スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鹿島 美織(かしま みおり、1976年 - )は、日本の社会… 鹿島 美織(かしま みおり、1976年 - )は、日本の社会起業家。こども防災協会代表。NPOぐるぐる応援団代表。宮城県石巻市で石巻市震災伝承検討委員。 慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に入学。1999年にリクルート入社。ISIZE、リクナビやゼクシィ等での広告制作・企画・編集等を行い、独立。広告制作・マーケティングのコンサルティング等を行う。東日本大震災を契機に災害の復興支援活動に関わる。 2017年3月、主として小学生を中心としたこども向けに防災キャンプや出張事業等を行うこども防災協会を創立。
真鍋 康正(まなべ やすまさ、1976年)は、日本の実業家、… 真鍋 康正(まなべ やすまさ、1976年)は、日本の実業家、投資家。香川県を本拠とすることでんグループ代表として、高松琴平電気鉄道、ことでんバス、ことでんサービスなど、ことでんグループ各社の代表取締役を務める。 香川県高松市屋島出身。ことでんグループ代表や香川日産自動車社長を務めた真鍋康彦は父。 香川県立高松高等学校を経て、1999年一橋大学経済学部卒業。経営コンサルティング会社や投資会社などを経て、2009年高松琴平電気鉄道入社。2010年からは同社取締役を務め、2001年に経営破綻したことでんグループの再生、コトデン瓦町ビルの再建準備などにあたった。 2014年父の後任として高松琴平電気鉄道代表取締役社長に就任。
三好 啓介(みよし けいすけ、1969年9月18日 - )は… 三好 啓介(みよし けいすけ、1969年9月18日 - )は、日本の実業家。香川県出身。ジャフコグループ株式会社代表取締役社長。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校を経て、1993年上智大学法学部卒業。同年、日本合同ファイナンス(現:ジャフコ グループ)株式会社に入社。スタートアップ投資から事業立ち上げ、M&A、IPO実現等ベンチャー企業の成長戦略に携わる。2011年同社第二投資運用本部長、2013年同社執行役員投資担当、2015年同社執行役員投資担当兼投資部長、同年6月同社取締役投資担当兼投資部長、2018年取締役投資担当兼投資部長・パートナーを経て、2022年同社代表取締役社長に就任。
千田 哲也(せんだ てつや、1960年4月22日 - )は、… 千田 哲也(せんだ てつや、1960年4月22日 - )は、日本の実業家であり、かつ、郵政・総務官僚。株式会社かんぽ生命保険代表執行役社長を経て、2023年6月から日本郵便株式会社代表取締役社長兼執行役員社長。 香川県出身、香川県立高松高等学校を経て、東京大学法学部を卒業した。 1984年4月、郵政省に入省。大臣官房人事部管理課。入省同期には、元・総務審議官(郵政・通信担当)の谷脇康彦インターネットイニシアティブ代表取締役社長、元・内閣広報官の山田真貴子全国地域情報化推進協会理事長、元・内閣官房内閣審議官(内閣官房郵政民営化推進室長)の武田博之NTTドコモ副社長執行役員、情報経営イノベーション専門職大学学長の中村伊知哉などがいる。
長井 啓介 (ながい けいすけ 1957年2月11日 - )… 長井 啓介 (ながい けいすけ 1957年2月11日 - ) は、日本の実業家。四国電力代表取締役会長・前社長。電気事業連合会副会長を務める。 1975年香川県立高松高等学校卒業、1979年京都大学工学部卒業、1981年京都大学大学院修士課程修了後、四国電力入社。 執行役員、常務、副社長等を経て、2019年社長。 2024年6月に四国電力の社長職を宮本喜弘常務に譲り、同社の会長に就任した。
池田 育嗣(いけだ いくじ、1956年11月7日 - )は、… 池田 育嗣(いけだ いくじ、1956年11月7日 - )は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。香川県出身。 香川県立高松高等学校を経て、1979年に京都大学工学部を卒業し、住友ゴム工業に入社。2010年に専務に就任し、2011年3月には社長に昇格。2019年3月に会長に就任。
藤田 隆志(ふじた たかし 1954年1月14日 - )は、… 藤田 隆志(ふじた たかし 1954年1月14日 - )は、日本の実業家、自称経済自由人。株式会社ロッキーの創業者兼会長。株式会社メンター会長。香川県立高松高等学校卒。 一夫多妻制を実現させた人物として、数々のTV番組で紹介されている。 詳しくは株式会社ロッキー(企業)を参照。 起業、経営指導、各種ノウハウ提供などを行う「創業塾」と、創業資金を無利子・無担保で投資する「ベンチャー向けファンド」が主な内容である。 金融機関以外が創業資金を提供するのは珍しく、地元経済界の話題を集めた。毎月70名前後の受講生が集まり、総受講生は130名を超えた。20代から60代まで幅広い年齢の受講生が在籍していた。(2004年当時の四国新聞社・香川ニュースの記事:「ロッキー・藤田会長、若者の創業支援」)
真鍋 精志(まなべ せいじ、1953年10月21日 - )は… 真鍋 精志(まなべ せいじ、1953年10月21日 - )は、日本の実業家。西日本旅客鉄道(JR西日本)相談役。 香川県出身。香川県立高松高校を経て、1976年に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業し、日本国有鉄道に入社。最初の配属先は茨城県の常陸多賀駅(常磐線)。好きなスポーツは野球。学生時代は理論派のキャッチャーを務めた。 2005年4月に発生したJR福知山線脱線事故の際には、執行役員財務部長という立場で50日間会社に泊まり込み、遺族支援の枠組みを作り上げた。 この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岩田 喜美枝(いわた きみえ、1947年4月6日 - )は、… 岩田 喜美枝(いわた きみえ、1947年4月6日 - )は、日本の実業家、元官僚。厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を経て、資生堂代表取締役副社長、公益財団法人21世紀職業財団会長を歴任。 香川県生まれ。香川県立高松高等学校を経て、東京大学教養学部を卒業後、1971年、労働省に入省。大阪婦人少年室長を経て、1991年労政局勤労者福祉部福祉課長、1992年婦人局婦人政策課長、1994年労働大臣官房国際労働課長、1995年労働大臣官房秘書課長、1998年労働大臣官房総務審議官、2001年厚生労働省雇用均等・児童家庭局長。 2003年、厚生労働省を退官し、2003年株式会社資生堂に入社。同年常勤顧問、2004年同社取締役執行役員CSR部長、2007年取締役執行役員常務を経て、2008年に代表取締役執行役員副社長に就任。
眞部 利應(まなべ としお、1945年5月11日 - 、略字… 眞部 利應(まなべ としお、1945年5月11日 - 、略字で「真部利応」とも)は、日本の実業家。元九州電力社長、顧問であり、九州通信ネットワークの初代会長である。やらせメール事件が発覚した当時の社長であり、玄海原発の再稼働を強行に推進した。 また、 肥後銀行社外取締役でもある。 趣味はゴルフ、尺八、将棋。 香川県 三木町 井戸村生まれ。香川県立高松高等学校を経て、1968年3月京都大学工学部電気工学科卒業。
大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月… 大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月25日 - )は、日本の実業家。香川県高松市出身の名士。元カナック代表取締役会長・社長・相談役、名誉顧問、元カマタマーレ讃岐代表取締役会長、カマタマーレ讃岐後援会会長、元浜田恵造後援会会長、元玉翠会会長、元稲門会香川県支部支部長、西日本土木株式会社監査役、高松市トライアスロン協会名誉会長、盛和塾香川世話人、114あぐら会会長、香川県経営者協会会長、香川県経済同友会代表幹事、香川県ゴルフ協会会長 などを歴任した。 1960年3月(昭和35年) 高松高校卒業 (玉翠会会長) 1965年3月(昭和40年) 早稲田大学理工学部卒業 (稲門会香川県支部支部長) 1966年5月(昭和41年) 関西電業株式会社(現株式会社カナック)取締役 1988年5月(昭和63年) 株式会社カナック代表取締役社長 2007年5月(平成19年) 株式会社カナック代表取締役会長 2008年6月(平成20年) 株式会社カナック相談役 2014年6月(平成26年) 株式会社カナック名誉顧問(現任)
西岡 喬(にしおか たかし、1936年5月3日- )は、日… 西岡 喬(にしおか たかし、1936年5月3日- )は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。 東京都生まれ。小学6年のときに高松に移り住む。香川県出身。香川県立高松高校を経て、1959年に東京大学工学部航空学科を卒業した後に三菱重工業に入社した。 1992年6月に取締役に就任し、常務を経て、1998年6月に副社長に就任した。1999年6月に社長に昇格し、2003年6月から2008年6月までに会長を務め、2008年6月から相談役を務めた。 2009年から2013年までに日本郵政会長を務め、三菱自動車工業会長や東京電力監査役や日本経済団体連合会副会長なども歴任した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22… 平井 卓志(ひらい たくし、1931年〈昭和6年〉11月22日 - 2009年〈平成21年〉7月16日)は、日本の政治家、実業家。 労働大臣、参議院議員(5期)、四国新聞社社主、同取締役会長、西日本放送代表取締役社長兼最高経営責任者(CEO)などを歴任。旧姓は穴吹。 香川県高松市に生まれる。東京都立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)に入学。香川県立高松高等学校へ転校し、1950年3月、同校を卒業。 1955年、学習院大学政経学部政治学科卒業。参議院議員平井太郎の秘書となる。間もなく太郎の長女温子と結婚し、女婿となる。1958年、太郎が社長を務めていた四国新聞社に入社。1966年、同社の常務取締役に就任。
辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年… 辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年2月11日)は、香川県生まれの日本の経営者。日産自動車の社長、会長、日本自動車工業会会長、日本経済団体連合会副会長を歴任。日産リバイバルプラン以前、1990年代の経営危機において、日産自動車座間工場閉鎖を始め大規模なリストラを敢行した。 香川県高松市出身。旧制高松中学、東京大学工学部を卒業後、1954年に日産自動車入社。生産畑を歩み、1992年同社社長就任、1996年に塙義一を後継社長として会長となり、日本自動車工業会の会長や日本経済団体連合会副会長も務めた。 石原俊、久米豊ら歴代日産社長の拡大路線による失敗を受けて社長となり、1990年代にかけて経営危機に陥った日産のリストラを推し進めた。
大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 20… 大社 義規(おおこそ よしのり、1915年2月1日 - 2005年4月27日)は、日本の実業家。日本ハム創業者で元社長。香川県大川郡津田町津田(現・さぬき市)出身。 1934年、家の没落で旧制高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)を中退した。叔父経営の養豚組合に就職したのち1942年に日本ハム株式会社の前身母体となる「徳島食肉加工工場」を徳島市で設立。その後戦災による工場焼失、1951年に株式組織とし「徳島ハム株式会社」の設立を経たのち大阪市浪速区に拠点を移し、「鳥清ハム」との合併を経て1963年に日本ハムに商号を変更、ハム・ソーセージを中心とした食肉加工のトップメーカーに成長させた。この頃、取材に訪れた業界紙「日本加工食品新聞」の小菅留治編集長と知り合い、その後長きに渡って交流する。
芦原 義重(蘆原、あしはら よししげ、1901年 <明治34… 芦原 義重(蘆原、あしはら よししげ、1901年 <明治34年> 3月4日 - 2003年 <平成15年> 7月12日)は、昭和期の実業家。関西電力元社長・会長・名誉会長。位階は正三位。芦原義倫は四男。 香川県高松市出身。高松中学、旧制第六高等学校を経て、1924年3月京都帝国大学工学部電気工学科卒業。同年、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄、企業としては現・阪急阪神ホールディングス)に入社した。1942年の配電統制により関西配電へ引継採用され、工務部電務課長に就任した。1946年、同社常務取締役、1950年、同社取締役副社長。 1951年の電気事業再編成により、関西電力常務取締役に就任した。1959年に太田垣士郎の後任として取締役社長に就任し、黒部川開発を始めとした電源開発と共にいち早く原子力発電を導入した。
鈴木 義伸(すずき よしのぶ、1896年(明治29年)2月2… 鈴木 義伸(すずき よしのぶ、1896年(明治29年)2月29日 - 1947年(昭和22年)3月3日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。高松市長。 香川県高松市古馬場町で「伏石屋」鈴木幾次郎の長男として生まれる。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第三高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。東京の高田商会に勤務した。 1925年(大正14年)に帰郷し、高松市会議員に当選。その後、市会議長(1934年(昭和9年)3月から1938年(昭和13年)3月まで)、四国水力電気高松出張所長を務めた。 1942年(昭和17年)第21回衆議院議員総選挙において、翼賛政治体制協議会推薦で香川1区から立候補したが落選。
大西 虎之介(おおにし とらのすけ、1890年(明治23年)… 大西 虎之介(おおにし とらのすけ、1890年(明治23年)2月9日 - 1945年(昭和20年)2月9日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 大西行礼の長男として香川県三木郡氷上村長楽寺(現三木町長楽寺)に生まれる。高松中学校(現香川県立高松高等学校)、第一高等学校を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学法学部を卒業する。1930年(昭和5年)に家督を相続した。 1924年(大正13年)高松百十四銀行取締役に就任し、同年琴平電鉄を創立し社長となる。ついで四国水力電気取締役、屋島登山鉄道社長を経て、1943年(昭和18年)企業統合により高松琴平電気鉄道社長に就任した。
川崎舎 恒三(かわさきや つねぞう、1886年(明治19年)… 川崎舎 恒三(かわさきや つねぞう、1886年(明治19年)9月21日 - 1954年(昭和29年)9月)は、日本の実業家、技術者。 1886年(明治19年)9月21日、香川県高松市で男二人、女一人の3人兄姉の末っ子として生まれた。1899年(明治32年)4月、香川県立高松中学校(現:香川県立高松高等学校)へ入学。1904年(明治37年)、一高へ進学し、柔道部へ入って練習を積み、初段を得た。当時の一高柔道部の師範は講道館の横山作次郎であり、新井源水、山上岩次を擁して黄金時代を築いていた。一高時代には後々までの親友も得たが、中でも学生寮で同室であった勝沼精蔵(内科医、第3代名古屋大学学長)、橘本伝左衛門(京都大学農学部教授)ならびに森秀三(整形外科開業医)の3人とは終生にわたる親交が続いた。
山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(… 山下 芳太郎(やました よしたろう、1871年12月24日(明治4年11月13日) - 1923年4月7日)は、日本の実業家、言語政策研究家、外交官である。 漢字は非能率的であると考え、改良カナ文字とカナ文字タイプライターの普及をめざした。遺書も墓もカタカナで書かれている。 山下興作の長男として愛媛県に生まれた。旧制高松中学校(後の香川県立高松高等学校)、旧制松山中学校(後の愛媛県立松山東高等学校)を経て、1892年7月に東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業した。1917年(大正6年)2月に家督を相続している。 1893年(明治26年)12月から外務省につとめ、領事館書記生および領事事務代理としてボンベイで、副領事としてリヨンおよびロンドンで働いた。