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前葉 泰幸(まえば やすゆき、1962年〈昭和37年〉4月7… 前葉 泰幸(まえば やすゆき、1962年〈昭和37年〉4月7日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。三重県津市長(4期)。新型インフルエンザ等対策推進会議委員。 三重県津市宿屋町(現・東丸之内)生まれ。父は教員。津市立敬和小学校、高田中学校、三重県立津高等学校を経て、1985年に東京大学法学部卒業。同年自治省(現総務省)に入省。本省勤務の他、熊本県庁、国土庁、京都市役所、宮城県庁への出向も経験した。 宮城県総務部長を務めていた2005年、宮城県知事選挙に浅野史郎の後継指名を受けて無所属で出馬したが、自由民主党の推薦を受けた元宮城県議会議員の村井嘉浩に約5万票差で敗れ、次点で落選した。その後、デクシア銀行東京支店副支店長、地方公共団体金融機構審査室長を歴任。
荒木 真一(あらき しんいち 1962年 - )は、日本の環… 荒木 真一(あらき しんいち 1962年 - )は、日本の環境技官。原子力規制庁長官官房審議官兼内閣府大臣官房審議官を経て、内閣府政策統括官。 三重県鈴鹿市出身。三重県立津高等学校を経て、1987年名古屋大学大学院理学研究科修了、環境庁入庁。環境省環境管理局水環境部土壌環境課課長補佐、環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課適正処理・不法投棄対策室長、大阪府環境農林水産部副理事、公害等調整委員会事務局審査官、原子力規制庁長官官房放射線防護グループ原子力災害対策・核物質防護課長、原子力規制庁原子力規制部規制企画課長等を経て、2017年から原子力規制庁長官官房審議官(併)内閣府大臣官房審議官(原子力防災担当)を務め、大飯発電所と高浜発電所で日本で初めてとなる複数の原子力発電所での同時重大事故の発生を想定した原子力防災訓練を行うなどした。
乙部 辰良(おとべ たつよし、1958年4月21日 - )は… 乙部 辰良(おとべ たつよし、1958年4月21日 - )は、日本の財務官僚、弁護士。金融庁公認会計士・監査審査会事務局長や、財務省関東財務局長等を経て、SBIインシュアランスグループ代表取締役会長兼社長。 三重県津市出身。1977年 三重県立津高等学校から東京大学文科一類に入学。1981年 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。銀行局調査課に配属。1984年 パリ大学行政学研究科修了。1986年 大蔵省主計局法規課。1987年7月 徳山税務署長。1992年 大蔵省主計局調査課長補佐。1993年 大蔵省主計局主計官補佐(司法、警察係主査)。1994年 大蔵省銀行局調査課長補佐(総括)。1995年 大蔵省銀行局中小金融課長補佐(総括、第二地銀)。
宮村 智(みやむら さとる、1946年(昭和21年)11月2… 宮村 智(みやむら さとる、1946年(昭和21年)11月26日 - )は、三重県出身の元大蔵官僚。 中川雅治(参議院議員)、増原義剛(前衆議院議員)が同期入省者である。1969年入省組は次官レースのトップを走っていた杉井孝(弁護士)が不祥事で辞職したこともあり、財務事務次官が出なかった。
東畑 四郎(とうはた しろう、1908年11月6日 - 19… 東畑 四郎(とうはた しろう、1908年11月6日 - 1980年10月21日)は、日本の農林官僚。食糧庁長官、農林事務次官を務め、退官後は農政調査委員会理事長や日銀政策委員などを歴任した。農業経済学者の東畑精一は実兄。 三重県一志郡豊地村(現在の松阪市)で地主の父・東畑吉之助、母よしをの四男として生まれる。1925年に三重県立津中学校を卒業し、第八高等学校文科甲類に入学した。1928年、東京帝国大学へ入学。在学中の1930年10月に高等試験行政科に合格し、1931年大学卒業後に農林省へ入省。 終戦後には、農政課長として第一次農地改革の原案の作成にとりかかった。東畑が作成した原案では、地主が保有できる貸付地の限度を3haとしていたが、当時農林大臣であった松村謙三は完全自作農主義を持論としており、その限度を1.5haとすることを主張した。
下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年… 下津 清太郎(しもづ せいたろう、1908年 - 1996年)は、日本の歴史家、官僚。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現三重県立津高等学校)、第八高等学校卒、1931年東京帝国大学法学部卒。東京市、名古屋市で自治行政に携わる。のち京都地方裁判所司法委員。本務のかたわら西洋史を研究した。
下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月… 下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月23日 - 1949年〈昭和24年〉7月6日、(死亡日時は不詳)は、日本の鉄道官僚。運輸次官、日本国有鉄道総裁(初代)などを歴任した。 兵庫県神戸市出身。司法官であった父の英五郎は、同県有馬郡高平村木器(こうづき)(現在の三田市木器)の出身であった。転勤に従い少年時代は転校を繰り返していた。転校するたびにその都市の主要駅の時刻表を暗記して人気者になっていたという。静岡中学、津中学、三高卒業。静岡中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)でピッチャーを務めた。三高時代には稚内から[疑問点 – ノート]鹿児島まで駅名を暗唱して友人から「鉄道」というあだ名をつけられた。
生悦住 求馬(いけずみ もとめ、1900年(明治33年)4月… 生悦住 求馬(いけずみ もとめ、1900年(明治33年)4月26日 - 1993年(平成5年)12月13日 )は、日本の官僚、政治家。 1900年4月26日、三重県久居市に生まれる。1919年、三重一中から第八高等学校文科甲類入学。同級に憲法学者穂積八束の息子の穂積秀二郎がいた。1921年、東京帝国大学英法科入学。穂積八束宅に二年間下宿する。 1924年、高等文官試験に通る。大学の成績は英法科首席。卒業後、第一希望の内務省入省。辞令は「内務省属、六級俸月七十五円を給す」。警保局属。直属の上官は新聞検閲主任事務官であった唐沢俊樹。初めて検閲した本は荒畑寒村『赤露行』。九月十七日発売頒布禁止処分。 1925年、高等官任官。
池田 克(いけだ かつ、1893年5月23日 - 1977年… 池田 克(いけだ かつ、1893年5月23日 - 1977年9月4日)は、日本の司法官僚、検事、裁判官。最高裁判所判事。 静岡県出身。幕臣、郡長・池田忠一の三男として生まれる。三重一中、第一高等学校を経て、1917年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。同年8月、司法省に入り司法官試補・東京地方裁判所詰となる。 1917年7月、東京地裁予備検事に発令され、同検事、兼司法書記官・行刑局付、刑事局兼行刑局(思想部長)、大臣官房調査課長などを歴任。治安維持法などを立案し、その後、思想犯担当検事(通称・思想検事)となる。 1935年3月、大審院検事に就任。以後、東京刑事地方裁判所検事正、司法省刑事局長、名古屋控訴院(現:名古屋高等裁判所)検事長を歴任し終戦を迎える。
松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12… 松井 春生(まつい はるお、1891年(明治24年)5月12日 - 1966年(昭和41年)10月1日)は、貴族院議員などを務めた内務官僚。
大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)… 大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)11月8日 - 1940年(昭和15年)11月21日)は、日本の内務官僚。府県知事。位階および勲等は正四位・勲二等。 滋賀県犬上郡彦根町出身。旧彦根藩士・大海原尚義(近江鉄道、大日本製糖重役)の長男として生まれる。三重県第一中学校、学習院高等科を経て、1908年、東京帝国大学法科大学を卒業し大学院に進む。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1909年2月、内務省に入り香川県属となる。 以後、香川県事務官、熊本県事務官、埼玉県警察部長、千葉県警察部長、長崎県警察部長、内務省警保局事務官兼内務書記官、東京府内務部長などを歴任。 1922年10月、山梨県知事に就任。
丸山 純一(まるやま じゅんいち)は、日本の財務官僚。駐セル… 丸山 純一(まるやま じゅんいち)は、日本の財務官僚。駐セルビア特命全権大使。2021年より、ミュージック・セキュリティーズ株式会社非常勤顧問。 三重県出身。三重県立津高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業、1977年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1979年プリンストン大学留学。1981年7月 大臣官房秘書課財務官室調査主任。1983年7月 葛城税務署長。 1984年7月 理財局総務課長補佐(総合資金・産業資金)。1986年4月 在アメリカ合衆国大使館二等書記官。1987年4月 在アメリカ合衆国大使館一等書記官。1989年6月 国際金融局為替資金課長補佐。1991年6月 銀行局銀行課長補佐。