スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
福岡 政章(ふくおか まさあき、1984年7月12日 - )… 福岡 政章(ふくおか まさあき、1984年7月12日 - )は、日本の柔道家。熊本県出身。階級は66kg級。身長167cm。得意技は背負投。綜合警備保障を経て、現在は東海大学付属高輪台高等学校・中等部の監督。 柔道は5歳の時に始めた。鎮西高校2年の時にインターハイ60kg級で3位となった。東海大学に進学後は学生チャンピオンになるなど活躍した。社会人になってからは、2007年の体重別決勝でミキハウスの野村忠宏に敗れるが2位に入った。さらに、2009年、2010年と2年続けて同学年のライバルである了徳寺学園の平岡拓晃に決勝で敗れるものの、2位になった。一方、国際大会ではグランドスラム・東京で優勝を飾るなど一定の活躍を示した。
山部 伸敏(やまべ のぶとし、1969年4月4日 - )は、… 山部 伸敏(やまべ のぶとし、1969年4月4日 - )は、熊本県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級。身長167cm。 柔道は小学校1年の時に始めた。一の宮中学3年の時に全国中学校柔道大会55kg級で3位になった。 鎮西高校から鹿屋体育大学へ進むと、1年の時には正力杯66kg級で3位に入った。2年の時には正力杯で3位だったが、正力国際では決勝まで進むもソ連のグラム・モデバーゼに敗れて2位だった。3年の時には正力国際の決勝で筑波大学3年の大幡悦雄に判定で敗れるも、団体戦では優勝した。4年の時には正力国際の個人戦で3位だったが、団体戦では再び優勝を飾った。 1992年に鹿屋体育大学の大学院へ進むと、体重別では3年連続3位になった。
岩田 久和(いわた ひさかず、1949年12月17日 - 2… 岩田 久和(いわた ひさかず、1949年12月17日 - 2017年9月22日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 現役時代は主に軽重量級・無差別級で活躍し、世界選手権大会3位や全日本選手権大会準優勝といった成績を残した。また、娘の岩田千絵も全日本の強化指定選手として、全日本実業個人選手権大会や講道館杯で活躍していた。 熊本県熊本市にて三兄弟の長男として生まれる。市立藤園中学校時代に白石礼介に師事し、鎮西高校では牛島辰熊直系の弟子である船山辰幸の薫陶を受けた。3年生の時にはインターハイ団体戦で優勝。岩田は高校時代も幼少時より慣れ親しんだ背負投に拘り、これを重量級の選手相手にも使えるようにと腰を鍛えるために、重量級の練習相手を2人重ねて担ぎ上げるという激しい練習を日課にしていたという。
木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10… 木村 政彦(きむら まさひこ、1917年〈大正6年〉9月10日 - 1993年〈平成5年〉4月18日)は、日本の柔道家・プロレスラー。段位は講道館柔道七段。鬼の木村の異名を持つ。 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、後々にも史上最強の柔道家と称されることが多い。身長170 cm、体重85 kgと小兵ながら、トレーニングにより鍛え抜かれた強靭な肉体、爆発的な瞬発力、得意技である切れ味鋭い大外刈りのスピードとパワー、高専柔道で身につけた寝技技術、またこれらを支える一日10時間を越える練習量と柔道に命を賭す強靭な精神力を武器に15年間不敗を成し遂げた。
牛島 辰熊(うしじま たつくま、1904年(明治37年)3月… 牛島 辰熊(うしじま たつくま、1904年(明治37年)3月10日 - 1985年(昭和60年)5月26日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士。 明治神宮大会3連覇、昭和天覧試合準優勝。その圧倒的な強さと気の荒さから「鬼の牛島」と称された。柔道史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪であった。 熊本県熊本市の製油業者の家に生まれる。元々は剣道を修行していたが、15歳の時に長兄の影響で肥後柔術三道場の一つ、扱心流江口道場に入門した。熊本では講道館柔道よりも、まだ古流柔術の方が盛んであった。 この肥後柔術三道場の対抗戦は、判定勝利はなく「参った」のみで勝負を決するもので、時には腰に短い木刀を差して試合をやり、投げて組み伏せ、最後は木刀で相手の首を掻き斬る動作をして一本勝ちとなるルールでも戦った。
吉永 浩二(よしなが こうじ)は熊本県出身の日本の柔道家。中… 吉永 浩二(よしなが こうじ)は熊本県出身の日本の柔道家。中量級の選手。 鎮西高校1年の時には早くもインターハイ団体戦で優勝を飾った。2年と3年の時は3位だった。また、3年の時は個人戦の重量級で3位に入った。 明治大学へ進学すると、1年の時から団体戦のレギュラーで活躍して優勝大会では2位になった。2年の時には新人体重別の重量級決勝で天理大学の奥田元則を破って優勝すると、優勝大会でも優勝を果たした。全日本学生選手権には中量級で出場するが、決勝で高校時代からのライバルだった明治大学では1学年下となる原吉実(吉永とは同じ年だが、浪人したために学年は1つ下となった)に合技で敗れた。3年の時には優勝大会で2連覇すると、体重別の中量級で3位になった。
秋本 勝則(あきもと かつのり)は熊本県牛深市出身の柔道選手… 秋本 勝則(あきもと かつのり)は熊本県牛深市出身の柔道選手である。1975年世界柔道選手権大会の軽中量級で銅メダル、1978年の嘉納治五郎杯東京国際柔道大会で優勝している。 牛深市立牛深中学校卒業後、柔道の名門である鎮西高等学校、拓殖大学に進学、当時の拓殖大学柔道部監督は木村政彦。現役時代の階級は軽中量級(65kg級)。現在は熊本県宇城市(旧下益城郡松橋町)で秋本整骨院を経営している。 バロン吉元作「現代柔侠伝」の主人公柳勘一のモデルといわれており、柔道の強さに反して人情味溢れる物腰の柔らかい人柄で、慕う大学の後輩も多い。 長男の秋本修平(鎮西高校・中央大学出身、元了徳寺学園職)は1999年インターハイ73kg級2位・全日本ジュニア柔道体重別選手権大会1999年73kg級優勝・2000年66kg級2位、次男の秋本啓之(桐蔭学園高等学校/筑波大学出身、了徳寺学園職)は2007年のフランス国際柔道優勝、2010年世界柔道選手権大会で金メダルを獲得し史上初の親子メダリストとなった。