スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
牲川 歩見(にえかわ あゆみ、1994年5月12日 - )は… 牲川 歩見(にえかわ あゆみ、1994年5月12日 - )は、静岡県浜松市南区(現:中央区)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・浦和レッズ所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 ジュビロ磐田の下部組織出身。2011年のU-17W杯メキシコ大会では日本代表として8強入りに貢献。 2012年には磐田の選手として登録され、2013年にユース出身者としては4年ぶりのトップチーム昇格を果たした。8月に、U-19日本代表のスペイン遠征に招集 されるも、そこでのトレーニング中に受傷し、全治6か月の長期離脱となる。9月、選手登録を抹消された。 U-21日本代表として仁川アジア大会2014では、4試合に出場した。
松井 宏次(まつい こうじ、1984年12月2日 - )は、… 松井 宏次(まつい こうじ、1984年12月2日 - )は、静岡県掛川市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ。NPBでは育成選手であった。 磐田農業高から東海大学へ進むが、控えに留まる。きらやか銀行に入るが、活動縮小により4ヶ月で退社。地元に戻り運転代行等の仕事に就いた。 2008年は、愛知県名古屋市に本拠地を置く社会人野球のクラブチームであるNAGOYA23でプレーした。 2009年に四国・九州アイランドリーグの長崎セインツに入団。初年度より俊足巧打の機動力を持つ内野手として定着し、長崎の前期優勝に貢献した。打率.308を記録してリーグのベストナイン(二塁手)にも選ばれている。 2009年プロ野球ドラフト会議にて、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成ドラフト1位で指名され入団。
三遊亭 楽八(さんゆうてい らくはち、1980年6月13日 … 三遊亭 楽八(さんゆうてい らくはち、1980年6月13日 - )は、静岡県磐田市出身の落語家、元舞台俳優。五代目円楽一門会所属。出囃子は『独楽』。 静岡県立磐田農業高等学校を経て、パフォーミング・アート・センター卒業。 2013年2月、六代目三遊亭円楽へ弟子入り。前座名は「楽しい」。 2016年4月1日、三遊亭愛九、三遊亭楽㐂と共に二ツ目に昇進し、「楽八」と改名。2022年9月に師匠円楽が死去した為、2023年元日に兄弟子の三遊亭楽天、弟弟子の三遊亭楽花山と共に円楽の弟弟子である初代三遊亭小圓楽門下へ移籍。 2026年9月20日より真打に昇進することが決定した。それに伴い、「伸空(しんくう)」に改名することが独演会の場にて発表された。
藤田 健(ふじた けん、1979年8月27日 - )は、静岡… 藤田 健(ふじた けん、1979年8月27日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1998年に河村崇大らと共に磐田ユースから昇格(ただしプロではなくアマチュア登録)。[要出典]わずか数ヶ月で「進路変更のため」退団。その後ブラジルへ留学、元磐田の先輩である鈴木将方の所属する浜松のフットサルクラブでのプレーを経て、2000年オフに甲府のセレクションに合格[要出典]し、プロサッカー選手となった。 た当初はサイドバックなどでプレーしていた[要出典]が、次第に倉貫一毅らと共に甲府の上位進出に貢献した。2002年から10番を着用、2010年のシーズンを最後に戦力外通告。 2011年、リーガ・インドネシアのトップ・リーグ、インドネシア・スーパーリーグのスリウィジャヤFCのテストに参加していたが、契約には至らなかった。
新田 康仁(にった やすひと、1974年3月8日- )は、日… 新田 康仁(にった やすひと、1974年3月8日- )は、日本競輪選手会・静岡支部に所属する競輪選手。静岡県磐田市出身。日本競輪学校第74期生。同期に小嶋敬二らがいる。ホームバンクは静岡競輪場。 中学から静岡県立磐田農業高等学校在学中まで陸上競技を行っていた。後に入学した競輪学校では在校競走成績第5位。デビュー戦は1994年8月14日、宇都宮競輪場で迎え、初勝利も同日。またこの開催では完全優勝も果たした。 1998年頃からGI、GIIでは常連選手となっていくが、2000年のオールスター競輪(高知)で初のGI決勝進出(9着)を果たす。2002年のふるさとダービー(防府)決勝では、優勝した齋藤登志信を鋭く追い詰め2着。
伊藤 三郎(いとう さぶろう、1915年7月18日 - 19… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1915年7月18日 - 1978年1月19日)は、日本の競泳選手。現役時代の種目は平泳ぎで、明治大学在学中に1936年ベルリンオリンピック日本代表のひとりとなり、男子200m平泳ぎ決勝で2分47秒6のタイムを出し、5位に入賞した。 静岡県磐田郡豊浜村(後の磐田市の南東部)出身。中泉農学校(後の静岡県立磐田農業高等学校の前身)から、明治大学に進んだ。 1938年に明治大学を卒業し、昭和製鋼所に入社と報じられた。 1941年、陸軍少尉となっていた伊藤は、第23軍第38師団の一員として香港島の戦いに参加した。そして、12月22日、戦闘中に銃創を負ったと報道された。 明治大学水泳部監督、日本水泳連盟常務理事、埼玉県水泳連盟副会長を歴任。
竹山 祐太郎(たけやま ゆうたろう、1901年4月25日 -… 竹山 祐太郎(たけやま ゆうたろう、1901年4月25日 - 1982年7月7日)は、昭和期の政治家。位階は正三位。元建設大臣・静岡県知事。長男は元参議院議員の竹山裕。 静岡県磐田郡見付町(現・磐田市)に、農業・竹山宗一郎の長男として生まれる。中泉農業学校(現・静岡県立磐田農業高等学校)を経て、1922年東京帝国大学農学部実科(1935年東京高等農林学校として独立、現・東京農工大学)を卒業。農商務省に入省する。農林技官として、1930年代の農山漁村経済更生運動(いわゆる“自力更生運動”)に取り組み、全国各地を回った。1941年からは東京高等農林学校教授を兼任した。 1945年農林省を退官し、全国農業会指導部長となる。
高橋郁郎(たかはし いくろう、1892年 - 1981年)は… 高橋郁郎(たかはし いくろう、1892年 - 1981年)は、日本の柑橘類の栽培における功績者。特に静岡県での「柑橘の父」といわれる。 静岡県立農学校を卒業後、国が開設した農商務省の農事試験場園芸部の見習生制度で技術を習得、のちにその後身である園芸試験場で技師として任務。静岡県柑橘試験場初代場長(1940年)。代表著作『柑橘』。「果実日本」誌の主筆・編集長。 サンボウカンの学名(Citrus sulcata hort. ex Ik. Takah.(またはhort. ex I. Takah.)は、高橋郁郎の命名による。 柑橘類の栽培において土壌改良(肥料の影響)、病虫防除や消毒法、剪定など数々の技術法を実践、検証。