スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高村 ゆかり(たかむら ゆかり、1964年〈昭和39年〉11… 高村 ゆかり(たかむら ゆかり、1964年〈昭和39年〉11月27日 - )は、日本の法学者。 専門は、国際法・環境法。学位は、修士(法学)(一橋大学)。東京大学未来ビジョン研究センター教授。女性初の環境省中央環境審議会会長、第25期日本学術会議副会長。 島根県安来市(旧:能義郡広瀬町)出身。大谷良雄ゼミ出身。環境大臣表彰受賞。研究分野は、地球温暖化に関する国際法・政策、環境リスクと予防原則、環境条約の遵守手続・制度など国際環境法に関する諸問題。
由木 文彦(ゆき ふみひこ、1960年〈昭和35年〉10月8… 由木 文彦(ゆき ふみひこ、1960年〈昭和35年〉10月8日 - )は、日本の建設・国土交通・復興官僚。 島根県松江市出身。島根県立松江北高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月に東京大学法学部を卒業。国家公務員採用上級甲種試験(法律)に合格し、1983年4月に建設省に入省。 2015年7月31日から国土交通省住宅局長、2017年7月7日から総合政策局長、2018年7月31日から国土交通審議官を務め、2020年7月20日に復興庁事務次官に就任し、2021年7月1日退官。 2022年(令和4年)6月28日、東日本高速道路代表取締役社長に就任。
山口 彰(やまぐち あきら、1957年3月20日 - ) は… 山口 彰(やまぐち あきら、1957年3月20日 - ) は、日本の原子力工学者。東京大学名誉教授。原子力発電環境整備機構理事長。元日本原子力学会会長。 島根県松江市出身。1975年島根県立松江北高等学校卒業。1979年東京大学工学部原子力工学科卒業。1984年東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻博士課程修了、動力炉・核燃料開発事業団入団。2005年大阪大学大学院工学研究科環境・エネルギー工学専攻教授。2015年東京大学大学院工学系研究科原子力専攻教授。2021年日本原子力学会会長。2022年総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員長。2022年東京大学名誉教授、原子力安全研究協会理事。2024年原子力発電環境整備機構理事長。
曽田 三郎(そだ さぶろう、1948年(昭和23年) - )… 曽田 三郎(そだ さぶろう、1948年(昭和23年) - )は、日本の近代中国史学者、広島大学名誉教授。 1948年、島根県松江市で生まれた。1966年、松江北高等学校を卒業し、広島大学文学部東洋史学科に入学。1971年に卒業し、同大学大学院文学研究科東洋史学専攻に進学。1976年に博士課程を単位取得後退学。 同1976年、広島大学総合科学部助手に採用された。1982年より同文学部助手。1983年、下関市立大学経済学部助教授に就いた。1990年に広島大学文学部助教授となった。1993年、学位論文『中国近代製糸業史の研究』を広島大学に提出して文学博士号を取得。1999年に教授昇格。2001年、文学研究科教授に配置換え。
長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月1… 長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月16日 - 2019年〈平成31年〉4月17日)は、日本の建築史家、建築評論家。武蔵野美術大学名誉教授。建築学会賞受賞。島根県旧八束郡玉湯村(現松江市)出身。長男は俳優の長谷川博己。 島根県八束郡玉湯村(現松江市)に生まれる。生家は玉造温泉の老舗旅館『保性館』を営んでいた(現在は経営権をホテルマネージメントインターナショナルに譲渡)。島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)卒業後上京、早稲田大学第一文学部で美術史を専攻、卒業論文でミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエらを論じ、1960年同大学卒業後、卒業論文が雑誌『国際建築』(第27巻8号・1960年8月号)に掲載され、評論活動をスタートする。
金関 丈夫(かなせき たけお、1897年2月18日 - 19… 金関 丈夫(かなせき たけお、1897年2月18日 - 1983年2月27日)は、日本の解剖学者、人類学者。 1897年、香川県仲多度郡榎井村(現:琴平町)に生まれた。幼少期を四国で過ごしたが、小学6年の時に岡山に移った。松江中学校を経て、第三高等学校に進んだ。西洋文学や日本の古典文学に関心を持っていたが、父の反対もあり文系ではなく医学部進学を目指すようになった。1919年7月に卒業し、京都帝国大学医学部解剖学科に入学。1923年7月に卒業した。 卒業後は、足立文太郎教授が率いる解剖学教室助手に採用された。足立は日本における軟部人類学の先駆け的な存在であり、その助手を務めつつ、足立の勧めにより同大学の病理学者清野謙次や文学部考古学教室の濱田耕作の指導も受けた。
恒藤 恭(つねとう きょう、1888年〈明治21年〉12月3… 恒藤 恭(つねとう きょう、1888年〈明治21年〉12月3日 - 1967年〈昭和42年〉11月2日)は、日本の法哲学者。大阪市立大学名誉教授。法学博士。従三位勲二等旭日重光章。学士院会員。 芥川龍之介の親友、戦前における日本の代表的法哲学者として著名。また、京都帝国大学法学部教授時代に滝川事件で辞任した教官の一人としても知られる。旧姓は井川。息子の恒藤敏彦は京都大学名誉教授(物理学)、恒藤武二(1919年8月31日 - 1998年4月29日)は同志社大学法学部教授(法哲学と労働法担当)。 島根県松江市に兄弟姉妹8人の第5子、次男として生まれる。父・井川精一は漢詩、兄・亮は英語を好み漢文、英語の書物が身近にある環境で育った。
加藤 繁(かとう しげる/しげし、1880年〈明治13年〉9… 加藤 繁(かとう しげる/しげし、1880年〈明治13年〉9月3日 - 1946年〈昭和21年〉3月7日)は、明治から昭和前期にかけての東洋史学者。 1880年、島根県松江にて、旧松江藩士内田家の4男として生まれた。1歳のとき、同じ元松江藩士の加藤家の養子となった。松江中学時代に三宅雪嶺の支那(中国)研究論に惹かれて東洋史を志した。国民英学会を経て、22歳で東京帝国大学史学科支那史学科選科に入学。在学中に起こった日露戦争に伴う召集による休学を挟み、1906年に25歳で卒業した。この間に内田銀蔵の日本土地経済史の研究と師である白鳥庫吉の影響を受けて、当時日本ではほとんど研究されていなかった中国経済史研究をテーマに定めた。
相見 香雨(あいみ こうう、1874年(明治7年)12月1日… 相見 香雨(あいみ こうう、1874年(明治7年)12月1日 - 1970年(昭和45年)6月28日)は、日本の美術史家、新聞記者。本名は相見繁一(はんいち)。 96歳で没するまで約60年に亘り在野で実証的研究を続け、美術史界における「在野の大立者」(田中一松)と評された。生涯に書き継いだ自筆の調査記録は42帙240冊(九州大学文学部所蔵)にのぼる。87歳で紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章した。 1874年、相見家(商家・野波屋)の長男として島根県松江魚町(現松江市魚町)に生まれた。白潟小学校(現松江市立中央小学校)、進取学館(のちの私立中学修道館)を経て、島根県尋常中学校(前身は松江中学)に進学。
野津 左馬之助(のつ さまのすけ、1867年3月4日(慶応3… 野津 左馬之助(のつ さまのすけ、1867年3月4日(慶応3年1月28日) - 1943年2月17日)は、明治 - 昭和期の日本の郷土史家。『島根県史』編纂委員。「前方後方墳」の命名者。号は「天籟」。幼名は馬之助。 島根県島根郡東持田村(現・松江市東持田町)に生まれる。11歳時に左馬之助に改名した。 1888年(明治21年)、島根県尋常師範学校を卒業後、美濃郡で尋常小学校の訓導となった。以後、島根県尋常中学校(現・島根県立松江北高等学校、1897年着任)、長野県立長野中学校(現・長野県長野高等学校、1899年着任)、島根県第三中学校(在職中に島根県杵築中学校に改称、現・島根県立大社高等学校、1904年着任)で勤務し、1910年(明治43年)に教職を退いた。
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 19… 小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。 出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックにちなんだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。 日本・東京府豊多摩郡大久保村西大久保
石川 武男 は、日本の農学者。専門は農業土木學。位階は従三位… 石川 武男 は、日本の農学者。専門は農業土木學。位階は従三位。