スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松村 厚久(まつむら あつひさ、1967年3月29日 - )… 松村 厚久(まつむら あつひさ、1967年3月29日 - )は、日本の実業家。株式会社ダイヤモンドダイニング創業者。株式会社DDホールディングス代表取締役社長・グループCEO。高知県観光特使。 高知県出身。高知県立高知追手前高等学校、日本大学理工学部卒業。大学在籍中に、当時できたばかりのサイゼリヤで4年間アルバイトを経験した中で飲食業の面白さを体験。卒業後、日拓エンタープライズに入社。ディスコの企画・運営に携わり、非日常を学びエンターテイメントに目覚める。 1995年に独立。当初から飲食店に興味があったが、資金集めのために翌年1996年に「A&Yビューティサプライ」を設立し、都内に日焼けサロンを展開。
浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実… 浜渦 武生(はまうず たけお、1947年 - )は、日本の実業家、元議員秘書。国会議員政策担当秘書や東京都知事特別秘書を経て、東京都副知事、東京交通会館副社長、東京都参与を歴任した。自民党の保守派議員グループ青嵐会の裏方を務めたほか、石原慎太郎の側近として知られ、肝煎りで東京都副知事に就任した。 高知県安芸郡北川村出身。父親は公職追放を受けた後、奈半利町内の営林署勤務。奈半利町立奈半利小学校卒業後は父親の意向で妹と一緒に高知市へ移って下宿暮らしし、高知市立潮江中学校へ通う。江本孟紀は中学校の同級生。 高校は高知県立高知追手前高等学校へ進学。高校生時代に高知駅でコーヒー袋を見かけ、それが気になってつられるように高知港を訪れてグアテマラの貨物船に上がり込んで、同国の船会社に就職の交渉を行い、就職と移住の手続きを済ませたが、これが両親に無断のことであり、当時末期がんで入退院を繰り返していた母親から懇願されて断念、父親には大学進学の意志を伝え、関西大学文学部新聞学科へ進学。
古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27… 古谷 俊夫(ふるや としお、1926年(大正15年)5月27日 - )は、日本の教育者、実業家。一般社団法人高知県食品衛生協会会長、高知県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長、高知県能楽協会第3代会長、特定非営利活動法人板垣会初代会長、海軍高知県海洋会会長、「京大土佐吉田会」会長。勲三等瑞宝章。 自宅が旧土佐藩士・乾和正(内蔵進)邸を改築した旅館兼料亭の朝日軒であり、南隣が旧板垣退助邸であったことから、板垣邸跡に建つ高野寺の庭は、幼少期からの遊び場であった。 高知市立第三尋常小学校(のちの高知市立追手前小学校)在学中の1937年(昭和12年)4月6日、高野寺の谷信讃の発意により板垣を顕彰する「板垣会館」が同寺内に建立された際は、成績優秀(首席)であったため、小学生代表として、来賓・頭山満、板垣退助長女・片岡兵子、退助孫・宮地茂秋ら臨席のもと、祝辞を奉読している。
宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月1… 宇田 耕一(うだ こういち、1904年(明治37年)10月15日 - 1957年(昭和32年)12月30日)は、昭和期の日本の政治家、実業家。経済企画庁長官(第3-4代)、科学技術庁長官(第2-3代)、衆議院議員(3期)。旧姓は六田。 高知県出身。大阪市西区で六田橘太郎、ウタ夫妻の六男として生まれる。1917年(大正6年)土佐中学校・高等学校の創立者でもある海運業者で衆議院議員(憲政会)も務めた宇田友四郎の養子となる。幼少期は高知県香美郡岸本町の伯父の家で育ち、岸本尋常小学校から高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校(現高知大学)を経て、京都帝国大学法科に入学。1929年(昭和4年)卒業後、ヨーロッパ視察、兵役を経て、1930年(昭和5年)南満洲鉄道に入社。
浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治3… 浜田 正信(濱田 正信、はまだ まさのぶ、1903年(明治36年)6月18日 - 1969年(昭和44年)5月22日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 高知県吾川郡伊野町(現いの町)で浜田惣次、春尾の二男として生まれる。高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)、高知高等学校を経て、1931年(昭和6年)京都帝国大学法学部を卒業した。 京都市役所で勤務した後、淀川製鋼所に転じた。東京支社長、取締役支配人、専務取締役などを歴任。1957年(昭和32年)宇田耕一の死去に伴い取締役社長に就任した。その他、白洋産業取締役社長、白洋汽船取締役、南海興業取締役、高知県造船取締役会長、日本鉄鋼連盟理事、日本経営者団体連盟理事、国連協会関西本部理事などを務めた。
秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25… 秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25年〉10月22日 - 1972年〈昭和47年〉12月3日)は、大正から昭和期の水産技術者、実業家、政治家。参議院議員。 高知県長岡郡東豊永村(大豊村を経て現大豊町怒田)で、秋山紋弥、春女の長男として生まれる。1912年(明治45年)高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1915年(大正4年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業。 台湾宜蘭庁技手に任官し、1916年(大正5年)台湾総督府に転任。1920年(大正9年)長崎県に転じた。1928年(昭和3年)高知県水産課長に就任。その後、佐賀県水産課長を経て、長崎県水産試験場長となった。
野村 茂久馬(のむら もくま、1870年1月30日(明治2年… 野村 茂久馬(のむら もくま、1870年1月30日(明治2年12月28日) - 1960年(昭和35年)2月11日)は、「土佐の交通王」と呼ばれた実業家。財団法人板垣会第12代会長。坂本龍馬先生銅像建設会会長。桂浜・坂本龍馬先生銅像の建立責任者。高知城公園・板垣退助先生銅像の再建責任者。 近代交通黎明期に高知県の海運・陸運の発展に貢献し、土佐湾岸航路、バス、鉄道等多くの交通事業に携わった。現在のとさでん交通の前身会社の一つである高知県交通の前身である野村組自動車部、現・新高知重工の前身である野村組工作所の創設者である。また、私鉄高知鉄道手結-安芸線(後の土佐電気鉄道安芸線:昭和49年(1974年)の建設なども手掛けた。