スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
金田 淳子(かねだ じゅんこ、1973年〈昭和48年〉 - … 金田 淳子(かねだ じゅんこ、1973年〈昭和48年〉 - )は、日本の社会学者。やおい・ボーイズラブ・同人誌研究家。富山県生まれ。愛称は「カネジュン」。 1973年(昭和48年)富山県生まれ。富山県立富山高等学校卒。東京大学法学部を卒業後、文学部に学士入学して卒業する。東京大学では上野千鶴子に師事、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学(社会学)。ジェンダー論、社会学の視点から、やおいを研究している。かつて、法政大学で非常勤講師をしていた。詩と批評の雑誌『ユリイカ』での3回のBL特集および『美術手帖』のBL特集に編集協力、執筆するほか、朝日新聞や読売新聞などに女性のオタク文化の専門家・批評家としてコメントを寄せることが多い。
北村 森(きたむら もり、1966年12月11日 - )は… 北村 森(きたむら もり、1966年12月11日 - )は、日本の編集者、コメンテーター、サイバー大学 IT総合学部教授。秋田大学 産学連携推進機構客員教授。元日経トレンディ編集長。 富山県生まれ。小学生の時に「暮しの手帖」を読み、その商品テストの徹底ぶりに魅せられ雑誌編集者を志す。 富山県立富山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1992年に日経ホーム出版社(現・日経BP)入社。「日経アドレ」「日経トレンディ」などの編集者としてホテル宿泊チェックなど数多くの商品テストに携わる。2005年に38歳で「日経トレンディ」の編集長に抜擢され、同誌の販売部数を流行情報誌ジャンルのトップに伸ばした。
竺 覚暁(ちく かくぎょう、1942年5月6日 -2020年… 竺 覚暁(ちく かくぎょう、1942年5月6日 -2020年4月20日)は、日本の建築史学者。科学技術稀覯書研究家。金沢工業大学ライブラリセンター館長。同建築アーカイヴス研究所顧問。 富山県立富山高等学校から工学院大学建築学科に進み、1966年に卒業。そのあと富山大学文理学部文学科で哲学を学び、1969年に卒業する。工学博士(東京大学)。 1971年に金沢工業大学助手となり、1981年に教授に就任した。以後同学で教職に就く傍ら、1985 - 1987年にはマサチューセッツ工科大学で国際問題研究センターおよび科学・技術・社会プログラム兼任客員研究員、1990 - 1991年にはアメリカ議会図書館の国際研究員を務めている。
尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日… 尾島 俊雄(おじま としお、1937年9月2日 - )は、日本の建築家、建築学者、教育者、環境学者、都市環境工学者、都市科学者。工学博士。早稲田大学名誉教授。 富山県生まれ。早稲田大学で建築都市環境に関する教育と研究、また研究成果の実践につとめた人物。 1970年に、早稲田大学にて日本で初めての都市環境工学講座を建築学科に設けた。 2008年からは 財団法人建築保全センター理事長ほか。アジア都市環境学会会長。 大阪万国博覧会、国際科学技術博覧会など、日本国内で開催された博覧会会場環境設計ほか多数。また、新東京国際空港や多摩ニュータウン・センター地区などの基本設計なども手がけている。 2008年、都市環境工学の発展に対する貢献で、日本建築学会賞受賞。
北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28… 北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28日 - 2010年(平成22年)6月17日)は、日本の法学者(租税法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1974年)。日本大学法学部教授を経て、日本大学名誉教授。 富山県富山市大広田生まれ。学位は法学博士(1974年)、税理士・弁護士資格保有。租税法を専攻し、納税を国民の権利としての側面から再評価した「納税者基本権論」を展開する。 国税不服審判所による審判や裁判所での判決に対して、憲法を基礎に国民を主体にした批判・研究を展開、多くの論文を発表した。 憲法を軸に置いた視点からの判例研究では嚆矢となる。裁判での証人も引き受け、納税者に有利な判決を勝ち取った点も高く評価される。
相川 春喜(あいかわ はるき、1909年〈明治42年〉8月1… 相川 春喜(あいかわ はるき、1909年〈明治42年〉8月15日 - 1953年〈昭和28年〉4月29日)は、日本の科学史家、社会運動家。本名は矢浪久雄。 第二次世界大戦前の時期に唯物論研究会に参加し、技術史、科学哲学を中心にした理論学習運動の中核を担い、戦後は、シベリア抑留を経て、アジア地域における抑留者引揚運動に尽力した。第四高等学校中退。 新潟県高田市(現・新潟県上越市)南土橋出身。新潟師範附属小学校、佐渡河原田小学校、佐渡中学校、富山中学校を経て、第四高等学校文科乙類に首席で入学後、社会研究会、全国学聯支部に加盟。1928年6月の学生ストライキの責任者となる。 1929年、卒業試験後、雑誌「広場」の編集責任者であることを理由として卒業を取り消され、退学を命ぜられる。
見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 197… 見田 石介(みた せきすけ、1906年4月23日 - 1975年8月9日)は、日本の哲学者・マルクス主義経済学者・ヘーゲル研究者。旧姓は甘粕、筆名「佐竹 恒有」、「瀬木 健」。 1906年、島根県津和野生まれ。1923年3月県立富山中学校4学年修了。1927年3月旧制第四高等学校理科卒業。1930年京都帝国大学文学部哲学科卒業。波多野精一に師事し、ヘーゲルの歴史哲学を研究した。 1930年4月に同大学大学院に進学し、同時に平安女学院講師に就職するが、1931年3月に大学院を退学。同年4月に平安女学院講師も退職する。1932年10月に創立された唯物論研究会に11月に参加。1933年機関誌『唯物論研究』に執筆開始。
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4… 大間知 篤三(おおまち とくぞう、1900年(明治33年)4月9日 - 1970年(昭和45年)2月26日)は、日本の民俗学者。 1900年、富山県富山市愛宕町生まれ。呉服屋を営む旧家に生まれ、父は富山橋北銀行の頭取。富山中学校、第四高等学校卒、1927年、東京帝国大学文学部独文科卒。在学中、新人会に所属し、幹事長を務める。 卒業後には労働農民党書記を務め、日本共産党に入る。金沢連隊に入営ののち、1927年三・一五事件で三年間下獄。大間知ら、1927年2月『政治批判』創刊、1928年2月まで。1931年、出所して大宅壮一の翻訳団に加わる。1933年より柳田國男に師事、民間伝承の会(現日本民俗学会)の創立に参加。
浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 … 浅尾 荘一郎(あさお そういちろう、1898年12月29日 - 1978年5月31日)は、日本の電子工学者。富山県出身。 銀セシウム光電管の光電感度を飛躍的に高めた。また日本真空協会会長の初代会長を務めた。 妻は大日本帝国陸軍軍人・矢木亮太郎の長女。長女の夫は西洋史学者で大東文化大学名誉教授の穂積重行。次女の徳川陽子は物理学者で東京工芸大学名誉教授。同夫は言語学者で大阪大学名誉教授の徳川宗賢。孫は日本史学者で東京大学教授の松方冬子。 旧制富山中学、旧制四高を経て、1923年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、東京電気に入社。 ドイツのエルスターおよびガイテルにより1888年に発明された光電管は光電感度が低く実用で使えるものではなかった。
岡崎 文夫(おかざき ふみお、1888年(明治21年)2月2… 岡崎 文夫(おかざき ふみお、1888年(明治21年)2月23日 - 1950年(昭和25年)3月24日)は、富山県生まれの東洋史学者。字は煥卿、号は桜洲。東北大学文学部教授。 江戸時代から続く鵜坂村(現・富山市西本郷)の豪農で、代々富山藩の十村役を務めた名家・岡崎家の十六代として1888年に生まれた。1905年、旧制富山中学校(現:富山県立富山高等学校)を卒業し、第四高等学校に進んだ。京都帝国大学文科大学史学科に入学し、内藤湖南に師事。1912年に卒業した。同大学大学院に進学し、在学中の1919年から1921年まで上野育英会の資金補助を受けて中国に留学した。 帰国後、東北帝国大学における東洋史学専攻講座の開設にあたった。
開 祐司(ひらき ゆうじ)は日本の科学者、元京都大学ウイルス… 開 祐司(ひらき ゆうじ)は日本の科学者、元京都大学ウイルス・再生医科学研究所所長、教授(生体分子設計学分野)。 再生医学において業績を残している。
中田 榮一(中田 栄一、なかた えいいち、生年不詳 - 20… 中田 榮一(中田 栄一、なかた えいいち、生年不詳 - 2008年9月10日)は、日本の地理学者、歴史学者、教育者。立教大学教授、帝京大学教授、歴史地理学会名誉会員。 富山県出身。富山高等学校 (旧制)に入学し、石井逸太郎に学ぶ。 その後、京都帝国大学で地理学を専攻して卒業。京都帝国大学では高山岩男に師事し、歴史地理学への関心を高めた。 大学卒業後、東京小金井の国民精神文化研究所の助手となる。 2年ほど勤務した後、第二次大戦前に立教大学予科に務めると、予科教授となり、後に立教大学文学部助教授を経て、同教授を務めた。 1954年4月に、史学科で地理学を担当していた中田の誘いを受けて別技篤彦が立教大学史学科教授に赴任する。
瀧川 修(たきかわ おさむ)は、日本の生物学者・生理学者(機… 瀧川 修(たきかわ おさむ)は、日本の生物学者・生理学者(機能生物化学・薬理学一般・病態医化学)。学位は医学博士(京都大学・1983年)。国立研究開発法人日本医療研究開発機構戦略推進部脳と心の研究課調査役。姓の「瀧」が常用漢字表に収録されていないため、滝川 修(たきかわ おさむ)と表記されることもある。 和歌山県立医科大学医学部助手、財団法人大阪バイオサイエンス研究所研究員、北海道大学医学部助教授、国立長寿医療センター研究所ラジオアイソトープ管理室室長、独立行政法人国立長寿医療研究センター研究所ラジオアイソトープ管理室室長などを歴任した。 富山県富山市出身。地元の富山県立富山高等学校を卒業した。