小林 安茂(こばやし やすしげ、1927年 - )は、日本の… 小林 安茂(こばやし やすしげ、1927年 - )は、日本の地方公務員、造園家。 東京都に生まれる。三重農林専門学校林科(現・三重大学生物資源学部)を卒業する。 東京都公園緑地部都市公園課長、東京都公園緑地部長、東京都公園協会常務理事、東京都公園協会参与を歴任した。 1989年、第11回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野村二郎(のむら じろう、1927年 - )は、日本の司法ジ… 野村二郎(のむら じろう、1927年 - )は、日本の司法ジャーナリスト。 東京生まれ。明治大学卒、朝日新聞東京本社社会部記者(司法記者クラブ所属)、同編集委員として裁判関係の取材を行う。その後1987年から1998年まで千葉工業大学人文系教授(憲法・法学)を務めた。また、1987年から2000年まで早稲田セミナーマスコミ講座講師。
川崎 淳之助(かわさき じゅんのすけ、1927年 - 201… 川崎 淳之助(かわさき じゅんのすけ、1927年 - 2018年)は、英文学者、立教大学名誉教授。 神奈川県生まれ。立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学文学部教授、1992年定年退職、川並総合研究所をへて聖徳大学人文学部学部教授。日本ワイルド協会名誉会長。専攻はイギリス演劇(エリザベス朝演劇、風習喜劇)中央アジア・モンゴルの歴史にも造詣が深い。
崔碩義(チェ・ソギ、1927年 - 2021年8月)は、韓国… 崔碩義(チェ・ソギ、1927年 - 2021年8月)は、韓国出身、日本で活動した作家、翻訳家、評論家。 韓国慶尚南道泗川生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。その後、在日朝鮮人運動(朝鮮新報社)の活動にたずさわる。1980年から朝鮮近世文学史を専攻し、執筆活動を始める。在日朝鮮人運動史研究会会員。娘は山下英愛。
伊藤 知巳(いとう ともみ、1927年 - 1986年)は日… 伊藤 知巳(いとう ともみ、1927年 - 1986年)は日本の写真評論家。カメラ雑誌の草分け「CAMERA」(アルス社)編集長、東京綜合写真専門学校、東京造形大学、現代写真研究所、桑沢デザイン研究所などの教員を歴任。土門拳の甥。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
岸 俊彦(きし としひこ、1927年 - )は、日本の教育心… 岸 俊彦(きし としひこ、1927年 - )は、日本の教育心理学者、明星大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学文学部心理学科卒業。1982年「教授学習過程の心理学的研究」で早大文学博士。東京都立中野工業高等学校教諭、東京都立教育研究所、1976年明星大学助教授、教授。1998年定年退職、名誉教授、学校心理士資格認定委員長、湯島心理相談所。八洲学園大学教授。その間、東京都日野市教育委員、日野市立幼児教育センター所長。
鈴木 肇(すずき はじめ、1927年 - )は、日本のジャー… 鈴木 肇(すずき はじめ、1927年 - )は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業、産経新聞に入り、1955年鈴木俊子と結婚。1966-69年モスクワ支局長、1988年東京家政学院筑波短期大学教授、平成国際大学教授、2002年退職、名誉教授。専攻はロシアの思想と文化。妻は『誰も書かなかったソ連』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した鈴木俊子。 鈴木は1976年3月時点で、統一教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の会員だった。
矢代 和夫(やしろ かずお、1927年(昭和2年) - )は… 矢代 和夫(やしろ かずお、1927年(昭和2年) - )は、国文学者。中世文学専攻。 東京生まれ。早稲田大学文学部国文科卒、同大学院修士課程修了。旧・東京都立大学助教授、教授、1993年定年退官。
向坂 唯雄(こうさか ただお、1927年〈昭和2年〉 - )… 向坂 唯雄(こうさか ただお、1927年〈昭和2年〉 - )は、日本の文筆家、国鉄職員。本名・萩原 幸一。 群馬県安中市生まれ。1941年(昭和16年)7月、14歳で国鉄に入り田端の庫内手に。1942年(昭和17年)10月、機関助士になり、D51や9600形機関車の缶焚きを経て、1945年(昭和20年)5月に機関士となる。 1951年(昭和26年)8月、田端から品川機関区へ異動し、蒸気機関車からディーゼル機関車の機関士を務め、1984年(昭和59年)に退職するまで43年間国鉄で働く。 「信じ服従し働く」(『世界』1964年10月号掲載)で第1回総評文学賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
遠山 仁一(とおやま じんいち、1927年(昭和2年) - … 遠山 仁一(とおやま じんいち、1927年(昭和2年) - )は、宮城県大崎市出身の経営者、実業家。宮地エンジニアリンググループ代表取締役社長。社団法人日本橋梁建設協会第5代会長。 宮城県大崎市出身。1950年(昭和25年)に宮城県古川高等学校を卒業。のちに宮地エンジニアリンググループ入社。同社において要職を歴任し、代表取締役に就任。社長在任中の1993年(平成5年)6月には、業界団体である日本橋梁建設協会(橋建協)の第5代会長に就任し、1997年(平成9年)6月までの4年間にわたり日本の橋梁建設協会の発展と技術向上を牽引した 。また同協会において飯田庸太郎氏(三菱重工業社長)らと共に副会長を務めるなど、業界の首脳として長年貢献した。
岡部 和慶(おかべ かずよし、1927年 - 2010年)と… 岡部 和慶(おかべ かずよし、1927年 - 2010年)とは、日本の孔版家。ガリ版の職人・指導者。 多色刷りの技術、写真・クレヨン画・水彩画・油絵・木版画・浮世絵・水墨画のように見える技術など、様々な技術を駆使して作品を作り上げる。文字においても、楷書体・ゴシック・明朝体・新聞活字などを使い、3ミリ・2ミリの文字で冊子を作ったり、A3より大きな紙のポスターを作ったりしている。立体製版 、クレヨン画のような描き方、還元法 といった様々な技術を、挿し込む絵に取り入れていた。2008年 「第5回 北九州技の達人」に認定・表彰。
梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は… 梅木 壽雄(うめき としお、1927年(昭和2年) - )は、日本の民俗学者。庄内民俗学会・幹事。山形県鶴岡市錦町在住。 山形県鶴岡市に生れる。 鶴岡市周辺町村で中学校・社会科教諭を勤める。1982年(昭和57年)に山形県教育委員会・調査員となり、語り部の昔話を録音する。 2008年(平成20年)に鶴岡市「良い歯の長寿賞」を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川勝 昭平(かわかつ しょうへい、1927年 - )は、日本… 川勝 昭平(かわかつ しょうへい、1927年 - )は、日本の経済学者。青山学院大学名誉教授。Ph.D.(ウィスコンシン大学・1957年)。京都府生まれ。
木村 多伎子(きむら たきこ、1927年 - 2025年8月… 木村 多伎子(きむら たきこ、1927年 - 2025年8月4日)は、日本の版画家。北海道旭川市生まれ、足寄町出身。国画会会員、北海道美術協会会員、北海道版画協会会員。 札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)時代、全道学生展で最優秀賞を受賞。女学校卒業後中国に渡り、敗戦後に帰国。結婚して岩見沢市に移り住み、1964年から版画制作を始める。1965年に道展初入選。1978年に道展会員、1996年国画会会員。作品は木版がメインである。初期は白黒の1色刷りだったが、後に多色刷りが中心となった。度々海外への取材旅行を行っており、題材もそれら外国を題材としたものが多い。1985年から1997年には北海道教育大学で講師として後進の指導にも当たった。
原子 昭三(はらこ しょうぞう、1927年(昭和2年) - … 原子 昭三(はらこ しょうぞう、1927年(昭和2年) - 2013年(平成25年)9月3日)は、日本の著作家、教育者。元中学校教諭、元弘前市議。青森県弘前市出身。 青森県神社総代連合会理事、財団法人養生会理事、日本会議青森県本部運営委員長。 「東京裁判史観」、「日本侵略論」を批判する立場で、数冊の著書がある。
伊藤 和夫(いとう かずお、1927年 - 1997年1月2… 伊藤 和夫(いとう かずお、1927年 - 1997年1月21日)は、日本の予備校講師。駿台予備学校英語科専任講師を約30年間務めた。「受験英語の神様」、「受験英語界の巨人」と称された。 1927年(昭和2年)長野県生まれ。1944年、東京都立第五中学校(現・東京都立小石川中等教育学校)卒業後、第一高等学校(旧制)を1944年(昭和19年)に受験した。なお、1941年とこの年は旧制高等学校入試にて受験科目から英語が除外された例外的な年だった。予備校で受験英語の教授に人生を捧げた伊藤だが、自らの旧制高等学校受験(新制大学受験に相当)では英語の試験が無かった。第一高等学校卒業を経て、1947年旧制東京大学哲学科入学後は病気療養を挟みつつ、1953年旧制東京大学哲学科を卒業した。
亀淵 迪(かめふち すすむ、1927年 - 2023年11月… 亀淵 迪(かめふち すすむ、1927年 - 2023年11月19日)は、日本の物理学者。専門は場の量子論、特に繰り込み理論の研究で知られる。学位は、理学博士。筑波大学名誉教授。坂田昌一に師事。石川県出身。 旧制小松中学、旧制四高を経て、1950年に名古屋大学理学部物理学科を卒業後、名古屋大学大学院理学研究科に進学。1951年 梅澤博臣と協力して、近似によらない荷電繰り込みの一般論を作り、副産物として、電磁場に対する電流(カレント)の応答公式(後に「線形応答理論の久保公式」と呼ばれる式の原型)や、カレントの応答関数の相対論的不変な表示公式(後の「レーマン Lehmann のスペクトル表示」と呼ばれる式と同等)を導入した(梅澤・亀淵、久保、レーマンの研究成果の位置付けについては、高橋康「昔話 名古屋における場の理論」素粒子論研究 2007年 114巻 6号 pp.35-48 の p.47 の記述も参照)。
篠原 昭登(しのはら あきと、1927年(昭和2年) - 2… 篠原 昭登(しのはら あきと、1927年(昭和2年) - 2020年(令和2年)6月28日)は、里山、風景洋画家。長野県茅野市出身。日展会員 一水会運営委員 元小学校教師。
河村 正昭(かわむら まさあき、1927年〈昭和2年〉 - … 河村 正昭(かわむら まさあき、1927年〈昭和2年〉 - 2025年〈令和7年〉11月24日)は、日本の医学者。専門は口腔外科学。北海道大学歯学部口腔外科学第二講座初代教授。歯学部長。北海道大学名誉教授。 1974年(昭和49年)4月、北海道大学歯学部に口腔外科学第二講座が新設、 初代教授に就任。 以後、エナメル上皮腫や顎嚢胞に対する開窓・摘出・反復処置による顎骨保存療法、顎変形症(骨格性不正咬合)に対する口腔外科・矯正科・補綴科のチームアプローチによる治療などで業績を上げた。 歯学部長。 1992年(平成4年)3月、定年退官。同年4月、北海道大学名誉教授。 2025年11月24日、死去。98歳没。
大和田 幸治(おおわだ こうじ、1927年 - 2012年3… 大和田 幸治(おおわだ こうじ、1927年 - 2012年3月17日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全国金属機械労働組合港合同事務局長、同田中機械支部執行委員長。 大阪市天王寺区生まれ。実家は小さな鉄工所。1944年大阪市立都島工業学校在学中に桜島の住友プロペラに動員される。父親は戦死、母親は乳児を連れて疎開。1946年2月三菱化工機(1949年から田中機械)に仕上げ・組み立て工として入社。労働組合に加盟し、職場代議員、執行委員、副組合長、青年婦人対策部などを歴任。1964年3月に組合が同盟金属を脱退、全金に加盟し、全金田中機械支部委員長に就任。臨時工60人の正社員化、男女賃金差別撤廃などを実現。
紅山 雪夫(べにやま ゆきお、1927年 - 2020年5… 紅山 雪夫(べにやま ゆきお、1927年 - 2020年5月8日)は、日本の旅行作家。 大阪府豊中市生まれ。旧制豊中中学、大検を経て、東京大学法学部卒業。日本旅行作家協会理事を務める。毎年平均して150日間ぐらいは海外を歩き回っていたという。主な守備範囲はヨーロッパ、北アフリカ、西アジアからインド亜大陸まで。海外経験による写真、外国語、歴史、民俗への関心を多くの著書として著した。一連の著作は「添乗員のバイブル」とも呼ばれた。2020年5月8日、新型コロナウイルス感染症のため、死去。93歳没。
森川 昭彦(もりかわ あきひこ、1927年 - 2006年7… 森川 昭彦(もりかわ あきひこ、1927年 - 2006年7月3日)は日本の医師、医学博士である。 美容整形の草分け的存在で、芸能人など著名人の整形手術を多数手がけたとされる。
新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう … 新藤 晋海(しんどう しんかい、本名:新藤 昭彦(しんどう あきひこ)、1927年 - 2001年3月17日)は華厳宗の僧侶。 第216世東大寺別当(住職)、華厳宗管長。大仏開眼千二百五十年慶讃大法要、奈良国立博物館特別展「東大寺のすべて」などに道筋をつけた。 叔父は第206世東大寺別当の上司海雲。子供がいなかった上司の勧めで東大寺に入寺、東大寺塔頭観音院を継承する。 1945年旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)卒。龍谷大学文学部仏教学科卒。 新制金鐘高等学校(現:東大寺学園高等学校)の教師、主事(事務局長)、学校法人東大寺学園常任理事を経て、1984年同理事長(~1987年)。1986年東大寺学園中高等学校の校長兼任(~1987年)。
西 貞三郎(にし ていさぶろう、1927年 -2012年6月… 西 貞三郎(にし ていさぶろう、1927年 -2012年6月30日)は、日本の銀行家で住友銀行副頭取。 1946年和歌山県立和歌山商業学校卒業後に住友銀行に入行し、1953年関西大学経済学部卒業。 商業高校出身のノンキャリア組としては異例の出世を果たし、新宿支店長などを経て、住友銀行副頭取を歴任した。しかし、イトマン事件により1990年に副頭取を退任した。 ・日本経済新聞社編『ドキュメント イトマン・住銀事件』日本経済新聞社、1991年。
峰島 旭雄(みねしま ひでお、1927年 - 2013年10… 峰島 旭雄(みねしま ひでお、1927年 - 2013年10月16日)は、日本の仏教学者、哲学者。 東京生まれ。大正大学文学部卒業。早稲田大学大学院文部研究科(西洋哲学)博士課程満期退学。1960年早稲田大学商学部助教授、教授、98年定年退任、名誉教授、文京女子大学教授。比較思想学会会長。日本デューイ学会会長、学校法人芝学園理事長、浄土宗教学院副理事長。日本イギリス学会名誉会員。東方学院理事。(財)三康文化研究所研究指導員。
安藤 貞雄(あんどう さだお、1927年-2017年3月31… 安藤 貞雄(あんどう さだお、1927年-2017年3月31日)は、日本の言語学者、英語学者である。広島大学名誉教授。
野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の… 野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の元外交官。
小林 善彦(こばやし よしひこ、1927年 - )は、日本の… 小林 善彦(こばやし よしひこ、1927年 - )は、日本のフランス文学者、東京大学教養学部名誉教授、日仏会館顧問。
所 雄章(ところ たけふみ、1927年 - 2012年)は、… 所 雄章(ところ たけふみ、1927年 - 2012年)は、日本の哲学研究者、中央大学名誉教授。デカルト研究が専門。
重松 徳(しげまつ めぐみ、1927年 - 1992年9月2… 重松 徳(しげまつ めぐみ、1927年 - 1992年9月24日)は、日本の鉄道実業家。 福岡県糸島郡に生まれる。満州国新京(現在の長春市)の建国大学に入学。1945年、建国大学生として敗戦を迎える。 1950年3月、愛知大学法学部を卒業し、京阪電気鉄道に入社。京阪電鉄では労務開発関係などを担当、くずはローズタウンの開発計画にも携わった。また、重松自身も大阪府枚方市内に在住した。1967年、京阪タクシーの社長に就任、同社の再建を果たす。 以後、琵琶湖汽船取締役社長(1975年8月)、京阪電気鉄道常務取締役(1979年)、琵琶湖ホテル取締役社長(1981年)、京阪電鉄専務取締役(1985年6月)をそれぞれ歴任した。
柏木 昭(かしわぎ あきら、1927年 - 2023年12月… 柏木 昭(かしわぎ あきら、1927年 - 2023年12月30日)は、日本の福祉学者、聖学院大学名誉教授。神奈川県生まれ。青山学院専門学校卒、1954年ボストン大学スクール・オブ・ソーシャルワーク卒業(マスター・オブ・サイエンス)。1955-87年国立精神衛生研究所勤務、1988年淑徳大学教授、1998年聖学院大学教授。聖学院大学総合研究所人間福祉スーパービジョンセンター顧問。 昭和18年 海軍士官養成校である海軍兵学校へ入学。入校時の校長が井上成美である。卒業前に終戦(20年8月15日)。昭和22年~25年 青山学院専門学校建築科入学。 同25年~27年横須賀基督教社会館勤務。ソーシャルワークという専門職 に出会い、E.W.トムソン先生の勧めでアメリカ留学生試験を経て、同27 年ボストン大学スクール・オブ・ソーシャルワークに学び、昭和29年に 帰国。
原 恵(はら めぐみ、男性、1927年 - 2009年7月1… 原 恵(はら めぐみ、男性、1927年 - 2009年7月19日)は、日本の教育者、アマチュア天文家。 1927年に東京府に生まれる。青山学院大学文学部英文学科卒業後、同大学院修士課程を修了。オハイオ州立大学大学院修士課程を修了、1954年に文学修士、1956年にマスター・オブ・アーツ。専攻は賛美歌学。日本キリスト教協議会勤務ののち、青山学院大学講師、助教授、教授を歴任した他、フェリス女学院大学音楽部講師、東京神学大学講師、日本聖書神学校講師等を務めた。1996年3月に退官後は青山学院大学名誉教授。 1964年から90年にかけて日本基督教団讃美歌委員を務め、その間『讃美歌第二編』の編集委員、『讃美歌21』の編集委員、讃美歌改訂委員として編集に参与。
佐藤 晃(さとう あきら、1927年 - 2008年4月16… 佐藤 晃(さとう あきら、1927年 - 2008年4月16日)は日本の歴史評論家。福岡県生まれ、陸軍士官学校61期。大分経済専門学校(現・大分大学経済学部)卒。 終戦後、三井鉱山に入社、三池争議などに従事する。争議終了後は三井化学に移り、営業部門を担当。1987年に定年退職する。 退職後、趣味の軍事史研究を通じて数々の著作を刊行する。比較的早い時期(1995年)から海軍関係者の戦後の著作を批判している。主な版元は光人社など。 戦後の陸軍悪玉論に対し、主に海軍を批判した書籍の著者としては他に三村文男、別宮暖朗、岡文正、福井雄三などがいる。
納谷嘉信(なやたに よしのぶ、1927年- 2009年5月2… 納谷嘉信(なやたに よしのぶ、1927年- 2009年5月29日)は大阪電気通信大学名誉教授。兵庫県出身。色彩学の広範な研究分野で多大な功績を残したことで知られる。 1951年、大阪大学工学部電気工学科を卒業。1961年、大阪大学で工学博士を取得。 1984年から1986年の間、日本色彩学会の会長を務めた。1997年に日本で開催された第8回国際色彩学会(AIC)の京都大会では組織委員長を務めた。
田島 政人(たじま まさと、1927年(昭和2年) - 19… 田島 政人(たじま まさと、1927年(昭和2年) - 1996年(平成8年)9月16日)は、日本の教育者。アキシマクジラの化石の発見者、昭島市文化財保護審議会長。 1927年(昭和2年)、鹿児島県大口市に生まれる。1948年(昭和23年)に鹿児島青年師範学校を卒業し、県内で4年間ほど教員生活を送る。1953年(昭和28年)に法政大学文学部国文学科の三年次に編入学し、1955年(昭和30年)に同大学を卒業する。卒業後、青梅市・昭島市で小学校の教員として勤務する。1961年(昭和36年)に昭島市の多摩川の河原でクジラの骨格化石を発見し、その復元に携わる。また、1968年(昭和43年)に多摩川で食虫植物タヌキモの大群生を発見、その研究保護に取り組んだ。
松永 照正(まつなが てるまさ、1927年 - 2008年1… 松永 照正(まつなが てるまさ、1927年 - 2008年1月27日)は、日本の平和運動家。国際文化会館(現・長崎原爆資料館)館長など数々の経歴を持つ。 長崎県立佐世保中学校、長崎経済専門学校(現・長崎大学経済学部)、九州大学経済学部(現役)卒業。英国海軍通訳から長崎県庁職員に就き、長崎県立工業高校、東高校教員を経て、長崎市教育委員会指導部次長に抜擢された。 第一回世界平和連帯都市市長会議・初代事務局長(現・平和市長会議、127か国・2028都市加盟、ノーベル平和賞推薦)、財団法人・長崎平和推進協会初代事務局長(会員数約860人)、国際文化会館(長崎原爆資料館)館長、平和会館館長、長崎市平和宣言文起草委員、長崎高校生平和大使(ノーベル平和賞候補)創設、長崎市民平和大集会代表委員、長崎市教育委員会指導部次長、学校法人宝珠幼稚園理事、活水学院嘱託などを務めた。
金光 壽郎(かなみつ としお、1927年 - 2020年1月… 金光 壽郎(かなみつ としお、1927年 - 2020年1月19日)は、岡山県出身のNHKディレクター。 1954年京都大学経済学部卒業、NHK札幌中央放送局に入局、その後、室蘭、京都放送局に勤務した。 京都放送局で宗教関連番組を担当した前任者の後任となり、初めて宗教関連の番組制作に携わる。その後、東京勤務となり教養番組班に所属して、主に宗教関連の番組を手掛ける。 東京勤務の後に4年間勤務した名古屋では、名古屋放送局管内で開催されるのど自慢の制作や、中学生日記の制作等幅広いジャンルの番組を担当した。当時の中学生日記の出演者には竹下景子らがいた。東京に再び転勤後、宗教関連の番組を主に担当する。 「こころの時代」「宗教の時間」等の番組制作に従事し、84年に定年退職後もNHKの宗教番組制作に関わる。
八木 浩(やぎ ひろし、1927年 - 1986年4月4日)… 八木 浩(やぎ ひろし、1927年 - 1986年4月4日)は、日本のドイツ文学者、詩人。元大阪外国語大学教授。 大阪府生まれ。1946年大阪明星高校卒業。1950年京都大学文学部ドイツ文学科卒業。1952年大阪外国語大学講師、助教授、教授(1972年)。 大阪外国語大学学生課長、同付属図書館長。日本独文学会理事、阪神ドイツ文学会幹事、クヴェレ会(ドイツ文学研究グループ)会員。劇団「潮流」、劇団「どろ」と協同活動、ワイマル友の会会長、日本原水協全国理事、大阪原水協理事長、大阪平和を守る会理事。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野村 耕(のむら こう、1927年 - 1991年1月4日)… 野村 耕(のむら こう、1927年 - 1991年1月4日)は、戦後活動した日本画家である。 1927年京都府京都市に生まれる。本名・耕二郎。1943年12月京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)絵画科を繰り上げ卒業、1948年後身の京都市立美術専門学校日本画科を卒業。1950年同校の同級生である星野眞吾や不動茂弥が結成したパンリアル美術協会に参加。第4回展以降、1965年に退会するまで出品を続けた。その後は毎年開催される個展と、1978年から参加した、関西の現代美術家達が集まる「Ge展」で作品を発表した。1989年京都市美術館で初期からの作品を網羅した「京都の美術昨日・きょう・明日Ⅲ―野村耕」展が開催され、その二年後の1991年京都で死去。
坂本 龍三(さかもと りゅうぞう、1927年〈昭和2年〉 -… 坂本 龍三(さかもと りゅうぞう、1927年〈昭和2年〉 - 2009年〈平成21年〉6月13日)は、北海道北広島市にある北広島市図書館の初代館長、北海道武蔵女子短期大学の元講師。北海道倶知安町出身。 誕生の半年後に北海道函館市へ転居。北海道第二師範学校(後の北海道教育大学函館校)、慶應義塾大学文学部図書館学科・文学科を経て、北海道教育大学附属図書館に勤務。1967年(昭和42年)、設立間もない北海道武蔵女子短期大学に、北海道内の大学として初めて図書館司書養成課程が設置され、その担当者として採用されたことから、同大学の教員となった。以後、北海道地区における司書養成の中心的存在として、長年にわたって教鞭をとった。
納冨 常天(のうどみ じょうてん、1927年 - 2024年… 納冨 常天(のうどみ じょうてん、1927年 - 2024年1月3日)は、日本の仏教学者、博士。神奈川県立金沢文庫長、鶴見大学教授、神奈川県文化財協会会長などを歴任。専門は日本仏教史。表記に納富常天も。 佐賀県鹿島市生まれ。1950年、駒澤大学文学部仏教学科卒業。1955年、神奈川県立金沢文庫勤務。1974年、論文「中世東国仏教成立過程の研究」で博士号(文学、駒澤大)取得。1975年、「中世文化の研究」で神奈川県知事奨励賞を受賞。 神奈川県立博物館文芸部長を経て、1981年に神奈川県立金沢文庫長。1989年に鶴見大学文学部教授、1997年に同大学副学長。2000年、曹洞宗大本山總持寺宝物殿館長。
日置 孝次郎(ひおき こうじろう、1927年 - 2016年… 日置 孝次郎(ひおき こうじろう、1927年 - 2016年7月8日)は、日本の民俗学者。専門は比較民俗学や言語学。 鹿児島県大島郡名瀬町(現・奄美市)に生まれる。 1962年に西南学院大学英文学部を卒業した。1972年にケルン大学大学院博士課程(言語学)を修了し、1974年1月にケルン大学助手となる。1977年3月には同言語研究所学術員となった。 1977年10月に、同年6月に開設されたばかりの岩手大学人文社会科学部で助教授に就任する。1981年4月に教授に昇格した。1992年3月に岩手大学を退職して、天理大学国際文化学部に移る。1995年6月、同国際文化学部長に就任した(1996年退任)。 1996年4月、八戸大学学長(4代)に就任し、6年間務めた。
上野 賢一(うえの けんいち、英文はKenichi Uyen… 上野 賢一(うえの けんいち、英文はKenichi Uyeno 、1927年 - 2012年4月4日)は、日本の医学者、エッセイスト。筑波大学初代皮膚科教授。 父親が英国留学した際に、ケンブリッジ大学の教授に勧められUyenoと書くようになったが、それに準じた。本人の今まで6枚あるパスポートとサインは調べたらUyenoとUenoもあったが、パスポート上のサインも同様は両者あった。論文はUyeno Kであった。メリットもあるがデメリットもある。 1927年金沢市に生まれる。父親は旧制金沢医大、現在金沢大学医学部生理学教授 上野一春。父親は生理学教科書を書いており、賢一はそれをみていたという。1947年 第四高等学校理科甲類卒業。
小野 泰博(おの たいはく、1927年 - 1990年6月4… 小野 泰博(おの たいはく、1927年 - 1990年6月4日)は、日本の宗教学者、図書館学者。 京都府与謝郡加悦町(現・与謝野町)の浄土宗の寺に生まれる。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学院博士課程満期退学。東京大学医学部研究生として精神医学を学ぶ。図書館短期大学助教授、図書館情報大学教授。
高橋 礼司(たかはし れいじ、1927年 - 2020年11… 高橋 礼司(たかはし れいじ、1927年 - 2020年11月19日)は、日本の数学者。専攻は群の表現論。ブルバキ関連の著訳書がある。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
長谷川 強(はせがわ つよし、1927年 -2024年2月1… 長谷川 強(はせがわ つよし、1927年 -2024年2月16日 )は、日本の国文学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1971年)(学位論文「浮世草子の研究 八文字屋本を中心とする」)。国文学研究資料館名誉教授。専攻は、近世小説・演劇。 東京大学文学部卒。1971年、「浮世草子の研究 八文字屋本を中心とする」で九州大学より文学博士の学位を取得。熊本大学助教授、埼玉大学教授、国文学研究資料館教授。1991年、定年退官、名誉教授、昭和女子大学教授。1997年、退任。
東山 勇(ひがしやま いさむ、1927年〈昭和2年〉 - 1… 東山 勇(ひがしやま いさむ、1927年〈昭和2年〉 - 1997年(平成9年)10月7日)は、日本の農学者。学位は、農学博士(東京大学)、山形大学名誉教授。栄典は、正四位・勲三等旭日中綬章。
宮沢 弘成(みやざわ ひろなり、1927年 - 2023年1… 宮沢 弘成(みやざわ ひろなり、1927年 - 2023年1月14日)は、日本の物理学者。専門は、核物理・素粒子物理学。東京大学理学部教授を経て、東京大学名誉教授。 東京府出身。1950年東京大学理学部卒業。1968年東京大学理学部教授。1993年東レ科学技術賞受賞。2023年逝去。 主な業績は以下のとおりである。 1966年、超対称性の概念を世界で初めて提唱。1951年、原子核の磁気モーメントに対する、中間子効果の予測。1957年、藤田純一とともに、藤田・宮沢型の原子核三体力モデルを提案。1955年、分散公式を中間子と核子の散乱に対して適用したGoldberger-Miyazawa-Oehmeの関係式の発見。
山崎 勉(やまざき つとむ、1927年 - 2020年7月1… 山崎 勉(やまざき つとむ、1927年 - 2020年7月13日)は、日本の英米文学者、翻訳家。専修大学名誉教授。 福井県に生れる。東京大学文学部卒業。
山高 昭(やまたか あきら、1927年 - 1993年4月1… 山高 昭(やまたか あきら、1927年 - 1993年4月18日)は、日本の翻訳家、編集者。 東京・赤坂生まれ。1952年、東京大学理学部化学科卒業。岩波書店に入社し、雑誌「科学」を担当し。その後、英和辞典や広辞苑の編集にも携わる。アイザック・アシモフのエッセイ集を訳したのをきっかけに、SFの翻訳をはじめる。以後25年間、編集と翻訳家の二足のワラジで活躍、主にハードSFを翻訳した。 1987年に退職し、以後翻訳に専念。主訳書にシェフィールド『星ぼしに架ける橋』、ベンフォード『星々の海をこえて』、アシモフ『見果てぬ時空』『木星買います』『アシモフ自伝』、アーサー・C・クラーク『宇宙島へ行く少年』『楽園の泉』他。