スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、… 古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 高校野球の経験者である父親の影響で、武雄市立武内小学校の3年時に投手として野球を始め、武雄市立武雄北中学校在学中には、投手や三塁手として佐賀県の中学野球大会へ出場した。 佐賀県立有田工業高等学校への進学後は、1年夏からのベンチ入りを経て、2年秋からエースの座を確保。3年時の5月から6月にかけて開催された第60回NHK杯佐賀県高等学校野球大会では、決勝戦で敗れながらも、通算投球イニング40回2/3で40奪三振を記録した。夏の全国高等学校野球選手権佐賀大会では、決勝までの5試合(投球回数47イニング)通算で47三振を奪い、いずれの試合でも1点差の完投勝利を記録。
吉岡 徳仁(よしおか とくじん、1967年 - )は、日本の… 吉岡 徳仁(よしおか とくじん、1967年 - )は、日本のデザイナー、アーティスト。プロダクトから建築、現代美術において活動している。 国際的な賞を多数受賞し、作品は世界の主要美術館に永久所蔵されている2020年東京オリンピックでは聖火リレートーチのデザインを担当[11]。 1967年佐賀県生まれ。幼少時代からレオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受け、油絵などの絵画を学び、科学に興味をもつ。 1986年に桑沢デザイン研究所を卒業後、倉俣史朗と三宅一生のもとでデザインを学び、2000年に吉岡徳仁デザイン事務所を設立。 グローバル企業のデザインを数多く手がけ、ISSEY MIYAKEをはじめ、カルティエ、スワロフスキー、ルイ・ヴィトン、エルメス、TOYOTAなどと、コラボレーションをしている。
松尾 勝也(まつお かつや、1964年3月23日 - )は、… 松尾 勝也(まつお かつや、1964年3月23日 - )は、日本の陶芸家で、有田焼の伝統工芸士。長崎県波佐見町出身。日本工芸会、有田陶芸協会(監事)、佐賀県陶芸協会会員に所属。 長男として生まれる。 佐賀県立有田工業高等学校窯業科(現・セラミック科)卒業後、恩師の紹介により、有田町の窯元「走波」に就職する。7年間勤務し、成型から焼成までの工程を学ぶ。修行の後に母校、恩師から県立学校実習助手のオファーを受け、窯業の魅力を若い世代に伝えるために教師を志す。 教員採用試験合格後、佐賀県立有田工業高等学校窯業科の教師となり、教鞭を執る。教壇に立ちつつ、九州山口陶磁展(現・有田国際陶磁展)2位、日本伝統工芸展入選(12回)、宮内庁買上(4回)、などの栄に浴した。
百田 慎太郎(ももた しんたろう、1951年 - )は、日本… 百田 慎太郎(ももた しんたろう、1951年 - )は、日本の元アマチュア野球選手(投手)。 有田工業高校では、エースとして1969年夏の甲子園県予選に出場し、1回戦で龍谷高校を相手にノーヒットノーランを達成し、2回戦でも神埼農業高校を相手にノーヒットノーランを達成する。しかし、準々決勝で佐賀商業高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。 同年のドラフト会議で巨人から14位指名を受けたが、入団を拒否。 卒業後は福岡大学に進学。大学卒業後は電電東海に入社。
太田 哲三(おおた てつぞう、1950年7月15日 - )は… 太田 哲三(おおた てつぞう、1950年7月15日 - )は、陶芸家。 陶芸家・太田熊雄の三男として福岡県朝倉郡小石原村(現・東峰村)に生まれ、幼い頃から父や職人の仕事を見て育つ。1969年、佐賀県立有田工業高等学校窯業科卒業、父・熊雄に師事。1975年、小石原南の原に分家築窯。刷毛目、飛び鉋、櫛掻き、指描、打掛けなどの技法を用い、小石原焼の窯元のひとつとして作陶を行っている。 小石原焼陶器協同組合理事長を務める。 福岡県美術協会員、福岡県陶芸作家協会員、日本民芸協会員。長男の太田圭は陶芸家、次男の太田潤は吹き硝子作家。
井上 久雄(いのうえ ひさお、1947年4月30日 - )は… 井上 久雄(いのうえ ひさお、1947年4月30日 - )は、佐賀県出身のプロゴルファー。 有田工業高校卒業後はオーツタイヤに入社し、準硬式野球を続ける。25歳で岸和田CCの事務に転じたことでゴルフに魅せられ、プロを目指すため西脇CCに移り、1976年に1回目のテストで合格 。 1980年にはアジアサーキット・韓国オープンで2日目に日本勢最高の6位に着け、最終日には陳志明(中華民国)と1打差の2位タイに入り、1982年の兵庫県オープンでは金山和雄の3位に入った。 1984年には兵庫県オープンで前田新作・吉川一雄・甲斐俊光・山本洋一に次ぐと同時に友利勝良・入江勉・木村政信と並んでの6位タイ、デザントカップ北国オープンでは前田・許勝三(中華民国)・海老原清治・草壁政治に次ぐと同時に泉川ピート・鈴村照男を抑えての5位に入った。
森 正洋(もり まさひろ、1927年11月14日 - 200… 森 正洋(もり まさひろ、1927年11月14日 - 2005年11月12日)は日本の陶磁器デザイナー。 「日常の生活で使う器を考え、形を創り工場で生産することにより、多くの人々とともに共有し生活することに、デザインの喜びを感じる」というデザインポリシーにもとづき、戦後日本の生活を見つめた食器のデザインを、考え、作り続けたデザイナーである。 生涯で110を超えるGマーク選定作品がある。 1958年に森がデザインした<G型しょうゆさし>は、1960年に第1回グッドデザイン賞(Gマーク選定)を受賞、1977年にはGマークロングライフデザイン賞を受賞し、以来今日まで(2011年11月22日現在)生産販売が続くロングライフ製品である。
青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2… 青木 龍山(あおき りゅうざん、1926年8月18日 - 2008年4月23日)は、日本の陶芸家である。 佐賀県西松浦郡有田町生まれ。本名は久重(ひさしげ)。多摩美術大学日本画科卒業。染め付けや色絵の白磁の町・有田で、漆黒の天目釉を中心とした作陶で知られる異色の作家。位階は従三位。 1926年(大正15年)有田町の陶磁器製造販売会社の長男として生まれる。佐賀県西松浦郡有田町外尾山の陶磁器製造販売会社「青木兄弟商会」の長男として生まれ、外尾尋常小学校に通う。佐賀県立有田工業学校を経て、1951年(昭和26年)多摩美術大学日本画科を卒業すると同時に、神奈川県の法政大学第二高等学校および法政大学女子高等学校の美術教師となり、以後二年間勤務するが、父に呼び戻されて、祖父の興した会社に入る。
古賀 忠雄(こが ただお、1903年〈明治36年〉12月6日… 古賀 忠雄(こが ただお、1903年〈明治36年〉12月6日 - 1979年〈昭和54年〉6月10日)は、日本の彫刻家。 1903年(明治36年)、佐賀市水ヶ江に生まれる。佐賀県師範学校附属小学校(現佐賀大学文化教育学部附属小学校)高等科を卒業後、県立有田工業学校(現県立有田工業高等学校)絵画科へ入学。同校在学中に日本画家・腹巻丹丘よりその手腕を認められ、東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科塑像部本科へ入学。1929年に「仏心」で第10回帝展入選。 1939年に「岬の男」で第3回文展(現日展)特選を受賞。1943年4月、「建つ大東亜」で帝国芸術院賞受章。1945年、日展委員に就任。練馬にアトリエを構え彫刻を中心に陶器・絵画など様々な分野の作品を発表する。
中里 無庵(なかざと むあん、1895年(明治28年)4月1… 中里 無庵(なかざと むあん、1895年(明治28年)4月11日 - 1985年(昭和60年)1月5日) は、陶芸家。唐津焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)。12代中里太郎右衛門。本名は中里重雄。
江副 孫右衛門(えぞえ まごえもん、1885年(明治18年)… 江副 孫右衛門(えぞえ まごえもん、1885年(明治18年)2月6日 - 1964年(昭和39年)8月24日)は、明治期の実業家。日本特殊陶業初代社長、日本碍子社長、東洋陶器(現 TOTO)社長・会長を務めた。有田町初代町長。 佐賀県有田町上幸平の陶磁器製造業の父八蔵の長男として生まれる。祖先は佐賀藩の有田皿山代官所の役人だったと言われ、廃藩により明治時代は祖父・父ともに窯焼きを家業としていた。白川尋常高等小学校(現・有田小学校)、佐賀県立有田工業高等学校製陶科を経て、1909年に東京高等工業学校(現 東京科学大学)窯業科を卒業し、継ぐ予定だった家業が破綻したため、日本陶器に入社。 対立した飛鳥井孝太郎技師長が1910年に追放されたことで、白色硬質磁器研究体制の中心となる。