スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
有坂 翔太(ありさか しょうた、1983年5月31日 - )… 有坂 翔太(ありさか しょうた、1983年5月31日 - )は、日本の料理家・料理研究家である。岡山県津山市出身。フリー。岡山県勝間田高等学校・食品製造科卒業。大阪中之島辻学園調理技術専門学校・高度調理技術学科13期。身長183cm。体重72kg。 元々は食品開発のスペシャリストになる為に、料理人の登竜門と言われる大阪・辻学園調理技術専門学校・高度調理技術学科に入学する。卒業時のコンテストで、全国からエリート料理人が集まる中、フレンチ部門で「最優秀賞」を受賞。その後、大阪市内フレンチで数年修業した後、プロの料理家になるために上京。 2006年自身のmixiで始めたレシピブログが話題になり2007年自身初の料理本、『有坂翔太のLOVEごはん』(竹書房)を出版。
久光 正郎(ひさみつ まさお、1948年1月2日 - 201… 久光 正郎(ひさみつ まさお、1948年1月2日 - 2018年3月6日)は、日本の実業家。中部飼料代表取締役社長や、日本飼料工業会会長を務めたが、任期途中で退任し急逝した。 1966年、岡山県立勝間田農林高等学校(現 岡山県立勝間田高等学校)卒業。 同1966年、中部飼料入社。1998年中部飼料開発営業部長。2001年中部飼料鹿島工場長兼開発営業部長。2002年中部飼料取締役鹿島工場長。2006年中部飼料取締役岡山工場長兼水島工場長。2008年中部飼料常務取締役岡山工場長兼水島工場長。2010年中部飼料専務取締役飼料本部長兼研究技術部長。2012年中部飼料専務取締役飼料本部長兼営業推進室長。2014年中部飼料専務取締役飼料本部長。
有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・… 有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・植生研究家。 岡山県生まれ。岡山県立勝間田高校卒業後、1956年-1993年大阪営林局で国有林における森林の育成・経営計画業務などに従事。1993-2003年は近畿大学総務部総務課勤務。2003-2009年水利科学研究所客員研究員。1993年『ケヤキ林の育成法』で林業技術賞受賞。1993年『松と日本人』で毎日出版文化賞受賞。
笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日… 笠岡 喬(かさおか たかし、1925年(大正14年)7月5日 - 2011年(平成23年)4月4日)は、昭和期の政治家。衆議院議員(3期)。 岡山県出身。1953年(昭和28年)愛知大学法経学部経済学科を卒業した。 小学校教員を務め、その後、衆議院議員秘書となる。1955年(昭和30年)岡山県議会議員に選出され3期在任した。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で岡山県地方区から自由民主党公認で出馬したが次点で落選。1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙で岡山県第1区から出馬し初当選。選挙後、選挙違反で書類送検された。次の第33回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892… 大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892年(明治25年)5月4日 - 1968年(昭和43年)5月24日)は、日本の内務官僚、弁護士、政治家。衆議院議員(6期、自由民主党)。貴族院議員(勅選)、防衛庁長官(第2代)、内務大臣(第65代)。日本林業協会長、相模女子大学長。 防衛庁長官を務めた大村襄治は子。岳父は東大名誉教授本多静六。 岡山県津山市に生まれる。大村吉五郎の長男。 鹿児島高等農林学校卒業の後、1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学独法科卒業。同大学院修了。内務省に入省。土木局属。鹿児島県揖宿郡長、東京市主事、地方、復興局、内務、鉄道各事務官、内務書記官、長野、神奈川県知事となり、長野県知事を2度務め話題になった。
万代 順四郎(まんだい じゅんしろう、1883年6月25日 … 万代 順四郎(まんだい じゅんしろう、1883年6月25日 - 1959年3月28日)は、日本の実業家、明治から昭和期の銀行家である。全国銀行協会連合会元会長、三井銀行元会長、帝国銀行元頭取・会長を歴任した。 岡山県勝央町出身。作東義塾(現・岡山県立勝間田高等学校)を経て、1907年(明治40年)、青山学院高等科(現・青山学院大学)を卒業。同年、米山梅吉の誘いで三井銀行に入社し、1937年(昭和12年)に同銀行会長に就任する。1943年(昭和18年)に帝国銀行を設立して取締役頭取となる。その2年後に同銀行の会長、全国銀行協会連合会会長に就任。1953年(昭和28年)には、東京通信工業(現・ソニー)会長などを歴任。
森 一兵(もり いっぺい、1877年6月10日 - 1945… 森 一兵(もり いっぺい、1877年6月10日 - 1945年11月13日)は大正から昭和前期にかけて活動した日本のジャーナリスト、写真家、新聞経営者。 1877年(明治10年)6月、岡山県勝田郡吉野村(現在の勝央町)で新谷英太郎の長男として生まれる。父の英太郎は旧勝北郡の2代目郡長を務め、岡山県立勝間田高等学校の前身校に当たる林園書院、のち勝間田農林学校の創立者として知られる名士であった。その後、父が養子となっていた新谷家から生家の森家へ復したことに伴い、森姓となる。 東京専門学校を卒業後、博文館に入社し『太陽』の記者を務めていたが三井銀行を経て安田財閥持株会社の安田保善社に入り、安田倉庫の大阪支配人に就いた。
片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年1… 片山 潜(かたやま せん、1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。号は深甫。 美作国久米南条郡羽出木村(後の弓削町、現在の岡山県久米郡久米南町羽出木)に庄屋藪木家の次男として生まれる。幼名は菅太郎(すがたろう)。 1877年(明治10年)10月、神目村(現在の久米南町神目中)の親戚・片山幾太郎の養子となる。この養子縁組は兵役忌避が目的だったと言われている。安達清風の私塾で学んだのち、1880年(明治13年)に岡山師範学校(現在の岡山大学教育学部)に入学するが、翌1881年(明治14年)に退学して上京。