見延 典子(みのべ のりこ、1955年8月2日 - )は、日… 見延 典子(みのべ のりこ、1955年8月2日 - )は、日本の小説家。現姓・豊田。 北海道札幌市白石区出身。1973年、北海道札幌南高等学校3年生の時、小説「指」が北海道新聞社主催の第11回有島青少年文芸賞に佳作入選する。 作家になれると確信し、早稲田大学第一文学部に入学。文芸科の卒業論文に200枚の小説『もう頰づえはつかない』を書いた。その後、担当の教員が雑誌「早稲田文学」に紹介し、掲載された。1978年3月、早稲田大学卒業。同年11月、『もう頰づえはつかない』は講談社から単行本化され、50万部を超える大ベストセラーになる。本作は1979年に桃井かおり主演で映画化され、ヒットした。 1981年に結婚して広島県広島市へ転居。
中野 正貴(なかの まさたか、1955年8月2日 - )は、… 中野 正貴(なかの まさたか、1955年8月2日 - )は、日本の写真家。人の姿が全く無い東京の風景を撮影した「TOKYO NOBODY」をはじめ、都市を独自の視点で捉えた作風で知られている。
山根 和夫(やまね かずお、1955年8月2日 - )は、岡… 山根 和夫(やまね かずお、1955年8月2日 - )は、岡山県真庭郡勝山町(現・真庭市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 実兄は都市対抗に20年連続出場を果たした鈴木政明投手。 勝山高校では2年秋の県大会ベスト4、卒業後は日本鋼管福山に入社し、エース・田村忠義の控え投手であったが、右の本格派として早くから注目されていた。1975年のドラフトで広島東洋カープから2位指名されるも、会社に慰留されたこともあり、1976年の都市対抗に出場。 1977年に入団し、入団当時はチームで一番球が速く150km/hほど出ていたが、コントロールが悪く投球を問題視されていた。しかし投手コーチに選手生命をかけてフォーム改造を直訴すると、フォームをノーワインドアップのスリー・クォーターにしてコントロールが安定した。
福西 拓也(ふくにし たくや、1955年8月2日 - )は、… 福西 拓也(ふくにし たくや、1955年8月2日 - )は、日本の実業家。前オークワ代表取締役社長。和歌山県出身。 オークワでは創業家である大桑家から歴代社長が出ており、福西は創業家でない社長としてはオークワで初めてとなる。 退任後は、スギ薬局の取締役、ジャパン管轄だったがそちらも退任している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千… 古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 現役時代は日本ハムファイターズの主力選手として活躍。小柄ながらがっしりした体格で、長打力を持ち合わせていたことからボンバーという愛称で知られた。 富津市で漁師の家庭に生まれる。小学校3年生の時に肋骨にカリエスが見つかって摘出手術を行ない、回復のため父親の勧めで野球を始めた。優れた野球の才能を見せて6年生の頃から中学の練習にも参加し、天羽中学に進むと投手で四番打者を務めている。 複数の高校野球部から誘いを受け、木更津中央高校に進学。高校でも1年生の秋からエース、四番打者となる。1972年夏の甲子園県予選では2回戦で成東高の鈴木孝政と投げ合い、4-5で惜敗。
南雲 吉則(なぐも よしのり、1955年8月1日 - )は、… 南雲 吉則(なぐも よしのり、1955年8月1日 - )は、日本の医師。博士(医学)。乳腺専門医。身長173cm、体重61kg。群馬県北群馬郡吉岡町出身。 実家は江戸時代から続く群馬の薬問屋で、曾祖父の代から医家に変わった。父は日本の美容外科の草分けとして知られる南雲吉和。姉は歯科医師でタレントの佐藤由紀子。井伏鱒二の『本日休診』のモデルである南雲今朝雄は大叔父。子息や甥も医師。 森村学園初等科、駒場東邦中学校・高等学校を経て、東京慈恵会医科大学医学部を卒業。東京女子医科大学形成外科、癌研究会付属病院外科、慈恵医大学第一外科乳腺外来医長を経て、乳房専門のナグモクリニックを開業。 慈恵医大、近畿大学の非常勤講師、韓国東亞医科大学、中国大連医科大学の客員教授。
頼近 美津子(よりちか みつこ、1955年〈昭和30年〉8月… 頼近 美津子(よりちか みつこ、1955年〈昭和30年〉8月1日 - 2009年〈平成21年〉5月17日)は、日本の女性アナウンサー。本名、鹿内 キャサリーン 美津子(しかない キャサリーン みつこ)。旧姓、頼近(よりちか)。 広島県安芸郡府中町出身。広島大学附属高等学校、東京外国語大学卒業。身長162cm。 テレビアナウンサーとして最初はNHKに勤務し、後にフジテレビに転じた。また、後年にはコンサート・プランナー、司会、女優としても活動した。フジサンケイグループ創業家に嫁いだ玉の輿婚でも知られ、結婚後の姓で「鹿内 美津子」とも名乗った。 NHKからフジテレビに転身し、その後にはフジサンケイグループ創業家に嫁ぐなど多くの話題を提供、このような経歴はその後にタレント化した「女子アナ」の元祖ともいわれる。
吉田 憲司(よしだ けんじ、1955年8月1日- )は、日本… 吉田 憲司(よしだ けんじ、1955年8月1日- )は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授・元館長、総合研究大学院大学名誉教授。 1955年、京都府京都市で生まれた。京都大学文学部哲学科で学び、1977年に卒業。大阪大学大学院文学研究科に進み、1989年に博士課程を修了した。終了時に提出した学位論文は『チェワ社会における仮面と変身信仰の研究』で、学術博士号を取得。 1987年、大阪大学文学部助手に採用された。1988年、国立民族学博物館助手に転じた。1993年に助教授、2000年に教授昇格。2015年に国立民族学博物館副館長に就任。2017年に館長となった。2025年3月末をもって、定年退官。
東條 有伸(とうじょう ありのぶ、1955年8月1日 - )… 東條 有伸(とうじょう ありのぶ、1955年8月1日 - )は、日本の医学者、血液内科医。東京大学名誉教授。東京大学医科学研究所附属病院長を経て、東京科学大学副学長。 千葉県成田市出身。1974年開成高等学校卒業。1981年東京医科歯科大学(現東京科学大学)医学部卒業、東京医科歯科大学医学部附属病院(現東京科学大学病院)研修医。1982年横浜赤十字病院内科医師。1983年東京医科歯科大学医学部附属病院第一内科医員。1988年東京大学大学院医学系研究科第一臨床医学専攻修了、医学博士。1987年日本学術振興会がん特別研究員。 1988年東京大学医科学研究所附属病院助手。1991年東京大学医科学研究所助手。
渡部 悦和(わたなべ よしかず、1955年(昭和30年)8月… 渡部 悦和(わたなべ よしかず、1955年(昭和30年)8月1日 - )は、日本の元陸上自衛官。第36代東部方面総監。 愛媛県出身。愛媛県立松山東高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月に東京大学工学部電気工学科を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第28普通科連隊長兼函館駐屯地司令、自衛隊東京地方連絡部長、防衛研究所副所長、第2師団長、陸上幕僚副長等の要職を経て、第36代東部方面総監を最後に退職。退職後は富士通システム統合研究所長、ハーバード大学アジアセンター・シニアフェロー、日本安全保障戦略研究所上席研究員。
今田 真人(いまだ まさと、1955年8月 - )は、日本の… 今田 真人(いまだ まさと、1955年8月 - )は、日本のジャーナリスト。 「慰安婦の強制連行」を証言したとして名高い、いわゆる「吉田(吉田清治)証言」について自身の吉田に対する取材体験から虚偽とは思えないと主張:6、秦郁彦や朝日新聞が虚偽とまで断定したことを批判している:138-154。 秦や朝日新聞の現地調査を行った結果として強制連行があったという証人が発見できなかったという主張に対し、普通であれば人が隠すことを、単に複数の人に尋ねて「聞いたことがない」と言われたことでそのような事実はなかったと断定するのはおかしいとしたほか、朝日新聞の主張する根拠に対して、複数を根拠といえるようなものでないとし:141-143、残りについても独自に資料調査を行った結果、各種資料を発掘、それらによれば吉田の証言を虚偽とまで断定できるほどの根拠はないとする:142-152。
吉田 永(よしだ えい、1955年8月 - )は、日本の地方… 吉田 永(よしだ えい、1955年8月 - )は、日本の地方公務員。東京都水道局長を経て日本水道協会理事長。瑞宝小綬章受章。 埼玉県浦和市(現在のさいたま市)出身。埼玉県立浦和高等学校卒業。1978年(昭和53年)、北海道大学工学部衛生工学科卒業。 同年4月、東京都庁入都。1998年(平成10年)、同赤羽営業所長。2001年、同多摩水道対策本部技術指導課長。2002年、都市計画局航空政策担当課長。2005年、水道局浄水課長。2006年、同西部建設事務所長。2007年、同研修・開発センター所長。2008年同給水部長。2009年、浄水部長。2011年、同多摩水道改革推進本部長。 2013年7月から増子敦の後任として同局長(公営企業管理者)。
小幡 壮(おばた そう、1955年8月 - )は、日本の人類… 小幡 壮(おばた そう、1955年8月 - )は、日本の人類学者(文化人類学・東南アジア文化論)。学位は文学修士(立教大学・1982年)。静岡県立大学名誉教授。 立教大学講師、女子栄養大学研究員、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学附属図書館館長などを歴任した。 文化人類学や東南アジア文化論を専攻する人類学者である。東南アジアを主題として文化人類学的な視点からの研究に取り組んだ。立教大学、女子栄養大学、静岡県立大学などで教鞭を執った。 1955年生まれ。立教大学に進学し、社会学部の社会学科にて学んだ。1979年に立教大学を卒業した。その後は立教大学の大学院に進学し、1982年に文学修士の学位を取得した。
磯永 優二(いそなが ゆうじ、1955年〈昭和30年〉8月 … 磯永 優二(いそなが ゆうじ、1955年〈昭和30年〉8月 - )は、日本の政治家。豊前市議会議員(7期)。 1995年8月に福岡県豊前市八屋で生まれる。1974年3月に中津工業高等学校を卒業。1974年4月に豊前市役所に入庁した後、勤続22年で退職。 1996年3月、豊前市議会議員に初当選。2020年3月に7期目の豊前市議会議員に当選し、現在に至る。 血液型はA型。一見とっつきにくいが、人情深く、辛抱強い。 趣味はショッピング・ゴルフ・旅行。野球・料理・計算が早いことを特技としている。 公式サイトに掲載している政策は以下の通り 郷土芸能・文化、スポーツなどの推進とともに、各種文化・スポーツ団体を育成し、市民相互の親睦と文化・体育などの振興を行い、魅力あるまちづくりを行う。
垣内 威彦(かきうち たけひこ、1955年(昭和30年)7月… 垣内 威彦(かきうち たけひこ、1955年(昭和30年)7月31日 - )は、日本の実業家。三菱商事取締役会長。兵庫県出身。
板原 啓文(いたはら けいぶん、1955年〈昭和30年〉7月… 板原 啓文(いたはら けいぶん、1955年〈昭和30年〉7月31日 - )は、日本の政治家。高知県土佐市長(5期)。 高知県土佐市出身。高知高等学校、高知大学卒業。 1978年(昭和53年)土佐市役所入庁。企画調整課長、總務課長。 2007年(平成19年)10月21日投開票の土佐市長選挙に立候補し初当選を果たした。投票率は過去最低の49.17%。10月29日、市長就任。 2011年(平成23年)、無投票により再選。 2015年(平成27年)7月16日、平和安全法制関連2法案が衆議院本会議で可決され、参議院へ送付された。これを受けて、同年9月開催の土佐市議会において板原は「安保関連法案は、多くの憲法学者が憲法に抵触すると言っている以上、法案に問題があると判断している。
私市 光生(きさいち みつお、1955年7月31日 - )は… 私市 光生(きさいち みつお、1955年7月31日 - )は、日本の内閣府官僚。沖縄総合事務局次長、経済社会総合研究所総括政策研究官、科学技術振興機構上席フェローなどを歴任した。 東京都出身。1979年(昭和54年)に横浜国立大学経済学部を卒業し、同年経済企画庁に入庁。新飯田宏ゼミ出身。 経済企画庁長官官房秘書課課長補佐を経て、1995年(平成7年)に経済企画庁経済研究所国民所得部国民支出課長、1996年(平成8年)に海外経済協力基金開発技術部開発第一課長、1998年(平成10年)に会計検査院第1局租税検査第三課長、1999年(平成11年)に経済企画庁国民生活局消費者行政第二課長、2000年(平成12年)に国土庁地方振興局東北開発室長。
小長井 義正(こながい よしまさ、1955年〈昭和30年〉7… 小長井 義正(こながい よしまさ、1955年〈昭和30年〉7月30日 - )は、日本の政治家。元静岡県富士市長(3期)。 富士市議会議員(5期)、同議長、静岡県市議会議長会会長、全国特例市議会議長会副会長、富士市監査委員を歴任した。 静岡県富士市出身。富士市立富士第一小学校、富士市立富士中学校、静岡県立富士高等学校卒業。1979年3月、一橋大学商学部卒業。同年4月、ニチメン(現・双日株式会社)に就職。1987年9月30日に同社を退職。同年、富士市に戻り家業の小長井米店に従事。 1994年、社団法人富士青年会議所副理事長。1997年、富士市議会議員補欠選挙に初当選(同年12月21日に就任)。2009年、富士市議会議長、静岡県市議会議長会会長、全国特例市議会議長会副会長。
澤田 純(さわだ じゅん、1955年〈昭和30年〉7月30日… 澤田 純(さわだ じゅん、1955年〈昭和30年〉7月30日 - )は、日本の実業家。 NTTコミュニケーションズ(現・NTTドコモビジネス)代表取締役副社長、日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)代表取締役社長などを経て、同社取締役会長(現任)。 社外での役職として、日米経済協議会会長、日本経済団体連合会(経団連)副会長、IPA産業サイバーセキュリティセンター長、京都哲学研究所共同代表理事。また、菅義偉内閣が発足した2020年9月からは、政府総合資源エネルギー調査会基本政策分科会委員も務める。 大阪府出身。京都大学工学部土木工学科卒業後、1978年に日本電信電話公社(現NTT)に入社。2000年からNTTコミュニケーションズ(以下、NTTコム)で企画部門を中心に経験し、NTTコミュニケーションズ代表取締役副社長を経て、2014年からNTT副社長として鵜浦博夫体制の事業戦略を担当した。
井下 英二(いのした えいじ、1955年7月30日 - )は… 井下 英二(いのした えいじ、1955年7月30日 - )は、日本の予防医療・歯科の学者、教育者、歯科医師。大阪大学歯学部卒、同大学博士号取得。梅花女子大学大学院特任教授、大阪大学非常勤講師。現在は大阪府茨木市在住。妻の法子とは歯学部の元同期であり、二人の間に一男二女がいる。 山口県岩国市にて、父親で当時東洋紡績勤務の化学者だった景信と恵美子の間の次男として生まれる。転勤族の父の都合で転校を繰り返し、誰とでも仲良くなれる愛想のよい子供だった。また野球少年で幼少から野球に没頭。大阪府高槻市に居を構えたところで高槻中学・高校へ進学。野球と勉強に明け暮れる男子校時代を過ごす。その後大阪大学歯学部へ現役合格。
星 浩(ほし ひろし、1955年7月29日 - )は、日本の… 星 浩(ほし ひろし、1955年7月29日 - )は、日本のジャーナリスト、TBSテレビスペシャルコメンテーター。元朝日新聞社政治部特別編集委員。 血液型はO型。趣味はサッカーと料理、孫と遊ぶ事。 福島県白河市出身。福島県立福島高等学校、東京大学教養学部卒業後の1979年4月、朝日新聞社に入社。長野支局、千葉支局を経て1985年から東京本社政治部記者として、首相官邸、自民党、外務省等を担当。その後ワシントンD.C.特派員、政治部デスクを経て、2000年から政治担当編集委員。また、2004年から2006年まで東京大学大学院特任教授を兼務、また、日本記者クラブ企画委員を務める。2012年6月1日付で東京本社オピニオン編集長兼論説主幹代理。
山口 泉(やまぐち いずみ、1955年7月28日 - )は、… 山口 泉(やまぐち いずみ、1955年7月28日 - )は、日本の小説家。長野県長野市生まれ。男性。本名、同じ。沖縄県在住。 1974年、長野県長野高等学校卒業。東京藝術大学美術学部在学中の1977年に、「夜よ、天使を受胎せよ」で第13回太宰治賞優秀賞。1980年、株式会社径書房創業時から請われて顧問に就任、第1長篇小説『旅する人びとの国』、第2長篇小説『吹雪の星の子どもたち』の執筆と並行して、同社の企画相談・ブックデザイン等も担当するが、88年、辞任。1989年、「宇宙のみなもとの滝」で第1回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。 主要作品に『吹雪の星の子どもたち 翡翠の天の子どもたち』『旅する人びとの国』『悲惨観賞団』『神聖家族』『重力の帝国』『アジア、冬物語』『「新しい中世」がやってきた!』『宮澤賢治伝説』『原子野のバッハ』など。
永島 暎子(ながしま えいこ、1955年〈昭和30年〉7月2… 永島 暎子(ながしま えいこ、1955年〈昭和30年〉7月28日 - )は、日本の女優。熊本県下益城郡出身。フリーランス。 熊本県立八代東高等学校を卒業後、東北地方でのこけし制作や北海道での牧場労働を経験。 1976年、日活テレビ映画芸術学院(現・日活芸術学院)へ入学。同年、『四畳半青春硝子張り』のヒロインに抜擢されて映画デビュー。 1977年、日活ロマンポルノ『女教師』でエランドール賞新人賞を受賞した。 1983年、『竜二』の演技で国内の各種助演女優賞を総なめにした。
奥 正孝(おく まさたか、1955年7月27日 - )は、日… 奥 正孝(おく まさたか、1955年7月27日 - )は、日本の元テレビ番組ディレクターで、現在は都市計画家で観光の研究家。 大阪府岸和田市在住。吉本興業に在籍していた。岸和田市本町のまちづくりのために貢献している。秋田県のノースアジア大学(旧:秋田経済法科大学)法学部観光学科 の教授就任、現在は東京都新宿区高田馬場にある 東京富士大学(旧:富士短期大学)経営学部イベント・プロデュース学科の教授を就任している。 2007年4月1日、『岸和田だんじり祭りによるまちづくり』を文芸社ビジュアルアートで発刊。同年7月に完売し、9月に第二版が発刊された。2008年4月に向けて、吉本興業東京本部が新宿区の歌舞伎町花園神社隣の旧新宿区立四谷第五小学校の廃校に移転してディレクター・プロデューサー・放送作家・脚本家・映画監督を養成する「よしもと クリエイティブカレッジ」を創設。
麦倉 哲(むぎくら てつ、1955年7月27日 - )は日本… 麦倉 哲(むぎくら てつ、1955年7月27日 - )は日本の社会学者。ホームレス自立支援、福祉のまちづくり、多文化共生のまちづくり、いじめ自殺、放火、暴力バーの研究、スウェーデン研究などの研究者。東京女学館大学教授を経て岩手大学教育学部社会科教育教授。 群馬県出身。早稲田大学政経学部卒。立教大学大学院社会学研究科博士前期課程修了。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻後期博士単位取得退学。博士(人間科学 早稲田大学)。 目黒区住宅政策審議会、町田市公民館運営審議会委員、NPOふるさとの会理事を務める。 日本社会学会、日本犯罪社会学会、日本都市学会、地域社会学会、日本社会病理学会、関東都市学会、公衆衛生学会、日本住宅会議
室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群… 室田 淳(むろた きよし、1955年7月26日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。
久米 一正(くめ かずまさ、1955年7月26日 - 201… 久米 一正(くめ かずまさ、1955年7月26日 - 2018年11月23日)は、静岡県出身の元サッカー選手。(公社)日本プロサッカーリーグ参与。 永きにわたって複数のJリーグクラブでゼネラルマネージャー(GM)をはじめとするクラブ強化担当を歴任しており、日本のサッカー界におけるGMの草分け的存在として知られる。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜名高等学校ではサッカー部主将として活躍。後にチームメイト、さらには監督と強化担当という間柄となる西野朗とは高校時代から面識があり、西野曰く「泥んこが似合う“暴れん坊”」だったという。高校卒業後は母子家庭で苦労をかけた母を助けるために地元の実業団に入社を予定していたが、逆に母から「将来のために、人脈を広げてきなさい」と地元を出るように勧められたこともあり中央大学に進学。
内藤 はるみ(ないとう はるみ 、1955年7月26日 - … 内藤 はるみ(ないとう はるみ 、1955年7月26日 - )は、日本の元女性歌手。岐阜県岐阜市出身。堀越高等学校卒業。 一時期、朝月 愛(あさづき あい)名義で活動したこともある。
新川 博(しんかわ ひろし、1955年7月26日 - 202… 新川 博(しんかわ ひろし、1955年7月26日 - 2025年1月8日)は、日本のキーボーディスト、作曲家・編曲家・音楽プロデューサー。東京都出身。 詩人の新川和江は実母。日本大学芸術学部文芸学科卒業。 1955年、東京生まれ。 5歳からクラシックピアノを始め、11歳の頃には同級生だったCharとバンドを結成する(当時はベース担当だった)。 17歳の頃に村井邦彦に師事し音楽出版社の手伝いを始める。20歳でハイ・ファイ・セットのバックバンドとしてプロデビュー。 25歳には松任谷由実のコンサートの音楽監督としてツアーに参加する。28歳より編曲家としての活動を本格的にスタートする。 2000年にはビクターエンタテインメント内にAOR Jazzレーベル「aosis records」を設立し、プロデューサーとして活動する傍ら自身のソロアルバムも3枚リリースしている。
三木 正浩(みき まさひろ、1955年7月26日 - )は、… 三木 正浩(みき まさひろ、1955年7月26日 - )は、日本の実業家、投資家、馬主。 靴小売業会社ABCマートの創業者で、イーエムプランニング会社代表を務める。国内有数の資産家としても知られる。 三重県伊勢市で生まれた。実家は不動産業や飲食業を営む。享栄高等学校卒業後、愛知県名古屋市の東邦学園短期大学卒業。 1985年、28歳の時に東京の早稲田で、靴と衣料品の輸入販売商社株式会社国際貿易商事を設立。翌年、買い付けのために訪れたロンドンで、ブーツブランド「HAWKINS(ホーキンス)」の日本代理店契約に成功し、国内総代理店となる。低価格を実現するために、調達ルートを自前で開拓し、韓国や中国などの工場を探し出し、中間業者に支払うマージン削減にも成功した。
西久保 愼一(にしくぼ しんいち、1955年7月25日 - … 西久保 愼一(にしくぼ しんいち、1955年7月25日 - )は日本の実業家。スカイマーク前代表取締役社長。マイクロジェット株式会社代表取締役。大阪府泉佐野市出身。 1974年に大阪府立岸和田高等学校、1978年に神戸大学工学部化学工学科を卒業。趣味は料理、ダイビング。 大同塗料、ソード電算機システムを経て1986年に独立。神戸大学工学部システム工学科に復学すると同時にシステム工学社を設立。販売管理や在庫管理などのパソコン用ソフトの受託開発を請け負った。 1989年から株価データの通信サービスを提供。受託開発のシステム工学社は売却。新たにシーネットを設立。当初は大阪有線(現:USEN)の放送網を使って株価データを提供したが、1990年からパソコン通信会社マスターネットの通信網を使いデータ配信を行なった。
阿部 治(あべ おさむ、1955年7月25日- )は、日本の… 阿部 治(あべ おさむ、1955年7月25日- )は、日本の環境教育学者、ESD(持続可能な開発のための教育)研究者。立教大学社会学部名誉教授。
加藤 勝哉(かとう かつや、1955年7月25日 - )は、… 加藤 勝哉(かとう かつや、1955年7月25日 - )は、日本の実業家。東邦ホールディングス株式会社取締役社長を務めた。 秋田県出身。1978年獨協大学経済学部卒業。1991年東邦薬品入社。2001年取締役に昇格。2009年東邦ホールディングス執行役員コーポレートコミュニケーション室長。2015年東邦ホールディングス常務取締役経営企画本部長。2017年から東邦ホールディングス取締役社長を務めた。この間、秋田産業サポータークラブリーダーズ会員も務めた。2019年東邦ホールディングス取締役に退いた。
西山 仁紫(にしやま ひとし、1955年(昭和30年)7月2… 西山 仁紫(にしやま ひとし、1955年(昭和30年)7月25日 - )は、日本のテレビプロデューサー。 フジテレビバラエティ制作センター部長等を歴任、共同テレビジョン常務取締役、株式会社バンエイト取締役、株式会社ベイシス取締役、株式会社共同エディット取締役を経て、合同会社キャンドル代表。 島根県松江市出身。早稲田大学理工学部卒業。 フジテレビ入社後、ニューヨークにて勤務。学生時代に海外を貧乏旅行した体験から「なりゆき」「あいのり」を企画した。番組の中で「あいのり募金」を設立し、途上国に7棟の小学校を建設。2007年に元東京パフォーマンスドールの木原さとみと結婚。フジテレビ、Netflix「あいのり」のプロデューサー兼演出。
星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - … 星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - )は、鹿児島県揖宿郡開聞町出身で陸奥部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は野口 祐二(のぐち ゆうじ)。現役時代の体格は身長182cm、体重138kg。得意手は左四つ、上手投げ、蹴手繰り。趣味は野球観戦。最高位は東前頭14枚目(1989年7月場所)。愛称は「イワトナルド」(後述)。 中学時代は野球部に所属。4番打者を務めるなど活躍し、高校も推薦入学を勧められていた。しかし、知人の紹介で井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺)を紹介され、中学3年生の時に井筒部屋へ入門。1970年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 小兵だったが着実に番付を上げ、入門2年目には後に師匠となる元・星甲(後述)が一時期名乗っていた「星兜」の四股名を貰い、早くから将来を嘱望された。
秋元 雄史(あきもと ゆうじ、1955年7月24日 - )は… 秋元 雄史(あきもと ゆうじ、1955年7月24日 - )は、東京藝術大学名誉教授、金沢21世紀美術館特任館長、国立台南芸術大学栄誉教授、美術評論家。
石坂 彰敏(いしざか あきとし、1955年(昭和30年)7月… 石坂 彰敏(いしざか あきとし、1955年(昭和30年)7月24日 - 2009年(平成21年)9月20日)は、昭和から平成時代の内科医、呼吸器学者。 1980年(昭和55年)慶應義塾大学医学部卒業後、同大大学院へ進学し、1985年(昭和60年)大学院修了後、米国スタンフォード大学医学部へ留学する。帰国後の1990年(平成2年)慶應義塾大学医学部内科学教室助手となり、その後川崎市立川崎病院内科を経て、1998年(平成10年)慶應義塾大学医学部客員講師兼東京電力病院内科、2004年(平成16年)慶應義塾大学大学院医学研究科内科系専攻内科学(呼吸器) 教授となった。2009年(平成21年)9月20日、リンパ腫にて逝去。
岡田 靖(おかだ やすし、1955年7月24日 - 2010… 岡田 靖(おかだ やすし、1955年7月24日 - 2010年4月10日)は、日本の経済学者である。修士課程で指導教授であった岩田規久男に師事し、リフレ派の最古参の一人として知られる。2010年4月10日に虚血性心不全で他界した。 中央大学経済学部卒業、上智大学大学院経済学研究科博士課程前期修了(経済学修士)。大和證券経済研究所経済調査部、大和證券、クレディスイスファーストボストン経済調査部長、学習院大学経済学部特別客員教授を経て内閣府経済社会総合研究所主任研究官。 インターネットで経済論壇を活性化させた中心人物で、「銅鑼衣紋」(「ドラエモン」)のハンドルネームや匿名を駆使して「いちごびびえす」「黒木のなんでも掲示板」「2ちゃんねる」などの電子掲示板や経済学者などのブログのコメント欄で啓蒙活動を展開し、多くの若手経済学者の先駆者となった。
鳥居 聡(とりい さとし、1955年7月24日)は、日本の土… 鳥居 聡(とりい さとし、1955年7月24日)は、日本の土木技術系地方公務員。神戸市都市計画総局長、神戸市副市長、神戸すまいまちづくり公社理事長、雲井通5丁目再開発(株)代表取締役社長、(株)神戸商工貿易センター代表取締役社長などを歴任。瑞宝小綬章。 元神戸市港湾局長の鳥居幸雄の子息にあたる。 1981年(昭和56年)3月東北大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、1981年(昭和56年)4月神戸市役所入職。企画調整局企画調整部主幹、建設局西部建設事務所管理課長、建設局道路部主幹、建設局道路部工務課長、建設局中部建設事務所長、都市計画総局計画部長を歴任後、2012年4月に井澤元博の後任として都市計画総局長、2013年11月 玉田敏郎とともに神戸市副市長就任。
三国 義貴(みくに よしたか、1955年〈昭和30年〉7月2… 三国 義貴(みくに よしたか、1955年〈昭和30年〉7月23日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家。北海道出身。北海道札幌西高等学校卒業。血液型はA型。元ANTHEMのドラマー本間大嗣は従兄弟。※クリエイション(CREATION)のキーボード奏者であるミック三国とは別人である。
出田 敬三(いでた けいぞう、1955年7月23日 - )は… 出田 敬三(いでた けいぞう、1955年7月23日 - )は、日本の作曲家・指揮者。平成音楽大学前学長。 1955年7月23日、熊本県上益城郡御船町生まれ。少年時代に聴いたウィーン少年合唱団の歌声に感動し、音楽の道を志す。 国立音楽大学附属高等学校を経て、国立音楽大学作曲科を卒業。東京では、芸術性の高い音楽の勉強は学校で、大衆的な音楽の勉強はクラブ・キャバレーでの演奏活動や芸能界での編曲仕事などを通じてと、「人を喜ばせる、楽しませる」という音楽の原点を多面的に学んだ。そののちオーストリア・ウィーンに留学、1984年にはウィーン国立音楽大学作曲科を卒業、ウィーン市立音楽院(現ウィーン私立音楽芸術大学(ドイツ語版))指揮科を修了した。
冨田 和音(とみた かずね、1955年7月22日 - )は、… 冨田 和音(とみた かずね、1955年7月22日 - )は、愛知県出身の元アナウンサー、元稲沢市議会議員(1期)。愛知県中島郡祖父江町(現・愛知県稲沢市)生まれ。アナウンサー時代は、CBCテレビに所属していた。 愛知県中島郡祖父江町生まれ。東海高等学校から、関西学院大学社会学部卒業。 社会人入学の58歳で、名古屋工業大学大学院博士前期課程修了。 1980年4月CBC(中部日本放送)に入社。アナウンス部に所属(1980年~1998年、2013年〜2019年)。2019年退職。 2019年9月22日投開票の稲沢市議会議員選挙に無所属で立候補し、当選した。 2023年9月24日投開票の稲沢市議会議員選挙に再選を目指し立候補したが、前回選挙での得票数の半数程度である829票しか獲得できず、次点で落選した。
吉田 雅治(よしだ まさはる、1955年7月22日 - )は… 吉田 雅治(よしだ まさはる、1955年7月22日 - )は、日本の外交官。タンザニア駐箚特命全権大使を経て、スロベニア駐箚特命全権大使。 岡山県生まれ。1978年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。北京大学、香港中文大学で中国語研修を受け、1981年から1982年までプリンストン大学イースト・エイジアン・スタディ研究員として留学。1995年外務省北米局日米安全保障条約課企画官。同年沖縄県総務部参事。1997年外務省経済協力局調査計画課長。2000年外務省総合外交政策局国際社会協力部国連行政課長。2002年在フィリピン日本国大使館参事官。2003年在フィリピン日本国大使館公使。2004年在中華人民共和国日本国大使館総務公使。
田窪 一世(たくぼ いっせい、1955年7月22日 - )は… 田窪 一世(たくぼ いっせい、1955年7月22日 - )は、広島県因島市(現尾道市因島)出身の俳優。所属事務所は大沢事務所、グッドラックカンパニー、ヘリンボーンを経て現在はテロワール所属。身長166cm。 1955年、映画館の経営者の息子として生まれる。1974年に劇団新人会養成所に入所。1976年に演劇集団円演技研究所に入所。舞台を中心に活動。1988年からは、現在に至るまで劇団「座・キューピーマジック」を主宰する。 1994年頃からはテレビドラマ、映画にも活動の幅を広げ活動している。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
宇賀 克也(うが かつや、1955年7月21日 - )は、日… 宇賀 克也(うが かつや、1955年7月21日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。東京大学名誉教授。学位は、博士(法学)(東京大学)。最高裁判所判事を務めた後、弁護士登録(第一東京弁護士会)。長島・大野・常松法律事務所顧問。最高裁判事時代の業績に対し、元裁判官として初めて、日弁連法務研究財団滝井繁男行政争訟奨励賞(実務部門)を2025年(令和7年)度に受賞。日本ディベート協会の2025年「ディベーター・オブ・ザ・イヤー(DOTY)」に選出。 東京都生まれ。練馬区立大泉南小学校、練馬区立大泉第二中学校卒業。小・中学校の1年先輩に、同じく最高裁判事を務めた深山卓也がいる。 そのほか、国、地方公共団体などの役職を歴任した。
原 典之(はら のりゆき、1955年〈昭和30年〉7月21日… 原 典之(はら のりゆき、1955年〈昭和30年〉7月21日 - )は、日本の実業家。MS&ADインシュアランスグループホールディングス取締役会長 長野県出身。愛知県立旭丘高等学校を経て、1978年東京大学経済学部を卒業の後、大正海上火災保険(現三井住友海上火災保険)入社。 2003年市場開発部長。2008年執行役員。2010年常務執行役員。2013年取締役専務執行役員。2015年副社長。2016年取締役社長。2021年取締役会長およびMS&ADインシュアランスグループホールディングス代表取締役社長グループCEO。2024年MS&ADインシュアランスグループホールディングス取締役会長。
海渡 雄一(かいど ゆういち、男性、1955年(昭和30年)… 海渡 雄一(かいど ゆういち、男性、1955年(昭和30年)7月21日- )は、日本の弁護士。第二東京弁護士会所属。東京共同法律事務所所属。日本弁護士連合会秘密保全法制対策本部副本部長、監獄人権センター事務局長、公害対策環境保全委員会委員。脱原発弁護団全国連絡会共同代表、脱原発法制定全国ネットワーク事務局長。『グリーンピース・ジャパン』元理事長。
植村 稔(うえむら みのる、1955年7月20日 - )は、… 植村 稔(うえむら みのる、1955年7月20日 - )は、日本の(元)裁判官。最高裁判所事務総局刑事局長兼最高裁判所図書館長や札幌高等裁判所長官を歴任する。
藤原 智美(ふじわら ともみ、男性、1955年7月20日 -… 藤原 智美(ふじわら ともみ、男性、1955年7月20日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。芥川賞受賞。 福岡県福岡市出身。福岡県立福岡高等学校、明治大学政治経済学部政治学科卒業。1990年、フリーランスのライターの傍ら『王を撃て』により小説家デビュー。1992年『運転士』により第107回(1992年上半期)芥川龍之介賞受賞。2021年10月より読売新聞人生案内の回答者の一人を担当している。
八波 一起(はっぱ いっき、1955年7月20日 - )は日… 八波 一起(はっぱ いっき、1955年7月20日 - )は日本の男性司会者、タレント。本名、坪田 秀之(つぼた ひでゆき)。父親は、脱線トリオのメンバーであったコメディアンの八波むと志。 東京都出身。日本大学経済学部卒業。プロダクション・タンク所属。 1975年、大学2年の時に東宝現代劇に入団。 1980年よりテレビ朝日『モーニングショー』のサブ司会者として活躍。OH!相撲(テレビ朝日)、『てれび夢組』(フジテレビ)などにも出演し、テレビ司会者として茶の間の人気を得る。 1993年スタートの『八波一起のTVイーハトーブ』(製作:東日本放送、テレビ朝日系東北地区ネット)では司会を10年以上務め、2004年3月27日の最終回では愛着のある東北との別れに涙を見せた。