スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の… 堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役副会長、製粉協会会長などを務めた。 熊本県出身。父は警察官。玉名市立伊倉小学校、玉名市立玉南中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、九州大学経済学部に進学。大学では野球部に所属し九州六大学野球連盟で活躍した。1964年大学を卒業し日本製粉に入社。神戸工場配属。 日本製粉企画部副部長、小山工場長、人事部長を経て、1998年取締役人事部長に昇格。2001年常務取締役企画部長兼調査部長兼業務統括室長。2002年から代表取締役社長兼COOを務め、グローバル化を進めた。2005年製粉協会会長。2006年日本製粉取締役副会長。
佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018… 佃 亮二(つくだ りょうじ、1931年5月7日 - 2018年11月15日)は、熊本県出身の日本銀行理事、福岡銀行頭取などを務めた銀行家、実業家。 旧満洲生まれ。父は南満洲鉄道の駅長。敗戦でソ連兵の強奪に遭い、日本に引き揚げる際は栄養失調に陥るほどの苦難を経験した。引揚者として父の実家の熊本県玉名市に移り住み、熊本県立玉名高等学校から東京大学法学部に進む。1955年日本銀行入行、新潟、名古屋の支店長、営業局長、理事を務めた。新潟支店長時代の部下が拉致被害者横田めぐみの父横田滋。営業局長時代は三重野康の腹心として、高目放置を主導した。 1989年福岡銀行副頭取に転じ、1991年頭取就任。1996年有価証券を売却し黒字化することもできたが、不良債権を一括処理し福銀市場初の赤字を計上した。
村田 勉(むらた つとむ、1909年6月3日 - 2000年… 村田 勉(むらた つとむ、1909年6月3日 - 2000年1月30日)は、日本の軍人(技術士官)、技術者、実業家。軍における最終階級は大日本帝国海軍技術少佐。 火薬の専門家として知られ、海軍では艦砲の火薬や固体燃料ロケットの研究をおこない、戦後は日本油脂に勤務し、糸川英夫のペンシルロケットに推進剤を提供した。のちに日本油脂の社長・会長を務める。 熊本県に生まれる。旧制玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)から第一高等学校を経て東京帝国大学に進む。旧制中学校時代に読んだ三上於菟吉の小説『春は蘇れり(地獄の彼方の天国)』に影響を受け、火薬に興味を持つ。東京帝国大学工学部卒業後、海軍技術士官となる。
高木 作太(たかぎ さくた、1894年9月19日 - 196… 高木 作太(たかぎ さくた、1894年9月19日 - 1966年1月31日)は日本の実業家。 現在の熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名中学校(1913年卒業)を経て、[要出典]1917年に神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業した。 1917年、三菱合資会社に入社して炭鉱部に所属し、翌年三菱鉱業が設立されると移籍した。1950年に社長に就任する。武甲セメントでも社長を務めた。 社外では日本石炭協会会長のほか、経済団体連合会や日本経営者団体連盟(いずれも日本経済団体連合会の前身)の理事などを歴任した。
曾布川 征夫(そふかわ ゆきお)は、日本の実業家。大日本帝国… 曾布川 征夫(そふかわ ゆきお)は、日本の実業家。大日本帝国陸軍の司政官も務めた。 熊本県立玉名中学校(1913年卒業)、第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。東京帝大時代には剣道部に所属した。 日本郵船に入社して1927年から上海支店に勤務した。その後ニューヨーク支店長代理、シンガポール支店長、門司支店長、監査役を歴任する。監査役を退任後に、日本郵船興行の社長となった。また、太平洋戦争中には陸軍司政官も務めた。