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氷見野 良三(ひみの りょうぞう、1960年〈昭和35年〉4… 氷見野 良三(ひみの りょうぞう、1960年〈昭和35年〉4月25日 - )は、日本の大蔵・金融官僚、日本銀行副総裁。金融国際審議官、金融庁長官を務めた。 1960年4月25日 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校に入学した頃は数学者志望であったが、高1の時に担任から、政治思想史家の文章を伺ったことで興味を持ち、政治思想史の研究者になりたいと考え始めた。富山高等学校卒業。1983年に東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。高校時代の模試では常に三本指に入るほどの秀才だった。大学でも英才ぶりを発揮し、指導教官から「助手として大学に残って論文を書かないか」と、研究者(政治学)への道に誘われていたが、官僚の道を選び、国家公務員上級甲種試験(法律)を受け、1983年に大蔵省に入省。
布村 幸彦(ぬのむら ゆきひこ、1955年2月15日 - )… 布村 幸彦(ぬのむら ゆきひこ、1955年2月15日 - )は、日本の文部科学官僚。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会において副事務総長を務めた。 富山県富山市出身。富山県立富山高等学校を経て、1978年に東京大学法学部を卒業し、文部省に入省。同期に合田隆史、藤木完治(入庁は科学技術庁)、1年後輩に前川喜平がいる。文部科学省大臣官房審議官(初等中等教育局担当)、スポーツ・青少年局長、初等中等教育局長、高等教育局長を歴任。東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも尽力した。2014年、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総長に就任。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 事務総長の武藤敏郎をサポートした。
細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )… 細川 興一(ほそかわ こういち、1947年6月17日 - )は、日本の大蔵官僚。富山県富山市出身(父も富山県、母は石川県)。血液型はB型。元日本政策金融公庫代表取締役総裁。 細川は地方行政に興味があったことから、当初は大蔵省(後の財務省)より自治省(後の総務省)が第1志望であった。大蔵省か自治省かで迷ったが、小粥正巳大臣官房秘書課長補佐の「君がこれから自治省に断りに行くことが、大蔵省での最初の仕事だよ」という一言で大蔵省入省を決意した。 地方行政に興味があったことから、国家公務員上級試験(甲種)を行政職で受験していた。しかし、大蔵省を志望する者は、法律職か経済職が大多数だった。細川曰く「『大蔵省では行政職は採らない』と言われた。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月… 三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月23日 - 1958年(昭和33年)4月27日)は、日本の内務官僚。官選府県知事、東京市助役。 富山県上新川郡飯野村(のち広田村飯野、現在・富山市)出身。三辺長三郎の三男として生まれる。富山中学、第四高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、内務省に入り埼玉県属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、内務属となり警保局に配属。その後、大正3年(1914年)に愛媛県視学官、大正5年(1916年)に大阪府視学官、大正8年(1919年)に内務省地方局事務官となり、地方局市町村課長・都市課長・行政課長などを歴任。
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)… 牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。
二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治… 二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治11年)2月25日 - 1945年(昭和20年)11月19日)は、日本の官僚、政治家。枢密院書記官長、行政裁判所長官、貴族院議員、枢密顧問官等を歴任した。法学博士。 石川県射水郡高岡縄手中町(現富山県 高岡市)で、酒造業・二上兵太郎の長男として生まれる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校(首席)を経て、1904年(明治37年)7月11日、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業、成績優秀のため銀時計を授与された。逓信省に入省し、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、東京郵便局郵便課長、逓信省通信局外信課長、同参事官兼逓信書記官・通信局外信課長、兼大臣官房秘書課長などを歴任。
木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9… 木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年〈明治9年〉9月9日 - 1956年〈昭和31年〉12月10日)は、明治末から昭和期の内務官僚、実業家。官選富山県知事。 千葉県出身。従五位勲五等の官吏木間瀬柔三の五男として生まれる。富山中学校で中学1年に在学。第一高等学校を卒業。1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し宗教局属となる。 以後、三重県事務官、愛知県事務官、千葉県事務官・第二部長、茨城県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、同県事務官・内務部長、新潟県内務部長、大阪府内務部長などを歴任。 1915年(大正4年)8月12日、富山県知事に就任。
南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10… 南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10月10日〉- 1946年〈昭和21年〉2月8日)は、日本の官僚・政治家。 後の富山県氷見市仏生寺の豪農岩間覚平の次男・鉄郎として生まれる。岩間家は3代にわたり県会議員を輩出した名望家で、広大な屋敷地や山林を所有していた。生家の近くに御田神社があり、幼少時よりその宮司平井正承の教えを受けた。その後仏生寺小学校、富山中学校、第四高等学校に進み、1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、文官高等試験に合格し官僚となった。 その後、同県高岡の旧家出身で第2代富山県会議長を務めた南兵吉の養子となり、その長女・操と結婚した際、「弘」と改名した。