津田 真一(つだ しんいち、1938年 - )は、日本の仏教… 津田 真一(つだ しんいち、1938年 - )は、日本の仏教学者・哲学者。東京都出身。 東京大学文学部を卒業後、同大学大学院人文科学研究科(印度哲学)に進み、修士課程を修了した。Ph.D.(キャンベラ)。文学博士。 専攻はインド密教。日本におけるタントラ仏教(後期インド密教)研究の先駆的存在である。 元日本大学非常勤講師、大正大学非常勤講師、ロンドン大学講師等。元国際仏教学大学院大学教授。東方学院講師。 著作に『反密教学』、『アーラヤ的世界とその神』等。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
戸叶 勝也(とかの かつや、1938年 - )は、日本のドイ… 戸叶 勝也(とかの かつや、1938年 - )は、日本のドイツ史学・ドイツ文学者。日本大学名誉教授。 東京生まれ。1961年東京大学文学部西洋史学科卒業。NHK教育局、国際局でドイツ海外放送勤務、1988年日本大学経済学部助教授、1991年教授、2009年定年退任。専攻、ドイツ近現代史。 ドイツ出版文化史、冒険作家カール・マイの翻訳・研究を行う。
冨田 信之(とみた のぶゆき、1938年 - )は、日本のロ… 冨田 信之(とみた のぶゆき、1938年 - )は、日本のロケット工学者。東京都市大学名誉教授。 樺太出身。1960年東京大学工学部航空学科卒業、新三菱重工業(現三菱重工業)勤務。1994年「ロケットの大気中フライトのダイナミクスに関する研究」で東京工業大学工学博士。1995年武蔵工業大学(のち東京都市大学)教授。2005年定年、名誉教授。
鳥栖 那智夫(とりす なちお、1938年 - )は、日本の都… 鳥栖 那智夫(とりす なちお、1938年 - )は、日本の都市計画家。一般社団法人都市計画コンサルタント協会マスター都市プランナーで、都市プロデューサーとも紹介される、(財)日本地域開発センター客員研究員。 都市や地域の活性化並びに更新・再生を先導する構想の立ち上げや計画策定を手がける。 北海道に生まれる。1964年、東京大学工学部建築学科を卒業後、同大学大学院数物系研究科修士課程に進み、1966年に修了する。在学中は丹下健三研究室に在籍した。引き続き都市工学専攻博士課程に在籍して1969年に修了し、工学博士号を取得した 1969年より1973年まで丹下健三都市建築設計研究所に勤務する。在勤当時は海外の都市計画を多く担当した。
中山弘正(なかやま ひろまさ、1938年 - )は、日本の経… 中山弘正(なかやま ひろまさ、1938年 - )は、日本の経済学者、明治学院大学名誉教授、キリスト教研究所名誉所員、第10代院長。 海軍軍人中山定義の長男として、長崎県佐世保市に生まれる。1961年に東京大学経済学部を卒業。1963年東京大学大学院修士課程を修了、1966年法政大学大学院博士課程を修了。1974年に、東京大学より経済学博士を授与される。1968年より、明治学院大学経済学部の専任講師に就任する。 1976年より明治学院大学経済学部の教授に就任する。1977年6月より1978年3月まで、科学者交流の一環として、モスクワ市グプナキ通りに住む。 1994年より1997年まで明治学院第10代目院長に就任する。
二宮 正之(にのみや まさゆき、1938年 - )は、フラン… 二宮 正之(にのみや まさゆき、1938年 - )は、フランス在住の文学者、ジュネーヴ大学名誉教授。フランス在住。ジュネーヴ大学名誉教授。 1938年、東京生まれ。東京大学、東京大学大学院仏文学専攻で学び、博士課程を中退。1965年から1968年までフランスの高等師範学校 (パリ)に在籍。『小林秀雄の思考』で博士号を取得。 フランス国立東洋言語文化研究所助教授を経て、ジュネーヴ大学文学部日本学科教授に就いた。アンドレ・ジッド、小林秀雄、森有正を研究テーマとしている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
服部 信司(はっとり しんじ、1938年 - )は、日本の経… 服部 信司(はっとり しんじ、1938年 - )は、日本の経済学者。専門は国際経済学、農業経済学。日米間農業政策に関する著書が多い。元東洋大学経済学部長。東洋大学名誉教授。経済学博士(東京大学)。国際農政研究所代表。静岡県生まれ。 1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1962年、東京大学経済学部卒業。一時商社に勤務。1983年、東京大学大学院・経済学研究科博士課程修了。経済学博士。1986年、岐阜経済大学講師、同大助教授、教授を経て、1993年、東洋大学経済学部教授。2004年、東洋大学経済学部長。食料・農林漁業・環境フォーラム幹事長などを兼務。2009年、東洋大学名誉教授、日本農業研究所客員研究員。
村田 光平(むらた みつへい、1938年 - )は、日本の元… 村田 光平(むらた みつへい、1938年 - )は、日本の元外交官。大学教授。東京都出身。 1938年、東京都に生まれる。 1961年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、2年間、外務省研修生としてフランスに留学。 その後、分析課長、中東第一課長、宮内庁御用掛、在アルジェリア公使、在仏公使、国連局審議官、公正取引委員会事務総局官房審議官、在セネガル大使、衆議院渉外官などを歴任。 1996年~1999年9月、在スイス大使。 1999年~2011年、東海学園大学教授。 2000年~2002年、稲盛財団評議員、京セラ株式会社顧問。 2002年~2012年、サカエ・シュテンジ財団理事。 2004年~2008年、原発震災を防ぐ全国署名連絡会顧問。
百瀬 孝(ももせ たかし、1938年 - )は、日本の福祉学… 百瀬 孝(ももせ たかし、1938年 - )は、日本の福祉学・歴史学者。 栃木県生まれ。1962年東京大学教育学部教育学科卒業、八幡製鐵(現日本製鉄)株式會社入社、1994年退職。仙台大学教授、群馬医療福祉大学教授、早稲田大学現代政治経済研究所特別研究員を歴任。
野中 千恵子(のなか ちえこ、1938年 - )は、日本の翻… 野中 千恵子(のなか ちえこ、1938年 - )は、日本の翻訳家。 1961年、東京外国語大学英米科卒業。
山田 侑平(やまだ ゆうへい、1938年 - )は、ジャーナ… 山田 侑平(やまだ ゆうへい、1938年 - )は、ジャーナリスト、翻訳家、人間総合科学大学名誉教授。長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学中国語科卒業。共同通信記者となり、ニューヨーク支局員、ブリュッセル支局長など。2000年、人間総合科学大学教授。09年定年、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
小川 明雄(おがわ あきお 1938年 -2020)は、日本… 小川 明雄(おがわ あきお 1938年 -2020)は、日本のジャーナリスト。 1961年東京学芸大学卒。同年AP通信に入社。その後、朝日新聞社に移り、アジア総局、アメリカ総局勤務、外報部次長、論説委員、国際編集部編集員を経て1998年に退職し、フリーのジャーナリストとなっている。2007年には都民のハートに火をつける会の呼びかけ人を行った。別名義として御堂地章の筆名で小説も執筆している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河内さくら(かわち さくら、1938年 - )は、日本の郷土… 河内さくら(かわち さくら、1938年 - )は、日本の郷土料理研究家。新潟県新潟市沼垂出身。 東京家政大学家政学部児童栄養科専攻卒業後、新潟大学附属新潟小学校・新潟大学附属新潟中学校に勤務した後、1963年、さくらクッキングルームを開設する。 1984年に放送が開始された新潟県のローカル料理番組「NST河内さくらの料理教室」に出演し、1993年まで9年間に亘ってレギュラー講師を務めた。「明るく人生を過ごすためには、まず健康でなければならない。健康でいるためには食事が大事であること。」をモットーに、マスメディアを通して郷土料理、家庭料理の普及をはかり、新潟県内の経済連や各地公民館などで講演活動を行う。
岩瀬 孝雄(いわせ たかお、1938年 - )は、日本の翻訳… 岩瀬 孝雄(いわせ たかお、1938年 - )は、日本の翻訳家。 東京教育大学文学部英文科卒。
星 虎男(ほし とらお、1938年 - )は、日本の教育学者… 星 虎男(ほし とらお、1938年 - )は、日本の教育学者、つくば国際大学医療保健学部教授。 新潟県出身。東京教育大学教育学部卒業。東京教育大学卒業後、長野県立盲学校教諭となる。その後、徳島県立盲学校教諭、東京教育大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)教諭を経て、東京教育大学教育学部講師に就任。後に体育学部に移った。日本におけるスポーツマッサージの権威として知られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
細谷 泰茲(ほそや やすじ、1938年 - )は、日本の彫刻… 細谷 泰茲(ほそや やすじ、1938年 - )は、日本の彫刻家。子供や母子をモチーフにしたモニュメントを中心に屋内外展示作品を多数発表している。 1938年、静岡市に生まれる。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、東京芸術大学美術学部専攻科彫刻修了。1967年、静岡大学教育学部助手。1968年、新制作協会会員。1972年、イタリア政府給費留学生 ローマ美術学校 ペリクレ・ファッツィーニ教室に学ぶ(〜1973年)。1984年、静岡大学教育学部教授。1991年、静岡大学教育学部附属浜松小学校校長(〜1994年)。2004年、静岡大学名誉教授。2018年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
紀谷 文樹(きや ふみとし、1938年 - ) は、日本の建… 紀谷 文樹(きや ふみとし、1938年 - ) は、日本の建築学者。東京工業大学名誉教授。元社団法人空気調和・衛生工学会会長。社団法人日本建築設備診断機構名誉会長。 埼玉県生まれ。1963年東京工業大学理工学部卒業。1965年東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了。1971年東京工業大学より工学博士の学位を取得。1978年武蔵工業大学工学部建築学科教授。1988年東京工業大学工学部建築学科教授。1997年空気調和・衛生工学会副会長。1998年空気調和・衛生工学会会長。1999年神奈川大学工学部建築学科教授、東京工業大学名誉教授。2008年日本建築設備診断機構会長。2019年日本建築設備診断機構名誉会長。
松本 浩之(まつもと ひろゆき、1938年 - ) は、日本… 松本 浩之(まつもと ひろゆき、1938年 - ) は、日本の機械工学者。東京工業大学名誉教授。元東京工業高等専門学校校長。元東京工業大学工学部附属工業高等学校校長。 京都府生まれ。1961年東京工業大学機械工学科卒業。1966年東京工業大学大学院理工学研究科博士課程修了、東京工業大学理工学部助手。1969年東京工業大学工学部助教授。1982年東京工業大学工学部教授。東京工業大学工学部附属工業高等学校校長を経て、1995年東京工業大学工学部長。1996年東京工業大学大学院理工学研究科長。1997年から東京工業高等専門学校校長を務め、国立工業高等専門学校協会で全国高等専門学校ロボットコンテストや全国高等専門学校プログラミングコンテスト、全国高等専門学校体育大会にあたるなどした。
宮崎 絢子(みやざき あやこ、1938年 - )は、日本のア… 宮崎 絢子(みやざき あやこ、1938年 - )は、日本のアナウンサー、ボイスコンサルタント、ボイストレーナー。 東京都出身。東京女子大学文学部卒業。 1961年、中部日本放送へ入社。1964年に開局時の東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ移籍。1998年、テレビ東京を定年退職、フリーに。 東京女子大学文学部卒業後、1961年にCBCへ入社。1964年開局の東京12チャンネル(現・テレビ東京)へ、同じくCBCから島田良夫アナとともに移籍。パーソナリティー室所属アナウンサーとして、報道番組を中心に、教養番組、経済番組等多数を担当。女性ニュースキャスターの草分け。その後、報道局部長兼プロデューサーとして、報道番組、気象情報番組等を担当。
丹羽 隼兵(にわ しゅんぺい、1938年 - )は、日本の中… 丹羽 隼兵(にわ しゅんぺい、1938年 - )は、日本の中国学者。東京生まれ。東京都立大学 (1949-2011)人文学部中国文学科卒業。河出書房新社に入社、のちフリーの編集者、文筆家となり中国関係の著述を行う。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
繁多 進(はんた すすむ、1938年 - )は、日本の心理学… 繁多 進(はんた すすむ、1938年 - )は、日本の心理学者、白百合女子大学名誉教授。鹿児島県大島郡喜界町(奄美群島喜界島)出身。専門領域は発達心理学。 横浜国立大学卒業、東京都立大学大学院修士課程修了。1990年「アタッチメントの発達とその規定因」で東京都立大学より文学博士の学位を取得。江南女子短期大学助教授、横浜国立大学助教授、ロンドンのタビストック・クリニックに留学、白百合女子大学教授。2009年定年、名誉教授。日本におけるアタッチメント研究の第一人者として知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
田辺敏雄(たなべとしお 1938年-)は日本の歴史研究家。 … 田辺敏雄(たなべとしお 1938年-)は日本の歴史研究家。 昭和13年(1938年)東京で生まれる。東京理科大学物理学科中退、日本IBM、会社業務研究所などに勤務、昭和50年(1975年)に独立し経営コンサルタント。1986年から日中戦争や平頂山事件についての取材・研究を行う。 1986年、義父が戦前、満洲・撫順で起きた住民虐殺事件、平頂山事件に関係し、首謀者とみられていることを知ったことから、元兵士をはじめ日本側関係者に取材した。1988年『追跡平頂山事件』を出版。 1990年、朝日新聞・本多勝一の『中国の旅』に掲載された万人坑の記事について、日本側関係者に取材、『正論』誌上で記事は誤報として批判し本多と論争となった。
中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の… 中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の将棋観戦記者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。筆名=原田 史郎。武庫川女子大学講師。現代風俗研究会、日本文芸家協会会員。 兵庫県芦屋市生まれ。同志社大学卒業。神戸新聞社に入社、論説委員長、1988年、論説副委員長。 将棋の観戦記者としても知られ、東京新聞などの王位戦(神戸新聞社は1973年から主催に加わる)で執筆も行う。1987年「パルモア病院日記-三宅廉と二万人の赤ん坊たち」で第11回井植文化賞(報道出版部門)。2017年、第24回大山康晴賞を受賞。
石毛 忠(いしげ ただし、1938年 - 2025年)は、日… 石毛 忠(いしげ ただし、1938年 - 2025年)は、日本の歴史学者、思想史学者。防衛大学校名誉教授。専門は、日本政治思想史・日本史学思想史。 千葉県出身。東北大学文学部日本思想史学科卒業、同大学院博士課程満期退学。東北大学文学部助手、大東文化大学講師を経て、1977年から2004年まで防衛大学校人文社会科学群教授をつとめ、同名誉教授。2013年瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
荻野 博(おぎの ひろし、1938年 - ) は、日本の無機… 荻野 博(おぎの ひろし、1938年 - ) は、日本の無機化学者。東北大学名誉教授。元放送大学副学長。元錯体化学会会長。元ケイ素化学協会会長。 島根県に生まれる。1960年東北大学理学部化学科卒業。1962年東北大学大学院理学研究科化学専攻修了、東北大学理学部助手。1966年東北大学理学部講師。1968年東北大学理学部助教授。1970年日本化学会進歩賞受賞。1983年東北大学理学部教授。1990年フィリピン大学他2大学による連合大学院客員教授。1994年日本化学会理事・東北支部長。1995年日本分析化学会 東北支部長。1997年錯体化学会会長。1999年東北大学理学部長。2000年ケイ素化学協会会長。
森 章司(もり しょうじ、1938年-)は、三重県出身の日本… 森 章司(もり しょうじ、1938年-)は、三重県出身の日本の仏教学者。東洋大学名誉教授・中央学術研究所講師。専門はインド仏教。文学博士(東洋大学)。元浄土真宗本願寺派僧侶。
小國 伊太郎(おぐに いたろう、1938年 - )は、日本の… 小國 伊太郎(おぐに いたろう、1938年 - )は、日本の農芸化学者。学位は農学博士(名古屋大学・1974年)。静岡県立大学名誉教授。「國」は常用漢字に含まれていないため、新字体を用いて小国 伊太郎(おぐに いたろう)と表記されることもある。 名古屋大学農学部助手、静岡県立大学短期大学部食物栄養学科教授、静岡県立大学食品栄養科学部教授、浜松大学健康プロデュース学部教授、浜松大学健康プロデュース学部健康栄養学科学科長(初代)、浜松大学総合研究所食品機能部門部門長などを歴任した。 1938年、兵庫県神戸市にて生まれた。姫路工業大学に進学し、工学部の応用化学科にて学んだ。1960年、姫路工業大学を卒業した。
後藤 孝典(ごとう たかのり、1938年 - )は、日本の弁… 後藤 孝典(ごとう たかのり、1938年 - )は、日本の弁護士および税理士。東京弁護士会・東京税理士会所属。 水俣病被害者救済運動に関わり、一株運動を提案発起、チッソ株主総会議決取消訴訟、熊本県知事による水俣病認定否定の行政処分の取消を求める行政不服審査請求をはじめとする数々の民事・行政事件で勝訴を勝ち取ってきた。著書に『現代損害賠償論』(日本評論社)など。 チリ人女性アニータ・アルバラードと結婚した同公社職員が多額の横領を行ったことが発覚、職員が逮捕された。横領額のうち約11億円がチリ人妻に渡ったとされ、チリ人妻はサンティアゴ郊外に豪邸を建てた。チリの法律によれば、妻の財産は夫の財産となるため、夫の財産権を行使し、裁判手続きによらないで、1回目に7200万円、2回目に2100万円をそれぞれ回収した。
御供 泰治(みとも やすはる、1938年 - )は、日本の医… 御供 泰治(みとも やすはる、1938年 - )は、日本の医師、医学博士。山形県出身。 名古屋市立大学大学院博士課程修了後、ニューヨークのスローン・ケッタリング癌研究所へ留学。後に、愛知県がんセンター研究所研究員を経て名古屋市立大学医学部第二内科講師、同大学看護学部教授となる。2004年に同大学の名誉教授となり同年開学したての愛知きわみ看護短期大学教授となり、2007年より同短期大学の学長に就任する。看護に関する著作も多数あり、著作物に以下のものがある。専門は「微生物・免疫学」・「疾病・病態論」。
水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築… 水谷 碩之(みずや ひろゆき、1938年- )は、日本の建築家。 愛知県生まれ。1962年、日本大学卒業後、坂倉準三建築設計研究所に入所。以来坂倉建築研究所で建築設計に従事する。その後アーキブレーン建築研究所を設立。 代表作に、Ntsシステム総合研究所がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
渡辺 明(わたなべ あきら、1938年 - )は、日本の建築… 渡辺 明(わたなべ あきら、1938年 - )は、日本の建築家。長野県生まれ。 その他の作品に、東京プリンスホテルがある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
塩川 寿平(しおかわ じゅへい、1938年- )は、日本の幼… 塩川 寿平(しおかわ じゅへい、1938年- )は、日本の幼児教育学者・評論家。大地教育研究所所長。 満洲国奉天市生まれ。母は「大地保育」を掲げ、野中保育園を創設した塩川豊子(1915-99)、兄は放送作家の塩川寿一(1933- )。1946年、一家で静岡県富士宮市に引き揚げ、1953年、両親が野中保育園を開園したため塩川も保育を手伝う。日本社会事業大学卒業、明治学院大学大学院(社会学修士)修了。1974年5月、倉橋惣三賞を受賞。静岡県立厚生保育専門学校(静岡県立大学短期大学部)、淑徳大学社会福祉学部助教授、共栄学園短期大学教授、静岡県立大学短期大学部教授、東横学園女子短期大学保育学科特任教授などを務めた。
浅沼 信爾(あさぬま しんじ、1938年 - )は、日本出身… 浅沼 信爾(あさぬま しんじ、1938年 - )は、日本出身のエコノミスト、国際公務員。クーン・ローブ投資銀行極東代表事務所代表、世界銀行アジア第1局長、一橋大学教授等を歴任した。 三重県伊勢市生まれ。1961年一橋大学経済学部卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。卒業論文ではアルバート・O・ハーシュマンの不均衡成長論を研究した。 1964年、第3期YPPで世界銀行に入行。世銀のYPPに参加したのは日本人として初めてで、また当時世銀の日本人スタッフは大蔵省から出向してきていた1名のみであった。経済局、極東局、プロジェクト局農業部でエコノミストを務めた。 卒論で扱ったハーシュマンのインドでのプロジェクトに参加したのち、GHQで農地改革を担当した3人のエコノミストのうちの1人であるウィリアム・ギルマーティンや、同じくGHQで農協設立などを行ったシーク・タカハシに師事し、カントリー・エコノミストとしての修練を積んだ。
古川 浩一(ふるかわ こういち、1938年 - )は日本の経… 古川 浩一(ふるかわ こういち、1938年 - )は日本の経営学者、会計学者。東京工業大学名誉教授、岩手県立大学名誉教授。日本経営協会経営科学文献賞、中小企業研究奨励賞受賞。 1964年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。東京工業大学工学部助手、助教授、教授、岩手県立大学総合政策学部教授、岩手県立大学大学院総合政策研究科長、IGRいわて銀河鉄道監査役を歴任。1967年日本経営協会経営科学文献賞受賞。1988年『財務分析の研究』により九州大学経済学博士の学位を取得。1989年財団法人商工総合研究所中小企業研究奨励賞受賞。1998年日本経営財務研究学会副会長。2009年中央大学総合政策学部特任教授を定年退職。
松元 宏(まつもと ひろし、1938年 - )は、日本の歴史… 松元 宏(まつもと ひろし、1938年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。近現代日本経済史専攻。横浜国立大学名誉教授・元副学長。 宮崎県生まれ。1964年一橋大学経済学部卒業。1970年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。三井文庫研究員を経て、1974年横浜国立大学経済学部助教授。1981年同教授、経済学博士。1990年附属貿易文献資料センター長。1994年経済学部長。1998年学生部長。1999年副学長。2002年まで評議員を務め、2004年横浜国立大学名誉教授。政治経済学・経済史学会理事、小山町史編纂事業委員、大磯町史編纂委員、御殿場市史編さん専門委員等も務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
鈴木 肇(すずき はじめ、1938年 - )は、元NHK「シ… 鈴木 肇(すずき はじめ、1938年 - )は、元NHK「シルクロード」取材団長。 三重県生まれ。1961年広島大学卒業後、NHKに入局。1967年ドキュメンタリー第一作「子牛誕生」を製作、1969年東京勤務以後、「新日本紀行」、「明治の群像 海に火輪を」(1975年)など一貫してドキュメンタリー番組の制作を手がけ、1979~81年の「NHK特集 シルクロード」では取材団団長を務め、80年には司馬遼太郎と会い、楼蘭で女性のミイラを発掘した。80年井上靖との共同取材で菊池寛賞受賞。1995年定年退職。京都造形芸術大学教授、南京広播学院教授などを歴任。
長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の… 長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の漢文学者、広島大学・尾道大学名誉教授。 1938年、山口県生まれ。広島大学文学部に入学し、中国語学ならびに中国文学を専攻した。同大学大学院修士課程を修了。 卒業後は、広島大学附属中学校・高等学校教諭となった。その後、兵庫教育大学助教授、母校の広島大学教育学部教授をつとめた。2002年、広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は尾道大学教授として教鞭をとったが、2009年に退職し、名誉教授となった。
三階 徹(さんがい とおる、1938年 - ?)は、日本の社… 三階 徹(さんがい とおる、1938年 - ?)は、日本の社会学者。 法政大学社会学部社会学科、法政大学大学院社会科学研究科博士課程出身。中京女子大学生涯学習研究所教授。芝田進午の一番弟子。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 敬一(よしだ けいいち、1938年 - )は日本の工学… 吉田 敬一(よしだ けいいち、1938年 - )は日本の工学者。元静岡大学・日本大学・浜松学院大学教授。専門は情報科学。 1938年(昭和13年)、北海道増毛町に生まれる。1963年(昭和38年)に法政大学工学部電気工学科を卒業し、日本電気(NEC)勤務を経て、静岡大学教授、日本大学教授、浜松学院大学教授を歴任する。1990年(平成2年)に『文脈保存を利用したコンパイラ構文解析部の自動生成の研究』で工学博士(慶應義塾大学)を取得する 。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鶴蒔 靖夫(つるまき やすお、1938年 - )は日本の実業… 鶴蒔 靖夫(つるまき やすお、1938年 - )は日本の実業家、ラジオパーソナリティ。 樺太(現サハリン州)生まれ、北海学園大学経済学部中退。フリーライターとして独立。大宅壮一に師事。雑誌「人物評論」の編集主幹を経て、評論家、ラジオパーソナリティとして活動した。株式会社IN通信社(アイエヌ通信社、「IN」はインターナショナル・ニュースの略、1964年3月創立、2023年2月破産手続開始、2023年6月清算終了)の代表を務めていた。 1984年7月から2022年8月末までアール・エフ・ラジオ日本で冠番組『こんにちは!鶴蒔靖夫です』(2020年4月から『話のキャッチボール』に改題)を担当した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
澤岡 昭(さわおか あきら、1938年 - )は日本の学者。… 澤岡 昭(さわおか あきら、1938年 - )は日本の学者。 1938年、北海道帯広市生まれ。 小・中・高校時代を札幌で過ごし、1958年北海道大学理類に入学、1963年物理学科卒業、1965年修士課程を修了、その年の秋、博士課程を中退して大阪大学基礎工学部に助手として採用され、1969年に東京工業大学に転勤した。 工業材料研究所と応用セラミックス研究所(現・フロンティア材料研究所)の助手、助教授、教授、所長を経て、1999年大同工業大学(現:大同大学)学長、2017年大同大学名誉学長。 その間、宇宙開発事業団(当時)嘱託やスペースシャトルを利用した宇宙実験、国際宇宙ステーション計画に参画した。
中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグ… 中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー。神奈川県出身。 武蔵野美術大学卒業。1964~73年杉浦康平デザイン事務所勤務。ウルム造形大学(en:Ulm_School_of_Design)に招致された杉浦康平に同行し、オトル・アイヒャーに師事する。1973年、中垣デザイン事務所設立。2008年4月、杉浦康平、勝井三雄などのグラフィックデザイナーが講師を務める、社会人のためのデザイン学校「ミームデザイン学校」を設立。 実家はワイナリー(皇國葡萄酒)。母方の祖父は、1935年東京大学駒場に移転した、当時の第一高等学校校長森巻吉。
千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説… 千田 次郎(ちだ じろう、1938年 - )は日本の牧師、説教家、伝道者、神学校教師。山形県米沢市を拠点にして日本中で活躍している牧師である。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐々木 謙介(ささき けんすけ、1938年 - )は、日本の… 佐々木 謙介(ささき けんすけ、1938年 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティー。現在は福岡県福岡市に在住している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
生駒 孝彰(いこま こうしょう、1938年 - 2022年)… 生駒 孝彰(いこま こうしょう、1938年 - 2022年)は、日本の宗教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。日米現代宗教論を専門とし、龍谷大学教授などを歴任した。 北海道旭川市に生まれる。 龍谷大学文学部仏教学科を卒業した。その後、浄土真宗本願寺派の開教使となってアメリカ合衆国に渡り、ブリガム・ヤング大学で歴史学を専攻して修士号を取得した。 帰国後、京都文教短期大学の教員となり、1996年には京都文教大学人間学部教授となった。後に2000年代半ばには、龍谷大学国際文化学部教授を務めた。 宗教の観点からアメリカ合衆国の社会を検討し、「米国のカルト宗教に詳しい」人物とされている。 呉智英は、生駒の1981年の著書『アメリカ生れのキリスト教』を「モルモン教、エホバの証人、クリスチャンサイエンスについて、歴史・教義を要領よく紹介している」と評した。
角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )… 角谷 優(かくたに まさる、1938年(昭和13年) - )は、日本の映画プロデューサー。フジテレビジョン映画部長、ロサンゼルス支社長、フジサンケイ・コミュニケーションズ・インターナショナル副社長などを務めた。 高校生から大学までを、池袋の名画座・人世坐系の文芸地下で働く。 1961年4月、早稲田大学卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。報道担当アナウンサーとして『FNNテレビ朝刊』などを担当。映画好きを活かして自ら志願して、同年10月から映画劇場の『テレビ名画座』で同僚の辻川一徳アナウンサーとともに資料集めと原稿執筆、選曲をしてテレビ初の映画解説者を行った。他に『話題の映画』という映画情報番組も制作。
小林 保治(こばやし やすはる、1938年 - )は、日本の… 小林 保治(こばやし やすはる、1938年 - )は、日本の国文学者。学位は、文学博士。専門は、中世の説話文学・仏教文学・能・狂言など。 青森県青森市出身。早稲田大学教育学部卒、同大学院文学研究科博士課程修了。その後、早稲田大学教育学部・大学院文学研究科兼担教授、浙江大学客員教授。2008年3月、早稲田大学を定年退職。 津軽弁を大切にしていて、さまざまな高校で地域の言葉に眼差しを向ける授業を展開してきた。 中学生の時に石器を発見してから、化石や石の収集を趣味としている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
高村 寿一(たかむら じゅいち、1938年??月??日 - … 高村 寿一(たかむら じゅいち、1938年??月??日 - )は、日本の経済学者。武蔵野大学現代社会学部教授。 東京都出身。1961年、早稲田大学政治経済学部卒業。同年日本経済新聞社入社。産業部記者、論説委員論説副主幹などを経て現職。 著書に『日本産業史』(共編・日本経済新聞社)、『証言戦後経済史』(同)、『ベーシック日本経済の新課題』(日本経済新聞社)他がある。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです https://nikkeibook.nikkeibp.co.jp/author/68195 『ベーシック 経営入門 日経文庫』より) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年)は… 長尾 三郎(ながお さぶろう、1938年 - 2006年)は、日本のノンフィクション作家。 福島県生まれ。福島県立福島高等学校を経て[要出典]、早稲田大学第一文学部演劇科中退。 大学在学中より著述業に入る。講談社系の週刊誌『女性自身』『週刊現代』等で記者として活動。当時の経験については、後に『週刊誌血風録』(2004年)にまとめられている。 1985年、加藤保男の評伝『エベレストに死す』が第7回講談社ノンフィクション賞の候補作に挙げられる。1986年、植村直己の評伝『マッキンリーに死す』で第8回講談社ノンフィクション賞を受賞。 2006年、がんのために死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。