岩崎欣二(いわさき きんじ、1940年12月22日 - 20… 岩崎欣二(いわさき きんじ、1940年12月22日 - 2006年6月28日)は、日本の無線通信技術の技術者、実業家。 大阪府大阪市出身。1963年東京大学工学部を卒業し、KDDに入社し、同年の日米初のテレビ衛星中継に関わった。1986年には通信分野の研究開発に対して与えられる前島密賞を受賞、同時受賞者には同じくKDDの村谷拓郎がいた。KDDI副社長・IP事業統括本部長兼研究開発本部管掌を務めた。 2006年6月28日に脳腫瘍のため死去した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2… 松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2020年5月6日)は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長・顧問を歴任した。 1940年(昭和15年)12月22日、愛媛県松山市生まれ。1965年(昭和40年)、法政大学経済学部を卒業し、小田急電鉄入社。 2005年(平成17年)6月、小田急グループによる有価証券報告書虚偽記載問題の責任をとって引責辞任した。文化シヤッター、西松建設、ビックカメラの社外監査役を務めた。 2020年 (令和2年) 5月6日午前3時、虚血性心不全のため自宅で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
池田 元久(いけだ もとひさ、1940年〈昭和15年〉12月… 池田 元久(いけだ もとひさ、1940年〈昭和15年〉12月20日 - 2024年〈令和6年〉1月22日)は、日本の政治家。位階は従三位。衆議院議員を6期務めた。経済産業副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、財務副大臣(菅直人内閣)、衆議院懲罰委員長・外務委員長・厚生労働委員長を務めた。 神奈川県立湘南高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業。1964年、NHKに入局。 1990年、NHKを退職し、第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で立候補し、中選挙区時代の旧神奈川4区より初当選。しかし1993年の第40回衆議院議員総選挙では新党ブームに乗る新生党や日本新党、新党さきがけの躍進の煽りを受けて社会党は惨敗し、池田も落選した。
辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 198… 辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 1989年4月25日)は、福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年12月20日 - )… 野口 悠紀雄(のぐち ゆきお、1940年12月20日 - )は、日本の元官僚、経済学者。専門は、日本経済論、ファイナンス理論。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学教授を経て、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。
酒井 泰弘(さかい やすひろ、1940年12月19日 - )… 酒井 泰弘(さかい やすひろ、1940年12月19日 - )は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授、滋賀大学名誉教授。経済学博士(ロチェスター大学)。 大阪府大阪市出身。大阪府立住吉高等学校を経て、1963年神戸大学経済学部卒業。1965年神戸大学大学院経済学研究科修士課程修了。1970年にロチェスター大学大学院経済学研究科修士課程を修了し、ピッツバーグ大学経済学部の助教授となる。1972年ロチェスター大学大学院経済学研究科博士課程修了。広島大学政経学部助教授、筑波大学社会科学系教授等を経て、2002年より滋賀大学経済学部教授。退官後も同大学や龍谷大学で教鞭を執る。専門は理論経済学、経済政策、リスク研究。
平野 次郎(ひらの じろう、1940年(昭和15年)12月1… 平野 次郎(ひらの じろう、1940年(昭和15年)12月19日 - )は、日本のジャーナリスト、学者である。日本放送協会(NHK)解説委員、記者を経て、学習院女子大学特別専任教授。
木村 清孝 (きむら きよたか、1940年12月19日 - … 木村 清孝 (きむら きよたか、1940年12月19日 - )は、日本の仏教学者・僧侶。専攻は、華厳思想を基にした東アジア仏教研究。学位は、文学博士(東京大学・1975年)。東京大学名誉教授。曹洞宗龍宝寺(函館市)前住職、総持学園常務理事、鶴見大学仏教文化研究所特別顧問。東大寺華厳学研究所長、仏教伝道協会会長。 熊本県天草生まれ、幼少時に北海道函館へ移住。1963年東京教育大学文学部倫理学科卒、1971年東京大学大学院博士課程満期退学。1975年「初期華厳思想の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。1979年四天王寺女子大学教授、1983年東京大学文学部助教授、1988年教授。2001年定年退任し名誉教授。
古市 泰宏(ふるいち やすひろ、1940年12月18日 - … 古市 泰宏(ふるいち やすひろ、1940年12月18日 - 2022年10月8日)は、日本の分子生物学者。学位は、薬学博士(東京大学・1970年)。新潟薬科大学客員教授。mRNAの研究で知られる科学者。 日本統治時代の朝鮮・城津(現在の朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道金策市)に生まれる。日本が降伏すると、祖父の出身地である富山市に引き揚げる。 1959年富山県立富山中部高等学校卒業、1963年富山大学薬学部卒業、1969年に東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了、薬学博士号取得。同年から国立遺伝学研究所に在籍。 1974年アメリカ合衆国ニュージャージー州のロシュ分子生物学研究所に留学。 1975年、mRNAに「キャップ」という構造を発見した。
榊原 伊三(さかきばら いぞう、1940年(昭和15年)12… 榊原 伊三(さかきばら いぞう、1940年(昭和15年)12月18日 - 2024年(令和6年)5月29日)は、日本の政治家。元愛知県半田市長(2期)。 愛知県半田市に生まれる。幼い頃から海に憧れ、世界一周航海をすることを夢見ていたという。半田市立成岩中学校卒業。1959年(昭和34年)、愛知県立半田高等学校卒業。同年、愛知大学法経学部経済学科入学。大学時代はヨット部に在籍した。1963年(昭和38年)に卒業し、半田市役所に入庁。 1969年(昭和44年)、市役所を退職。新美春光、高須洪吉、石垣洋一らと共に外洋ヨット「白雲」を製作し、2年1ヶ月にわたる世界一周航海に出帆した。 1971年(昭和46年)、市役所に再入庁。
黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月1… 黒田 直樹(くろだ なおき、1940年(昭和15年)12月18日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。元国際石油開発帝石株式会社会長・社長。 通産省入省同期(1963年度)には、牧野力(通産事務次官)、秋山收(内閣法制局長官)、高島章(特許庁長官)、麻生渡(特許庁長官、福岡県知事)、長田英機(中小企業庁長官)、川口融(福岡通産局長、川口順子の夫)、川原壮介(大臣官房審議官)、関野弘幹(三洋電機専務執行役員、経済企画庁物価局審議官)、西川禎一(日本航空機開発協会副理事長、中小企業庁次長)、小野榮一(三菱化学DRM社長、日本航空宇宙工業会専務理事)、山下弘文(日伯紙パルプ資源開発常勤監査役)、窪川功(ジェトロバンコック所長、東武百貨店専務)などがいる。
井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は… 井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は、日本の詩人。 福岡市生まれ。生家は船会社を営む。4歳より松江市に帰住。島根県立松江工業高等学校造船科卒。十代より俳句と詩を投稿。文通で丸山辰美、岡田隆彦を知る。1959年『現代詩手帖』で木原孝一の「現代日本新人詩選」に選ばれ、国井克彦、辻征夫を知り、『銛』結成に参加。1962年『見捨てたもの』刊行。高校卒業後は造船所勤務ののち多くの職を転々とする。20代後半には香港を放浪し、帰国後結婚、日中学院で中国語を学ぶ。30代より建築の設備設計に従事、後に会社自営。40代は個人誌『樽』を刊行。1989年頃より小沢信男の余白句会に加わる。2001年『そして、船は行く』で第2回山本健吉文学賞受賞。
仲谷 昌也(なかたに まさや、1940年12月18日 - )… 仲谷 昌也(なかたに まさや、1940年12月18日 - )は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。兵庫県出身。 1963年に関西学院大学法学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社した。1997年に取締役に就任し、1999年に常務を経て、2002年6月から2004年6月までにサンテレビジョン社長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
藤本 哲也(ふじもと てつや、1940年〈昭和15年〉12月… 藤本 哲也(ふじもと てつや、1940年〈昭和15年〉12月18日 - )は、日本の法学者・弁護士。専門は、犯罪学・刑事政策・被害者学。Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校・1975年)。中央大学名誉教授。元常磐大学大学院教授。 現在、日本刑事政策研究会理事、法務省・性犯罪者処遇プログラム研究会構成員、法務省矯正研修所講師、財団法人矯正協会評議員、全国少年警察ボランティア協会顧問、日本更生保護協会理事、日本被害者学会理事、特定非営利活動法人全国就労支援事業者機構理事、内閣府少年非行事例等調査研究企画分析会議委員長、社会福祉士試験委員、最高検察庁参与。また、2000年まで司法試験考査委員を務めた。
山口 信也(やまぐち しんや、1940年(昭和15年)12月… 山口 信也(やまぐち しんや、1940年(昭和15年)12月17日 - 2022年(令和4年)9月29日)は、日本の政治家。元福島県喜多方市長(2期)、元熱塩加納村長(2期)。 福島県熱塩加納村(現喜多方市)出身。福島県立喜多方高等学校、日本大学経済学部経済学科卒業。1962年(昭和37年)4月、福島県庁に入庁。1998年(平成10年)に熱塩加納村長に就任し、以降同村長を2期務める。その後、2006年(平成18年)1月4日、熱塩加納村は旧喜多方市および耶麻郡塩川町・山都町・高郷村と合併し、新喜多方市の合併特例区の一つとなる。 2010年(平成22年)1月24日執行の喜多方市長選挙に無所属で出馬。
三島 ゆり子(みしま ゆりこ、本名;木内 三枝子<きう… 三島 ゆり子(みしま ゆりこ、本名;木内 三枝子<きうち みえこ>、1940年12月17日 - )は、日本の女優・タレント。神奈川県横浜市生まれ。学校法人総持学園鶴見女子高等学校中退。MC企画所属。血液型はO型。
山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月1… 山田 耕嗣(やまだ こうじ、1940年〈昭和15年〉12月17日 - 2008年〈平成20年〉8月19日)は、日本の放送評論家。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)生まれ。立教大学文学部 でロシア語を学び、在学中の1960年からNHK国際局でアルバイトを開始した。大学卒業後の1963年にキングレコードに就職。洋楽部ディレクターを務めたが、後にワーナー・パイオニアに移籍する。 1955年頃からBCL(海外の短波放送を受信する趣味)を開始し、1964年5月に「アンデスの声」(HCJB)が日本語放送を開始した際には、日本から最初の受信報告書を送った。1970年代から1980年代にかけてのBCLブームの時期には、ディレクターとしての仕事の傍ら、月刊「ラジオの製作」(電波新聞社)などにBCL関連の記事を連載し、さらに『BCLマニュアル』(1976・1980年、電波新聞社)、『入門BCLブック』(1977-1981年、82年版は『BCLデータブック』。
高山 俊吉(たかやま しゅんきち、1940年12月16日 -… 高山 俊吉(たかやま しゅんきち、1940年12月16日 - )は、東京都出身の弁護士。青年法律家協会議長を務めた。 今川中学校、都立一橋高校、東京大学法学部を卒業。1966年25歳で司法試験合格し司法修習21期、東京弁護士会に所属。東京都千代田区で高山法律事務所を開く。 交通法科学研究会(事務局長)、日本交通学会、日本交通科学協議会、国際交通安全学会、交通権学会などに所属。市民の立場から交通安全、交通違反の取り締まりなどに関して発言することが多い 1974年「道路交通民主化の会」結成、この会の特徴の一つは「科学性、合理性」重視ということだった(1994年解散)。 なお、交通取り締まり利権の確保の為と言われる行政制裁金への布石、放置違反金についても追及している。
泊 龍雄(とまり たつお、1940年12月16日 - )は、… 泊 龍雄(とまり たつお、1940年12月16日 - )は、日本の文部官僚。文部大臣官房審議官、文部省高等教育局私学部長、生涯学習局長等を歴任し、放送大学学園役員も務めた。 鹿児島県出身。大阪府大阪市で生まれ、小学校から高等学校まで鹿児島県鹿児島市で育つ。鹿児島県立甲南高等学校卒業。1966年に東京大学法学部を卒業して、4月に文部省へ入省し初等中等教育局財務課勤務。1968年10月より文部大臣官房総務課、1971年7月より文部省大学学術局教職員養成課で勤務。1974年10月三重県教育委員会指導課長に就く。1977年6月文部省管理局企画調整課学校法人調査官、1978年3月管理局企画調整課課長補佐、1980年7月初等中等教育局地方課課長補佐、1981年7月初等中等教育局財務課課長補佐、1982年7月大臣官房会計課副長(1983年6月大臣官房企画官兼任)、1984年3月大学局企画官、1984年9月高等教育局私学部私学助成課長、1988年6月高等教育局大学課長、1991年6月大臣官房会計課長を経て、1992年7月大臣官房審議官(初等中等教育局担当)に就任。
西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12… 西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12月15日 - 2019年(令和元年)9月8日)は、日本の官僚。元大蔵省銀行局長。早稲田大学教授。博士(学術)。滋賀県大津市出身。瑞宝中綬章受章者。
辻本 憲三(つじもと けんぞう、1940年12月15日 - … 辻本 憲三(つじもと けんぞう、1940年12月15日 - )は、日本の実業家である。株式会社カプコンのCEO。コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)理事長(1997年 - )、コンピュータエンターテインメント協会前会長(2002年 - 2006年)。 奈良県橿原市で鍛冶屋の家の三男として生まれる。1956年、父親の早逝から中学卒業後に近所の会社に就職し、同時に奈良県立畝傍高等学校の定時制に入学。1960年3月に同校を卒業し、伯父の食品卸会社に就職する。1963年3月、伯父が経営していた菓子卸業を譲渡してもらい独立、社名を辻本商店とするも経営に失敗して数百万円の負債を抱えることになった。
細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12… 細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋。 福岡県生まれ、山口県下関市育ち。山口県立豊浦高等学校卒業、学習院大学政経学部中退。 山口県豊浦郡西市小学校、山口県豊浦郡西市中学校を経て、1956年、山口県立西市高等学校に入学するが、翌1957年、山口県立豊浦高等学校へ転校。同校を卒業後、1959年、学習院大学政経学部へ入学。大学では演劇部に所属していた。 1961年、大学を中退し、一旦下関に戻った後、再び上京し同年俳優座の試験を受け合格し、俳優座養成所第13期生となる。1964年、同養成所卒業と同時に石立鉄男らと文学座研究生となり、初舞台は『無害な毒薬』。
井上 修一(いのうえ しゅういち、1940年12月15日 -… 井上 修一(いのうえ しゅういち、1940年12月15日 - )は、日本のドイツ文学者、世紀末ウィーン文学の研究者。筑波大学名誉教授。井上靖記念文化財団理事長。 井上靖の長男として京都府に生まれる。1966年東京大学文学部独文学科卒業。1968年東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専攻修士課程修了。同大学院博士課程中退。 東京大学文学部助手、國學院大學文学部講師、一橋大学講師を経てドイツのボン大学へ留学。一橋大学社会学部助教授、教授、筑波大学文芸・言語学系教授。2004年定年退官、名誉教授。プール学院大学・短大学長(大阪府堺市南区)を務めた。1995〜1997年日本独文学会理事長。
関根 紀代子(せきね きよこ、1940年12月15日 - )… 関根 紀代子(せきね きよこ、1940年12月15日 - )は日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は1(2011年3月31日までは2)。群馬県前橋市出身。関根茂九段門下。関根茂は夫でもある。旧姓は吉田。 女流棋士一期生6人のうちの一人で、引退時には現役最年長女流棋士であった。1974年に女流棋士の制度が発足する際に、アマチュアから直接に女流二段になったため、プロ入り当初は師匠がいなかった。 1968年、第1回女流アマ名人戦で優勝(当時は旧姓:吉田)。未だ女流棋士の制度が存在しなかった時期に蛸島彰子のライバル格として注目された。 1974年に女流棋士の制度が定められ、初の女流棋戦として女流名人位戦(現・女流名人戦)が開始された時に、女流二段で女流棋士となった。
橋本 勝磨(はしもと かつまろ、1940年12月14日 - … 橋本 勝磨(はしもと かつまろ、1940年12月14日 - 2014年5月20日)は、山梨県出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。
太田 典生(おおた のりお、1940年12月14日 - )は… 太田 典生(おおた のりお、1940年12月14日 - )は(株)ARKコンサルティングを設立者。経営コンサルタントとして多数のビジネスノウハウ本を著している。 三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業。家電メーカーで人事、マーケティング、新事業の立ち上げ、組織や体制づくりなどのプロジェクトを統括した経験をもつ。のちに大手コンサルティング会社に転職し、「組織活性化」「人材創り」「販売管理」の原理原則を体系化した。1988年(昭和63年)、独立して株式会社ARKコンサルティングを設立。「長所を伸ばせば、短所は味わいになる」の言葉でも知られる。多くの著書では、「明るく、楽しく、自分らしく、心豊かに」をモットーとした太田流人間学にもとづいたビジネス論、生きがい論を展開している。
加藤 誠(かとう まこと、1940年12月13日 - )は東… 加藤 誠(かとう まこと、1940年12月13日 - )は東京都出身の実業家、商社員。元伊藤忠商事株式会社代表取締役副社長。明治大学商学部卒業 1940年に東京で生まれる。1964年に明治大学商学部卒業後、伊藤忠商事へ入社する。主に繊維・アパレル部門で活動し、ニューヨーク駐在などを経て、1995年にアパレル部門長、取締役となる。2001年に当時社長であった丹羽宇一郎のもとで副社長・繊維カンパニープレジデントに抜擢され、さらに社長補佐(営業分掌役員)に就任する。その後、2006年に副会長(関西担当役員)となり、07年に相談役へ退いた。また、大阪商工会議所副会頭、関西経済同友会常任幹事を歴任した。後に株式会社大阪繊維リソースセンター代表取締役社長を務めた。
高井 和伸(たかい かずのぶ、 1940年12月13日 - … 高井 和伸(たかい かずのぶ、 1940年12月13日 - 2025年7月30日)は日本の元政治家、弁護士。元連合参議院参議院議員(1期)。愛知県名古屋市出身、岐阜県久々野町(現高山市)育ち。 岐阜県立斐太高等学校卒業後、名古屋中央郵便局にて働きながら愛知大学法経学部二部を卒業。郵政大学校本科などを経て、1969年郵政省入省。1974年司法試験合格。1976年司法修習修了(29期)。高知地裁、浦和家裁各判事補を経て、1981年高井和伸弁護士事務所開設。東京弁護士会所属。 1989年第15回参議院議員通常選挙に連合の会公認で岐阜県選挙区より出馬し初当選。以後1期途中まで務める。その後、1993年第43回衆議院議員総選挙岐阜県第2区で日本新党公認で落選。
梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - … 梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - )は、日本の実業家。東急ホテルズ代表取締役社長や、ザ・キャピトルホテル東急代表取締役社長、国際ホテル・レストラン協会(IHRA)副会長などを務めた。 北海道函館市出身。1965年横浜国立大学経済学部卒業、東京急行電鉄入社。アメリカ合衆国での開発にあたり、ワシントン大学研究員、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス研究員等を経て、1995年パン・パシフィック・ホテル・アンド・リゾーツプライベートリミテッド取締役社長に就任。1999年東京急行電鉄取締役調査役に昇格。2005年東急ホテルズ代表取締役社長。2008年東急ホテルズ取締役会長。
中村 方隆(なかむら ほうりゅう、1940年12月13日 -… 中村 方隆(なかむら ほうりゅう、1940年12月13日 - 2008年7月7日)は、日本の俳優。東京都出身。早稲田大学文学部卒業。生前は今井事務所所属だった。2008年7月7日、ガンにより死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
吉川征治( よしかわ せいじ、1940年12月12日 - )… 吉川征治( よしかわ せいじ、1940年12月12日 - )は、日本の実業家。エックスネットの創業者、初代社長である。 1940年生まれ。山口県の出身である。1959年3月に山口県立山口高等学校を卒業。1963年3月に山口大学工学部を卒業。同年4月に宇部興産に入社。1971年4月に野村総合研究所に入社、1986年4月に野村證券に移り株式開発室長等を歴任した。1991年6月、機関投資家向けに有価証券管理システムを提供するエックスネットを設立し、社長に就任した。また、2004年12月に日本ユニシスと共に合弁会社UXを設立し、2005年から事業活動を開始した。
大塚 浩(おおつか ひろし 1940年12月12日 - )は… 大塚 浩(おおつか ひろし 1940年12月12日 - )は、東京都新宿区出身の元アナウンサー。 東洋大学経済学部経済学科卒業後、1964年4月に新潟放送へ入社。同期には上野勝、大倉修吾、平林勝芳がいる。 入社2ヶ月後の6月16日には新潟地震が発生するが、翌17日にラジオで放送された災害特別番組ではヘリコプターからの被害の状況を伝えた。 1979年には第5回アノンシスト賞ラジオCM部門で受賞。 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)には、「大洋ホエールズ、KUWATA BAND、井上陽水、ビートルズ、F1レースを徹底的に応援している」と紹介されている。 柔道初段(1988年の時点)。原子力発電所取材のために取得したという放射線業務従事者の資格を持っている。
島田 紀夫(しまだ のりお、1940年12月11日 - )は… 島田 紀夫(しまだ のりお、1940年12月11日 - )は、日本の美術評論家。実践女子大学名誉教授。ブリヂストン美術館館長。 山梨県甲府市生まれ。 東北大学理学部卒、1965年同文学部美学美術史学科卒、1967年同大学院修士課程修了。石橋財団ブリヂストン美術館学芸課長、実践女子大学教授。2000年山梨県立美術館館長兼務。2006年ブリヂストン美術館館長。2008年実践女子大退職、名誉教授。
片山 健(かたやま けん、1940年12月11日 - )は、… 片山 健(かたやま けん、1940年12月11日 - )は、日本の絵本作家。東京都中野区出身。血液型はO型。二人兄弟の長男。武蔵野美術学校商業デザイン学科卒。 『からだっていいな』で日本絵本賞、『きつねにょうぼう』で日本絵本賞大賞、『タンゲくん』で講談社出版文化賞、『でんでんだいこいのち』で小学館児童出版文化賞、『なっちゃんのなつ』で産経児童出版文化賞美術賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、… 木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計9個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を支える選手の一人として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。段級位は9段。元日本卓球協会副会長。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権では星野展弥と出場した男子ダブルス準決勝で荘則棟 / 李富荣(英語版)組 (中国) に3-1で勝利。決勝でもゾルターン・ベルシック(英語版) / フェレンツ・シド組 (ハンガリー) を3-1で下し金メダル。
富井 一(とみい はじめ、1940年〈昭和15年〉12月11… 富井 一(とみい はじめ、1940年〈昭和15年〉12月11日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。日本楽器に所属。1964年冬季オリンピックに滑降、回転および大回転の3種目で出場した。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
福村 三男(ふくむら みつお、1940年〈昭和15年〉12月… 福村 三男(ふくむら みつお、1940年〈昭和15年〉12月10日 - 2023年〈令和5年〉3月15日)は、日本の政治家。元熊本県菊池市長(3期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 熊本県出身。熊本短期大学卒業。卒業後は肥後農販に入社し、その後、同社の取締役となる。のちに熊本設備を設立、同社の社長に就任。この間、熊本県議会議員に当選し、議員を3期務める。 1993年と1997年の菊池市長選挙に続けて立候補するが、落選する。2001年の市長選挙に立候補し、現職を破って当選する。2005年菊池市は菊池郡七城町・旭志村・泗水町と合併し、新たな菊池市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、元市長らを破って当選した。
石渡 清元(いしわた きよはる、1940年12月9日 - 2… 石渡 清元(いしわた きよはる、1940年12月9日 - 2014年1月20日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。位階は従四位。 横浜市南区生まれ。小学校卒業後、栄光学園中学・高校で学ぶ。1963年、慶應義塾大学商学部を卒業し、病院に入職、その後理事長となる。1971年の統一地方選挙で横浜市南区選出県議に当選。1985年に県議会議長に就任。1987年の県議選5度目の当選を果たす。 1988年11月12日、自民党神奈川県連は、翌年の第15回参議院議員通常選挙神奈川県選挙区(改選数2)の候補者に関し第4回選考委員会を開き、党公認候補に石渡を選んだ。同選挙区は改選期を迎えた杉元恒雄が病気療養のため立候補を辞退。
朝堂院 大覚(ちょうどういん だいかく、本名:松浦 良右、1… 朝堂院 大覚(ちょうどういん だいかく、本名:松浦 良右、1940年〈昭和15年〉12月9日 - )は、日本の男性実業家。YouTuber。同志社大学法学部卒業。大阪府大阪市出身。 朝堂院大覚を名乗るようになったのは、1996年からであり、それまでは松浦良右という本名で活動していた。 大阪府大阪市出身。同志社香里高等学校卒業、同志社大学法学部卒業。大学を卒業後に浪速冷凍機工業(後のナミレイ)へ入社し、後に同社の会長に就任。しかし、1982年(昭和57年)に空調大手の高砂熱学工業に対して業務提携などを強要したという容疑で逮捕され懲役2年執行猶予4年の判決を受けた。 2013年〈平成25年〉に自身のYouTubeチャンネル「JRPtelevision」を開設し、YouTuberとして活動を開始した。
石川 統(いしかわ はじめ、1940年12月8日 - 200… 石川 統(いしかわ はじめ、1940年12月8日 - 2005年11月22日)は、日本の分子生物学者。理学博士。東京大学名誉教授。東京都出身。 東京大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科後期博士課程修了。学位論文は「動物組織におけるニコチンアミド・ヌクレオチド含量及びその変動要因に関する研究」。学位取得後、ポストドクターとしてアメリカ合衆国オレゴン州立大学に留学し、リボソームRNAの構造研究を始める。 専門は分子生物学。石川の最大の業績は、アブラムシの細胞内細菌に関する研究でブフネラという大腸菌近縁の共生細菌が単一タンパク質分子種のみを多量生産していることを発見しこのタンパク質をシンビオニンと命名した。
中村 梧郎(なかむら ごろう、1940年12月8日 - )は… 中村 梧郎(なかむら ごろう、1940年12月8日 - )は、日本の報道写真家。敬愛大学・環境情報研究所客員研究員、現代写真研究所副所長、日本写真家協会会員。日本リアリズム写真集団代表理事。「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校卒業、中央大学工学部中退。 1970年以降のベトナム戦争の取材を通じて、枯葉剤による人体・環境被害を伝える作品を発表。土門拳らの推挙により、1976年の第1回JRP公募展「視点」大賞受賞を皮切りに、第8回伊奈信男賞など数々の賞を受賞。「母は枯葉剤を浴びた」(新潮文庫)は20年間に27万部余のロングセラーとなった。
天水山 正則(てんすいやま まさのり、1940年12月8日 … 天水山 正則(てんすいやま まさのり、1940年12月8日 - 没年不明)は、熊本県玉名郡天水町(現・同県玉名市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した大相撲力士。本名は池田 正則(いけだ まさのり)。最高位は西前頭10枚目(1965年7月場所、1967年7月場所)。現役時代の体格は176cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 中学校を卒業後、上京し、元横綱・照國が開いた荒磯部屋(のち、伊勢ヶ濱部屋に改称)へ入門。1956年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の関脇・海乃山や前頭筆頭の大雄などがいる。 同年9月、故郷の地名に因んだ「天水山」の四股名で序ノ口に付いた(その後、本名の「池田」に改名した時期もあったが、すぐに元の「天水山」へ戻している)。
露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日… 露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 元フジテレビのエグゼクティブアナウンサー。東京国際大学特命教授・客員教授。日本記者クラブ企画委員。 TBSスパークル(旧キャスト・プラス)所属。妻は早稲田大学時代の同級生で同じ放送研究会に所属していた元NETテレビ(現在:テレビ朝日)アナウンサーの軽部和子。 東京府東京市麹町区(現在:東京都千代田区)出身。千代田区立麹町小学校、千代田区立麹町中学校、早稲田大学高等学院(早大学院)を経て早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。高校・大学時代はボート部、大学途中でアナウンス研究会に所属(当時の会友には大沢悠里、鈴木史朗、枇杷阪明、石川顕らがいた)する。
竹内 謙(たけうち けん、1940年(昭和15年)12月6日… 竹内 謙(たけうち けん、1940年(昭和15年)12月6日 - 2014年(平成26年)4月2日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。神奈川県鎌倉市長(2期)。 祖父・竹内金太郎は尾崎秀実、阿部定らの弁護にあたった刑事弁護士。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。竹内誠・彗子の四男。第二次世界大戦中は夏季を神奈川県鎌倉市で過ごし、戦後はそのまま鎌倉市に定住する。神奈川県立湘南高等学校、早稲田大学理工学部土木工学科卒業。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程(都市計画専攻)修了。1967年、朝日新聞社に入社。(同期は熊本朝日放送元会長の門垣逸夫)朝日新聞社では青森支局、山口支局、西部本社社会部での地方勤務を経験した後、東京本社政治部記者、朝日ジャーナル副編集長、調査研究室主任研究員、政治部編集委員(地球環境問題担当)等を務める。
遠藤 安彦(えんどう やすひこ、1940年12月6日 - )… 遠藤 安彦(えんどう やすひこ、1940年12月6日 - )は、日本の官僚。元自治事務次官。地域創造元会長。 1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学法学部卒業。 大分県総務部次長、同県商工労働部長、同県総務部長、財政局交付税課長、財政局地方債課長、財政局財政課長、大臣官房審議官(税務担当)、大臣官房総務審議官、大臣官房長、財政局長などを務める。 1996年9月、自治事務次官。1998年2月、地域創造理事長。財団法人日本宝くじ協会理事長、(株)日本宝くじシステム代表取締役、財団法人地方財務協会理事長、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会事務総長を務めた。2016年、日本AED財団理事。
青山 久(あおやま ひさし、1940年12月6日 - )は、… 青山 久(あおやま ひさし、1940年12月6日 - )は、日本の医師、形成外科医、医学博士、愛知医科大学名誉教授。 専門は、熱傷、レーザー治療。特に乳幼児を中心とするアザのレーザー治療に関しては、難度の高い症例への対応、手術数、治療成績ともに豊富な実績があり、現在でも愛知医科大学形成外科の重点項目となっている。また、モンゴル国との交流にも尽力し、オユンナ基金に集まった義捐金をもとに、1997年4月に女児、1998年10月には男児の巨大血管腫に対して、当時最新型のレーザー機器にて治療にあたった。その際、モンゴルから医師のハンドスーレンが来日している[出典無効]。 日本形成外科学会理事、日本熱傷学会理事、日本熱傷学会専務理事、日本褥瘡学会評議員 日本形成外科学会専門医日本熱傷学会専門医
渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、… 渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、日本の官僚。元通商産業事務次官。元日本貿易振興機構理事長。2024年まで石油資源開発会長(2007年6月25日付で同社副社長、2008年6月25日付で社長。同時に棚橋祐治社長が会長に)。2016年から2020年まで石油鉱業連盟会長を務めた。ニックネームはナベシュウ。 愛媛県新居浜市出身。香川県立高松高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)を経て、1964年に通商産業省入省。同期には細川恒(通商産業審議官)、熊谷弘、中田哲雄、大角恒生(人事院公平局長)、横田捷宏、山口務(九州通産局長、地域振興整備公団副総裁)、高津義典(四国通産局長、香川大学工学部教授)などがいる。
渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、… 渡辺 修(わたなべ おさむ、1940年12月6日 - )は、日本の官僚。元通商産業事務次官。元日本貿易振興機構理事長。2007年6月25日付で石油資源開発副社長、2008年6月25日付で社長になった。同様に棚橋祐治も社長から会長になった。ニックネームはナベシュウ。
早川 建二(はやかわ けんじ、1940年12月6日 - )は… 早川 建二(はやかわ けんじ、1940年12月6日 - )は東京都出身のラジオ日本の元アナウンサー。 立教大学経済学部経営学科卒業後、1964年当時のラジオ関東入社。ラジオ日本ジャイアンツナイターなどスポーツ中継を中心に担当。記録・データに詳しく、放送の中でも発揮していた。 鉄道、時刻表、テニスなどに造詣が深く、博識であった。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
二木 謙一(ふたき けんいち、 1940年12月5日 - )… 二木 謙一(ふたき けんいち、 1940年12月5日 - )は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。専門は日本中世史(戦国史)。有職故実研究の第一人者として知られる。また、数々の大河ドラマの考証を手がけた。 1940年、東京都で生まれた。國學院大學文学部史学科で学び、桑田忠親に師事。1963年に卒業し、同大学大学院文学研究科日本史学専攻に進学した。1968年に博士課程を修了。 修了後は、國學院大學文学部助手に採用された。同大学日本文化研究所研究員を経て、國學院大學文学部教授となった。1986年、学位論文『中世武家儀礼の研究』を國學院大學に提出して 文学博士号を取得。1995年、春田宣学長任期満了にともなって学長候補に上がったが、次点にとどまり上田賢治が就任した。