スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
エザキ ヨシタカ(1985年〈昭和60年〉 - )は、日本の… エザキ ヨシタカ(1985年〈昭和60年〉 - )は、日本の美容師、経営者、ヘアメイクアーティスト、美容教育者。株式会社grico、株式会社picture topの代表取締役を務める。東京都原宿に本店を構える美容室「grico」の創設者であり、オンラインサロン「Multiverse」やファッションブランド「grico clothing」「grico vintage」の展開など、美容業界の枠を越えた幅広い活動を行っている。 長崎県出身。江戸時代から続く老舗「江崎べっ甲店」の家系に生まれ、幼少期から人との関わりや“家族”を大切にする価値観を育む。大村美容ファッション専門学校を卒業後、23歳で独立。フリーランス時代には月商350万円を達成し、2009年に24歳で原宿に「grico」をオープン。
松尾 伸也(まつお しんや、1968年 - )は、日本の社会… 松尾 伸也(まつお しんや、1968年 - )は、日本の社会起業家。 主に日本人を世界に宣揚している団体に積極的に参加し活動している社会企業家。また、世界、特にASEANに進出又は進出しようとする企業に対し、経営コンサルティングとして、渡航後の行政とのパイプ作りや資金調達を含め、指導や助言を行っているほか、株式会社レーシーを起業し破産管財人の弁護士との共同作業により、破産者の不動産案件を中心とした破産管財物件を競売前に任意に処理し破産者を再生する事業をおこなっていた。
小久保 徳子(こくぼ のりこ、1958年6月15日 - )は… 小久保 徳子(こくぼ のりこ、1958年6月15日 - )は、ウェブ同窓会「この指とまれ!」の設立者で運営企業である株式会社ゆびとまの元経営者であり、株式会社アイシーティアイの東京ブランチ所属。長崎県西彼杵郡高島町(現・長崎市)出身。 高島町立高島小学校(現・長崎市立高島小学校)、長崎市立土井首中学校、長崎県立長崎東高等学校、千代田電算機学院卒業。卒業後、千代田コンピュータサービス株式会社(現・三菱電機インフォメーションテクノロジー)入社。1990年に有限会社ヌーベルバーグを創業、同社代表取締役。 出身高校の同窓会の案内をきっかけにインターネット上での仮想同窓会を着想、自らシステム構築をして同窓会サイト「この指とまれ!」を1996年5月に開設した。
相川 哲郎(あいかわ てつろう、1954年〈昭和29年〉4月… 相川 哲郎(あいかわ てつろう、1954年〈昭和29年〉4月17日 - )は、日本の実業家。元三菱自動車工業社長。2016年(平成28年)4月に発覚した軽自動車の燃費不正問題により、同年6月に社長を引責辞任し、同10月に退職した。 2017年年(平成29年)6月より株式会社明電舎顧問、株式会社エス・オー・シー顧問を務める。音楽を趣味とし、2024年(令和6年)にMusic Dialogue(ミュージックダイアログ)のAdvisorに就任した。 「ミニカトッポ」や「eKワゴン」など主に軽自動車の開発に携わり、世界初の量産電気自動車(EV)「i-MiEV」を開発した。2023年(令和5年)11月に「量産電気自動車開発の先駆者」として日本自動車殿堂より「殿堂入り」の表彰を受ける。
山下 雅也(やました まさや、1953年4月5日 - )は、… 山下 雅也(やました まさや、1953年4月5日 - )は、日本の実業家。元本田技研工業常務取締役。同社購買部門のトップを務め、部品調達改革を主導した。長崎県出身。慶応義塾大学経済学部卒業。 長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1977年に慶応義塾大学経済学部を卒業後、本田技研工業(ホンダ)入社。同社では主に購買部門を担当し、2002年購買本部四輪購買一部長、2003年取締役、2005年執行役員を経て、2006年熊本製作所所長に就任した。同製作所は世界各地にある同社の二輪車生産拠点を支援するマザー機能を担うようになっていたが、海外製と比べ高価な日本製の部品を高い割合で調達しており、生産コストが高まっていた。
澤山 精一郎(さわやま せいいちろう、1950年7月9日 -… 澤山 精一郎(さわやま せいいちろう、1950年7月9日 - )は、日本の実業家。澤山商会社長(1991年~)、駐長崎フランス名誉領事(1995年~2021年)。 1950年、長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1973年に慶應義塾大学工学部管理工学科を卒業後、三井物産に入社。14年間の同社勤務を経て父の病気を機に帰郷し、1988年澤山商会入社、1991年同社社長。同社は船舶代理店業を中心としていたが、澤山はそうした業種が下降気味にあると判断して、三井物産時代の人脈を生かしながら新規事業の開拓にも取り組んだ。現在は澤山グループの代表を務めている。 澤山商会は海運業を通じて明治時代からフランスとの交流を行なっていたこともあり、1995年7月に駐長崎フランス名誉領事となった(2021年1月26日まで在任)。
野上 義博(のがみ よしひろ、1949年(昭和24年)12月… 野上 義博(のがみ よしひろ、1949年(昭和24年)12月25日 - )は、日本の実業家。ダイワボウホールディングス社長。元日本紡績協会会長。 福岡県出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1973年九州大学経済学部経済学科卒業、同年に大和紡績入社。以後営業畑を歩み、2002年同社第一事業本部生活資材部長。2006年ダイワボウ情報システムに入社し、取締役、常務取締役を経て、2009年代表取締役社長に就任。同社での経営手腕を買われ、2015年ダイワボウホールディングス社長に就任した。2017年日本紡績協会会長。
江頭 敏明(えがしら としあき、1948年〈昭和23年〉11… 江頭 敏明(えがしら としあき、1948年〈昭和23年〉11月30日 - )は、日本の実業家。元三井住友海上火災保険会長・社長、MS&ADインシュアランスグループホールディングス代表取締役。長崎県長崎市出身。 1948年長崎県長崎市に生まれ、サラリーマン家庭で育つ。長崎県立長崎東高等学校に入学するが、父親の転勤のため北九州市へ引っ越し、福岡県立門司高等学校(現・福岡県立門司学園高等学校)に転入し卒業。慶應義塾大学法学部を経て、大正海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)に入社した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
樫沢 利博(かしざわ としひろ、1948年9月5日 - )は… 樫沢 利博(かしざわ としひろ、1948年9月5日 - )は、日本の銀行家、実業家。元三菱東京UFJ銀行常務取締役、兼松会長。長崎県出身。 1948年、長崎県長崎市生まれ。長崎市立長崎中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。新聞記者志望であったが、1972年東京銀行(現:三菱UFJ銀行)に入行した。入行後、ニューヨークやロンドンなど海外で勤務。後に本店勤務となり、1996年の三菱銀行との統合時には東京銀行側の事務局長を務めた。2001年執行役員、2003年常務執行役員を経て、同年常務取締役に就任。常務時代は不良債権処理等に取り組んだ。三菱UFJ証券監査役などを経て、2010年兼松専務、2011年会長。
山下 巌(やました いわお、1947年3月31日 - )は、… 山下 巌(やました いわお、1947年3月31日 - )は、日本の実業家。元ラオックス社長。中国の家電チェーン蘇寧電器への傘下入りを決め、業績が悪化していたラオックスの再建を図ったことで知られる。 熊本県生まれ。長崎市立梅香崎中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学経済学部卒業。1969年に松下電器産業へ入社するがわずか一年で退社。1970年にナカウラへ入社し宣伝部長、営業部長を歴任。1988年に取締役、1997年に常務取締役営業本部長に就任。1998年にナカウラがラオックスの傘下に入ったことを受けて、2000年ラオックス入社。広報部長、執行役員広報IR室長を経て、2007年同社代表取締役社長に就任した。
小出 寛治(こいで かんじ、1945年5月22日 - )は、… 小出 寛治(こいで かんじ、1945年5月22日 - )は、日本の実業家。NTTグループの要職を歴任した。 長崎県出身。1968年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社に入社。1997年日本電信電話取締役を経て、2002年西日本電信電話副社長、2003年NTTデータ副社長、2005年NTTリース(後にNTTファイナンス)社長に就任。2007年にイーバンク銀行との業務提携を行った。2009年、同社取締役相談役に退いた。2014年度電気通信協会賞受賞。
高田 征一(たかだ せいいち、1944年12月14日 - )… 高田 征一(たかだ せいいち、1944年12月14日 - )は、日本の実業家。ハウステンボスの開業に携わったことで知られる。2015年まで南島原市副市長を務めていた。長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て上智大学外国語学部中退。 大学中退後、オランダ製品の輸入に携わる長崎オランダ商会に入社。オランダ関係者との面識や語学力を生かして、長崎オランダ村の開園・経営に関わった。長崎オランダ商会常務取締役を経て、1992年のハウステンボス開業にも尽力。オランダの宮殿「パレス・ハウステンボス」の再現を行うべくオランダ本国との交渉を行い、ベアトリクス女王(当時)から許可を得るに至った。1999年までハウステンボス専務取締役企画本部長を務め、以後はハウステンボス商事会長などを歴任した。
玉城 邦男(たまき くにお、1944年7月2日 - )は、日… 玉城 邦男(たまき くにお、1944年7月2日 - )は、日本の実業家。四国化成工業代表取締役社長兼CEO。 長崎県長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て、1969年東京大学法学部卒業後、三井物産に入社。大阪に配属され、四国化成工業を担当。三井物産では関西支社無機化学品部長まで務め、1999年に四国化成工業入社、顧問に就任した。同社では化学品を担当し、2001年取締役常務執行役員、2004年取締役専務執行役員。2005年から2009年まで常勤監査役を務め、同社退職。2016年4月に同社顧問として復帰し、同年6月24日代表取締役社長兼CEOに就任した。
牛丸 俊三(うしまる しゅんぞう、1944年5月5日 - )… 牛丸 俊三(うしまる しゅんぞう、1944年5月5日 - )は、日本の実業家。元パナソニック代表取締役副社長。垂直立ち上げと呼ばれるマーケティング手法を生み出し、中村邦夫社長(当時)のもとで国内営業改革に取り組んだ。 1944年、長崎県長崎市に生まれる。実家近くに勤めていた越中哲也(郷土史家)とは幼少期から交流があったという。長崎市立勝山小学校、長崎大学附属中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、1968年に長崎大学経済学部卒業。十八銀行会長の宮脇雅俊とは、長崎東高・長崎大経済学部時代ともに同期である。大学の1年後輩にローソン社長などを務めた藤原謙次がいた。 1968年に松下電器産業入社。研修を終え、翌年に海外事業本部に配属となった。
稲田 直治(いなだ なおじ、1942年7月14日 - )は、… 稲田 直治(いなだ なおじ、1942年7月14日 - )は、日本の実業家。元あおみ建設社長。長崎県出身。 1942年長崎県生まれ。1967年京都大学工学部土木工学科卒業後、同年国土総合開発入社。1977年国土総合建設に入社し、取締役九州支店長、常務取締役技術本部長などを経て、2002年6月同社代表取締役社長に就任した。2008年4月、国土総合建設と佐伯建設工業の合併によって誕生した佐伯国総建設(同年7月「あおみ建設」に社名変更)の社長に就任。佐伯建設工業の大谷昭義社長が会長に就いた。収益基盤の安定化を目的として組織再編や人員削減などを進めたが、景気の冷え込みを受けて業績が悪化し、2009年2月に会社更生法の適用を申請、同年3月に社長を辞任した。
谷川 弥一(谷川 彌一、たにがわ やいち、1941年〈昭和1… 谷川 弥一(谷川 彌一、たにがわ やいち、1941年〈昭和16年〉8月12日 - )は、日本の実業家、政治家。 衆議院議員(7期)、文部科学副大臣(第2次安倍内閣)、長崎県議会議員(5期)、自由民主党長崎県支部連合会長、自由民主党総務副会長を歴任した。 長崎県南松浦郡岐宿町(現・五島市)出身。親元を離れ、五島から長崎市の長崎県立長崎東高等学校に進学し、下宿生活を送る。 1971年に株式会社谷川建設を設立。同社社長、会長を務めた。 1987年、長崎県議会議員選挙に立候補し、初当選する。以後、県議を5期17年にわたって務め、2003年に長崎県議会議長に就任。 2003年、第43回衆議院議員総選挙に、長崎3区から自由民主党公認で立候補。
光永 久之(みつなが ひさゆき、1939年8月13日 - )… 光永 久之(みつなが ひさゆき、1939年8月13日 - )は、日本の実業家。元三井木材工業社長、三井物産取締役。長崎県出身。 1939年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1962年三井物産入社。同社では主に建設資材を担当し、米国における木材取引の拠点であったシアトルに長く駐在した。同社取締役を経て、1998年三井木材工業社長。親会社である三井物産からの社長就任は23年ぶりであった。就任時には、赤字分野の人材配置転換や製造の内製化、非住宅分野の強化を進めるとしていた。2000年、収益不振のサイディング事業について業界トップのニチハに支援を求める形で業務提携を行った。さらに2001年3月、住宅・木質建材・大型木構造の3部門について三井物産に譲渡する一方、窯業系サイディングと繊維板の2部門についてニチハの完全子会社となる方針を発表した。
古野 清之(ふるの きよゆき、1939年6月2日 - )は、… 古野 清之(ふるの きよゆき、1939年6月2日 - )は、日本の実業家。元古野電気会長、社長。長崎県出身。 1939年長崎県生まれ。10人兄弟の三男で、兄の古野清孝(長男)と古野清賢(次男)は古野電気の創業者である。長崎県立長崎東高等学校を経て、1962年に甲南大学経営学部経営学科を卒業後、古野電気に入社。1985年5月取締役、1989年5月常務、1990年3月国内本部長、1991年5月専務、1995年3月舶用機器事業部長、1996年5月代表取締役専務、1997年5月副社長を経て、1999年6月社長に就任した。 就任当時、同社の売上と経常利益はいずれも下降していた。そこで、長期的なビジョン(フルノビジョン)や、その実現に必要となる企業としての価値観(フルノバリューズ)の策定に取り組み、社内の意識改革に努め、同社の業績回復を実現させた。
今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2… 今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2021年8月12日)は、日本の実業家。元北海道日本ハムファイターズ会長・社長。球団の北海道移転と道民ファンの獲得に尽力した。 長崎県長崎市出身、3人兄弟の次男として生まれる。小学1年時に長崎市への原子爆弾投下により被爆、その後長崎県立長崎東高等学校を経て、同志社大学商学部を卒業後、大学のゼミ講師に「食の仕事はこれから伸びる、食肉関係は必ず伸びる」とアドバイスされたことをきっかけに食肉業者を志し、1961年に徳島ハム(現在の日本ハム)入社。同社では営業畑を歩み1967年に姫路営業所長、1971年神戸営業所長、1977年量販部長、1988年九州販売部長、営業本部参与を経て、1997年常勤監査役。
永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 201… 永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 2017年7月21日)は、日本の実業家。元安川電機会長、安川情報システム(現:YE DIGITAL)社長。長崎県長崎市出身。 1937年長崎県生まれ。1959年長崎大学経済学部卒業後、安川電機製作所(現:安川電機)に入社。取締役企画部長などを経て、1989年安川情報システム社長、1994年常務、1995年専務、1996年副社長。1999年3月期に経常赤字となるなど業績が悪化したことを受け、橋本伸一社長の下で中期経営計画を進め、産業用電気機器をはじめとした不採算部門からの撤退やロボット事業など得意とする事業分野の強化を行なった。2000年に会長就任。
大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11… 大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11月 - )は、日本の実業家。元新日鉄化学社長、新日本製鉄常務取締役。長崎県出身。 1935年(昭和10年)長崎県生まれ。1959年(昭和34年)一橋大学経済学部卒業後、八幡製鉄に入社。以後営業畑を歩み、八幡製鉄所生産業務部長・本社自動車鋼板販売部長などを経て、1989年(平成元年)6月、八幡製鉄所副所長。当時の好況に浮かれる所内の引き締めを図った。1991年(平成3年)堺製鉄所所長、1993年(平成5年)新日本製鉄常務取締役、1995年(平成7年)新日鉄化学副社長を経て、1997年(平成9年)同社社長に就任。新日鉄化学は当時、1994年(平成6年)の為替差損問題で経営危機に陥っており、副社長時代から一貫して経営再建に取り組んだ。
井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、… 井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、日本の実業家。元不二越会長・社長。長崎県出身。 1935年(昭和10年)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1957年に長崎大学経済学部を卒業し、同年不二越入社。取締役、常務取締役、代表取締役専務などを経て、1998年2月社長に就任した。事業部門の再編や同業他社との業務提携を進めたほか、不二越の創業70年を記念してコーポレートマークの改定を行なった。また、第二次世界大戦中に強制労働を強いられたとして元女子勤労挺身隊員の3名が雇用企業である不二越に損害賠償と謝罪を求めていた「不二越訴訟」について、第一審・第二審ともに不二越側の全面勝訴であったにもかかわらず、2000年7月に最高裁での和解に踏み切った。
金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は… 金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は、日本の実業家。テレビ長崎会長、元社長。父は農林水産大臣を務めた金子岩三、弟は長崎県知事を務め現参議院議員の金子原二郎。 1935年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1959年に慶応義塾大学法学部卒業後、金子商店に入社。1970年専務、1975年金子漁業(金子商店から社名変更)副社長を経て、1984年社長に就任。父は金子漁業グループ創業者で元農林水産大臣の金子岩三であり、実弟の金子原二郎が政界を、自身が財界を引き継ぐという分業体制を成立させた。1986年には父・岩三が設立に携わったテレビ長崎社長に就任。以後26年にわたって務め2012年同社会長となり、2020年4月一身上の都合で退任した。
村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 20… 村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 2019年11月14日)は、日本の実業家。野母商船グループ会長。旅客船業界に係る各種団体の会長・委員等を務め、海運事業振興に努めた。 1933年長崎県生まれ。祖父は野母商船創業者の村木清三郎、父は日本旅客船協会の設立に関わり、同協会会長を務めた村木信一郎。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業後、野母商船に入社。1964年専務を経て、1991年社長。2006年から2011年まで日本旅客船協会会長を務め、高速道路無料化に反対するなど業界の意見を発信した。また、離島を多く抱える長崎県における海上交通の振興にも努め、島民らを対象として運賃を割引する制度を打ち出すなどした。
山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )… 山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )は、日本の実業家。元富士機工会長・社長。富士機工の東証一部上場に尽力した。東京都出身。横浜国立大学経済学部卒業。 1931年東京都生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1954年に横浜国立大学経済学部卒業後、富士紡績入社。1983年同社大阪営業部長、1984年企画管理部長、1986年取締役企画管理部長を経て、1990年6月に富士機工常務取締役となり、1991年6月同社社長に就任。在任中の1996年9月に富士機工は東証一部指定を受けた。1998年6月に同社会長に就任し、1999年6月まで務めた。
松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は… 松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は、日本の実業家。元西華産業社長。長崎県出身。 1931年長崎県生まれ。1954年早稲田大学理工学部卒業後、西華産業に入社。ドイツ・デュッセルドルフの現地法人に駐在時、元宇部興産専務執行役員の浅野正之(浅野茂隆・東京大学名誉教授の兄)らと交流があった。同社取締役、常務取締役、副社長を経て、1994年社長に就任。在任中は取引における急速な情報システム化が進んでいたことを受けて、1997年に情報通信委員会を発足させ、イントラネット構築を推進した。こうした取り組みなどもあって西華産業は売上高を伸ばし、東京商工リサーチが行った調査によると、九州・沖縄に本社がある企業の売上高ランキングにおいて9位にランクインし、前年比伸び率は39.6%となった(1997年度)。
松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は… 松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は、日本の実業家。元島原鉄道社長。雲仙普賢岳の噴火に伴う土石流により一部区間が寸断された島原鉄道の再建に尽力した。 1931年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1954年に長崎県入庁。県通商貿易課勤務を経て、香港やバンコクで貿易促進駐在員を務めた。その後長崎県議会事務局長、労働部長、企画部長を歴任し、1989年に長崎空港ビルディング常務取締役に就任。同社専務取締役を経て、1993年島原鉄道社長に就いた。 島原鉄道は当時、1991年を中心に起きた雲仙普賢岳の噴火災害により、島原外港駅-深江駅間が不通となっていた。
猪山 英徳(いやま ひでのり)は、日本の実業家。元東洋酸素社… 猪山 英徳(いやま ひでのり)は、日本の実業家。元東洋酸素社長、大陽東洋酸素副社長。東洋酸素と大陽酸素の合併を決めた。 長崎県出身。1957年に九州大学法学部卒業後、三菱信託銀行入行。1985年同行取締役丸の内支店長を経て、1987年4月に東洋酸素入社。同年6月常務取締役、1989年6月専務取締役を経て、1992年1月社長に就任した。1994年、競争力の強化を目的として同じ三菱グループに属する大陽酸素と合併することを発表、1995年4月1日付で発足した新会社・大陽東洋酸素の副社長に就任した。
金森 廣(かなもり ひろし)は、日本の実業家。元サウディ石油… 金森 廣(かなもり ひろし)は、日本の実業家。元サウディ石油化学社長、韓国三菱商事社長。長崎県出身。 長崎県立長崎東高等学校を経て、九州大学工学部応用化学科に進学。同期には竹下道夫(宇部興産社長)がいる。1973年に同大学を卒業後、三菱商事入社。同社では化学畑を歩み、1998年にサウジ基礎産業公社とサウディ石油化学の合弁会社であるSHARQに出向、2000年本店ポリエステル原料ユニットマネージャー、2002年台湾三菱商事副総経理、2004年韓国三菱商事社長、2006年本店理事化学品グループCEOオフィス室長を歴任した。2010年にサウディ石油化学常務となり、2011年3月同社社長に就任。中東協力センター理事も務めた。
渕木 幹雄(ふちき みきお)は、日本の実業家。元マンパワー・… 渕木 幹雄(ふちき みきお)は、日本の実業家。元マンパワー・ジャパン(現・マンパワーグループ)社長。長崎県長崎市出身。 長崎県立長崎東高等学校を経て、1971年に東京経済大学経営学部卒業後、マンパワー・ジャパン入社。各地の支店長、エリアマネージャーを務め、顧客拡大に取り組んだ。営業本部長、専務取締役、取締役副社長などを経て、2007年代表取締役社長に就任。同社は前年に設立40周年を迎えており、営業強化策の一環として派遣拠点の拡充を進めたほか、全国的にテレビコマーシャルを展開した。また、売り上げ至上主義ではなく、顧客と派遣スタッフのマッチング精度を向上させ顧客満足度を高める方針を示した。こうした取り組みの結果、同社としては初めて売上1000億円を達成した。