生駒 道弘(いこま みちひろ、1932年4月19日 - )は… 生駒 道弘(いこま みちひろ、1932年4月19日 - )は、日本の経営学者。和歌山大学名誉教授、四国大学名誉教授。 和歌山県有田郡吉備町(現有田川町)出身。1956年、和歌山大学経済学部卒業。1961年、神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。1976年「分析的財務管理理論の一考察」で神戸大学より経営学博士の学位を取得。 1961年、和歌山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。和歌山大学名誉教授。1975年、ボン大学(ドイツ)にて国費研究。ドイツ経営学の重鎮であるHorst Albachと共同研究を行う。1987年、近畿大学商経学部教授。1995年、日本経営財務研究学会会長。1999年、四国大学教授。
4代目 桂 文紅(かつら ぶんこう、1932年4月19日 -… 4代目 桂 文紅(かつら ぶんこう、1932年4月19日 - 2005年3月9日)は、上方落語の落語家(上方噺家)。出囃子は『お兼晒し』。本名:奥村 須賀男、もしくは奥村 寿賀男。 大阪府立四条畷高等学校卒業。立命館大学に通いながら電線会社に勤務していた時に、組合の文化祭で落語を演じ、後に素人コンクールで2位となった。上方落語の世界初の大学卒業の噺家だった。 1955年(昭和30年)3月、4代目桂文團治に入門。桂文光を名乗る。 1959年2月、4代目桂文紅を襲名。1970年代前半に、3代目桂文我と二人会を催し、「文文コンビ」と称された。 上方落語においては、「上方落語四天王」(6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂米朝、3代目桂春団治)とその弟子たちの中間の世代であった。
須々木 主一(すすき しゅいち、1932年〈昭和7年〉4月1… 須々木 主一(すすき しゅいち、1932年〈昭和7年〉4月19日 - 2014年〈平成26年〉10月20日)は、日本の法学者。専門は刑事法、主に刑事政策。早稲田大学名誉教授。齊藤金作門下。秋田県横手市出身。 1932年、秋田県横手市の日本基督教団関係者の家に生まれる。東京都立武蔵高等学校を経て、1955年に早稲田大学第一法学部を卒業。そのまま、早稲田大学大学院法学研究科修士課程・博士課程へと進み、在学中、齊藤金作に師事する。1958年に早稲田大学比較法学研究所助手、1961年に早稲田大学法学部専任講師に嘱任すると、その後1964年に同大同学部助教授、1969年に同大同学部教授に嘱任する。 師である齊藤金作より、刑事政策の研究を勧められ、独学で刑事政策を学ぶ。
川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 200… 川合 伸旺(かわい のぶお、1932年4月18日 - 2006年6月24日)は、日本の俳優、声優。愛知県豊橋市出身。 悪役俳優として知られ、特に時代劇での悪代官役で著名であった。 1945年、豊橋市立八町小学校卒業。同年に豊橋空襲で自宅を失う。 終戦後、通学する愛知県立豊橋中学校が新学制度により、愛知県立豊橋時習館高等学校となる。在学中は美術部に在籍しており、演劇部のため書き割りを描いてた際に「役者が足りないからちょっとやってみて」と言われたことがきっかけで俳優を目指す。1951年に高校を卒業し上京、舞台芸術学院本科に入学する。 卒業後は劇団青俳へ入所。『反応工程』『モンセラ』などの舞台に立つ傍らで、1956年公開の映画『道』に「河井信旺」名義で映画初出演を果たした。
坂本 満(さかもと みつる、1932年4月18日 - )は、… 坂本 満(さかもと みつる、1932年4月18日 - )は、日本の美術史学者、お茶の水女子大学名誉教授。専門は東西美術交渉史、西洋版画史。 東京生まれ。1955年東京大学教養学部フランス科卒、57年同文学部美学美術史卒、59年同大学院修士課程修了。吉川逸治の下でゴヤを研究、パリ図書館に学び、東京国立博物館学芸員、東京国立文化財研究所勤務、1973年お茶の水女子大学文教育学部教授、1989年国立歴史民俗博物館教授、1996年定年退官、聖徳大学教授。金沢美術工芸大学客員教授。専門は東西美術交渉史、西洋版画史。
西山 忠範(にしやま ただのり、1932年4月17日 - )… 西山 忠範(にしやま ただのり、1932年4月17日 - )は、東京都出身の商法学者。元武蔵大学経済学部長。
嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 201… 嶋崎 丞(しまさき すすむ、1932年4月17日 - 2019年12月19日)は、日本の陶磁器研究家。 石川県小松市生まれ。立教大学卒業、九州大学大学院文学研究科国史学専攻修士課程修了。1959年石川県美術館職員となる。資料課長、専業課長、1980年石川県立美術館開設準備室長、1983年石川県立美術館副館長、1991年館長。石川県七尾美術館館長、石川県文化財保存修復工房所長を兼任する。 2019年12月18日にホテル日航金沢で開かれていた「第60回美術家まつり」の席上で意識を失い、翌12月19日に虚血性心疾患のため石川県立中央病院で死去した。87歳没。 兄に嶋崎弘(雲井社長)、嶋崎均(参議院議員)、嶋崎譲(政治学者・衆議院議員)、東方歩(東洋交通社長)、妹に嶋崎晶子(立正短期大学教授)がいる。
矢島 翠(やじま みどり、1932年4月17日- 2011年… 矢島 翠(やじま みどり、1932年4月17日- 2011年8月30日)は、日本の評論家、翻訳家。 東京市出身。カトリック系の小学校で学び、幼い頃から英語に親しんだ。一方で典型的な皇国少女でもあった。女子に門戸が開かれたばかりの東京大学文学部に入学し、1955年英文科卒業。同年共同通信社に入社、特信部外国通信部配属。1960年特信部文化部、1968年ホノルル特派員、1971年外信部、1974年ニューヨーク特派員を歴任し、1976年帰国後退社。のちフリーランスで文筆活動をし、また大学の映画史の講座を受け持ったりした。 私生活では、大学卒業後まもなく大学の同級生でのちの映画助監督と結婚、1959年に出産。
白井 彦衛(しらい ひこえ、1932年4月17日 - 201… 白井 彦衛(しらい ひこえ、1932年4月17日 - 2011年[要出典] )は、日本の造園学者。千葉大学名誉教授。千葉大学園芸学部庭園学研究室で長く教職にあった。 北海道大学農学部林学科時代は絵画・美術にも造詣が深かった今田敬一に師事し、その後千葉大学へ移った。1979年に北海道大学より農学博士の学位を取得した[要出典]。 研究テーマは庭園学庭園等快適環境の学理と創出をめざす研究分野で、代表的な研究には、永保寺庭園における庭園様式に関する研究」、浄土庭園に関する研究など、日本庭園の研究や、都市環境における芸術の導入方法(1989年‐1990年)、都市環境における彫刻作品の量と住民の意識の関係(1991年)などがある。
近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16… 近藤 秀樹(こんどう ひでき、1932年(昭和7年)4月16日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の歴史学者。新潟大学教授。専攻は中国近代史。 1932年、新潟県長岡市生まれ、または村松町(現・五泉市)生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て、京都大学文学部史学科で東洋史を専攻して卒業。同大学院文学研究科修士課程、博士課程を修了。 卒業後はクラレチアン会立の高校教諭、大阪工業大学一般教育科の社会思想史担当を経て、1978年より新潟大学で中国史を教える。「范氏義荘の変遷」(『東洋史研究』21巻4号、1963年)は義荘研究の必読文献である。
尾関 宗園(おぜき そうえん、1932年〈昭和7年〉4月16… 尾関 宗園(おぜき そうえん、1932年〈昭和7年〉4月16日 - )は、日本の臨済宗の僧侶、大徳寺大仙院の閑栖。 奈良市に生まれる。高校3年のときに仏門に入る。奈良教育大学を卒業後、京都の相国寺僧堂で7年間の雲水修行を積む。1956年(昭和31年)、奈良慈光院の住職となる。1962年(昭和37年)に大仙院の副住職、1965年(昭和40年)に住職となる。 1993年度から28年間にわたり京都工芸繊維大学にて「生活文化史」(2014年度から「京の生活文化史」に改称)の講師を勤めた。2007年(平成19年)から大仙院の閑栖(閑栖は隠居した禅僧のこと)に就任する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年… 高橋 ヨシ江(たかはし ヨシえ、結婚後の姓 浜松、1932年4月15日 - 2022年5月15日)は、日本の女子陸上競技選手(走幅跳)。メルボルンオリンピック代表。元中央大学女子陸上競技部監督・元日本陸上競技連盟女子委員長。 群馬県群馬郡東村(現在の前橋市)出身。旧制前橋高等女学校(現在の群馬県立前橋女子高等学校)入学後に本格的に陸上競技に取り組む。 女子の4年制大学進学率が2%という時代に中央大学からのスカウトを受けて入学。大学3年の第37回日本陸上競技選手権大会(1953年)で5m53をマークして選手権初優勝を飾ると、翌年の1954年アジア競技大会(フィリピン・マニラ)では5m68をマークして優勝した。
舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月1… 舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の弁護士、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会常務理事、日本弁護士連合会常務理事、政治家。埼玉県議会議員。埼玉県川越市長。義父は衆議院議員松山義雄。息子は元埼玉県議会議員舟橋一浩。 栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。中央大学法学部卒業を経て1961年4月に弁護士登録。1963年4月に埼玉県議会議員に初当選して当選3回、この間1976年の衆院選では義母の松山千恵子(衆議院議長松永東の娘)の後継候補として埼玉2区から出馬するが落選、程無くして新自由クラブに加わった。1993年2月に小宮山重四郎系と社会党などの支援で、前県議の中野清を破って川越市長に就任し以後4期16年在任した。
川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は… 川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は、日本の山岳写真家。 東京府東京市(現東京都大田区)出身。1951年東京都立京橋化学高等学校卒。小学生の頃より昆虫採集や植物採集などを通じて自然と親しむ。登山は高校卒業後、同窓生を中心に山岳会を結成。1950年代より作家としてカメラ誌、山岳誌に山岳写真を発表、1964年、写真家として独立。1967年4月、日本山岳写真集団を、初のプロ写真作家集団として結成。参加作家は、三宅修(代表)、白簱史朗、山下喜一郎、小森康行、内田良平、横山宏、竹之原陽一郎、大塚大、川口の9名。日本山岳写真協会理事長。
丹下 博之(たんげ ひろゆき、1932年(昭和7年)4月14… 丹下 博之(たんげ ひろゆき、1932年(昭和7年)4月14日 - )は、日本の経済学者。埼玉大学名誉教授。 マルクス経済学を基盤に、宇野学派の段階論的方法から戦後世界経済(特にアメリカ経済におけるドル危機)についての論究や、アメリカのレーガノミクス、金利政策の分析を行った。 かたわら連句を嗜み、根津芦丈に師事、『連句・俳句季語辞典 十七季』を共編著し、付合例句集全部および季語の分類と解説の半分を担当した。
稲垣 忠彦(いながき ただひこ、1932年4月14日 - 2… 稲垣 忠彦(いながき ただひこ、1932年4月14日 - 2011年8月18日)は、日本の教育学者。教育学博士(東京大学・論文博士・1964年)。東京大学名誉教授。信濃教育会教育研究所長。息子は朝日新聞編集委員の稲垣康介[要出典]。 広島県出身。東京大学卒。宮城教育大学助教授、東京大学教育学部助教授、1979年同教授、1986年から1988年まで同教育学部長。1993年定年退官、滋賀大学教授。その後、1997年帝京大学教授、2003年同大学退職。1977年『アメリカ教育通信』で毎日出版文化賞受賞。教育方法論、学校現場の授業実践などを研究した。 1964年、教育学博士(東京大学)、学位論文の題は「公教育における教授実践・理論の構造」。
志賀 正典(しが まさのり、1932年4月13日 - )は、… 志賀 正典(しが まさのり、1932年4月13日 - )は、日本の経営者、銀行家。神奈川銀行頭取を務めた。埼玉県出身。 1956年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。理財局に配属。1981年6月に青森県副知事に就任し、1985年6月に住宅・都市整備公団理事、1988年6月に関東財務局長を経て、1989年6月に神奈川銀行頭取に就任。2000年6月から会長を務めた。
藤吉 敏生(ふじよし としお、1932年4月11日 - )は… 藤吉 敏生(ふじよし としお、1932年4月11日 - )は、日本の実業家。日刊工業新聞社会長・社長。
松谷嘉隆(まつたに よしたか、1932年4月11日 - 20… 松谷嘉隆(まつたに よしたか、1932年4月11日 - 2022年11月21日)は国際証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券)元代表取締役会長兼CEO。大阪経済大学元理事長。 兵庫県出身。1956年大阪経済大学経済学部卒業、野村證券に入社。1984年12月に、同じ野村出身の豊田善一(元野村證券副社長、元国際証券社長)の招請で国際証券に転じ取締役に就任する。後に豊田が体調不良により社長を引退したことにより、1990年に後任社長に就任。2001年6月、国際証券は証券取引法の違反行為などがあったとして行政処分を受ける事態に対し責任を取り、松谷を含む複数の役員が辞任した。 2005年には、母校である大阪経済大学の理事長に就任した。
古橋源六郎(ふるはし げんろくろう、1932年4月10日 -… 古橋源六郎(ふるはし げんろくろう、1932年4月10日 - )は日本の大蔵・総務官僚。総務事務次官、 石油公団副総裁、国家公務員共済組合連合会理事長、ソルト・サイエンス研究財団理事長などを務めた。東京都新宿区市谷田町3丁目在住。 愛知県出身。東京大学法学部卒業。1955年4月 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。主計局主査(農林係)、主計局主計官(農林水産担当)などを務める。1978年8月1日 関税局企画課長。1979年7月10日 関税局総務課長兼関税局企画課長。同年8月7日 関税局総務課長。1980年6月17日 関東信越国税局長。1981年5月20日 行政管理庁長官官房審議官(行政管理局担当)。1982年4月6日 行政管理庁長官官房審議官(長官官房担当)。
堀内 守(ほりうち まもる、1932年4月10日 - 201… 堀内 守(ほりうち まもる、1932年4月10日 - 2013年7月)は、日本の教育学者。名古屋大学名誉教授。 長野県小県郡真田町(現上田市)生まれ。長野県上田高等学校、東京大学教育学部卒業。同大学院社会学研究科(教育学)博士課程満期退学。1971年「コメニウス研究」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。1964年旧・東京都立大学講師、1968年名古屋大学教育学部助教授、1980年教授(教育原論)。名古屋大学大学院多元数理科学研究科教授(社会構造数理)。1996年定年退官、名誉教授、日本福祉大学知多半島総合研究所所長(地域総合研究)。 1982年から遡って約10年前に東京から名古屋に引っ越した際、当時小学生だった自身の息子が読売ジャイアンツ(巨人)の堀内恒夫と同姓であるという理由から学校でいじめを受けたことがあると語っており、その理由については息子が巨人のライバル球団であり、名古屋を本拠地とするプロ野球チームである中日ドラゴンズのファンが多い土地柄ゆえ、「ドラゴンズファンのヤリ玉に上げられたような気がする」と語っている。
杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 202… 杉山 進(すぎやま すすむ、1932年4月10日 - 2025年4月10日)は、長野県下高井郡野沢温泉村出身の元アルペンスキー選手、指導者。 「杉山スキー&スノースポーツスクール」代表。日本職業スキー教師協会(SIA)第5代会長。 幼少期からスキーに親しみ、旧制飯山中学・飯山北高ではスキー部で活躍。高校1年の時、従兄の片桐匡(元全日本スキー連盟副会長、長野県スキー連盟会長)の紹介で、猪谷六合雄・千春父子と知り合う。北アルプス・涸沢での猪谷父子の合宿にも参加し、大きな影響を受ける。高校卒業後、長野電鉄に入社。1954年の第32回全日本スキー選手権大会では、滑降・回転の2冠となり、次世代の有力選手として注目されるようになる。
三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 -… 三谷 昇(みたに のぼる、1932年〈昭和7年〉4月9日 - 2023年〈令和5年〉1月15日)は、日本の俳優・声優、芸術家。 広島県立福山葦陽高等学校卒業。「文学座」や「劇団雲」を経て、「演劇集団 円」に所属していた。特技は広島弁。 高校時代から演劇活動を開始。1951年に高校を卒業後、画家を志望して東京藝術大学を受験するが失敗。郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団した。4年後、役者へと転身した。 絵心は晩年まで持ち続け、舞台でピエロを演じた経験から「役者は道化」と思い定め、ピエロを描いた「道化石」を共演者らに送ったり、新美南吉の童話『いつのことだかどこのことだか』を紙芝居化したり、公演先でスケッチしたりしており、没後には遺作展も開かれた。
大畑 庄作(おおはた しょうさく、1932年4月9日 - )… 大畑 庄作(おおはた しょうさく、1932年4月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
石川 忠久(いしかわ ただひさ、1932年〈昭和7年〉4月9… 石川 忠久(いしかわ ただひさ、1932年〈昭和7年〉4月9日 - )は古典中国文学者。二松学舎大学名誉教授・顧問、桜美林大学名誉教授、日本中国学会顧問、全国漢文教育学会会長、斯文会理事長、六朝学術学会顧問、全日本漢詩連盟会長、漢字文化振興会会長。漢詩の著書・編著多数。号は「岳堂」。
露口 茂(つゆぐち しげる、1932年〈昭和7年〉4月8日 … 露口 茂(つゆぐち しげる、1932年〈昭和7年〉4月8日 - 2025年〈令和7年〉4月28日)は、日本の俳優。東京府東京市生まれ、愛媛県松山市育ち。 現在の東京都で生まれるが、太平洋戦争の影響で両親の故郷である愛媛県松山市に疎開し、同所で育つ。愛媛県立松山東高等学校卒業。一学年下には俳優・映画監督の伊丹十三や作家の大江健三郎がいる。高校時代は水泳、陸上やラグビー(ポジションはウイング)もやり、バスケットボール部で国体代表候補になるほどの腕前であった。愛媛大学文理学部人文学科甲(文学課程英語・英文学専攻)に通いながら、NHK松山放送劇団の劇団員として主にラジオドラマ(オーディオドラマ)などで活動した。
大山 武俊(おおやま たけとし、1932年4月8日 - 20… 大山 武俊(おおやま たけとし、1932年4月8日 - 2018年2月13日)は、カベナント教会系の日本の牧師。 岡山県倉敷市に生まれる。カベナント教会系の瑞典聖約基督教会でキリスト教に入信する。1955年(昭和30年)に岡山大学法文学部法学科を卒業。大学卒業後渡米して、米国シカゴのノースパーク神学校(North Park Theological Seminary)で学び1959年(昭和34年)に卒業。 帰国後、瑞典聖約基督教会の倉敷呼松聖約教会牧師、岡山聖約教会牧師の牧師を務め、1964年(昭和39年)日本聖約キリスト教団が創立されると、代表役員に就任した。 1966年(昭和41年)より日本聖契キリスト教団に移り、藤沢湘南台聖契教会協力牧師をしながら、聖契神学校でヘブル語の教授に就任する。
和田 修二(わだ しゅうじ、1932年4月8日 - )は、日… 和田 修二(わだ しゅうじ、1932年4月8日 - )は、日本の教育学者、 京都大学名誉教授、名古屋女子大学教授。オランダのユトレヒト大学に留学、マルティヌス・ヤン・ランゲフェルドに師事。専門は教育学、教育哲学、教育人間学、臨床教育学。 千葉県生まれ、実存哲学、とりわけマルティン・ハイデッガー研究から出発。京都大学大学院教育学研究科在学中に「ニヒリズムと思考の転回」「実存における真理と自由」「教育における魔的なもの」などの論文を発表(いずれも『京都大学教育学部紀要』に所収)。奈良女子大学講師時代の1963年、オランダ政府給費留学生としてユトレヒト大学のマルティヌス・ヤン・ランゲフェルドに師事し、帰国後、精力的にランゲフェルドの著作や論文を翻訳、紹介している。
西藤 直人(さいとう なおと、1932年4月8日 - 201… 西藤 直人(さいとう なおと、1932年4月8日 - 2014年7月16日)は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1958年11月に住友ゴム工業に入社し、1959年に神戸大学法学部を卒業。1975年3月に取締役に就任し、1988年3月に常務を経て、1992年3月に専務に就任。1995年3月には社長に昇格。1999年3月に会長に就任。 2014年7月16日肺炎のために死去。82歳没。
大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日… 大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日本の実業家。NTTドコモ社長、同社会長を歴任。北海道札幌市出身。 1945年北海道庁立札幌第一中学校入学、1951年北海道札幌北高等学校卒。1957年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)入社、1966年北海道石狩深川電報電話局長。電気通信総合研究所経営研究室長、データ通信本部営業部長などを経て、1988年NTT取締役経営企画本部長、1990年同常務企業通信システム本部長、1992年NTT移動通信網(NTTドコモ)社長、1998年同会長、現在に至る。社長時代にiモード開発を推進した。 多趣味で知られ、学生時代は全都道府県を旅行したように、今もぶらり出かける外出を好む。
平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7… 平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。
菊地 弘(きくち ひろし、1932年4月7日 -2018年1… 菊地 弘(きくち ひろし、1932年4月7日 -2018年10月31日 )は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。早稲田大学文学部国文科卒。跡見学園女子大学教授、2003年定年退任、名誉教授。
小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 20… 小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 2016年12月29日)は、日本の女優。本名:勅使河原トシ子(旧姓:小林)。 東京市中央区築地生まれ。1946年4月、学校を中退して日劇ダンシングチーム(NDT)に入団。1947年2月、初舞台。 1949年、松竹の木下恵介監督にスカウトされ、映画『破れ太鼓』でスクリーンデビュー。これは高峰秀子が予定されていた大役での出演であった。翌1950年に松竹に正式入社し、木下の指示で俳優座養成所に1年間通う。1951年、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』での演技は特に有名。 1956年、映画監督の勅使河原宏と結婚し、後に三人の娘をもうける。 1960年、松竹を退社してフリーになり、以後他社の映画や舞台で活躍した。
麻生 宗由(あそう もとよし、1932年(昭和7年)4月6日… 麻生 宗由(あそう もとよし、1932年(昭和7年)4月6日 - 2001年(平成13年)5月3日)は日本のフランス文学者。元・法政大学教授。 1932年(昭和7年)4月6日、東京に生まれる。中央大学文学部フランス文学科を卒業し、同大学大学院文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤井 基男(ふじい もとお, 1932年4月5日 - 200… 藤井 基男(ふじい もとお, 1932年4月5日 - 2009年4月24日)は、日本の卓球選手。現役時代はシェークハンドのカット主戦型として名を馳せた他、卓球ジャーナリストとして著書も多く持ち、荻村伊智朗との共著もある。岩手県花巻市出身で、花巻北高校、岩手大学卒。 1951年の全日本卓球選手権ではシングルスで3位、翌年の全日本卓球選手権でも鈴木勝彦と共に3位となった。1956年に東京で開催された世界卓球選手権にも出場しており、混合ダブルスにおいて田中良子とのペアで銅メダルを獲得している。引退後は日本においてのコーチ活動の他、サウジアラビアのヘッドコーチも務めた。日本卓球協会においても事務局長、専務理事などの役職につき、1991年の世界選手権の千葉開催に向けて取り組んだ。
嘉納 行光(かのう ゆきみつ、1932年4月5日 - 202… 嘉納 行光(かのう ゆきみつ、1932年4月5日 - 2020年3月8日)は、講道館柔道創始者・嘉納治五郎の嫡孫で、講道館館長と全日本柔道連盟会長を務めた。 1932年、嘉納履正(講道館第3代館長)、百合子の長男として東京に生まれる。全く柔道経験のなかった父と異なり幼少時に柔道を始め、初段に至った。しかしその後、第二次世界大戦が終わり占領期で、GHQにより、柔道が禁止されたため修業は断念した。 1945年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1951年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。同級生には、小林信彦(小説家)、鈴木淑夫(元日本銀行理事)、徳山明(元富士常葉大学学長)、中江陽三(元NHKアナウンサー)、藤井裕久(元財務大臣)、吉田庄一郎(元ニコン会長)などがいた。
瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010… 瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010年2月18日)は、日本の画家、版画家、絵本作家。愛知県岡崎市出身。本姓は鈴木。 福音館書店のこどものともの仕事を皮切りに、新しい技法を次々と使いながら多彩なタブロー、版画、スケッチ、絵本の制作を続けた。彼の初期の絵本は松谷みよ子、松野正子などの文に挿絵をつける形で作成されたが、1975年以降は文・絵ともに自作の絵本も制作。その仕事は、童画の枠を超えた現代的な「児童出版美術」の域に達し、BIB(ブラチスラヴァ絵本原画展)グランプリや国内の出版文化賞を受賞するなど、国内外で高い評価を獲得している。 なお年・名前・仕事の協力関係とも似通っている瀬川拓男は親族ではなく、血縁・家系とも他人である。
チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yo… チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。
北川 善太郎(きたがわ ぜんたろう、1932年4月5日 - … 北川 善太郎(きたがわ ぜんたろう、1932年4月5日 - 2013年1月25日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(京都大学・1962年)。京都大学名誉教授。1995年紫綬褒章受章。文化庁長官の諮問機関、著作権審議会会長なども務めた。京都府出身。弟子に潮見佳男、山本敬三など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
吉冨 勝(よしとみ まさる、1932年4月5日 - 2020… 吉冨 勝(よしとみ まさる、1932年4月5日 - 2020年6月21日)は、日本の経済評論家。位階は従四位。 朝鮮光州生まれ。長崎県出身。東京大学教養学部卒。同大学院社会科学科理論経済学博士課程修了。 1962年、経済企画庁にはいり、1984年OECD(経済協力開発機構)に出向。経済統計局長などをつとめ、1987年帰国し、経済研究所長、調整局長を歴任。1992年長銀総合研究所副理事長。1999年、アジア開発銀行研究所長。2004年経済産業研究所所長兼CRO。世界経済の視点から日本経済の動向を分析する。 2020年6月21日6時5分、肺炎のため東京都内の病院で死去。88歳没。死没日をもって、従四位に叙される。
綿抜 邦彦(綿秡 邦彦、わたぬき くにひこ、1932年(昭和… 綿抜 邦彦(綿秡 邦彦、わたぬき くにひこ、1932年(昭和7年)4月5日 - 2018年(平成30年)1月25日)は、昭和から平成時代の地球化学者、分析化学者。温泉の分析化学的研究で知られる。東京大学名誉教授、立正大学名誉教授。 東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。東京大学理学部南研究室助手、同大教養学部化学教室助手、同助教授を経て、1990年(平成2年)同教授となる。東京大学退官後の1993年(平成5年)より立正大学経済学部教授、のち名誉教授となった。 日本地球化学会、日本温泉科学会、日本分析化学会などの学会に所属し、日本温泉科学会では1998年(平成10年)から翌年に掛けて会長を務めた。
辻井 康一(つじい やすかず、1932年4月5日 - )は、… 辻井 康一(つじい やすかず、1932年4月5日 - )は、日本の映画監督である。宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)の社員監督として、テレビ映画をおもに撮ったことで知られる。 1932年(昭和7年)4月5日、大阪府中河内郡孔舎衙村(くさかむら、現在の同府東大阪市日下町)に生まれる。 1956年(昭和31年)、東京の早稲田大学法学部を卒業、関西に戻り、26歳になる1958年(昭和33年)、宝塚映画製作所に入社、久松静児、岡本喜八両監督に師事した。 1968年(昭和43年)、助監督経験を積み重ね、36歳のときに、のちにスキーヤーのバイブルと呼ばれる教育映画『スキー場は戦場ではない』で監督としてデビューした。
渡部 通子(わたなべ みちこ、1932年4月5日 - 201… 渡部 通子(わたなべ みちこ、1932年4月5日 - 2010年12月23日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。夫は元公明党衆議院議員の渡部一郎。 日本統治時代の朝鮮全北裡里(現・韓国全北特別自治道益山市)生まれ。京城第一公立高等女学校在学時に引き揚げ。1956年早稲田大学法学部卒業。聖教新聞記者、潮出版社編集局次長、同取締役を歴任した。また、1966年まで創価学会女子部長を務めた。1969年の第32回衆議院議員総選挙で東京1区から公明党公認で立候補して初当選する。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。1977年の第11回参議院議員通常選挙で兵庫県選挙区から立候補して当選した。
難波 精一郎(なんば せいいちろう、1932年4月4日 - … 難波 精一郎(なんば せいいちろう、1932年4月4日 - )は、日本の心理学者。専攻は音響心理学、環境心理学。文学博士。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。 時間経過に伴って変化する音の印象を捉える「カテゴリー連続判断法」と独自の実験装置の開発により、旧来の定常音研究の枠を超えて複雑な変動音と機械音の研究に道を拓いた。また、多次元的で解析が困難であった音色に関する研究では、各種の音源に関する言語的記述の国際比較など、実験と調査を駆使した多面的なアプローチによって先駆的かつ広範な成果を挙げた。さらに、機械的騒音の評価には騒音レベルだけでなく音色が大きく影響することを明らかにして、機械音の改善を推進した。
後藤 明生(ごとう めいせい、1932年4月4日 - 199… 後藤 明生(ごとう めいせい、1932年4月4日 - 1999年8月2日)は、日本の小説家。本名は明正(あきまさ)。福岡県出身。 出版社勤務の傍ら作品を発表し、『人間の病気』で文壇に登場。「内向の世代」の一人に数えられ、実験的手法を用いた前衛小説を多く書いた。 朝鮮咸鏡南道永興郡生まれ。生家は植民地朝鮮の元山市で商店を営んでいたが、彼が中学に入学した年に敗戦となり、両親の故郷である福岡県に引き揚げた。その引き揚げの途中で父と祖母を失った。このことは作品の幾つかに散見される。旧制福岡県立朝倉中学校に転入し、早稲田大学第二文学部露文学科を卒業。大学在学中の1955年に「赤と黒の記録」で『文藝』の全国学生小説コンクールに入選。
長谷部 安春(はせべ やすはる、男性、1932年(昭和7年)… 長谷部 安春(はせべ やすはる、男性、1932年(昭和7年)4月4日 - 2009年(平成21年)6月14日)は、日本の映画監督、演出家。東京府東京市出身。東京都立新宿高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒業。作家のハセベバクシンオー、女優の長谷部香苗は実子。
有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日 - )は、日… 有馬 稲子(ありま いねこ、1932年4月3日 - )は、日本の女優。大阪府豊能郡池田町(現:池田市)出身。血液型はA型。愛称は「ネコちゃん」「おイネ」。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。本名:中西 盛子(なかにし みつこ)。 後の大阪府池田市で生まれ盛子(みつこ)と命名されたが、両親は西尾末広に加わり労働運動を行い「潜行の日々」を続けていたため、見かねた祖母が4歳の盛子を、釜山にいる父の姉の中西かねの下に連れて行き、子供がいなかったかね夫婦は盛子を養女にした。養父は家庭用品問屋で商工会議所議長(釜山商工会議所会頭とも)なども務めていた。養母(伯母)の中西かねは1916年から1926年にかけて「有馬稻子」の芸名で宝塚歌劇団4期生として在団していた経歴があり、退団後は藤間流の名取りで日本舞踊を教えていて、盛子も養母から踊りを習う。
江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 -… 江口 週(えぐち しゅう、1932年(昭和7年)4月3日 - )は、日本の彫刻家である。 京都市の生まれ。東京芸術大学で彫刻科を専攻する。スケール感が強い技術を用いた斬新な技法を使った木彫を基本とした。卒業後の1963年(昭和38年)に東京国立近代美術館で開催された展示会において初めて彼の作品が出品された。この業績により、1965年(昭和40年)に山口県宇部市で開催された記念すべき第一回現代日本彫刻展にて受賞した。 また1974年(昭和49年)に平櫛田中賞、1977年(昭和52年)には中原悌二郎賞をそれぞれ受賞し、一躍有名な彫刻家となった。 海外にも進出しており、1965年にニューヨーク近代美術館で出品され、以後アントワープ、インドのトリエンナーレでのそれぞれの展示会でも出品された。
徳川 陽子(とくがわ ようこ、1932年4月3日 - )は、… 徳川 陽子(とくがわ ようこ、1932年4月3日 - )は、日本の物理学者。学位は理学博士(東京工業大学)。称号は東京工芸大学名誉教授。旧姓は浅尾。父の浅尾荘一郎は電子工学者。 東京工業大学理工学部物理学科卒業(理学士)、東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程修了(理学修士)、同博士課程修了(理学博士)。1978年理学博士の学位論文は「NaNO2の分極反転の研究 」。 夫は言語学者で元学習院大学文学部教授・博士(文学)の徳川宗賢。長女は歴史学者で東京大学史料編纂所准教授の松方冬子で、他に2女がいる。娘婿の松方純(1957年 - 2007年)は公爵松方正義の玄孫で情報工学者、国立情報学研究所准教授。
手沢 庄司(てざわ しょうじ、1932年4月2日 - 202… 手沢 庄司(てざわ しょうじ、1932年4月2日 - 2025年12月8日[要出典])は、山梨県甲府市出身のプロ野球選手、元プロ野球審判員。 1950年に甲府第一高校卒業後、内野手として1952年に松竹ロビンスに入団。1953年チームが大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなっても移籍せず所属していたが1954年に親会社の松竹が共同経営から撤退し大洋ホエールズに戻ると同時に引退。選手としては3試合に出場し、1打数0安打。 引退後は松竹演舞場に勤務していたが御世話になった先輩に導かれ1962年、セントラル・リーグ審判部に入局した。セ・リーグ袖番号は21(1988年初採用から1989年引退まで)。