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西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年〈明治44年〉2月… 西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年〈明治44年〉2月1日 - 1997年〈平成9年〉10月15日)は、日本の郵政官僚、政治家。参議院議員(4期)。国務大臣総理府総務長官兼沖縄開発庁長官。 鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身。亀吉の二男。第六高等学校を経て、1936年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格し逓信省に入省。中野郵便局属。 戦後は郵政省に移り、資材局調整課長、大臣官房文書課長、大臣官房資材部長、大阪郵政局長などを経て、1960年5月に簡易保険局長。1961年6月に郵務局長。1962年5月15日には郵政事務次官に就任した。1964年6月に退官。 1965年7月、第7回参議院議員通常選挙の全国区に自由民主党から出馬し初当選。
岡田 修一(おかだ しゅういち、1907年5月27日 - 1… 岡田 修一(おかだ しゅういち、1907年5月27日 - 1971年11月29日)は、日本の政治家・実業家。衆議院議員(1期、自由民主党)。 東京都出身。1927年第六高等学校 (旧制)文科甲類卒業。1930年東京帝国大学法学部政治学科卒。逓信省に入り、姫路郵便局長、朝鮮総督府逓信局海事課長、逓信省竿船局沿岸課海務員、運航部港運、第一輸送各課長、大東亜省南方事務局交通産業課長、企画院書記官、運輸省海運総局総務企画課長、神戸海運局(現神戸運輸監理部)管理部長、同局長、運輸省海運局長などを歴任する。 1956年の第4回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補したが落選した。1960年の第29回衆議院議員総選挙において兵庫3区から自由民主党公認で立候補して当選した。
帆足 計(ほあし けい、1905年9月27日 - 1989年… 帆足 計(ほあし けい、1905年9月27日 - 1989年2月3日)は、日本の商工官僚、政治家。衆議院議員(7期)。参議院議員(1期)。 大分県日田市で生まれる。旧制第六高等学校、二度落第。1931年東京帝国大学経済学部卒。在学中は新人会で学生運動に身を投じた。 朝日新聞社出身のソ連スパイ尾崎秀実、風見章、勝間田清一、穂積七郎らと共に近衛文麿の最高政治幕僚組織「昭和研究会」に所属した。商工省の革新官僚であり、第二次世界大戦中に重要産業統制協議会事務局長就任、統制経済を推進し、大日本帝国の国民経済を自由主義的市場経済から全体主義的計画経済へ移行させる経済新体制の確立を画策した。 昭和研究会には帆足ら革新官僚と尾崎ら転向左翼ら所謂「国体の衣を着けたる共産主義者」(近衛上奏文)が結集しており、彼らはマルクス主義に依拠して戦争を利用する上からの国内革新政策の理論的裏付けを行い、国家総動員法の発動を推進し、近衛新体制生みの親として大政翼賛会創設の推進力となった。
坊 秀男(ぼう ひでお、1904年〈明治37年〉6月25日 … 坊 秀男(ぼう ひでお、1904年〈明治37年〉6月25日 - 1990年〈平成2年〉8月8日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)。財政政策に詳しく衆議院大蔵委員会理事、大蔵政務次官(第1次岸改造内閣)、自由民主党税制調査会長、厚生大臣(第44代)、大蔵大臣(第81代)などを歴任。 和歌山県伊都郡出身。旧制第六高等学校を経て、1930年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、都新聞、東京日日新聞記者を経て、大政翼賛会財務部副部長を務める。東日の大蔵省詰め記者時代に福田赳夫と知り合い、肝胆相照らす仲となる。1942年旧和歌山1区より翼賛政治体制協議会推薦で第21回衆議院議員総選挙に出馬するも落選する。
岡田 五郎(おかだ ごろう、1901年(明治34年)8月25… 岡田 五郎(おかだ ごろう、1901年(明治34年)8月25日 – 1965年(昭和40年)9月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。衆議院議員(3期)。 兵庫県加東郡小野町長尾で岡田常次の三男として生まれる。第六高等学校を経て、1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、鉄道省に入省し鉄道属に任官し札幌駅貨物係に配属された。 以後、鉄道局参事、鉄道大臣官房人事課長、同秘書課長、鉄道監、札幌鉄道局長、大阪鉄道局長などを歴任し、1947年に退官した。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙で兵庫県第三区に民主自由党から出馬し当選。以後、第26回総選挙まで連続して当選し、衆議院議員を連続三期務めた。
柏原 義則(かしはら よしのり、1900年(明治33年)2月… 柏原 義則(かしはら よしのり、1900年(明治33年)2月25日 - 1971年(昭和46年)4月30日)は、日本の政治家、宗教家。衆議院議員(3期)。位階は正五位。 徳島市幟町に生まれる。徳島県立徳島中学校、第六高等学校卒業後、京都帝国大学文学部社会学科へ進学し卒業。 大学卒業後は天理教が中心となって設置した奈良県の天理中学校に奉職し校長まで務め、後に徳島に戻り天理教徳島教区長・天理教名東大教会長を歴任した。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙で当選し、1952年(昭和27年)まで3期を務めた。1949年(昭和24年)には第3次吉田内閣で文部政務次官を務めた。 1970年(昭和45年)、春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 198… 黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 1986年10月21日)は、日本の農民運動家、政治家、弁護士。1948年結成の労働者農民党の初代主席。元衆議院議員。 岡山県津高郡金川村(のち御津郡金川村→金川町→御津町、現・岡山市北区)出身。第六高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。在学中に新人会で活動し、学生連合会を結成、委員長となる。法曹資格を得て後は自由法曹団で労働運動・農民運動を支援。労農党、労農派に参加した。1929年(昭和4年)には東京無産党を結成して書記長に就任、翌年に全国大衆党に合流した。 1936年(昭和11年)に行われた第19回衆議院議員総選挙に岡山県第1区から全国農民組合の支援を受けて出馬。
日高 忠男(ひだか ただお、1896年(明治29年)1月6日… 日高 忠男(ひだか ただお、1896年(明治29年)1月6日 - 1974年(昭和49年)5月31日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員(当選1回)、医学博士。 島根県邑智郡、後の出羽村(瑞穂町を経て現邑南町)で生まれる。旧制島根県立杵築中学校、旧制第六高等学校を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学医学部を卒業。その後、同大学院で研修し、1929年(昭和4年)医学博士を取得した。興仁会病院(浜田市)勤務、浜病院(新宮市)勤務を経て、1931年(昭和6年)松江市で日高医院を開業した。 1947年(昭和22年)島根県医師会長に就任。1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙に島根県全県区から自由党から立候補して3位で当選。
金 俊淵(キム・ジュニョン、朝鮮語: 김준연、1895年3月… 金 俊淵(キム・ジュニョン、朝鮮語: 김준연、1895年3月14日 - 1971年12月31日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、ジャーナリスト、政治家。第4代法務部長官、第8代無任所長官、制憲・第3・4・5・6代韓国国会議員を歴任した。韓国建国後はさまざまな野党の幹部を務めた。 本貫は金海金氏。号は朗山。画家の金子玉は長女、女医の金子香(朝鮮語版)は次女。元全南大学校医科大学長の曺圭瓚(朝鮮語版)は長女の夫、法曹の金洪燮(朝鮮語版)は三女の夫。 全羅南道霊岩郡出身。9人きょうだいの長男である。霊岩普通学校卒、京城公立高等普通学校卒、岡山第六高等学校卒、1920年または1921年東京帝国大学(現・東京大学)法学部独法科卒。
岡野 清豪(岡野淸豪、おかの きよひで/せいごう、1890年… 岡野 清豪(岡野淸豪、おかの きよひで/せいごう、1890年1月1日 – 1981年5月14日)は、昭和期の政治家、銀行家。第2代三和銀行頭取(1945年〜1947年)。数次にわたる吉田茂政権において、地方自治庁長官(第3代)、行政管理庁長官(第5代)、文部大臣(第68・69代)、通商産業大臣(第8代)、経済審議庁長官(第6代)に起用された。 岡山県賀陽郡上足代村(現岡山市北区)に生まれる。第六高等学校を経て、1915年、東京帝国大学法学部を卒業し、日本銀行に入行する。総裁秘書役、神戸支店長を経て、1937年三和銀行に転じ常務取締役となる。1941年副頭取、1945年頭取に就任。戦後の1946年、GHQによって三和は財閥銀行として公職追放A項指定を受けるが、岡野は「三和は一般大衆を基盤とする “ピープルズ・バンク”である」との主張の下、GHQや政府当局者との交渉を粘り強く進め、程なくして指定は解除された。
中島 弥団次(中島 彌團次、なかじま やだんじ、1886年〈… 中島 弥団次(中島 彌團次、なかじま やだんじ、1886年〈明治19年〉6月13日 - 1962年〈昭和37年〉12月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚、実業家。衆議院議員。 高知県安芸郡野根村(現東洋町野根)で、海運業・中島弥平次、也久夫妻の長男として生まれる。野根尋常高等小学校、江陽学舎、高知県立中学海南学校を経て、1908年7月、第六高等学校文科甲類を卒業。上京して濱口雄幸の書生となる。1909年9月、東京帝国大学法科大学政治学科に入学し、1912年7月に卒業。 1912年7月、大蔵省雇となり、1913年11月8日、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し青森県属となる。1915年1月、大蔵省へ転じ専売局書記に任じられ高崎専売支局勤務となる。
柿原 政一郎(かきはら せいいちろう、1883年(明治16年… 柿原 政一郎(かきはら せいいちろう、1883年(明治16年)5月25日 - 1962年(昭和37年)1月14日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。宮崎市長。高鍋町長。 宮崎県児湯郡高鍋村(現在の高鍋町)出身。1904年(明治37年)に第六高等学校を卒業した後、東京帝国大学文科大学哲学科で学んだ。1907年(明治40年)に倉敷紡績に入社し、大原孫三郎の秘書となる。高鍋製糸株式会社社長、中国民報社理事、大原社会問題研究所評議員・出版部主任などを務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その後は中国民報社社長や広島臨港土地株式会社取締役などを務めたが、1935年(昭和10年)には宮崎市長に選出された。
米津 政賢(よねきつ まさただ、1883年(明治16年)3月… 米津 政賢(よねきつ まさただ、1883年(明治16年)3月8日 - 1941年(昭和16年)8月19日)は、明治から昭和期の技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員。位階および勲等は正三位・勲二等。 旧長瀞藩主・米津政敏の長男として生まれる。父の死去に伴い、1895年(明治28年)11月22日、子爵を襲爵した。 学習院中等科、第六高等学校を経て、1908年(明治28年)7月、東京帝国大学農科大学を卒業。同年、農商務省嘱託となる。以後、農商務省種畜牧場嘱託、農林省嘱託、同畜産試験場嘱託、畜産博覧会審査官、第2回神奈川県有畜農業経営共進会審査長などを務めた。 1915年(大正4年)6月12日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、死去するまで5期在任した。
加計 正文(かけ まさふみ、1881年〈明治14年〉2月2日… 加計 正文(かけ まさふみ、1881年〈明治14年〉2月2日 - 1969年〈昭和44年〉)は、日本の政治家、実業家、地主、広島県多額納税者。広島県山県郡加計町長。加計銀行頭取。加計隅屋22代当主。 広島県山県郡加計町(現安芸太田町)出身。加計八右衛門の長男。1898年、あるいは1906年、第六高等学校一部甲類を卒業。東京帝国大学文科に修学。夏目漱石の講義を熱心に聴講していたが、1905年時点で家業を継ぐため帝大を中退している。1917年、正式に家督を相続した。 加計銀行頭取、加計町長2期、郡教育会長、1913年以来広島地方森林会議員、県山林会理事、県産業調査会委員等に選ばれ、加計銀行が芸備銀行と合併後芸備銀行加計支店長、山林会副会頭。