スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
野澤 啓佑(のざわ けいすけ、1991年6月7日 - )は、… 野澤 啓佑(のざわ けいすけ、1991年6月7日 - )は、山梨県南アルプス市出身の陸上競技選手。専門は400mハードル。自己ベストは日本歴代6位の48秒62。2016年リオデジャネイロオリンピックのセミファイナリストである。ミズノトラッククラブ所属。 山梨県南アルプス市出身。血液型はA型。 陸上競技との出会いは小学6年生の時に出場した陸上大会だったが、陸上競技を始めたのは南アルプス市立甲西中学校に進学して陸上部に入ってからだった。当初はサッカー部に入部しようと考えていたが、迷った末に陸上部に入部。110mハードルをメインとし、県総体で2位となり関東大会にも出場したが、中学でのベストは16秒をやっと切るくらい、100mは12秒7くらいだった。
藤尾 香織(ふじお かおり、旧姓:千葉、1981年1月29日… 藤尾 香織(ふじお かおり、旧姓:千葉、1981年1月29日 - )は、山梨県白根町(現南アルプス市)出身の女子ホッケー選手である。ポジションはフォワード。 1986年の国体で地元がホッケー会場になったのがきっかけで小5でホッケーを始める。 巨摩高校、山梨学院大学からソニーイーエムシーエス一宮テック(ソニーHC BRAVIA Ladies)に入社。 2004年にはアテネ五輪に出場。 2006年のW杯では得点ランク4位の活躍で5位入賞に貢献。国際ホッケー連盟が選ぶ世界オールスターチームの18人に選ばれた。2007年には日本人で初めてホッケーで世界最高峰とも言われるオランダリーグにフル参戦した。 2008年の北京オリンピックでは「さくらジャパンの千葉ちゃん」として人気を集め、上位入賞を期待されたが10位と低迷。
桜本 広樹(さくらもと ひろき、1961年9月26日 - )… 桜本 広樹(さくらもと ひろき、1961年9月26日 - )は日本の政治家。山梨県議会議員(3期)、第130代山梨県議会議長、南アルプス市議会議員(1期)を歴任した。 山梨県立巨摩高等学校、東洋大学卒業。2004年11月28日、南アルプス市議会議員選挙に無所属で立候補して、28人中24位で初当選を果たした。2007年4月8日、南アルプス市選挙区から山梨県議会議員選挙に無所属で立候補したが、次点で落選した。2011年4月10日、再度無所属で県議選に立候補して今度はトップで初当選を果たした。以後、2回当選し2015年の選挙からは自由民主党公認で当選している。県議会では、教育厚生委員長、県監査委員などを歴任した。
藤井 宏樹(ふじい ひろき、1961年6月5日 - )は、日… 藤井 宏樹(ふじい ひろき、1961年6月5日 - )は、日本の合唱指揮者。山梨県出身。日本合唱指揮者協会会員。21世紀の合唱を考える会 合唱人集団「音楽樹」代表幹事。 山梨県立巨摩高等学校を経て東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。声楽を畑中良輔、中村義春、近藤礼子に、ピアノを近藤幹雄、田辺緑に、指揮法を黒岩英臣に師事。 大学卒業後、合唱指揮者としての活動を始める。現在12の団体を有する「樹の会」、Ensemble PVDの音楽監督を務める。山梨大学合唱団、合唱団ゆうか、女声アンサンブルJuriを率いて、全日本合唱コンクールにて通算12度の金賞を獲得。スペインの「トロサ国際合唱コンクール」やイタリアの「レッツォ国際合唱コンクール」においても高い評価を受けている。
芦沢 真矢(あしざわ しんや、1958年1月1日 - )は、… 芦沢 真矢(あしざわ しんや、1958年1月1日 - )は、山梨県中巨摩郡櫛形町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。選手時代の登録名は「芦沢 優」(あしざわ まさる)。 役者の芦澤梨沙(作家名義:沙川りさ)は娘。 巨摩高では、四番・捕手として1975年夏の甲子園予選北関東大会決勝に進出。群馬の強豪である樹徳高を破って高校初の甲子園出場を果たすが、選手権大会では2回戦(初戦)で三重高に敗退。 同年のドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。 1978年に一軍へ初昇格し、同年は6試合に先発マスクを被る。その後も大矢明彦の控えとして起用される。 1981年には大矢の衰えや、二番手捕手であった八重樫幸雄の不振もあって30試合に先発出場を果たす。
矢崎 仁司(やざき ひとし、1954年11月20日 - )は… 矢崎 仁司(やざき ひとし、1954年11月20日 - )は、日本の映画監督、脚本家。 1956年11月20日、山梨県南巨摩郡鰍沢町に生まれる。山梨県立巨摩高等学校を卒業。日本大学芸術学部映画学科に在学中の1980年、『風たちの午後』で映画監督デビューを果たす。1992年、『三月のライオン』でベルギー王室主催ルイス・ブニュエルの「黄金時代」賞を受賞する。2010年、中谷美紀と大森南朋を主演に迎えた『スイートリトルライズ』が公開される。
福田 修二(ふくだ しゅうじ、1951年12月20日 - )… 福田 修二(ふくだ しゅうじ、1951年12月20日 - )は、日本の実業家。太平洋セメント代表取締役社長を経て、同社取締役会長、サッポロホールディングス取締役。元セメント協会会長。 山梨県白根町(現南アルプス市)出身。父は俳人の福田甲子雄。山梨県立巨摩高等学校を経て、1974年福島大学経済学部卒業、小野田セメント(現太平洋セメント)入社。経理部長、北陸支店長を経て、2008年執行役員人事部長。2010年取締役常務執行役員。 2012年から太平洋セメント代表取締役社長を務め、中期経営計画を進め、財務体質強化や、グローバル化にあたった。 2016年セメント協会会長。2018年新規中期経営計画の開始を機に太平洋セメント取締役会長に退いた。
矢崎 健治(やざき けんじ、1946年9月23日 - )は、… 矢崎 健治(やざき けんじ、1946年9月23日 - )は、山梨県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、遊撃手。 法政大学第二高等学校では1年生の時エース村上雅則の控え投手、転校した山梨県立巨摩高等学校では遊撃手。卒業後は明治大学の二部に入学して野球は断念していたが、1965年の夏に広島カープのテストは投手で受け、抜群の球速とキレの良い変化球を買われた。1965年のドラフトで広島カープから12位で指名され入団右手人差し指の骨折により、一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
初鹿 勇(はつしか いさむ、1938年8月26日 - 202… 初鹿 勇(はつしか いさむ、1938年8月26日 - 2024年11月4日)は、山梨県出身の日本のアマチュア野球選手(外野手)、高校野球指導者。 山梨県出身。地元の巨摩高校卒業後は、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学。大学卒業後は、社会人野球の電電関東に入社し、俊足巧打の外野手として活躍。 選手としての現役引退後は高校野球の指導者として活動を始める。地元・山梨の塩山商業高校の監督を28年務める。当時は無名だった同校を1976年夏開催の第58回全国高等学校野球選手権大会へと導き、春夏通じて初の甲子園出場を果たした。 1996年に同じ県内の私立・日本航空高校の監督に就任。当時は山梨県大会においても1勝から2勝程度のチームではあったが精度の高いノックや選手のスカウティング活動に力を入れ、就任3年目の1998年春開催の第70回選抜高等学校野球大会に同校を春夏通じて初の甲子園出場に導き、1勝を上げている。
功刀 義幸(くぬぎ よしゆき、1936年 - )は、山梨県出… 功刀 義幸(くぬぎ よしゆき、1936年 - )は、山梨県出身の元プロ野球選手。 巨摩高校から1956年に毎日オリオンズへ入団。同年退団。
河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月… 河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月14日 - 2013年10月3日)は、日本の元女子バレーボール選手。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主将。金メダリスト。 山梨県中巨摩郡(現在の南アルプス市)の出身。山梨県立巨摩高等学校卒業後、日紡に入社する。 河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼主将として優勝に大いに貢献した。ポジションはセッターで、長身を生かして前衛ではセンタープレーヤーも務めた。 1965年1月に日紡を退社。同年5月30日に当時の総理大臣である佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。 選手のファンであった女優の淡島千景がオーナーとなって設立したバレーボールのクラブチーム「フジクラブ」にも参加、同クラブの中心選手として活躍した(フジクラブは国民体育大会バレーボール競技一般女子の部において、1965年、1966年と二連覇した。
佐藤 寛之(さとう ひろゆき)は、日本の教育学者。早稲田大学… 佐藤 寛之(さとう ひろゆき)は、日本の教育学者。早稲田大学教育学部教授。専門は理科教育学で、日本理科教育学会論文賞受賞。 横浜国立大学大学院教育人間科学研究科修了、修士(教育学)。東京学芸大学附属竹早中学校教諭を経て、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科修了、博士(教育学)。2007年佐賀大学文化教育学部講師。2009年同准教授。2014年山梨県立巨摩高等学校SSH運営指導委員会委員。2016年山梨県立甲府南高等学校SSH運営指導委員会委員。2020年日本理科教育学会論文賞受賞。同年早稲田大学教育・総合科学学術院准教授。2022年同教授。専門は理科教育学、科学教育。