西川 俊作(にしかわ しゅんさく、1932年6月18日 - … 西川 俊作(にしかわ しゅんさく、1932年6月18日 - 2010年1月27日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(論文博士・1971年)(学位論文「地域間労働移動と労働市場」)。慶應義塾大学名誉教授。秀明大学元教授。福沢諭吉協会常務理事。『福澤諭吉書簡集』編集委員。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
荘 月明(そう げつめい、英語:Zhuang Yueming… 荘 月明(そう げつめい、英語:Zhuang Yueming、1932年6月18日 - 1990年1月1日)は、香港最大の企業集団・長江実業グループの執行理事、創設者兼会長である李嘉誠の妻。 英華女學校卒業。1961年、香港大学で英文学位を取得。後に、日本の明治大学に留学。 1963年、李嘉誠と結婚。李嘉誠は一代で香港最大の企業集団・長江実業グループを築き上げた人物であり、その資産は2013年度世界長者番付によれば、310億米ドルとされ、世界8位の富豪である。アジア全域で最も富裕な人物であり、華人としては世界最大の資産家とされた。一方で、そのフィランソロピーでも知られ、質素な日常生活を送り、李嘉誠基金会を通じて社会に多額の献金を行っている。
丸尾 敏夫(まるお としお、1932年(昭和7年)6月17日… 丸尾 敏夫(まるお としお、1932年(昭和7年)6月17日 - 2019年7月11日)は、日本の医学者。専門は眼科学。帝京大学名誉教授。静岡市出身。 1932年、静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1958年、東京大学医学部卒業。1965年、東京大学医学部講師。1971年、帝京大学医学部教授。2000年、帝京大学医学部長。2003年、帝京大学名誉教授。2004年、帝京大学医療技術学部長。2009年、帝京大学医療技術学部客員教授。 東京大学医学部眼科学教室在籍中、外眼筋の生理研究において、萩原朗が日本で初めて筋電図を導入、久保木鉄夫により研究が開始され、丸尾敏夫、石川哲らによって大成された。
鬼澤 慶一(おにざわ けいいち、1932年6月16日 - 2… 鬼澤 慶一(おにざわ けいいち、1932年6月16日 - 2021年9月5日)は、日本の芸能ジャーナリスト、芸能評論家。芸能リポーターの草分け的存在だった。 東京都出身。青山学院大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社した。1965年に報知新聞社に移籍し、記者として活動した。1970年に報知を退社し、フリーの芸能評論家として活動を始める。1971年よりTBSのワイドショー『モーニングジャンボ』の初代リポーターとなる。辛口な評論と堂々とした取材ぶりで、「鬼の鬼澤」の異名をとった。『ザ・ベストテン』(TBS)の情報提供者としても知られている。 俳優の渥美清の結婚式に招待され友人代表として出席したが、鬼澤はその事を渥美の死まで公表することはなく、渥美の没後にその時の記念写真と共に初めて公開している[要出典]。
田辺 久之(たなべ ひさゆき、1932年6月16日 - 20… 田辺 久之(たなべ ひさゆき、1932年6月16日 - 2023年3月18日)は、日本の図書館情報学者・オペラ研究家・ナチュラリスト。 義弟(妻の弟)はドイツ文学者で東京大学名誉教授の小堀桂一郎。義姪(妻の姪)は宗教史学者の小堀馨子。義祖父(妻の祖父)は日本画家の小堀鞆音。 元常葉学園大学教授。国際青少年音楽祭監督。とこはカルチャー講座講師(オペラ)。プッチーニ友の会日本名誉会員。日本学校図書館学会理事(2003~)、日本音楽芸術マネージメント学会会員、静岡県演奏家協会顧問(2015~)、日本気象協会会員、静岡地学会会員。 文化庁民謡調査、音楽放送解説、新聞音楽評等の音楽啓蒙活動に1968年からかかわる。
藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 20… 藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 2023年3月24日)は、日本の音楽学者。文化・音楽評論家。位階は従四位。 国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専攻は民族音楽学・音楽人類学・比較芸術学。 京都府京都市生まれ。名古屋育ち。名古屋大学文学部哲学科卒業。 名城大学助教授を経て、国立民族学博物館助教授、教授、副館長。1996年3月退官、名誉教授。 また、1988年に国立の総合研究大学院大学文化科学研究科が設置されると、教授・比較文化学専攻長、文化科学研究科長を併任し、1996年3月退官、名誉教授。 その後は中部大学中部高等学術研究所副所長、教授を務めた。特任客員教授。
森 楙(もり しげる、1932年6月16日 - )は、日本の… 森 楙(もり しげる、1932年6月16日 - )は、日本の幼児教育学者、教育社会学者、広島大学名誉教授。 長崎県南高来郡有明町(現島原市)出身。筆名・森しげる。1955年広島大学教育学部卒。1960年同大学院教育学研究科教育学専攻博士課程満期退学。1961年広大教育学部助手、1962年広島県立保育専門学校主事、1965年立命館大学産業社会学部助教授、1971年広島大学助教授、1983年教授、同年「G.H.ミードの幼児社会化論の研究」で広島大学より教育学博士の学位を取得。広島大学評議員、附属幼稚園長、教育学部附属幼年教育研究施設長、附属学校部長を兼任、1996年定年退官、名誉教授、日本保育学会、日本教育社会学会、日本子ども社会学会の理事を務めた、広島修道大学教授、くらしき作陽大学客員教授。
稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 20… 稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 2000年10月15日)は、広島県三次市出身の高校野球指導者、監督。 三次中学校(現在の三次高校)卒業後、大蔵省中国財務局に入局するが2年で退職し、石本秀一の書生となって2年間野球を学ぶ。1968年春から1970年春にかけて2年間、大東文化大学硬式野球部の2代目監督に就任。これは、初代監督の岡田悦哉が広島東洋カープ二軍バッテリーコーチに就任したためだった。広島工業高校コーチを経て1976年、創部まもない東京の創価高校監督に就任。小野和義を擁して1983年夏の甲子園に同校を初出場に導いた。その後、神奈川の桐光学園監督を経て1989年、創立8年目の埼玉の花咲徳栄高校に招かれ監督就任。
中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は… 中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は、元NHKアナウンサー。現在はフリー。
八木 健(やぎ たけし、1932年6月15日 - )は、日本… 八木 健(やぎ たけし、1932年6月15日 - )は、日本の経営者。アキレス社長、会長を務めた。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学文学部を卒業し、同年に興国化学工業(のちのアキレス)に入社。 1982年1月に取締役に就任し、1983年1月に常務、1987年1月に専務を経て、1995年11月に副社長に就任し、1997年1月には社長に昇格。2002年6月から2004年6月までに会長を務めた。 1999年11月に藍綬褒章を受章。
林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 … 林 芳男(はやし よしお、1932年〈昭和7年〉6月15日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道滝川市長(3期)。 砂川市出身。北海道大学農学部卒業。北海道日高支庁(現・日高振興局)長、林務部次長、林務部長を歴任した。1991年(平成3年)自民、社会、公明、民社の各党の推薦を受けて滝川市長選挙に立候補し、無投票で当選した。1995年(平成7年)にも当選した。 1999年(平成11年)の市長選は共産党推薦の新人との争いになったが、自民、民主、公明、自由の各党の推薦を受け立候補し、3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 2003年(平成15年)4月26日に引退。
中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月1… 中山 正暉(なかやま まさあき、1932年〈昭和7年〉6月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属で衆議院議員を務めた。大阪市出身。学位は法学士。勲等は勲一等旭日大綬章。財団法人異文化コミュニケーション財団理事。 父は戦前に衆議院議員、戦後に参議院議員を務め、弁護士でもあった中山福蔵。母は初の女性閣僚(厚生大臣)となった中山マサ。 大阪市西区に生まれ、大阪府立生野中学校(旧制)に入学。太平洋戦争後の学制改革に伴い、男女共学化のための交流先の大阪府立勝山高等学校(勝山高等女学校)に移り、勝山高校を卒業。1955年(昭和30年)に中央大学法学部法律学科を卒業した。 母マサが第1次池田内閣の厚生大臣時代に秘書官を務めたのをきっかけに、政界入りする。
等松 隆夫(とうまつ たかお、1932年6月13日 - 19… 等松 隆夫(とうまつ たかお、1932年6月13日 - 1977年11月19日)は、日本の地球物理学者である。 1932年生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院博士課程修了、理学博士。米国航空宇宙局 (NASA) ジェット推進研究所 (JPL) 研究員。東京大学理学部講師、助教授、米国ユタ州立大学客員教授を経て、東京大学理学部地球物理研究施設教授。インドにおける宇宙ロケット発射実験にも協力した。オゾン層を通過する宇宙線の分析によって超高層大気物理学研究で先駆的な役割を果たした。フロンガスによるオゾン層の破壊が地球にもたらす悪影響について警告していた。1973年に松永賞を受賞。1977年死去。45歳没。
大野 雑草子(おおの ざっそうし、1932年6月13日 - … 大野 雑草子(おおの ざっそうし、1932年6月13日 - )は、俳人、陶芸評論家。 愛知県出身。本名・幸雄。筆名・秋山峻。南山大学社会学部卒。学生時代より俳句に親しみ、国松ゆたか・高浜年尾・稲畑汀子に師事し「ホトトギス」に所属。加藤唐九郎、十三代今泉今右衛門の知遇を得て日本陶芸史を研究した。芸術文化交流の会理事、西武文理大学客員教授などを歴任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日… 船村 徹(ふなむら とおる、1932年〈昭和7年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉2月16日)は、日本の作曲家、歌手。日本音楽著作権協会(JASRAC)名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。本名は福田 博郎(ふくだ ひろお)。戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。歌謡曲の作曲家として初めて文化勲章を受章した。位階は従三位。 栃木県塩谷郡船生村(現、塩谷町)出身。栃木県立今市中学校(旧制中学校)、東洋音楽学校ピアノ科卒業。 獣医だった父親がクラシックレコードの収集家であったことや、小学校時代にブラスバンド部でトランペットを吹いていたことなどもあり音楽の道を志す。
牛木 素吉郎(うしき そきちろう, 1932年6月12日 -… 牛木 素吉郎(うしき そきちろう, 1932年6月12日 - )は、新潟県中頸城郡津有村(現:上越市)出身のサッカージャーナリスト、元サッカー選手。元兵庫大学経済情報学部教授。 太平洋戦争中は朝鮮で暮らしていたが、12歳で終戦に伴って日本に帰国。親戚を頼って新潟県中頸城郡津有村(現:上越市)に移った。 中学時代にサッカーを知り、新潟県立新潟高等学校を卒業後、東京大学文学部社会学科に入学してア式蹴球部に在籍した。1956年に大学を卒業して東京新聞に入社。1959年に読売新聞へ移り、運動部編集委員として30数年間スポーツ記者を務めた。また、1969年には読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の設立に携わった。
杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998… 杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998年8月12日)は、日本の元俳優。福岡県福岡市地行東町出身。本名同じ。 俳優・杉狂児の四男。1941年、世田谷区立松沢小学校在学中、島耕二監督映画『次郎物語』の主人公で映画デビュー、この作品では主人公次郎役を幸彦と実兄・杉裕之の二人で演じる。映画の前半では幸彦が演じ、後半を裕之が演じた。1942年、東宝に入社し『翼の凱歌』などに出演するが、その後はしばらくまで学業に専念する。 中学、高校は明星学園を卒業、1955年に明治大学文学部演劇科を卒業したのち再び俳優を志す。同年5月、日活に入社しアクション映画に多数出演。1962年、日活を退社してフリーとなりテレビなどに出演する。
河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は… 河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は、日本の弁護士・元最高裁判所判事。京都大学卒業。 旧制第三神戸中学校(在学中に新制兵庫県立長田高等学校へと移行)を卒業。京都大学法学部では商法学者の大隅健一郎に師事し、在学中に司法試験に合格。 1955年京大卒業。いったん裁判官になったが家庭の事情で弁護士に転身。大阪弁護士会副会長などを歴任し、関西では経済通として知られた弁護士だった。阪神タイガースのランディ・バースの契約問題やイトマン事件にも関わった。弁護士業務のポリシーとして「依頼者と共に苦しんだり悩んだりして、司法の分野では社会と一番密着できる。記録の中から、当事者の姿が見える仕事ができれば」と語った。
佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2… 佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2002年12月17日)は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(1期)。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)生まれ。岩手県立一関第一高等学校卒。卒業後は一関市役所に入り、民生、総務の各部長、収入役、助役を経て、1995年一関市長選挙に立候補して、当選する。1999年に再び立候補し、再選を目指したが、県立病院の移転問題や中心商店街の活性化などが争点となり、元岩手県議の浅井東兵衛(無所属)に1,500票余の差で敗れた。 2002年12月17日一関市内の自宅近くのため池で浮いている姿で発見され、死亡が確認された。
岡 武史(おか たけし、1932年〈昭和7年〉6月10日 -… 岡 武史(おか たけし、1932年〈昭和7年〉6月10日 - )は、銀河天文学、天体分光学、天体物理学の分野を専門とする天文学者である。天体化学の先駆者、地球外の三水素陽イオン (H+3) の発見者として知られる。シカゴ大学エンリコ・フェルミ研究所、天文学・天文物理学・化学科のR. A. Milliken Distinguished Service名誉教授である。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)生まれ。父は旅順工科大学、横浜国立大学、東京大学、日本大学、東洋大学で教授を歴任した応用化学者の岡俊平。大叔父(父方の祖母の弟)は彫刻家の藤井浩佑。17歳までを旅順・大連で過ごす。1949年10月、日本へ引き揚げ。
東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 … 東郷 健(とうごう けん、1932年〈昭和7年〉6月10日 - 2012年〈平成24年〉4月1日)は、日本の社会運動家・政治活動家。雑民の会・雑民党代表。本名同じであるが、読みは「とうごう たけし」。 兵庫県加古川市生まれ。「伝説のおかま」と紹介されることがある。同性愛者ではあるものの、自らの結婚歴や子供の存在を否定していない(下に詳述)。 祖父の名倉次は衆議院議員(立憲改進党)、父の東郷伍郎は兵庫県議会議員であったが、健は地元と絶縁状態だったため、いわゆる世襲候補扱いはされていない。 後妻の子。異母兄は「継母いじめ」を行い、父の死後は家長として健の母を召使いのようにこき使ったという。実母の没後、異母兄は健の行状を理由に、健の遺産相続権を奪う訴訟を起こし、異母兄側が勝訴した。
川島淳夫(かわしま あつお、1932年6月10日- )は、日… 川島淳夫(かわしま あつお、1932年6月10日- )は、日本のドイツ語学者、獨協大学名誉教授。 茨城県鉾田市生まれ。1955年東京教育大学独語独文学科卒業、1961年同大学院修士課程修了。1966‐1968年ケルン大学留学。関西大学文学部助教授・東京教育大学文学部助教授・北海道大学文学部助教授、岩手大学教授・獨協大学教授、2003年定年、名誉教授。
倉持 三郎(くらもち さぶろう、1932年6月10日- )は… 倉持 三郎(くらもち さぶろう、1932年6月10日- )は、日本の英文学者、詩人、東京学芸大学名誉教授。 愛知県生まれ。東京教育大学文学部英文学科卒業。同大学院博士課程中退。ロンドン大学バークベック・カレッジ大学院留学。1960年香川大学助手、62年専修大学講師、共立女子大学助教授、東京学芸大学助教授、教授、95年定年退官、名誉教授。東京家政大学教授。2003年退職。04年「D・H・ロレンスの作品と時代背景」で筑波大学文学博士。94-96年日本D・H・ロレンス協会会長。妻の倉持晴美も英文学者、共立女子大学名誉教授。
佐藤 昌一郎(さとう しょういちろう、1932年(昭和7年)… 佐藤 昌一郎(さとう しょういちろう、1932年(昭和7年)6月10日 - 2002年(平成14年)8月2日)は日本の経済学者、政治学者。元法政大学経営学部教授。 第12回参議院議員通常選挙に山形県選挙区から出馬し後に村山市長を務めた佐藤昌一郎(元NHK山形放送局長)は、同姓同名の別人。 福島県二本松市に生まれる。1956年(昭和31年)に福島大学経済学部を卒業し、1964年(昭和39年)に法政大学大学院社会科学研究科経済学専攻博士課程を単位修得後退学する。同年に法政大学経営学部助手、1966年(昭和41年)に同大学同学部専任講師、1968年(昭和43年)に同大学同学部助教授を経て、1975年(昭和50年)に同大学同学部教授に就任する。
藤原 雄(ふじわら ゆう、1932年6月10日 - 2001… 藤原 雄(ふじわら ゆう、1932年6月10日 - 2001年10月29日)は、日本の陶芸家。1996年に人間国宝に認定。 岡山県備前市(当時の和気郡伊里村)穂浪出身。藤原啓の長男として生まれる。1951年、明治大学文学部 日本文学科に進学。1955年、同大学を卒業後、みすず書房に就職。しかし同年9月、父親の看病のために休職して帰郷。小山富士夫に備前焼を勧められ、父に師事して技法を学びはじめる。1957年、結婚。 1958年、第5回日本伝統工芸展に初入選。長男・和が誕生する。1961年、日本工芸会より正会員に認定された。1963年、スペインのバルセロナで開催された国際陶芸展でグランプリを受賞する。
大宅 歩(おおや あゆむ、1932年〈昭和7年〉6月9日 -… 大宅 歩(おおや あゆむ、1932年〈昭和7年〉6月9日 - 1966年〈昭和41年〉2月13日)は、日本の詩人。 評論家大宅壮一と大宅昌の長男として生まれる。東京府立千歳中学校(現・東京都立芦花高等学校)在学中に学制改革に遭い、1948年、東京都立千歳高等学校1年の時に補欠試験を受けて新制の東京都立第一高等学校(現・東京都立日比谷高等学校)に編入学。中学、高校とラグビーをしており、しばしば負傷したことなどから脳に障害を生じ、1949年3月27日から発作を起こすようになった。日比谷高等学校卒業後、1年間浪人を経て東京大学と早稲田大学と慶應義塾大学に合格。東大に進学し、1958年3月、同大学教養学部教養学科卒業。
川島 孝(かわしま たかし、1932年6月8日 - )は、愛… 川島 孝(かわしま たかし、1932年6月8日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 旭丘高校から1951年に国鉄スワローズへ入団。1952年に退団。
金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は政治家… 金子 清(かねこ きよし、1932年6月7日 - )は政治家、自治官僚。新潟県知事(在任1989年 - 1992年)。
菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 201… 菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 2016年8月24日)は日本の政治家、弁護士、税理士。前橋市議(1期)、群馬県議(5期)、第74代群馬県議会議長を歴任した。 1932年6月6日、前橋市萱町(現千代田町)に生まれる。1951年、群馬県立前橋高等学校卒業。1958年、京都大学法学部卒業。京都大学では猪木正道に教えを受けた。1965年、司法試験に合格する。1968年、群馬弁護士会に所属して、菅野義章法律事務所を開設した。 1969年、前橋市議会議員選挙に立候補して初当選した。1971年、群馬県議会議員選挙立候補のため、市議を辞職した。同年の群馬県議会議員選挙では落選。1975年4月13日、前橋市選挙区から立候補して初当選を果たし、2期務める。
大森 郁之助(おおもり いくのすけ、1932年6月6日 -2… 大森 郁之助(おおもり いくのすけ、1932年6月6日 -2007年12月12日)は、日本の近代文学研究者。札幌大学名誉教授。主に川端康成、堀辰雄、太宰治などの昭和文学を研究した。 1951年、埼玉県立秩父高等学校卒業後、1955年、國學院大學文学部文学科卒業。明治書院、國學院高等学校教諭を経て、1967年、札幌大学専任講師。1968年、同女子短期大学部専任講師、1972年助教授、1974年教授。1997年、札幌大学文化学部に転属。2003年、定年退職、名誉教授。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
髙窪 貞人(たかくぼ さだと、1932年6月3日 - )は、… 髙窪 貞人(たかくぼ さだと、1932年6月3日 - )は、日本の法学者。刑事法・英米法専攻。
西中 清(にしなか きよし、1932年6月3日 - 2016… 西中 清(にしなか きよし、1932年6月3日 - 2016年2月22日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(7期)。 大阪府池田市出身。1956年京都工芸繊維大学工芸学部卒。聖教新聞記者、公明党京都府本部事務長となり、1969年の総選挙で旧京都2区から立候補して初当選。7期務めた。衆院交通安全委員長などを歴任した。1993年に引退した。 2016年2月22日、急性呼吸不全のため死去。83歳没。 峯山昭範(参議院議員)は義弟。
江森 陽弘(えもり ようこう、1932年〈昭和7年〉6月2日… 江森 陽弘(えもり ようこう、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2015年〈平成27年〉11月12日)は、ジャーナリスト。 本名の読みは「えもり はるみつ」と言う。
江沢 洋(えざわ ひろし、1932年6月2日 - 2023… 江沢 洋(えざわ ひろし、1932年6月2日 - 2023年9月10日)は、日本の物理学者。学習院大学名誉教授。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。東京府出身。専門は理論物理学。
小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - … 小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2007年〈平成19年〉7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。ベトナムに平和を!市民連合の設立者の一人、九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科講師。 1958年(昭和33年)、米フルブライト基金により渡米。その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけ、一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。
日下 弘(くさか ひろし、1932年6月1日 - 1989年… 日下 弘(くさか ひろし、1932年6月1日 - 1989年2月13日)は、日本のデザイナー、装丁家。 東京生まれ。東京芸術大学美術学部卒業。1956年、同研究科修了。 1950年代、デザイン事務所「デスカ・DESKA (DESigners Kono Associates)」(河野鷹思と、河野の妻の静子が創設)に参加。仲條正義、福田繁雄、江嶋任、森下俊彦らがメンバーだった。 60年代~70年代、創元推理文庫のブックデザインを多数担当した。また、角川文庫のJ・D・サリンジャー作品、アルベルト・モラヴィア作品のデザインも担当。 1961年東京芸術大学講師、1964年女子美術大学講師、1966年日本エディタースクール講師、1969年愛知県立芸術大学講師を経て、後に東京学芸大学教育学部教授を務めた。
石松 愛弘(いしまつ よしひろ、1932年6月1日 - 20… 石松 愛弘(いしまつ よしひろ、1932年6月1日 - 2025年11月28日)は、日本の脚本家、小説家。 福岡県飯塚市に生まれ、大牟田市、宗像市に育つ。福岡県立宗像高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒。大学在学中から東宝のシナリオ研究会に所属。最初は東宝の入社試験を受けるが、採用者が決定する直前になって「胸に影」があったのが理由となって採用取り消しとなり、その代わりに大映を紹介してもらい、卒業後大映に入社し、白坂依志夫、舟橋和郎、増村保造らに師事。 1960年『弾痕街の友情』でデビューし、1962年に大映と脚本家契約をする。 以来、テレビと映画の別なく骨太なハードボイルド、任侠作品を数多く執筆し、大映のみならずカラーの異なる東宝、東映、日活といった各社でも活躍。
横山 武(よこやま たけし、1932年6月1日 - )は、日… 横山 武(よこやま たけし、1932年6月1日 - )は、日本の福音派牧師。 山形県出身。青山学院大学、慶應義塾大学を卒業。東京神学塾卒業し、日本バプテスト教会連合東京中央バプテスト教会牧師を務める。お茶の水聖書学院講師となる。 その他、東京基督教大学監事、キングスガーデン埼玉理事長、CS成長センター顧問などに在任した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
黒田 成俊(くろだ しげとし、1932年6月1日 - )は、… 黒田 成俊(くろだ しげとし、1932年6月1日 - )は、日本の数学者。東京大学名誉教授、学習院大学名誉教授。専門は関数解析、数理物理。 1932年生まれ。黒田成勝の長男で、高木貞治の孫。1955年 東京大学理学部物理学科卒業、東京大学理学部助教授、教養学部教授,学習院大学理学部教授を経て、東京大学名誉教授、学習院大学名誉教授。理学博士。シュレーディンガー作用素の数学的散乱理論で先駆的な業績を挙げた。 師は加藤敏夫。池部晃生、藤田宏とともに東京大学物理学科の加藤研究室に在籍していた。1970年 ニースで開催された国際数学者会議では全体講演者の加藤敏夫とともに招待講演者を務めた。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。
佐藤 大八郎(さとう だいはちろう、 1932年(昭和7年)… 佐藤 大八郎(さとう だいはちろう、 1932年(昭和7年)6月1日 - 2008年(平成20年)5月28日)は、日本の数論学者。学位はDoctor of Philosophy(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1963年)。東京福祉大学教授。完全k乗二項係数図形における「Sato-Strausの定理」を発見した。 静岡県富士宮市出身。東京教育大学を卒業後に渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でMsc(Master of Science)とPh.D.(Doctor of Philosophy)の学位を取得した。その後、カナダのサスカチュワン大学、レジャイナ大学で教鞭を執り1997年に退職。2000年から2006年まで東京福祉大学教授を務めた。
大橋 正昭(おおはし まさあき、1932年6月 - )は、日… 大橋 正昭(おおはし まさあき、1932年6月 - )は、日本の実業家。愛知製鋼代表取締役社長や、日本金属学会会長、ファインセラミックスセンター理事長、学校法人名城大学理事長などを務めた。藍綬褒章受章。 愛知県出身。愛知一中入学後、在学中に学制改革が起こり、愛知県立旭丘高等学校を卒業。東北大学大学院工学研究科修士課程修了後、1957年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。労働組合書記長、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、1992年愛知製鋼取締役副社長。愛知製鋼で取締役社長や、取締役会長、相談役を歴任した。 1990年ファインセラミックスセンター理事長。1993年日本金属学会会長。1997年中部実業団陸上競技連盟会長。
永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 … 永岡 義久(ながおか よしひさ、1932年〈昭和7年〉6月 - 2015年〈平成27年〉)は、日本の作家、文芸評論家。 福岡県福岡市生まれ。学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学生時代に学習院大学の聴講生だった久邇通子と出会い恋仲になる。この事が表沙汰になるのを家族に嫌われたからか久邇通子は1年で大学に通うのを辞め、月に2、3回隠れるようにデートしていた。久邇通子の親族は、永岡義久と久邇通子の結婚を許さなかった。この2人が付き合い始めて5年が経った頃に、久邇通子の父親であった久邇宮朝融王は肝硬変で倒れる。それから近親者の取り計らいで2人の結婚が決まる。意識不明の父の枕元で婚姻届を書く。その時の永岡義久は既にサラリーマンで、飯田橋のアパートで夫婦で暮らしていたが、同居をすれば性格の不一致が広まり4年で離婚する。
佐々木享(ささき すすむ、1932年5月31日 - 2015… 佐々木享(ささき すすむ、1932年5月31日 - 2015年5月14日)は、日本の職業教育学者。 東京出身。戦争中に長野県岡谷市に疎開。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1956年東京都立大学 (1949-2011)工業化学科卒、1962年同歴史学科卒。高校技術科教師、専修大学経営学部助教授、1976年名古屋大学教育学部助教授を経て、教授。1995年定年退官、名誉教授、愛知大学短期大学部教授を務めた。技術科教育・職業教育が専門。
山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日… 山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日本の裁判官、弁護士。家庭裁判所調査官研修所長や、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長、浦和家庭裁判所長を歴任した。 神奈川県生まれ。1955年名古屋大学法学部卒業。1963年裁判官任官、大阪地方裁判所判事補。家庭裁判所調査官研修所教官、最高裁判所事務総局家庭局付、最高裁判所事務総局家庭局第三課長、最高裁判所事務総局家庭局第一課長、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、家庭裁判所調査官研修所長、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長等を経て、浦和家庭裁判所長を最後に依願退官し、1997年日本大学教授に就任。のち、弁護士、家庭問題情報センター理事長を歴任。
黒井 千次(くろい せんじ、1932年5月28日 - )は、… 黒井 千次(くろい せんじ、1932年5月28日 - )は、日本の小説家。本名、長部 舜二郎(おさべ しゅんじろう)。サラリーマン生活の傍ら執筆生活を始め、「内向の世代」を代表する作家の一人と目された。大企業の組織を見つめ、労働者の人間疎外を主題とした作品を多数執筆したが、『春の道標』など自伝的な青春小説でも好評を得た。日本芸術院会員、文化功労者。日本文芸家協会理事長、日本芸術院院長を務めた。 東京府下高円寺に、検察官でのち最高裁判事となる長部謹吾の次男として生まれる。都立西高校から1955年東京大学経済学部卒業、富士重工業へ入社し、サラリーマン生活のかたわら、創作を行う。新日本文学会に入り、1958年に『青い工場』を発表し、当時の労働者作家の有望株として、八幡の佐木隆三、長崎の中里喜昭たちとともに注目された。
畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )… 畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )は、日本の児童文学研究者。 北海道岩見沢市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。高校教師をしながら童謡の創作と研究に携わり、大阪府で社会教育行政に従事、1984年大阪国際児童文学館総括専門員、名古屋明徳短期大学教授。1981年詩集『大阪弁のうた二人集ほんまにほんま』(島田陽子と共著)で第11回日本童謡賞を受賞。1991年『童謡論の系譜』で日本児童文学学会奨励賞受賞。2007年『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』で日本児童文学学会賞受賞。
中村 賢一郎(なかむら けんいちろう、1932年5月28日 … 中村 賢一郎(なかむら けんいちろう、1932年5月28日 - 1988年8月2日)は、日本の経済学者。 新潟県出身。明治大学政経学部卒、1958年同大学院政治経済学部修了、1975年「現代経済学の系譜」で経済学博士。明治大学助教授、教授。56歳で死去した。関未代策に師事した。
佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002… 佐原 真(さはら まこと、1932年5月25日 - 2002年7月10日)は、日本の考古学者。国立歴史民俗博物館名誉教授。 1932年、大阪府大阪市上本町で佐原忠雄・香代の次男として生まれた。父方の祖父は備後福山藩(広島県福山市)の家老のいえであったという。 幼稚園児のときに公園で拾った土器片に興味を持ったことが考古学を志す契機となった。国民学校初等科4年生の時の担任教師の影響で、浜田青陵『博物誌』を読んだ。国民学校初等科5年生の時、東京へ転居。1947年、日本人類学会が主催した「中学生の為の人類学講座」へ参加して、縄文学の創設者山内清男に感銘を受け、東大の山内研究室に出入するようになった。山内から個人指導を受け、縄文土器の文様の研究に没入するようになった。
宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、… 宇治 みさ子(うじ みさこ、本名:野崎 美咲子、旧姓:田中、1932年5月25日 - 2012年2月27日)は、京都市右京区出身の日本の女優。旧芸名は山中美佐。父は俳優の田中春男。