スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岡植 純平(おかうえ じゅんぺい、2004年7月10日 - … 岡植 純平(おかうえ じゅんぺい、2004年7月10日 - )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 姫路市立広畑第二小学校時代に「キッズ広二ソフトボールクラブ」でソフトボールを始め、野球は姫路市立広畑中学校から同校の軟式野球部で始める。 高校は同市内の飾磨工業高校に進学。内野手で入学したが1年生の秋頃から投手に転向する。甲子園の出場はなく、3年生の夏は第104回全国高等学校野球選手権兵庫大会2回戦において、同年甲子園出場を果たした社高校に3対5で敗れたが、その試合で10奪三振を記録し注目を集める。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト5巡目指名され、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し、12月5日、BOSS E・ZO FUKUOKAで入団発表会見が行われた。
住所 大翔(じゅうしょ ひろと、2000年1月11日 - )… 住所 大翔(じゅうしょ ひろと、2000年1月11日 - )は、日本の競歩選手。兵庫県姫路市出身。富士通所属。兵庫県立飾磨工業高等学校、順天堂大学スポーツ健康科学部卒業。5000m競歩、10000m競歩の高校記録保持者である。 飾磨工業高校1年から競歩を始めた。高校卒業後は、順天堂大学スポーツ科学部に進学。 高校時代インターハイで2年連続入賞。3年では国体優勝、2月U20競歩大会の10km競歩でも優勝を飾り輝かしい実績を持つ。 大学進学後も、着実に力をつけると2022年7月開催の世界陸上オレゴン大会で8位入賞を果し9月には勢いそのままに、日本学生対校選手権(全日本インカレ)で学生日本一となる。
竹中 関汰(たけなか かんた、1996年9月13日 - )は… 竹中 関汰(たけなか かんた、1996年9月13日 - )は、日本のプロボクサー・YouTuber。兵庫県姫路市出身。姫路木下ボクシングジム所属。飾磨工業高校卒業。 YouTubeのじゅーちゃんねるで主にプロボクサーとしての宣伝活動を行い、ファン獲得や興行の集客に繋げる活動を行っている。 高校時代のアマチュア戦績は1勝5敗と、じゅーちゃんねるで公表している。 心身ともに強くなりたかったためにボクシングを始めた。 2015年3月29日に市川町文化センターひまわりホールで野﨑純平とフェザー級4回戦を戦い、4回2-0(39-38x2、38-38)判定勝ちでデビュー戦を白星で飾ったが、1年後の試合では2回TKO負けでプロ初黒星を喫した。
佐々木 大(ささき ひろ、1996年4月2日 - )は、日本… 佐々木 大(ささき ひろ、1996年4月2日 - )は、日本の男性総合格闘家。JAPAN TOP TEAM所属。朝倉未来のYouTubeチャンネルのメンバーとしても活動。大阪府大阪市出身。 日本人の父とフィリピン人の母との間に大阪府大阪市で生まれる。柔術青帯の部で日本1位になったことがある。 20代前半で上京し、電車でばったり朝倉未来と出会ったことをきっかけに、朝倉のYouTubeチャンネル開設と同時にチャンネルのメンバーとして加入し、出演、動画編集を担当している。 2019年9月にDEEPで総合格闘家としてプロデビュー。デビュー戦では、セコンドに就くはずであった朝倉が試合会場に現れないドッキリが行われ、朝倉の用意した結婚式ソングとウエディングドレス姿で入場。
堺 晃一(さかい こういち、1986年3月11日 - )は日… 堺 晃一(さかい こういち、1986年3月11日 - )は日本の元陸上競技選手、専門は長距離走。兵庫県加古川市出身。兵庫県立飾磨工業高等学校、駒澤大学卒業。富士通陸上競技部に所属した。 大学2年時の第82回箱根駅伝では8区を担当し区間2位の快走。4位からトップに順位を押し上げた。3年時の第83回箱根駅伝では9区区間4位の走りでチームのシード権獲得に貢献。4年時の第84回箱根駅伝では再び9区を担当。トップと15秒差の2位でタスキを受けるとハイペースで突っ込み、2.6kmで先頭の早稲田大学を捉えると8.4kmで単独先頭に立ち、鶴見中継所では1分21秒の差をつける快走で逆転優勝の立役者となった。 卒業後は富士通に入社。
小寺 昌治(こでら まさはる、1953年1月18日 - )は… 小寺 昌治(こでら まさはる、1953年1月18日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。プロ野球選手時代の姓名は藤本 昌治(ふじもと まさはる)。 飾磨工業高から山善機器を経て、1971年にドラフト外で阪急ブレーブスに投手として入団。 入団後まもなく内野手に転向し、1981年には68試合に出場し2本塁打を放つ。選手としては通算88試合に出場し26打数8安打の打率.308、2本塁打、6打点、2盗塁。1983年に現役を引退。 引退後は、ミズノを経て1987年にパシフィック・リーグ審判部に入局した。パリーグの名審判・藤本典征元審判部長(のちに審判指導員)の実弟である。
三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日 - )は、… 三村 仁司(みむら ひとし、1948年8月20日 - )は、日本の技術者。競技スポーツ用シューズの職人。 1948年、兵庫県印南郡志方町(現:加古川市)生まれ。中学時代から陸上部に所属し、陸上競技の強豪校への進学を目指す。兵庫県立飾磨工業高等学校時代には陸上部キャプテンを務め、長距離走選手としてインターハイなどに出場。練習中に感じたシューズの摩耗の早さから、丈夫で長持ちするシューズを作ることを志す。大学からの競技続行の誘いを断り、高校卒業後の1966年、オニツカ株式会社(現:アシックス)に入社。第二製造部を経て、1971年、入社当時から希望していた研究室に配属される。 1974年、別注シューズの製作を開始し、陸上競技にとどまらず、野球、サッカー、テニス、バレーボール、バスケットボール、ボクシング、モータースポーツ、近代五種など多岐にわたる競技のシューズを手がける。
井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日… 井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社。1965年にヤカ東京工場が設立されると工場長となり、1968年に取締役に就任すると松戸青年会議所の活動に加わる。1977年にヤカ常務に就任すると共に松戸青年会議所理事長。1979年には麻生太郎の後任として日本青年会議所会頭となり、オーナー経営者や二世の多いJCにあって初の高卒・サラリーマン重役出身の会頭として話題を呼んだ。 1983年にヤカ社長となるとともに第13回参議院議員通常選挙に自民党公認(名簿29位)で比例区から立候補、1986年の第14回参議院議員通常選挙でも立候補する(名簿24位)がどちらも落選に終わる。