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相川 武利(あいかわ たけとし、1960年〈昭和35年〉 -… 相川 武利(あいかわ たけとし、1960年〈昭和35年〉 - )は、日本の政治家、実業家。長崎県南島原市長就任予定者。 長崎県南高来郡西有家町(現・南島原市)生まれ。長崎県立島原高等学校、京都大学法学部卒業。国際協力銀行に入行し、空機・船舶課長、ブラジル首席代表を務める。2009年よりブラジル石油公社を経て、2011年、IHIグローバル戦略本部ブラジルプロジェクト部長。2016年6月、大島造船所取締役。2017年11月、ダイゾー代表取締役。 2020年8月には早崎潮流発電推進研究会を設立し、南島原市内の有志らと潮流発電の事業化に取り組む。2022年、ダイゾー社長を退任し帰郷。2023年より島原半島観光連盟会長を務める。
古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31… 古川 隆三郎(ふるかわ りゅうざぶろう、1956年〈昭和31年〉6月30日 - )は、日本の政治家。長崎県島原市長(4期)。長崎県市長会会長。 元島原市議会議員。 長崎県島原市出身。島原市立第三小学校、島原市立第二中学校、長崎県立島原高等学校、福岡工業大学卒業。 2003年(平成15年)5月25日執行の島原市議会選挙に無所属で出馬。新人であるにもかかわらず、トップ当選を果たす。2007年(平成19年)5月27日執行の同市議選において2期目の当選。 2008年(平成20年)11月30日執行の島原市長選挙に無所属で出馬。新人で元長崎県職員の横田修一郎に僅差で敗れる。得票数は、横田:14,551票、古川:13,343票。
中村 法道(なかむら ほうどう、1950年11月29日 - … 中村 法道(なかむら ほうどう、1950年11月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。長崎県知事(公選第17・18・19代)を歴任。名前の本来の読みは「のりみち」。 長崎県南高来郡有家町(現:南島原市有家町)の一本釣り漁師の家に生まれる。長崎県立島原高等学校、長崎大学経済学部卒業。1973年、長崎県庁に入庁。最初の配属先である税務課の上司に二井関成(第42・43・44・45代山口県知事)がいた。その後国際課長、日蘭交流400周年記念事業推進室長、秘書課長、対馬支庁(現:対馬振興局)長、農林部長、総務部長等を歴任し、2009年4月に長崎県副知事に就任した。 2009年11月4日、金子原二郎長崎県知事が2010年2月に行われる長崎県知事選挙に出馬しない意向を表明。
横田 修一郎(よこた しゅういちろう、1946年〈昭和21年… 横田 修一郎(よこた しゅういちろう、1946年〈昭和21年〉12月9日 - )は、日本の政治家。元長崎県島原市長(1期)。 長崎県島原市中安徳町に生まれる。島原市立第五小学校、島原市立第三中学校、長崎県立島原高等学校を経て、1969年中央大学法学部卒。同年、長崎県庁に入る。商工労働部長、地域振興部長、教育長などを歴任し、2008年に退職。同年の島原市長選挙に立候補し、元島原市議の古川隆三郎を破って当選。市長時代には職員・組織の役割や責任の明確化を図るため、部制・グループ制を導入したほか、管理職を対象に各自の職務目標を設定する新たな人事評価制度をスタートさせた。また、閉庁日である土・日曜日の午前中に市民向け窓口を開設した。
加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、… 加藤 寛治(かとう かんじ、1946年4月24日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、農林水産副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、農林水産大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、自民党長崎県連会長、長崎県議会議員(8期)、同議長などを歴任した。 長崎県島原市出身。父親の加藤清則は株式会社三青の創業者で、長崎県議会議員を務めた。長崎県立島原高等学校、日本大学理工学部をそれぞれ卒業する。 1982年に長崎県議会議員に初当選して以降8期務め、県議会議長、県連幹事長などを歴任した。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で長崎2区から立候補する。久間章生の元秘書で雲仙市長の奥村慎太郎が無所属で立候補して保守分裂選挙となるも、奥村や民主党の川越孝洋らを破り加藤は初当選する。
中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3… 中村 利次(なかむら としつぐ、1917年(大正6年)3月3日 - 1980年(昭和55年)9月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。位階は従四位、勲等は勲二等。 長崎県南高来郡南有馬町(現南島原市)で、船員の家の4人兄姉の末子として生まれた。1934年(昭和9年)長崎県立島原中学校卒業。 1938年に上京し、京王電気軌道入社。1942年、太平洋戦争の勃発にともなう配電統制令により、電力供給事業を関東配電(いわゆる国策会社)に譲渡したため会社を移る。徴兵され大村連隊に入隊し、日中戦争に従軍し戦傷を受けて日本に帰還し、広島の陸軍病院に入院した。 戦後、労働運動に加わり、1946年(昭和21年)電産都支部変電分会組織部長に就任。
田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日 -… 田口 長治郎(たぐち ちょうじろう、1893年6月10日 - 1979年5月4日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員(7期)。 長崎県島原市に生まれる。長崎県立島原中学校を経て、農林省水産講習所(後に東京水産大学を経て現東京海洋大学)本科卒業。長崎県、山形、滋賀、茨城各県の水産試験場勤務。1937年農林省水産局に入る。1941年、華中水産株式会社に転職し、取締役副社長となる。戦後は長崎で共和水産株式会社を設立して社長になる。また、日本遠洋底引網漁業協会理事長、長崎県水産振興対策本部副本部長、県漁港協会会長に就任した。 1949年の第24回衆議院議員総選挙長崎1区に民主自由党から出馬し、初当選。