スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 孝雄(たかはし たかお、1964年〈昭和39年〉10月… 高橋 孝雄(たかはし たかお、1964年〈昭和39年〉10月19日 - )は、日本の農林水産官僚。 静岡県藤枝市出身。静岡県立清水東高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、東京大学法学部を卒業。 入省後、総合食料局食品産業振興課長、経営局構造改善課長、生産局畜産部競馬監督課長、食料産業局食品小売サービス課長、同総務課長、農林水産省大臣官房広報評価課長などを歴任。 2016年(平成28年)7月1日、日本政策金融公庫特別参与兼農林水産事業本部融資企画部及び出資・証券化支援室担当に就任。 2018年(平成30年)6月22日、同日付で大臣官房付に異動。同年7月27日、農村振興局農村政策部長に就任。
膳亀 信行(ぜんがめ のぶゆき、1964年5月27日 - )… 膳亀 信行(ぜんがめ のぶゆき、1964年5月27日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー (GK)。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。小学校5年生でサッカーを始め、6年生からGKを務めた。静岡県立清水東高等学校に進学し、1年生時からレギュラー選手となる。全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)では1年生時から連覇を達成する一方、全国高等学校サッカー選手権大会では2年生時まで優勝を経験できなかった。膳亀の学年は1学年上に沢入重雄、反町康治、望月達也、1学年下に長谷川健太、大榎克己、堀池巧がおり、彼らに挟まれた「谷間の年」と言われたが、3年生時の1982年度の第61回全国高等学校サッカー選手権大会(3年生は進学を控えた時期の大会ながら9人が部に残留)では準決勝まで4戦連続で完封、決勝の山梨県立韮崎高等学校戦で1点を失ったものの4-1で勝利し、清水東高校に初の全国優勝をもたらした。
反町 康治(そりまち やすはる、1964年3月8日 - )は… 反町 康治(そりまち やすはる、1964年3月8日 - )は、埼玉県浦和市 (現:さいたま市) 出身の元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。2008年北京オリンピック時のU-23サッカー日本代表監督。2024年より清水エスパルスのゼネラルマネージャーを務める。 静岡県立清水東高校で澤入重雄、望月達也らとともに全国大会優勝を経験。その後一浪し、一般入試で慶應義塾大学法学部政治学科に入学。ソッカー部へ入部する。 大学卒業後の1987年に全日本空輸(全日空)に総合職にて入社(同期に石末龍治、堀直人)。全日空では午前中は羽田空港でパイロットのスケジュール作成を担当し、午後にサッカー部で練習を行うという生活を送っており、サッカー部がJリーグ発足時にプロサッカークラブ・横浜フリューゲルスに衣替えしてもプロ契約には移行せず、フリューゲルスの運営会社である全日空スポーツへの出向扱いとなって社員選手としてサッカーに専念、引退後に社業に戻れる道を選んだことで各方面から注目された。
牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、… 牧田 有史(まきた ゆうし、1964年1月10日 - )は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡県立清水東高等学校では望月達也、反町康治、澤入重雄と同期。2年時の高校総体では優勝、高校選手権では準優勝した。 東京農業大学を経て1986年、日本サッカーリーグのマツダサッカークラブに加入。1991-92シーズンにはリーグ戦5試合に出場し1得点1アシストを記録した。プロ化によりサンフレッチェ広島へ移行後も1992年までプレーした[要出典]。
鈴木 晃仁(すずき あきひと、1963年12月12日 - )… 鈴木 晃仁(すずき あきひと、1963年12月12日 - )は、日本の医学史研究者。東京大学文学部教授・慶應義塾大学経済学部教授を歴任 静岡県生まれ。静岡県立清水東高等学校卒、1986年東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学専攻を卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究(イギリス文化)に進学、1992年にロンドン大学ウェルカム医学史研究所で博士号を取得した。博士論文は啓蒙主義時代イングランドの精神医学思想史を主題とし、指導教官はロイ・ポーターであった。その後、ウェルカム財団医学史研究所リサーチ・フェロー、アバディーン大学研究員などを経て、1997年に慶應義塾大学経済学部助教授となり、2005年教授、2021年東京大学文学部教授(死生学・応用倫理センター)。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。 静岡県立清水東高等学校時代は望月達也、反町康治らと共に高校総体2連覇(1980、1981年度)、高校選手権準優勝(1980年度)に貢献。法政大学を経て、1986年に日本サッカーリーグ2部のトヨタ自動車へ入部。打点の高いヘディングを武器に センターフォワードとして活躍し、Jリーグの発足により名古屋グランパスエイトとなってからも活躍、初代主将を務めた。1995年に現役引退。 引退後は名古屋のスタッフを経て、中京大学の監督を務め後進の指導に努めたほか、中日スポーツ評論家、東海テレビの『グランパスExpress』解説等を務めた。
澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、… 澤入 重雄(さわいり しげお、1963年5月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡県静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。JFA公認S級コーチ(2004年取得)。
望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は… 望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手・指導者。 清水東3年時の高校選手権、FW沢入重雄やMF反町康治らと共にエースとして活躍したが準優勝に終わる。 当時の高校選抜のメンバーとしてヨーロッパ遠征に参加した際、オランダサッカー協会コーチであったハンス・オフトに見初められる。卒業後の1982年6月にオランダに渡り、同年7月にエールディヴィジ(オランダ1部)のHFCハーレムにアマチュア契約で入団。第4節アウェイのフローニンゲン戦、69分から途中出場でデビューを果たすも、82-83シーズンは2試合(途中出場計37分)の出場に留まった。翌83-84シーズンは第10節ホームでのAZ戦で初先発を果たし70分までプレーしたが、以降エールディビジでの出場機会には恵まれなかった。
正希 光(まさき ひかる、1962年8月1日 - )は、芸能… 正希 光(まさき ひかる、1962年8月1日 - )は、芸能プロダクション「たむらプロ」所属の元俳優、プロデューサー。芸名は「正希光」(丹波哲郎命名)だが、プロデューサー業では本名を名乗っている。本名は小林正希だが、「小林正季」と改名していた時期もあった。 静岡県静岡市(旧清水市)出身。静岡県立清水東高等学校を経て筑波大学を卒業し、中学校・高等学校教諭免許を持つ。 韓流ブームの時は、韓国と日本の有名タレントのプロモーションを専門とし、多くのタレントの売り出しに係わっていた。また、地域再生や組織再生の実績も多い。俳優・タレント養成所講師・企業の人材育成講師・プロデューサーなど幅広い活動をしている。
内田 一夫(うちだ かずお、1962年4月18日 - )は、… 内田 一夫(うちだ かずお、1962年4月18日 - )は、日本の元サッカー選手で、サッカー指導者。 全国有数のサッカーの街である清水市(現・静岡市清水区)に生まれ育ち、高校は清水東高校に進学。この世代の清水東は全盛期が始まった頃であり、一学年上に大木武と望月一頼、一学年下に反町康治、沢入重雄、望月達也などのちにJリーグの選手や監督として活躍する人物がいた。内田本人も3年次に高校総体で優勝、選手権大会で準優勝、さらに国民体育大会では静岡県選抜チームに選ばれ優勝を経験。大学は駒澤大学へ進み、一学年下の佐久間悟とプレーした。社会人では清水市役所に勤務する傍ら、地元サッカークラブクラブでプレー。また、東京大学の研究生として浅見俊雄の下でフィジカルトレーニングの指導を2年間受けている。
望月 一頼(もちづき かずより、1961年11月20日 - … 望月 一頼(もちづき かずより、1961年11月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手 (GK)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。筑波大学卒業。 清水東高出身。同期に大木武、二年先輩に内山篤、一年後輩に内田一夫、二年後輩に反町康治や望月達也・沢入重雄らがいる。1977年高1時、高校では控え選手だったが偶然松本育夫日本ユース代表監督の目にとまり、地元開催の1979 FIFAワールドユース選手権に出場するユース日本代表に選出されるも、最終的には本選出場選手に選ばれなかった。 高校卒業後、筑波大学に進学した。一年先輩に松田浩、同期に風間八宏・鈴木淳、一年後輩に小野剛がいる。4年時にはキャプテンも務めた。
大木 武(おおき たけし、1961年7月16日 - )は、静… 大木 武(おおき たけし、1961年7月16日 - )は、静岡県清水市(現静岡市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立清水東高等学校(高校の同級生に望月一頼)、東京農業大学を経て、富士通に入社。MF/FWとしてプレー。1991年に現役引退した。 母校である東京農業大学からコーチの依頼を受け、次の可能性にトライしてみようと現役を引退し、富士通に勤めながら指導者としての道を歩み始めた。1993年には富士通を退社し清水エスパルスのユース監督兼ジュニアユースコーチに就任。その後サテライトコーチを経て、1999年にはスティーブ・ペリマンが一時帰国した際には代行監督としてナビスコ杯2回戦で指揮を執った。
湯之上 隆(ゆのがみ たかし、1961年 - )は、日本の半… 湯之上 隆(ゆのがみ たかし、1961年 - )は、日本の半導体産業と電機産業のコンサルタントおよびジャーナリスト。微細加工研究所のCEO兼所長、メデイアタブレット取締役、京大原子核工学、阪大工、阪大基礎工、東北大工の非常勤講師。静岡県島田市出身。 1961年生まれの静岡県出身。1987年に京都大学大学院工学研究科修士課程(原子核工学専攻)を修了後に日立製作所に入社し、長らく半導体の微細化に携わる。日立製作所在籍中に55件の特許を出願し、表彰されたことも何度もあった。 1990年代末から2000年代初頭の半導体不況(1998年には日立も史上初の赤字に)において、日立グループが半導体部門のリストラを進める中、日立とNECのメモリ部門を切り離して合併したエルピーダメモリに志願して出向したが、エルピーダ社内でNECと日立の主導権争いに巻き込まれ、降格された上で日本の国家プロジェクトである半導体先端テクノロジーズ(Selete)に出向することになり、茨城県つくば市まで飛ばされる。
内山 篤(うちやま あつし、1959年6月29日 - )は、… 内山 篤(うちやま あつし、1959年6月29日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。元ジュビロ磐田監督。ポジションはミッドフィールダー。静岡県出身。実兄の内山勝も元サッカー選手。 国士舘大学サッカー部を経て1983年に日本サッカーリーグ1部のヤマハ発動機(現 ジュビロ磐田)に入部。中心選手として1987-88シーズンに同サッカー部の日本サッカーリーグ初制覇に貢献した。日本代表としてもワールドカップ・メキシコ大会(1986)予選など、国際Aマッチ2試合に出場した。 現役引退後は指導者の道へ進み、2004年から古巣の磐田に復帰し、ユース監督に就任。2004年の高円宮杯で準優勝し、大量6人の選手をトップに昇格させるなど実績を積む。
長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は… 長澤 和明(ながさわ かずあき、1958年2月4日 - )は、静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身の元サッカー選手・指導者・解説者。日本代表経験を持ち、Jリーグ所属のジュビロ磐田の初代監督も務めた。長女は女優の長澤まさみ。子供は、長男と長女(まさみと兄が年子)。 清水東高校で高校総体3位(1973年)高校選手権準優勝(1974年)を経験、東京農業大学を卒業後、1980年に日本サッカーリーグ所属のヤマハ発動機サッカー部に入部。ゲームメーカーとして活躍した。また1982年にハンス・オフトがヤマハのコーチとして初訪日した時の主将であった。1978年からは日本代表に選出されたが、同じポジションに木村和司が存在したため9試合出場に留まっている。
栗田 宣義(くりた のぶよし、1958年 - )は、日本の社… 栗田 宣義(くりた のぶよし、1958年 - )は、日本の社会学者、甲南大学教授。 静岡県出身。静岡県立清水東高等学校卒。国際基督教大学卒業、上智大学大学院博士後期課程単位取得。1992年「なぜ抗議するのか 社会運動の計量社会学的分析」で上智大社会学博士。武蔵大学助教授、社会学部教授、学部長、甲南大学文学部教授。
佐野 極(さの たかし、1957年12月14日 - )はシミ… 佐野 極(さの たかし、1957年12月14日 - )はシミックホールディングスの常務執行役員。東京都出身、静岡県立清水東高等学校を経て、京都大学工学部冶金学科卒業。座右の銘は「初心忘るべからず」。 京都大学卒業後、1980年4月に三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。UFJホールディングス法人企画部次長、UFJ銀行秘書役、同川崎支店長を歴任。2005年8月に、サガンドリームス(サガン鳥栖)取締役副社長に就任。2008年3月にシミックエムピーエスエス代表取締役に就任ののち、2013年10月にシミックホールディングスの常務執行役員に就任した。
豊島 勝一郎(とよしま かついちろう、1957年7月6日 -… 豊島 勝一郎(とよしま かついちろう、1957年7月6日 - )は、日本の銀行家。清水銀行代表取締役会長。静岡市出身。 静岡県立清水東高等学校を経て、1981年に早稲田大学商学部を卒業。同年、清水銀行入行。 その後、経営企画部長、総合統括部長などを経て、2005年に常務取締役、2007年に専務取締役、2010年に代表取締役専務に就任。 2011年に代表取締役副頭取に昇進。2012年に代表取締役頭取就任。2020年に代表取締役会長に就任。
内山 勝(うちやま まさる、1957年4月14日 - )は静… 内山 勝(うちやま まさる、1957年4月14日 - )は静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはDF(サイドバック)、MF。元ジュビロ磐田監督の内山篤は実弟。 静岡県立清水東高等学校時代は長澤和明と共に1974年度の高校選手権で準優勝に貢献した。 筑波大学を経て1980年にヤマハ発動機サッカー部に入部。攻撃的なサイドバックとして長澤や内山篤らと共に同サッカー部の上位進出に貢献した。また1985年に日本代表に選出され国際Aマッチ1試合に出場した。
田畑 伸一郎(たばた しんいちろう、1957年(昭和32年)… 田畑 伸一郎(たばた しんいちろう、1957年(昭和32年) - )は、日本の経済学者、ロシア研究者。北海道大学名誉教授。北海道大学スラブ研究センター長、ロシア・東欧学会代表理事、比較経済体制学会事務局長等を歴任。 清水市立第五中学校、静岡県立清水東高等学校を経て、1981年(昭和56年)、東京大学教養学部教養学科卒業、1983年(昭和58年)、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、1986年(昭和61年)同博士後期課程単位取得退学。指導教官は宮鍋幟。 1986年(昭和61年)、北海道大学スラブ研究センター助教授、1997年(平成9年)から同教授。2004年(平成16年)から2006年(平成18年)まで同センター長、2008年(平成20年)から2013年(平成25年)まで新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」領域代表、2012年(平成24年)から北海道大学ヘルシンキオフィス所長。
吉永 進一(よしなが しんいち、1957年 - 2022年3… 吉永 進一(よしなが しんいち、1957年 - 2022年3月31日)は、日本の宗教学者。舞鶴工業高等専門学校人文科学部門教授。研究テーマは、19世紀アメリカ宗教思想、近代日本の心身技法と思想、日米の思想交流。ペンネームに岩本道人。 京都大学理学部生物学科卒業、同文学部宗教学専攻博士課程単位取得退学。京都大学在学中には、横山茂雄らとオカルト研究団体「近代ピラミッド協会」を結成して活動。 2007年に論文「原坦山の心理学的禅:その思想と歴史的影響」で人体科学会第一回湯浅泰雄賞を受賞。 2014年12月にAsian Buddhism: Plural Colonialisms and Plural Modernities - workshop #3 – Kyotoを主催(仏教伝道協会、AAR(アメリカ宗教学会)、龍谷大学BARC、京都大学人文科学研究所などの援助を受ける)。
村松 謙一(むらまつ けんいち、1954年 - )は、日本の… 村松 謙一(むらまつ けんいち、1954年 - )は、日本の弁護士。民事再生法の専門家であり、倒産寸前の企業の再建を支援する「再建弁護士」を標榜する。 静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。静岡県立清水東高等学校卒業。1977年慶應義塾大学法学部卒業。1981年、司法研修所入所(35期)。1983年、東京弁護士会登録、清水直法律事務所入所。1990年、村松謙一法律事務所を開設し、2000年光麗法律事務所に改名。 東京佐川急便や長崎屋などの東証一部上場企業から街角の個人商店まで、再建した会社は200を超える。その活躍ぶりは、2007年と2009年にNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介されて話題となった。
菅 真理子(すが まりこ、1953年〈昭和28年〉11月28… 菅 真理子(すが まりこ、1953年〈昭和28年〉11月28日 - )は、第99代内閣総理大臣である菅義偉の妻。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)で生まれる。両親は食料品卸会社を経営しており、缶詰や飲料水などをスーパーマーケットに卸していた。地元の公立中学校には進学せず、静岡大学教育学部附属静岡中学校に進学。中学校ではバレーボール部に在籍した。 中学校卒業後、静岡県立清水東高等学校に進学。高校では弓道部に在籍した。 高校卒業後、静岡女子大学(現・静岡県立大学)に進学し、家政学部を卒業した。 衆議院議員であった小此木彦三郎の自宅にて、家事手伝いとして住み込みで勤務した。この頃、小此木の秘書を務めていた菅義偉と知り合い、結婚した。
伊東 孝紳(いとう たかのぶ、1953年8月29日 - )は… 伊東 孝紳(いとう たかのぶ、1953年8月29日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業(ホンダ)社長(第7代)。静岡県清水市出身。静岡県立清水東高等学校、京都大学工学部航空工学科卒業。京都大学大学院工学研究科修了。 以下は、本田技研工業の有価証券報告書より抜粋。 NSXのアルミボディ、2代目アスコット、ラファーガのLPL(開発責任者)を担当。特にNSXとは縁が深く、開発時には社内の反対の声を押し切りながらオールアルミボディを実現した。2008年のリーマン・ショック時には当時最終段階まで開発が進んでいた後継モデルの開発中止を決定している。この決定には研究所から来訪拒否の連判状が出されるほど抵抗が根強く、スタッフを自ら説得して回ったと語っている。
大滝 令嗣(おおたき れいじ、1953年7月17日 - )は… 大滝 令嗣(おおたき れいじ、1953年7月17日 - )は、日本の経営コンサルタント。マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングの日本法人代表取締役会長兼アジア地域代表などを経て、早稲田大学大学院経営管理研究科教授。元シンガポール経済開発庁ボードメンバー。 静岡県清水市(現静岡市清水区)出身。1972年静岡県立清水東高等学校卒業。1976年東北大学工学部応用物理学科卒業。1983年カリフォルニア大学サンディエゴ校電子工学科応用物理学専攻博士課程修了。東芝半導体技術研究所研究員を経て、1984年ヘイコンサルティングコンサルタントに就任。1888年マーサージャパンシニアコンサルタント。1995年マーサージャパン代表取締役社長。
中西 勝則(なかにし かつのり、1953年(昭和28年)6月… 中西 勝則(なかにし かつのり、1953年(昭和28年)6月15日 - )は、日本の銀行家、実業家。しずおかフィナンシャルグループ代表取締役会長兼静岡銀行取締役会長。静岡県経営者協会会長。 静岡県庵原郡蒲原町(現:静岡市清水区)にて運送業を営む家庭に生まれる。 父が中学3年時に病死し、長男である中西は家計を支えるため実業高等学校へ入学すべきか悩んだ末に、静岡県立清水東高等学校への進学を選択した。また小学校から高校まで児童・生徒会長を務めた。高校卒業後、国立大学の理系学部への進学を希望していたが、不合格であったことから併願していた慶應義塾大学商学部に進む。同大時代には学費こそは母に負担してもらったが、生活費はすべてアルバイトで捻出した。
石川 裕章(いしかわ ひろあき、1953年2月20日 -)は… 石川 裕章(いしかわ ひろあき、1953年2月20日 -)は静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長182cm。得意技は内股 清水東高校から中央大学に進んだ。1年の時に全日本新人体重別重量級で2位となった。4年の時には世界学生の個人戦軽重量級と団体戦で優勝を飾った。卒業後は日立製作所所属となると、1976年には講道館杯95kg級で新日鉄の岩田久和を破って優勝した。その後、佐久間接骨院に所属を変更すると、1979年の選抜体重別で優勝を果たして世界選手権代表に選ばれた。世界選手権では初戦でベルギーのロベルト・バンドワールに双手刈で効果を取られて敗れると、敗者復活戦を勝ち上がった3位決定戦でも西ドイツのギュンター・ノイロイターに払腰で敗れて5位に終わった。
大石 幼一 (おおいし よういち、1953年(昭和28年)2… 大石 幼一 (おおいし よういち、1953年(昭和28年)2月6日 - )は、日本の実業家。中部日本放送取締役相談役、CBCテレビ・CBCラジオ名誉会長、ケイマックス取締役。 静岡県出身。静岡県立清水東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、1975年中部日本放送に入社(同期に久野誠、伊藤道之、宇佐美百合子)。ニューヨーク支局長、総務局経理部長、経営監査部長を経て、2005年社長室長、2007年常務、2008年社長、2011年CBCラジオ取締役、2014年会長、2020年CBCテレビ・CBCラジオ名誉会長、TBSテレビ社外取締役。2023年中部日本放送取締役相談役。 2025年(令和7年)春の叙勲で旭日中綬章を受章した。
山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は… 山下 大輔(やました だいすけ、1952年3月5日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・監督・コーチ、解説者・評論家。愛称は「大ちゃん」。 清水東高校から1970年に一般入試で慶應義塾大学商学部へ進学。東京六大学野球リーグでは、1年次の同年秋季リーグから正遊撃手となり、高校の2年先輩である松下勝実とクリーンアップを組み活躍する。2年上の工藤真投手、清水東高でも2年上の松下勝実、1年上の萩野友康・長谷部優両左腕投手らを擁し、2年次の1971年秋季リーグからの3連覇に3番打者として貢献。1、2年時には「鬼の榊原」と呼ばれた榊原敏一監督に「試合と同じ集中力で練習しろ」と鍛え上げられた。
高田 一美(たかだ かずみ、1951年6月28日 - 200… 高田 一美(たかだ かずみ、1951年6月28日 - 2009年10月1日)は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード(ウイング)。引退後は改姓により「郡司 一美(ぐんじ かずみ)」と名乗っていた。 清水東高等学校から日本大学へ進学。10代で日本代表に選出され、1970年11月15日のスウェーデンのクラブチームユールゴーデンIF戦で代表デビューを飾ると同年12月のアジア競技大会に出場。1976年に退くまで国際Aマッチ16試合に出場した。 また日本ユース代表にも選出され、1971年4月に日本で開催された第13回アジアユース大会では奥寺康彦、永井良和らと共に出場し2得点を上げている。 1971年に日大を中退し日本サッカーリーグ1部の三菱重工業に入部すると、すぐさま出場機会を掴み1974年度にはアシスト王に輝いた。
山田 訓史(やまだ のりじ、1950年〈昭和25年〉8月22… 山田 訓史(やまだ のりじ、1950年〈昭和25年〉8月22日 - )は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県出身。静岡県立清水東高等学校を経て1950年に立命館大学経済学部を卒業し、同年に清水銀行に入行した。1998年に取締役に就任し、2000年4月に常務、2001年4月に専務を経て、2005年4月には頭取に就任。2012年4月には会長に就任。
松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は… 松下 勝実(まつした かつみ、1949年8月31日 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手、一塁手、外野手。 清水東高校では、エース、四番打者として1966年秋季中部大会に進むが、1回戦で愛知高に延長13回の末に敗退。翌1967年夏の甲子園県予選決勝に進出。しかし榊原良行のいた浜松商に敗退し甲子園出場を逸する。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、1968年春季リーグの早慶戦で本塁打を放ち注目される。同年秋季リーグから四番に座り打線の主軸として活躍、1969年秋季リーグで首位打者を獲得する。1971年秋季リーグでは、高校の2年後輩である山下大輔とクリーンアップを組み、萩野友康、工藤真らの好投もあって4年ぶりの優勝を飾る。
西川 惠子(にしかわ けいこ、1948年11月27日 - )… 西川 惠子(にしかわ けいこ、1948年11月27日 - )は、日本の物理化学者。専門は複雑凝縮系。千葉大学名誉教授。第1期分子科学会会長。理学博士。 1948年11月27日に静岡県沼津市で生まれた。電電公社のエンジニアであった父に、科学雑誌『科学大観』を毎月購入してもらい、それを読むうちに理系分野への関心を深めていった。静岡県立清水東高等学校を卒業後、一浪の末に東京大学理科一類に進学した。東京大学理学部化学科に進み、卒業研究および修士研究では佐佐木行美の研究室に所属した。そこで、当時同研究室の助手であった小林昭子の指導の下、単結晶X線構造解析を行い、1972年に東京大学理学部化学科を卒業し、1974年に同大学院理学研究科化学専攻の修士課程を修了した。
鈴木 敏正(すずき としまさ、1947年10月27日 - … 鈴木 敏正(すずき としまさ、1947年10月27日 - )は、日本の教育学者。北海道大学名誉教授。教育学博士(北海道大学)。農学博士(京都大学)。静岡県出身。 1966年静岡県立清水東高等学校卒業。1970年京都大学農学部卒業。1978年京都大学大学院農学研究科博士課程修了。1978年島根大学農学部助教授。1981年北海道大学教育学部助教授。1993年北海道大学にて『自己教育の論理:主体形成の時代に』で教育学博士。1996年同教育学部教授・同大学院教育学研究科教授。同教育学部長・同大学院教育学研究科長、日本社会教育学会会長を歴任。2012年北海道大学停年退官。同名誉教授。2012年札幌国際大学人文学部教授。
望月 義夫(もちづき よしお、1947年〈昭和22年〉5月2… 望月 義夫(もちづき よしお、1947年〈昭和22年〉5月2日 - 2019年〈令和元年〉12月19日)は、日本の政治家。位階は従三位。 環境大臣(第20・21代)兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、国土交通副大臣(第1次安倍内閣)、環境大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第2次森改造内閣(中央省庁再編後))、衆議院災害対策特別委員長、同国土交通委員長、衆議院議員(8期)、静岡県議会議員(2期)、清水市議会議員(4期)、自由民主党幹事長代理、同行政改革推進本部長などを歴任。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。生家は八百屋。静岡県立清水東高等学校、中央大学法学部卒業。
安間 繁樹(やすま しげき、1944年 -)は、日本の動物生… 安間 繁樹(やすま しげき、1944年 -)は、日本の動物生態学者。農学博士。世界自然保護連合種保存委員会(IUCN・SSC)ネコ専門家グループ委員。熱帯野鼠対策委員会常任委員。公益法人平岡環境科学研究所監事。日本山岳会会員。 中国・内モンゴル自治区で生まれる。清水東高校を卒業後、早稲田大学法学部に進学。その後、早稲田大学教育学部理学科生物専修課程を卒業。東京大学大学院農学系研究科に進み、哺乳動物生態学を専攻する。若いころから琉球列島に興味を持ち、大学院在籍時よりイリオモテヤマネコの研究調査をはじめ、西表島に移住。イリオモテヤマネコの直接観察という手法にこだわり、世界ではじめてイリオモテヤマネコの動画撮影に成功するなど数々の成果を挙げる。
望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2… 望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2023年6月26日)は、日本の都市計画家、多摩大学名誉教授・大学院客員教授。
杉山 隆一(すぎやま りゅういち、1941年7月4日 - )… 杉山 隆一(すぎやま りゅういち、1941年7月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手・監督、解説者。 袖師中学校時代からサッカーを始め、清水東高校時代に富山国体で優勝、一躍有名になる。1年次の1958年から3年次の1960年まで3年連続で日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権に参加するなど、国際的にも活躍した。 大学浪人中の1961年に19歳で国際Aマッチ初出場を果たし、1962年に明治大学へ進学。3年次の1964年には東京オリンピックで活躍し、日本代表をベスト8へと導いた。この活躍により南米のクラブからは20万ドルの移籍金を提示され「20万ドルの左足」と賞されたが、20万ドルという金額及び移籍の申し入れに関しては、岡野俊一郎が話題づくりのために意図的に間違った情報をリークしたとされている。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 -… 漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 清水東高校では1957年春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年の夏の甲子園に四番打者、遊撃手として出場。2回戦(初戦)で、この大会に準優勝する法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封を喫する。1年後輩のチームメートに捕手の鈴木悳夫がいた。 1958年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは後藤晃吾、八木孝両投手を擁し、1961年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。
倉田 雅年(くらた まさとし、1939年〈昭和14年〉7月1… 倉田 雅年(くらた まさとし、1939年〈昭和14年〉7月10日 - 2016年〈平成28年〉11月21日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)、総務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、財務大臣政務官(第2次小泉内閣改造内閣・第3次小泉内閣)などを歴任した。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。静岡県立清水東高等学校、東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験に合格し、1968年に弁護士開業。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で静岡4区から立候補したが、無所属の望月義夫に敗れ落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックから単独立候補し、初当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも比例単独で再選。
岩辺 晃三(岩邊 晃三、いわなべ こうぞう、1938年5月6… 岩辺 晃三(岩邊 晃三、いわなべ こうぞう、1938年5月6日 - )は、日本の会計学者。埼玉大学名誉教授、聖カタリナ大学元教授。日本商学研究学会名誉会長。 静岡県庵原郡由比町(現静岡市清水区由比)出身。「イタリア式簿記の日本伝播説」、「天海・明智光秀同一説」を唱えている。また神武天皇の詔「六合開都、八紘為宇」を新解釈して、「実協ピラミッド企業モデル」を考案し、神武天皇の実在性を追究して、神武天皇は「モーセの墓」を意識し、モーセを封印したことを明らかにしたと主張している。 世界の言語の起源は日本語にあったと結論する。一蔀は72年であることを明らかにしたと主張している。付加価値税(消費税)の直接税化を提言し、「特別会計」の成立ちを明らかにする。
岩辺 晃三(岩邊 晃三、いわなべ こうぞう、1938年5月6… 岩辺 晃三(岩邊 晃三、いわなべ こうぞう、1938年5月6日 - )は、日本の会計学者。埼玉大学名誉教授、聖カタリナ大学元教授。日本商学研究学会名誉会長。
和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13… 和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代ロシア史とソビエト連邦史および現代朝鮮。東京大学名誉教授。 1968年にキング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻の和田あき子と共に地元の大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始めた。主な著作として『ニコライ・ラッセル』『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』および『朝鮮戦争』がある。 大阪府出身、静岡県立清水東高等学校卒業。父の和田捷雄は歴史の教師で、清水東高等学校の校長代理をつとめた。東京大学文学部卒業。ドイツ語クラスの同級生に古井由吉や加藤祐三がいた。大学入学から退官まで、約50年間にわたって東京大学においてのみ過ごした。
有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009… 有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009年12月3日)は、日本の女優、声優。東京都出身。身長166cm、体重55kg。 静岡県立清水東高等学校卒業。現代演劇協会附属研究所を経て、劇団雲に入団し、深沢 英子(ふかざわ えいこ)の芸名で俳優活動をスタートする。1975年、演劇集団 円の結成に参加。有田麻里に改名し、舞台を中心にテレビドラマなどでも活躍する。2006年、夫である俳優・平野稔と共に円を退団し、LLC平野企画の創立に参加。 2009年12月3日、膵臓癌により死去。73歳没。
高田 明和(たかだ あきかず、1935年12月12日 - 2… 高田 明和(たかだ あきかず、1935年12月12日 - 2023年12月17日[要出典])は、日本の脳科学者、浜松医科大学名誉教授。 専門は血液学、生理学、大脳生理学。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。静岡県立清水東高等学校を経て、1961年慶應義塾大学医学部卒業、同大学院(生理学)修了。1966年医学博士。米国ロズエル・パーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授、2001年名誉教授。 日本生理学会、日本血液学会、日本臨床血液学会評議員。NPO法人「食と健康プロジェクト」理事長。 帝京大学名誉教授で日本肝胆膵外科学会元理事長の高田忠敬は弟。 妻の高田由美子(1937年2月17日 - 2013年5月25日)は生理学者。
江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997… 江國 滋(えくに しげる、1934年8月14日 - 1997年8月10日)は、東京出身の演芸評論家、エッセイスト、俳人。俳号は滋酔郎。 長女は小説家の江國香織。 小学校は慶應義塾幼稚舎であったが、1945年秋、東京から静岡県庵原郡蒲原町(現在の静岡市清水区)に転校して徹底的ないじめを受ける。当時の経験を後に「怨み骨髄、あのときのいじめの下手人たちの顔も名前も身体的特徴も、いまだに忘れていない」と語り、文筆家になってからも紀行文の中で当時の恨みつらみを吐露している。 静岡県立清水東高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。卒業後は新潮社に入社して、十年間『週刊新潮』の編集部にいたが、1966年に退社。
大村 喬一(おおむら きょういち、1933年 - )は、日本… 大村 喬一(おおむら きょういち、1933年 - )は、日本の外交官。在ユネスコ日本代表大使や、駐モロッコ特命全権大使、奈良大学総合研究所長などを務めた。 静岡県立清水東高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。1972年外務省中近東アフリカ局アフリカ課長。1974年在イラン日本国大使館一等書記官。1976年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1977年大蔵省国際金融局投資第三課長。 1979年外務大臣官房領事移住部外務参事官。1980年外務大臣官房外務参事官兼大臣官房領事移住部。1981年在モントリオール日本国総領事館総領事。1982年在フランス日本国大使館公使。 1983年在フランス日本国大使館公使ユネスコにおける日本政府代表大使。
竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 201… 竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 2016年4月30日)は、日本の経済学者(日本経済・中東アジア経済)、評論家、キャスター。静岡県立大学グローバル地域センターセンター長(初代)・特任教授、株式会社価値総合研究所特別顧問、株式会社静岡新聞社客員論説委員、竹内経済工房主宰、上海師範大学名誉教授。 財団法人静岡総合研究機構理事長(初代)、株式会社日本長期信用銀行専務取締役調査部部長、株式会社長銀総合研究所理事長(初代)、静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授、静岡県公立大学法人理事長(第2代)などを歴任した。 1930年、静岡県清水市(のちの静岡県静岡市)にて生まれた。旧制静岡県立清水中学校(静岡県立清水東高等学校の前身)を経て、旧制静岡高等学校(静岡大学の前身)を卒業した。
西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 202… 西田 勝(にしだ まさる、1928年11月10日 - 2021年7月31日 )は、日本の文芸評論家、平和運動家。 1928年11月10日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれる。1945年3月、県立清水中学校(現・清水東高)卒業。1947年3月、浜松工業専門学校応用化学科(現・静岡大学工学部)中退。1950年3月、旧制静岡高等学校文科甲類を卒業。1953年3月、東京大学文学部国文学科卒業、1955年3月、同大大学院(旧制)を退学。法政大学文学部非常勤講師を経て1971年4月、同学部助教授、1973年4月、教授となる。1994年3月、退職。同年4月、「西田勝・平和研究室」を設立。 1953年4月、新たな日本近代文学像を求めて小田切秀雄らと日本近代文学研究所を創立、「幻の雑誌」といわれた『驢馬』や『種蒔く人』などの散逸していた号冊を収集しての復刻版を出し、その延長として「近代文学図書館」の構想を立て、日本近代文学館の創設に尽力した。