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山本 和嘉子(やまもと わかこ、1968年7月18日 ‐ )… 山本 和嘉子(やまもと わかこ、1968年7月18日 ‐ )は、日本の政治家。立憲民主党所属の元衆議院議員(1期)。 京都府京都市左京区生まれ。京都市立下鴨中学校、京都府立洛北高等学校を経て、同志社大学文学部文化学科国文学専攻を卒業後、京都信用金庫に入社。1993年5月15日には京都三大祭りの「葵祭」の第38代斎王代を務めた。その後、参議院議員の福山哲郎の公設秘書などを務めた。 2017年10月9日、立憲民主党は第48回衆議院議員総選挙の第2次公認として、選挙区候補1人と、比例単独候補15人を発表。候補者が確定した。比例北陸信越ブロックの名簿には西村智奈美(新潟1区)が重複立候補者として1位で、松平浩一が単独2位で、山本が単独3位で搭載された。
植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 20… 植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 2009年6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 参議院議員(5期)、総理府総務長官(第24代)、沖縄開発庁長官(第5代)などを歴任。 京都府生まれ。京都府立京都第一中学校を経て、第三高等学校にて学んだ。その後、東京帝国大学法学部に入学した。東京大学時代は学生運動に関わり、渡邉恒雄らとともに、共産党勢力を排除した新「新人会」の創設に加わった。またクリスチャンでもあったため、東大YMCA代表も務めた。 1950年に大学を卒業すると、日本放送協会に勤務した。その後、警視総監を経て政治家となった町村金五の秘書を務めた。 1962年、35歳の誕生日直後に京都府知事選挙に自由民主党公認で立候補するが、現職の蜷川虎三に敗れ落選。
柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月10日 - 1… 柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月10日 - 1978年4月4日)は、日本の医師、政治家。位階は従三位。日本社会党衆議院議員(8期)、舞鶴市長。 京都府舞鶴市出身。京都一中・旧制六高を経て岡山医科大学を卒業し、京都帝国大学大学院医学部で学ぶ。その後医師を開業。1947年に舞鶴市長に当選し1950年まで務める。 1952年の総選挙に左派社会党公認で京都2区から立候補し、初当選。1955年に再統一した日本社会党にも引き続き所属し、この間1966年1月に佐々木更三・勝間田清一両委員長の下で、国会対策委員長を務める。また日本体育協会でも理事を務め、東京オリンピックでも組織委員となった。 1972年の総選挙で地盤を京都府副知事だった山田芳治に譲り引退する。
鄭 島栄(チョン・ドヨン、朝鮮語: 정도영/鄭島榮、1901… 鄭 島栄(チョン・ドヨン、朝鮮語: 정도영/鄭島榮、1901年9月16日または1902年 - 1979年8月12日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家、教育者。制憲韓国国会議員。 本貫は迎日鄭氏(朝鮮語版)。初名は鄭寿容、字は華一、号は白坡。仏教徒。 慶尚北道永川郡出身。京城中東中学校を経て大邱啓聖学校中退、京都第一府立中学校卒。三・一運動参加後、新幹会の設立に参加し、永川青年会会長、全国青年総連盟メンバーを経て、日中戦争中に治安維持法違反で投獄されたが、3年間の起訴猶予により釈放された。その後は仏教に入信し、禅房で7年間修行した。光復後は米軍政庁永川郡守顧問、韓国民主党慶北道党常務委員、独促国民会永川郡支部長・中央常務委員・慶北道党部常務委員、国民会支会長を務めた。
吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8… 吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8日 - 1970年(昭和45年)9月17日)は、日本の内務官僚、政治家。山梨県知事(官選第42代、公選初代)。参議院議員(3期)、衆議院議員(1期)。号は知山。 京都府愛宕郡八瀬村(現京都市左京区)に吉江四郎の長男として生まれる。京都府立第一中学校(現京都府立洛北高等学校)のとき、教師から「スッポン」の漢字を知っているかと聞かれ、教室で自分だけが手を挙げて黒板に「すっぽん」と平仮名で書いてみなを唖然とさせ、それ以来、あだ名が「すっぽん」になった。 第三高等学校文科時代は柔道部で主将だった。1927年(昭和2年)に東京帝国大学法学部英法科を卒業。
周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 198… 周東 英雄(すとう ひでお、1898年1月27日 - 1981年8月8日)は、日本の政治家・官僚。農林大臣や自治大臣などを歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 山口県大津郡三隅村(現・長門市)生まれ。少年時代より京都で過ごし、京都一中(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校を経て、1921年、東京帝国大学法学部独法科を卒業。農商務省に入省する。後に農林大臣を務めた井野碩哉の懐刀として、農林省米穀局長、農務局長、総務局長の要職を務める。その後企画院第四部長、商工省物価局長官を経て、1942年、帝国油糧統制会社初代社長となる。 戦後の1946年、第1次吉田内閣にて内閣副書記官長に就任し、書記官長林譲治のお株を奪う八面六臂の活躍ぶりを見せ、吉田茂に引き立てられた。
小畑 敏四郎(おばた としろう、1885年(明治18年)2月… 小畑 敏四郎(おばた としろう、1885年(明治18年)2月19日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。国務大臣。栄典は、正四位・勲一等(昭和20年8月19日時点)。本籍高知県。 いわゆる皇道派の中心人物とされる。同じ陸軍士官学校16期生である岡村寧次、永田鉄山と共に陸軍三羽烏の一人とされている。妻は第24代衆議院議長元田肇の娘。その妹は第56代衆議院議長船田中の妻。 東京府麴町区上六番町で、男爵小畑美稲の四男として生まれる。兄は男爵小畑大太郎、小畑厳三郎(陸軍少将)。京都府立第一中学校、大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1904年(明治37年)に陸軍士官学校を卒業(16期優等)。
神谷 卓男(かみや たくお、明治4年12月9日〈1872年1… 神谷 卓男(かみや たくお、明治4年12月9日〈1872年1月18日〉 - 1929年〈昭和4年〉10月22日)は、明治末期から昭和初期にかけての官僚・政治家である。名古屋市助役や衆議院議員、東邦電力常務取締役を務めた。京都府出身。 神谷卓男は、明治4年12月9日(新暦:1872年1月18日)、京都府与謝郡宮津町波路(現在の宮津市)に生まれた。父・広生は旧宮津藩士で明治維新後は地方自治に尽力した人物である。宮津小学校・天橋義塾・京都中学校を経て同志社に入り、1892年(明治25年)に同志社を卒業。1894年(明治27年)からはアメリカ合衆国へと留学し、スタンフォード大学およびコロンビア大学で学んだのち1900年(明治33年)に帰国した。
李家 隆介(りのいえ たかすけ、1866年9月30日(慶応2… 李家 隆介(りのいえ たかすけ、1866年9月30日(慶応2年8月22日)- 1933年(昭和8年)7月23日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、錦鶏間祗候、下関市長。 長州藩御典医・李家隆彦の長男として京都で生まれる。京都府中学校、神田共立学校、大学予備門、第一高等中学校を経て、1890年7月、帝国大学法科大学政治科を卒業。1891年4月、内閣試補となり、同年7月、内務省に転じ内務試補となった。 以後、大分県・富山県の各参事官、岡山県・神奈川県の各書記官などを歴任。 1902年12月、富山県知事に就任。以後、石川県知事、静岡県知事、長崎県知事を歴任。1917年3月、長崎県知事を辞任し退官。同年12月15日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた。