県長岡市出身。米百俵で開校された「国漢学校」長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校、1995年同志社大学商学部卒業。株式会社リクルート、IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社勤務。 2010年4月 株式会社ビジョンゲートを設立。 2011年4月 民間学童保育「こどもクリエ塾」設立し、直接指導した子どもは延べ1,800人を超える。タイ・バンコクにKidsClieを開校し、「AIに負けない子育て術」等の講演活動も行う。 2019年2月『「民間学童」の作り方』(日本実業出版社)を出版。
白岩 裕之(しらいわ ひろゆき、1956年 - )は、日本の… 白岩 裕之(しらいわ ひろゆき、1956年 - )は、日本の実業家。元テレビ信州代表取締役社長、元日本テレビアナウンサー。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、筑波大学第二学群人間学類を卒業後、1979年に日本テレビ入社。同期に土屋敏男、田中晃、丸山公夫がいる。 アナウンサー時代は、ニュースやスポーツ実況(主にサッカー・陸上競技の実況を担当)などで活動した。当時フジテレビアナウンサーの山村美智は土屋の大学時代からの友人であったため、当時日本テレビアナウンサーだった白岩は山村と共に土屋の結婚式の司会を務めたこともある。 その後英国放送協会出向、人事局次長・人事部長、メディア戦略局IT推進センター長・IT推進兼情報セキュリティ推進事務局長・IT推進部長、日テレ7常務取締役、日テレ7代表取締役社長(2009年12月)、フォアキャスト・コミュニケーションズ代表取締役社長(2011年7月)、テレビ信州常務取締役(2014年6月)、同専務取締役(2016年6月)を経て、2016年7月から2022年6月まで同社長を務めた 。
亀川純一 (かめかわ じゅんいち、1948年-) は、民間歴… 亀川純一 (かめかわ じゅんいち、1948年-) は、民間歴史研究家、実業家。郷土史研究会「古志の会」代表。元・長岡市史編集専門委員。 1948年、新潟県長岡市で生まれ、阪之上小学校、長岡高校を卒業した。総合テナントビル「笑月」社長。1989年に郷土史研究グループ「古志の会」を発足させた。 芸者だった叔母が「長岡おけさ」を歌っている録音テープを聞いたことをきっかけに、新潟の民謡「おけさ」に興味を持つ。自身の主宰する「古志の会」の活動としておけさのデジタルアーカイブ化を進め、歌と踊りの収録を各地で行なった。
さとう 一声 (さとう いっせい、1947年1月15日 - … さとう 一声 (さとう いっせい、1947年1月15日 - )は、アナウンサー、リポーター、ラジオパーソナリティ、司会者、実業家。 実業家としては廣井 正一(ひろい まさかず)名義で坂東まちづくり代表取締役社長(在任期間 2016年 - 2017年)を歴任した。新潟県小千谷市出身。かつてはオフィスケイアールと業務提携していたが、2024年時点では公式サイトからプロフィールが削除されている。 新潟県立長岡高等学校、学習院大学文学部哲学科を卒業後、1970年に日本教育テレビ(NET・現在のテレビ朝日)へ入社し、新潟県出身者で初めて同局のアナウンサーとなった。テレ朝時代はアナウンサーの他、海外特派員、番組ディレクターやプロデューサーを経験する。
韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 … 韮澤 潤一郎(にらさわ じゅんいちろう、1945年1月9日 - )は、日本の実業家で、たま出版社長・編集長である。自称UFO、超常現象研究家。量子力学、意識の問題を研究しているとも述べている。 新潟県生まれ。法政大学文学部を卒業。 1995年に第17回参議院議員通常選挙(参院選)の比例代表区で「開星論」のUFO党より立候補、落選。
森 俊三(もり しゅんぞう、1937年6月27日 - )は、… 森 俊三(もり しゅんぞう、1937年6月27日 - )は、日本の実業家。信越化学工業代表取締役社長、塩ビ工業・環境協会会長を務めた。 新潟県出身。1956年新潟県立長岡高校卒業、1963年新潟大学工学部機械工学科卒業、信越化学工業入社。1985年信越エンジニアリング取締役。1988年同社常務取締役。1992年武生工場長。1992年取締役。1996年常務取締役電子材料事業本部長。1998年専務取締役電子材料事業本部長。2001年兼総務関係担当。2002年兼人事関係担当。2007年代表取締役専務。2009年代表取締役副社長。2010年に20年ぶりの社長交代で代表取締役社長に昇格したが、2016年健康上の理由で取締役相談役に退いた。
大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月… 大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月25日 - 1988年(昭和63年)2月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた。新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業。箱根富士屋ホテルに勤めた。 1936年(昭和11年)静岡県熱海市でホテル大野屋を開業した。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した。熱海市会議員を務め、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した。日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]。 佐藤栄作の秘書を経て1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から出馬して初当選。
駒形 十吉(こまがた じゅうきち、1901年(明治34年)2… 駒形 十吉(こまがた じゅうきち、1901年(明治34年)2月4日 - 1999年(平成11年)2月7日)は、日本の実業家。大光相互銀行社長、新潟総合テレビ(現・NST新潟総合テレビ)社長、新潟日報社監査役。新潟県長岡市出身。 長岡の米穀・味噌醤油醸造を営んでいた駒形宇多七の三男(11人兄弟の10番目)として生まれる。新潟県立長岡中学校卒業後、旧制新潟高等学校に進むが中退。大阪の株式取引商で実務経験を積んだ。 1922年(大正11年)父の死去に伴い、帰郷し家業に従事する。1928年(昭和3年)に北陸産業無尽の設立に参画し支配人、1941年(昭和16年)に社長となる。翌1942年(昭和17年)3月には国民無尽商会と合併し、大光無尽に商号を変更し、1951年(昭和26年)に大光相互銀行に改組した。
渡辺 俊雄(渡邊 俊雄、わたなべ としお、1899年(明治3… 渡辺 俊雄(渡邊 俊雄、わたなべ としお、1899年(明治32年)9月9日 - 没年不明)は、日本の実業家。渡邊工業社長。名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者。息子は作曲家の渡辺宙明。孫は、映画・ドラマ・アニメ等の音楽やさだまさしのアレンジャーとして知られる渡辺俊幸。曽孫(俊幸の娘)は芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 新潟県長岡市出身。旧家・渡邊毅夫の長男として生まれる。父・毅夫は教育界で活躍し、女学校校長や渡邊工業取締役を務めた。 長岡中学を卒業後、九州の明治専門学校機械科に入学。1923年(大正12年)首席で同校を卒業後、豊国セメント株式会社に入社し、名古屋工場に勤務する。
桜井 督三(さくらい とくぞう、別表記 : 櫻井 督三、18… 桜井 督三(さくらい とくぞう、別表記 : 櫻井 督三、1898年 〈明治31年〉11月14日 - 1978年〈昭和53年〉5月15日)は、日本の経営者。北越製紙、新潟総合テレビ社長などを務めた。位階は従四位。 新潟県広神村(現・魚沼市)の庄屋に生まれる。 長岡中学(現・新潟県立長岡高等学校)を経て慶應義塾理財科を卒業。1922年に九州水力電気に入社。1942年に九州配電理事に就任。理事になるまで、経理、営業、企画、技術を担当。九州の主なところでは大牟田、大分、福岡に移り住んだ。 1944年に日本発送電理事に転じ、1949年7月から1950年9月までに副総裁を歴任。1954年9月から1956年9月までに電源開発理事を務めた。
中島 慶次(なかじま けいじ、1894年9月20日 - 19… 中島 慶次(なかじま けいじ、1894年9月20日 - 1973年10月16日)は、王子製紙(現・王子ホールディングス)元社長、紙の博物館初代理事長。 新潟県長岡市出身。旧制新潟県立長岡中学校を経て東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、初代王子製紙へ入社。1946年、足立正の後任として社長に就任。1949年の初代王子製紙の解体後は、後継会社の苫小牧製紙(現・王子ホールディングス)の社長に就任。1967年に会長に異動するまで社長職に就いた。出身校の一橋大学の組織に当る如水会第14・15代会長も務めた(1961年 - 1966年)。 1973年10月16日、栗山町の王子製紙の林木育種研究所の訪問中に倒れ死去。
田村 文吉(たむら ぶんきち、1886年(明治19年)9月2… 田村 文吉(たむら ぶんきち、1886年(明治19年)9月22日 - 1963年(昭和38年)6月26日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位。郵政大臣(第2代)、電気通信大臣(第2代)、参議院議員(2期)、長岡市長(第8代)。北越製紙社長。 新潟県長岡市の紙問屋田村文四郎の三男として生まれる。新潟県立長岡中学校を経て、1911年に東京高等商業学校(一橋大学の前身)専攻科を卒業、越後鉄道に入社し、経理課長として実務経験を積む。 1915年、父たちが設立した北越製紙(現:北越コーポレーション)に支配人として入社し、1934年に専務、1940年には社長に就任。工場の新設・拡充をリードし、北越製紙を現在の規模に育て上げた。
栂野 明二郎(明次郎)とがの めいじろう、明治15年(188… 栂野 明二郎(明次郎)とがの めいじろう、明治15年(1882年)12月6日 - 昭和15年(1940年)10月20日)は、日本の発明家、実業家。新潟県立長岡高等学校卒業生名簿では「栂野明次郎」と記載されている。 新潟県長岡市出身。明治35年(1902年)に新潟県立長岡中学校を卒業する。日露戦争時に補充兵として半月の軍隊生活を送る。明治42年(1909年)に帝国大学農科大学農芸化学科(現・東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部)を卒業した。その後、日本醤油株式会社に入社するが明治43年(1910年)に辞め、樺太庁の依嘱を受けて木屑酒精製造調査のために北米に差遣された。明治44年(1911年)に大蔵省醸造試験所技師に任官した。
小林 順一郎(こばやし じゅんいちろう、1880年(明治13… 小林 順一郎(こばやし じゅんいちろう、1880年(明治13年)1月3日 - 1963年(昭和38年)11月20日)は、日本の陸軍砲兵大佐、実業家、右翼の黒幕、右翼団体三六倶楽部主宰者、大政翼賛会総務。戦後A級戦犯として逮捕された。新潟県長岡市出身。 旧長岡藩士・小林保四郎の長男として生まれる。長岡中学・陸軍中央幼年学校を経て、1901年、陸軍士官学校卒業(13期)。同期には志賀直方(志賀直哉の叔父、近衛篤麿の親友)・井田磐楠・林茂清・中岡弥高・建川美次らがいる。 1902年、砲兵少尉となる。1904年、日露戦争に出征し砲兵中尉となる。1908年、陸軍砲工学校高等科卒(14期)、砲兵大尉となる。
川上 栄太郎(榮太郎、かわかみ えいたろう、1870年6月1… 川上 栄太郎(榮太郎、かわかみ えいたろう、1870年6月13日(明治3年5月15日)- 1930年(昭和5年)9月28日)は、明治から昭和初期の酒造家、地主、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県古志郡中通村長。 越後国古志郡摂田屋村、のちの新潟県古志郡中通村(上組村、宮内町を経て現長岡市 摂田屋)で、酒造業・川上生三郎の長男として生れた。1886年(明治19年)長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を卒業。高橋竹之助から漢学・詩文を学んだ。1897年(明治30年)家督を相続し家業の酒造業を営んだ。 長岡酒造組合長、新潟県酒造組合連合会長、長岡米穀株式取引所理事長、新潟県地主協会評議員、中越酒造社長などを務めた。
橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、1865年11月11日… 橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、1865年11月11日(慶応元年9月23日) - 1959年(昭和34年)2月14日)は、日本の官僚・実業家。貴族院議員。新潟県長岡市千手町出身。 長岡藩士・橋本弥十郎の長男として生まれる。1884年(明治17年)に長岡学校を卒業、育英団体である長岡社の支援を受けて上京、大学予備門へ進学。1890年(明治23年)、東京帝国大学を卒業して法制局に入り、1893年に枢密院書記官となる。 その後、大蔵省へ移り、欧米出張を経て1905年(明治38年)に横浜税関長、1907年(明治40年)に主計局長、1911年(明治41年)には大蔵次官となる。さらに、1912年(明治42年)12月5日に貴族院議員に勅選され、1946年(昭和21年)まで努めた。