スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山崎 延吉(やまざき のぶきち、1873年(明治6年)6月2… 山崎 延吉(やまざき のぶきち、1873年(明治6年)6月26日 - 1954年(昭和29年)7月19日)は、日本の農政家・教育者。衆議院議員(1期)、貴族院勅選議員。愛知県立農林学校初代校長。帝国農会幹事。安城市一帯が「日本デンマーク」と呼ばれるほどの農業先進地になったのは、農業改善に力を尽くした山崎の力が大きい。我農生との雅号をもつ。 石川県金沢区(現・金沢市長町1丁目14番地)に生まれる。父親は農業改革指導者二宮尊徳の弟子だった。1894年(明治27年)、第四高等学校卒業。1897年(明治30年)、東京帝国大学農科大学農芸化学科卒業。福島県蚕業学校の教諭に採用される。1899年(明治32年) 5月、大阪府立農学校の教諭に転ずる。
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桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年〈明治6年〉5月2… 桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年〈明治6年〉5月20日 - 1941年〈昭和16年〉9月10日)は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は桐生 政次(きりゅう まさじ)。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論(広い意味でのファシズム批判)をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。 金沢市にて、貧しい旧加賀藩士の三男として生まれる。旧制第四高等学校では小学校以来の同級生徳田秋声と親交を深め、1892年(明治25年)には小説家を志して共に退学・上京するなどもあったが失敗し帰郷、1895年(明治28年)にあらためて東京法科大学政治学科(現在の東大法学部)に入学、穂積八束、一木喜徳郎に学ぶ。
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中川 友次郎(なかがわ ともじろう、1873年(明治6年)4… 中川 友次郎(なかがわ ともじろう、1873年(明治6年)4月 - 1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の内務・農商務官僚。群馬県知事(官選第20代)、台湾総督府財務局長、特許局長官。旧姓・井関。 現在の石川県金沢市出身。井関好直の弟として生まれ、金沢電気瓦斯社長の中川長吉の婿養子となる。第四高等学校を卒業。1897年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し県治局属となる。 以後、内務省書記官、同参事官、高知県書記官、農商務省参事官、同山林局長、法制局参事官などを歴任。1910年9月、台湾総督府財務局長に就任。 1917年9月、群馬県知事に転任。
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香川 保忠(かがわ やすただ、明治5年3月8日(1872年4… 香川 保忠(かがわ やすただ、明治5年3月8日(1872年4月15日) - 昭和15年(1940年)4月13日)は、日本の衆議院議員(憲政会)、医師。 富山県中新川郡西加積村(現在の滑川市)出身。1894年(明治27年)に第四高等学校医学部を卒業後、東京帝国大学医科大学選科で学んだ。新潟県の小出病院で副院長を務めた後、帰郷して開業した。中新川郡医師会長、同衛生会副会長、富山県医師会長を歴任。さらに西加積村会議員、富山県会議員、同参事会員、同副議長に選ばれた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、立山鉄道専務取締役、立山製紙株式会社取締役、加積水力電気株式会社取締役、大岩電気株式会社監査役、滑川銀行監査役などを務めた。
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戸田 海市(とだ かいいち、1871年6月25日(明治4年5… 戸田 海市(とだ かいいち、1871年6月25日(明治4年5月8日) - 1924年(大正13年)3月5日)は、日本の経済学者。法学博士。京都帝国大学教授。臨時国民経済調査会委員。専門は経済学、工業経済。族籍は広島県平民。 広島県豊田郡豊田村生まれ。戸田嘉吉の三男。1892年、私立専修学校理財学科を卒業。青森県有余学館にて経済学、英語等を教授。1897年、東京帝国大学法科大学選科を卒業。第四高等学校教授を経て1901年、京都帝国大学講師。1906年、同教授。河上肇を同大学に招く一方、関一(東京高等商業学校教授)を大阪市助役に推す。商業経済学、工業経済学を担当し、社会政策も講義。社会政策学会の有力会員であった。
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深町 錬太郎(ふかまち れんたろう、1871年3月17日(明… 深町 錬太郎(ふかまち れんたろう、1871年3月17日(明治4年1月27日)- 1918年(大正7年)9月25日)は、明治後期から大正前期の逓信官僚、内務官僚。官選愛媛県知事。 加賀国金沢下高儀町で加賀藩士深町鉄五郎の長男として生まれる。第四高等学校を首席で卒業。1896年(明治29年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。逓信省に入省し通信局属となる。同年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1897年(明治30年)逓信事務官となる。以後、通信事務官、鹿児島郵便電信局・大阪郵便電信局・札幌郵便電信局の各勤務を歴任。1899年(明治32年)内務省に転じ、愛知県事務官、茨城県事務官、栃木県事務官、新潟県事務官・内務部長を務めた。
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倉知 鉄吉(くらち てつきち、明治3年12月3日(1871年… 倉知 鉄吉(くらち てつきち、明治3年12月3日(1871年1月23日) - 昭和19年(1944年)12月22日)は、日本の外務官僚。貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。実業家。 加賀藩士倉知行徳の長男として生まれる。第四高等学校を経て、1894年(明治27年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。内務属となったが、1897年(明治30年)に外務省参事官に転じ、ドイツ公使館書記官、統監府書記官などを歴任した。1908年(明治41年)、外務省政務局長に就任し、1912年(明治45年)には外務次官に昇進した。政務局長・次官在任中に日清協約、日露協約、韓国併合、条約改正などに関わった。 1913年(大正2年)に退官するとともに、貴族院勅選議員(2月13日)、錦鶏間祗候(2月14日)に任じられた。
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武笠 三(むかさ さん、1871年 - 1929年)は、日本… 武笠 三(むかさ さん、1871年 - 1929年)は、日本の国文学者。族籍は埼玉県士族。孫に北海道大学名誉教授の武笠 幸一がいる。 現在の埼玉県さいたま市緑区出身。氷川女体神社の旧神主家・武笠家に生まれる。埼玉県士族・武笠幸息の長男。 東京帝国大学を卒業後、第四高等学校 (旧制)、埼玉県第一中学(現:埼玉県立浦和高等学校)、第七高等学校造士館 (旧制)で教鞭をとった。 1908年、文部省からの要請を受け、その後17年間にわたり国定教科書の編纂および尋常小学唱歌の作詞に取り組んだ。武笠三の作詞と言われているものには「案山子」「雪」「池の鯉」「日の丸の旗」などがあるが、編纂官だったために名を伏せ、作詞作曲不詳とされているものもある[要出典]。
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得能 文(とくのう ぶん、1866年10月5日(慶応2年8月… 得能 文(とくのう ぶん、1866年10月5日(慶応2年8月27日) - 1945年(昭和20年)2月8日)は、日本の哲学者。 越中国(現富山県)生まれ。1892年東京大学文科大学哲学科選科修了。第四高等学校、東洋大学、日本大学、東京帝国大学講師、東京高等師範学校教授。1927年定年。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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下平 用彩(しもだいら ようさい、文久3年5月16日(186… 下平 用彩(しもだいら ようさい、文久3年5月16日(1863年7月1日) - 大正13年(1924年)2月23日)は、三重県出身の医師、第四高等学校、金沢医学専門学校、金沢医科大学の教授。 紀伊国紀州藩阪本村(現在の三重県南牟婁郡御浜町)に新宮藩に仕える漢方医の父「秀作」、母「きん」の長男として生まれる。明治9年(1877年)に三重県立医学校(現在の三重県立大学)に入学し、明治22年(1889年)10月に帝国大学医科大学を卒業、同年11月に同大学の助手となり第二医院外科部に勤務。明治23年(1890年)12月23日に医術開業免状を授与され、明治24年(1891年)5月15日に山梨県病院(現在の山梨県立中央病院)の第6代院長となり、明治26年(1893年)11月3日に山梨医会会長に就任、明治30年(1897年)9月に山梨県病院院長を辞し、同年10月11日に第四高等学校医学部教授に任ぜられた。
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杉本 新平(すぎもと しんぺい)は日本の倫理学者。元富山大学… 杉本 新平(すぎもと しんぺい)は日本の倫理学者。元富山大学教養部長・教授。勲等は勲三等旭日中綬章。学位は文学士。称号は富山大学名誉教授。 富山県生まれ。家系は清和源氏足利氏の一門で室町時代初期の越中国の守護大名 桃井氏の一族 杉本氏の末裔という。杉本は石川県金沢市にある第四高等学校を卒業後、京都帝国大学文学部哲学科に進学し、昭和21年(1946年)、京都帝国大学文学部哲学科を卒業。同年11月より、金沢工業専門学校講師、同23年(1948年)5月より富山薬学専門学校講師に転じた後、同26年より富山大学文理学部講師となる。当初、英語担当の講師として教壇に立ち、それよりやや遅れて哲学研究室の所属となった。
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ハインリヒ・ヴィルヘルム・ヘルベルト・ヴォールファールト(H… ハインリヒ・ヴィルヘルム・ヘルベルト・ヴォールファールト(Heinrich Wilhelm Herbert Wohlfarth)は、ドイツ海軍の軍人。第二次世界大戦で活躍したUボートの指揮官のひとり。 1915年6月、日本の石川県金沢市に生まれる。父は金沢の第四高等学校(現・金沢大学)でドイツ語を教授していたエルンスト・ヴォールファールト(Ernst Wohlfarth, 1873年 - 1956年)。父のエルンストは1902年から1921年まで約20年間にわたって四高に勤務し、小田切良太郎とともに和独辞典『新訳註解和独辞典』(1912年刊)を編纂している。この辞書は日本初の本格的な和独辞典と評され、好評とともに広く普及した辞典であった。
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