園田 保男(そのだ もりお、1934年〈昭和9年〉10月19… 園田 保男(そのだ もりお、1934年〈昭和9年〉10月19日 - )は、日本の実業家。元東洋エンジニアリング社長、同会長、同相談役。 園田保・富子の長男として北海道に生まれる。1958年(昭和33年)北海道大学工学部機械工学科を卒業し、東洋高圧に入社。1961年(昭和36年)東洋エンジニアリングに転じ、モスクワ事務所勤務、海外プロジェクト・プロジェクトゼネラルマネージャー、建設本部副本部長、施設事業本部副事業本部長、特設本部本部長、FS本部長、取締役、常務、代表専務を経て、1994年(平成6年)6月、社長に就任した。その後、1999年(平成11年)4月に会長、同年10月、相談役に就任した。 ほか、エンジニアリング振興協会理事長を務めた。
川本 八郎(かわもと はちろう、1934年10月18日 - … 川本 八郎(かわもと はちろう、1934年10月18日 - )は、学校法人立命館の常任相談役、第9代理事長。大学職員(学校事務職員)から学校法人のトップに上り詰め、大南正瑛、長田豊臣両総長を支えて辣腕を奮った。理事長時代には「改革」の手腕を評価される一方で、学園規模の拡大や産学連携の促進といった施策に対して、ワンマン的、経営主義との批判もあった。 全共闘によって破壊されたわだつみ像の再建運動に関わった。
乾 晴美(いぬい はるみ、1934年〈昭和9年〉10月18日… 乾 晴美(いぬい はるみ、1934年〈昭和9年〉10月18日 - 2025年〈令和7年〉2月26日)は、日本の政治家。位階は正五位。 科学技術政務次官(第45代)、参議院議員(1期)、AWA女性問題研究所代表などを務めた。遠縁に工学者の佐藤大記がいる。 徳島県石井町出身。1957年(昭和32年)、徳島大学学芸学部を卒業。教員を務め、1982年(昭和57年)、徳島県青少年婦人室長補佐を経て、1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙に連合の会から徳島県選挙区から立候補して自由民主党の亀長友義を破り当選。 1993年(平成5年)に誕生した細川内閣では科学技術政務次官を務めた。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙で落選した。
松野 太郎(まつの たろう、1934年10月17日 - )は… 松野 太郎(まつの たろう、1934年10月17日 - )は、日本の気象学者。独立行政法人海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センター特任研究員、東京大学名誉教授、北海道大学名誉教授。専門は気象学、特に気候システムのダイナミックス、地球温暖化予測などが研究テーマ。 長野県長野市で出生、茨城県水戸市、勝田市(現・ひたちなか市)育ち。茨城県立水戸第一高等学校、東京大学理学部卒業、東京大学大学院数物系研究科地球物理学専攻博士課程を1962年に退学、1966年に理学博士学位取得(東京大学)。東京大学教授、北海道大学教授、海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センター長を歴任。
副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 20… 副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 2021年10月8日)は、日本の社会学者・漫画評論家。筑波大学名誉教授。 東京生まれ。父は牧師・副田正義(1906年-2004年、青山学院神学部卒業)。 1953年、東京都立新宿高等学校卒業。1957年、東京大学文学部社会学科卒業。1959年、同大学院社会科学研究科修士課程修了。1995年、「生活保護制度の社会史」で東京大学より博士(社会学)の学位を取得。1959-1966 日本社会事業大学 嘱託・助手・講師・助教授。1966-1977 東京女子大学助教授・教授。1977-1998 筑波大学 教授 1995年、副学長。1998-2010 金城学院大学教授。
壺阪 龍哉(つぼさか たつや、1934年10月17日 - )… 壺阪 龍哉(つぼさか たつや、1934年10月17日 - )は、日本のコンサルタント。株式会社トムオフィス研究所代表取締役、元駿河台大学教授。専門は記録管理、事務管理。 1934年に東京で生まれる。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業する。鐘紡に入社した後に、共栄工業に転職した。その後、ファイリング・クリニック株式会社を創設し常務取締役に就任する。1990年に株式会社トム オフィス研究所を設立し、代表取締役に就任した。後に駿河台大学文化情報学部・文化情報学研究科客員教授を務め、後進育成を行った。 オフィス業務効率化の専門コンサルタントとして人事・能力開発・総務・企画などの仕事を経たノウハウをもとに多数の著作を執筆し、企業や諸官庁で改善指導を担った。
三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月1… 田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月17日 - 2014年〈平成26年〉7月8日)は、日本の神職。石清水八幡宮宮司。 京都府神社庁監事・庁長、京都神社スカウト協議会副理事長、京都國學院院長などを務めた。 昭和9年(1934年)10月17日、田中文清の子として京都府に生まれた。 昭和41年(1966年)、國學院大學文学部神道学科を卒業した。 昭和42年(1967年)、春日大社出仕となり、翌昭和43年(1968年)に同社権禰宜、昭和54年(1979年)に禰宜に就任した。 昭和54年(1979年)、累代社家として奉職していた石清水八幡宮に還り、同宮権宮司に就任。また昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)まで、ボーイスカウト綴喜第1団の団委員長を務めた。
綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )… 綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )は、日本の歌人。響短歌会主宰。歌誌「響」(隔月刊)編集人。日本短歌協会副理事長。現代短歌協会会員。日本歌人クラブ会員。埼玉県歌人会理事。牧水研究会会員。埼玉県飯能市出身。 1934年10月17日、埼玉県飯能市に生まれる。現在は埼玉県秩父市在住。大野誠夫に師事し、多大な影響を受ける一方で、斎藤茂吉、若山牧水あるいは日本の古典、仏教、文化財などにも傾倒し、幻想と写実の間を漂うような独自の世界を創造し、2012年にはいくつかの例外を除き、一首のなかに一ヶ所のみ漢字を記した短歌を収録した前代未聞の歌集『水月』を上梓するなど、実験的な活動を行うなどして注目されている。
久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日… 久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日本の俳優、声優。神奈川県出身。 中央大学卒業。馬場企画を経て、清野事務所所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
岡本 和也(おかもと かずや、1934年10月16日 - )… 岡本 和也(おかもと かずや、1934年10月16日 - )は、日本の経営者。 東京都出身。1958年に東京大学経済学部を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1986年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1994年6月に専務、1998年1月に副頭取を経て、同年6月に東京三菱証券社長に就任。2001年6月から2002年8月までに会長を務めた。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 20… 若松 美黄(わかまつ みき、1934年10月15日 - 2012年8月1日)は、日本の舞踊家、振付家、舞踊研究家。北海道小樽市出身(札幌市生まれ)。 1950年代後半から60年前半にかけて、土方巽らとともに前衛的な創作舞踊を数多く発表し、日本のコンテンポラリーダンスの草分けとなる。その後、妻の津田郁子とともに、若松美黄・津田郁子自由ダンスカンパニーを立ち上げ、作品を発表するほか、筑波大学、日本女子体育大学、東京女子体育大学などにおいて舞踊教育に携わり、日本のモダンダンスの枠組の拡大に努めた。 朝倉書店, 松浦義行編. スポーツの科学 p.143-158 若松美黄の近作プログラム モダンダンス研究と評論1 :11 モダンダンス研究と評論2:26-27 モダンダンス研究と評論 3:28-29 モダンダンス研究と評論 4 :24-25 モダンダンス研究と評論 7 :29-32 モダンダンス研究と評論 13:30-31 女子体育14(8 ):46-53 女子体育19(10):42-44 心30(2):26-46 女子体育19(11):36-38 女子体育19(12):46-49 女子体育20(5):48-55 女子体育21(9):63-64 肉体言語10:82-88 体育科教育28(13):40-41 さいたま舞芸4 バレエのための教養講座5 :22-23 トリムライフ50:18-22 トリムライフ6:20-23 女子体育25(6):42-45 筑波フォーラム22:121-125 女子体育27(7):2-6 クラブライフ62:1-12 体育科教育37(10):30-32 トリムリーダー養成講座サブ・テキストp.89-99 音楽の世界26(7): 3-5 女子体育31(6):60-63 体育科教育37(10):30-32 90年代のレジャーマインドp.7-10 悲劇喜劇4:32-35
伊藤 裕康(いとう ひろやす、1934年10月15日 - 2… 伊藤 裕康(いとう ひろやす、1934年10月15日 - 2025年9月7日)は、日本の実業家、中央魚類株式会社代表取締役会長兼CEO、東京都水産物卸売業者協会会長、一般社団法人豊洲市場協会会長、一般社団法人全国水産物卸協会最高顧問。 1934年、東京都生まれ。1959年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、中央魚類株式会社入社。 常務取締役、専務取締役を歴任後、1997年、代表取締役社長に就任。2010年、代表取締役会長兼CEOに就任。 東京都水産物卸売業者協会会長、一般社団法人豊洲市場協会会長、大日本水産会相談役を務める。豊洲移転前の築地市場でも一般社団法人築地市場協会会長を務めるともに、現在最高顧問を務める一般社団法人全国水産物卸協会の会長も務めた。
志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 … 志太 勤(しだ つとむ、1934年〈昭和9年〉10月14日 - 2025年〈令和7年〉7月9日)は、日本の実業家。シダックス創業者。 静岡県田方郡韮山町(現・伊豆の国市)出身。静岡県立韮山高等学校卒業。高校3年生の時に、義兄から譲り受けた大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」を経営。1960年(昭和35年)、東京都調布市に給食事業を運営する「富士食品工業」(現・シダックスフードサービス)を設立し、社長に就任。従来の定食からカフェテリア方式にしたことで急成長を遂げた。集団給食を主体としたフードサービス事業とレストランカラオケ事業で業界トップクラス。1997年(平成9年)、社長を長男・勤一に譲っている。2012年(平成24年)6月、代表取締役会長から取締役最高顧問となる。
伊藤 友宣(いとう とものり、1934年10月14日- )は… 伊藤 友宣(いとう とものり、1934年10月14日- )は、日本の教育心理カウンセラー。 神戸生まれ。大阪大学人間科学部(教育心理学専攻)在学中に里親運動に入る。社団法人家庭養護促進協会の事務局長を9年にわたって務めた後、1975年よりフリーの親子問題カウンセラーとして活動を始める。神戸心療親子研究室主宰。
設楽 岩久(したら いわひさ、1934年10月13日 - )… 設楽 岩久(したら いわひさ、1934年10月13日 - )は日本の大蔵官僚。元東北財務局長。埼玉県富士見市西みずほ台1丁目在住。 埼玉県出身。埼玉県立秩父農業高等学校卒業。1955年2月 秩父税務署入署。1966年7月より大蔵省主計局で勤務する。1985年4月 主計局総務課予算会計事務管理室長。1986年6月 主計局総務課主計監査官。1987年7月 主計局主計官(総務課:予算総括担当)。1989年6月 主計局司計課長兼会計センター次長兼会計センター研修部長。1992年6月 東北財務局長。1993年6月 退官。同年7月 水資源開発公団理事。
棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )… 棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )は、日本の弁護士。元通産官僚、第25代通商産業事務次官、石油資源開発社長、石油鉱業連盟会長。 岐阜県岐阜市生まれ。軍人であった父を3歳の時に亡くし、母と祖父母に育てられた。 岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部に入学。在学中は行政法・自治法が専門の田中二郎のゼミで学ぶ。ゼミの同期には片山虎之助(参議院議員、初代総務大臣)がいた。「広域行政の必要性」を説く田中からは自治省への入省を勧められ、片山も自治省でのキャリアを積む事となるが、棚橋は「日本はまだまだ経済発展が必要だ。出来るならば、産業政策を担う通産省に入りたい」と志した。 1958年、東大法学部を卒業し通商産業省入省。
中田武司(なかだ たけし、1934年10月13日- )は、日… 中田武司(なかだ たけし、1934年10月13日- )は、日本の国文学者、専修大学名誉教授。 岐阜県高山市生まれ。1957年國學院大学文学部卒業、1959年同大学院国文学博士課程満期退学、1973年「王朝歌物語の研究」で文学博士の学位を取得。1966年専修大学文学部助教授、教授、理事・評議員。2004年定年退職、名誉教授。「武田祐吉博士記念賞」受賞。中古の和歌・物語が専門。
西岡 昭彦(にしおか あきひこ、1934年10月12日 - … 西岡 昭彦(にしおか あきひこ、1934年10月12日 - 2003年2月17日)は、日本の経営者。ナショナル住宅産業(現・パナソニック ホームズ)代表取締役社長。山口県出身。 1957年3月山口大学経済学部を卒業。同年4月ナショナル住宅産業入社。1996年6月、代表取締役社長就任。1998年6月退職。 2003年2月17日、胃がんのため大阪府守口市内の病院で逝去。68歳没。 1993年に同社「サンヴァリエ」が月間942棟の受注最高記録を達成。 創業30周年を機に「感動満足企業」を掲げて新たなスタートを切った。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 … 岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 - 2014年6月11日)は、日本の小説家。本名、根本邦枝。 広島県広島市生まれ。父・岩橋八洲民は植物学者で当時広島文理科大学副手。1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)から、お茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年『婦人公論』の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が『文藝』全国学生小説コンクールに当選、1955年『婦人公論』募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が『新女苑』に発表され、女版石原慎太郎としてマスコミが殺到した。
花房 正義(はなぶさ まさよし、1934年10月10日 - … 花房 正義(はなぶさ まさよし、1934年10月10日 - )は、日本の実業家。 岡山県出身。画家を目指して上京するが、才能の限界を感じ、1957年東京経済大学経済学部卒業。大学では山城章ゼミで師事し、以後1993年に山城が死去するまで指導を受け、1972年の山城経営研究所の設立の支援なども行った。 1977年日立クレジット取締役経理部長。1990年東京経済大学理事。1991年日立クレジット代表取締役社長。2000年日立キャピタル代表取締役社長。2001年日立キャピタル代表取締役会長。2003年日立製作所取締役、日立化成工業取締役、2004年東京ガス監査役。2005年度財界賞経営者賞受賞。2006年企業研究会会長。
四十宮 正男(よそみや まさお、1934年10月9日 - 2… 四十宮 正男(よそみや まさお、1934年10月9日 - 2023年4月16日)は、日本の経営者。兼松社長を務めた。 東京都出身。1959年に東京大学経済学部を卒業し、同年に兼松に入社。1975年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1994年6月に社長に昇格。1999年6月に業績低迷の責任を取り、相談役に退く。大王製紙監査役も務めた。 2023年4月16日、肺がんのため死去。88歳没。
伊川 義則(いかわ よしのり、1934年10月8日 - )は… 伊川 義則(いかわ よしのり、1934年10月8日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。 大阪東高校から近畿大学を経て、1957年に近鉄パールスへ入団。1958年に引退。
藤尾 茂(ふじお しげる、1934年〈昭和9年〉10月8日 … 藤尾 茂(ふじお しげる、1934年〈昭和9年〉10月8日 - 2022年〈令和4年〉10月8日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 兵庫県西宮市の代々歯科医を開業する家の男3人兄弟の末っ子として生まれる。長兄は小児科医、次兄は歯科医で、父親は藤尾を外科医にする希望を持っていたという。実家は甲子園球場から徒歩20分ほどの場所にあり、球場の声援が家まで聞こえたが、藤尾自身は小学生の頃から巨人ファンであった。 小学校時代から中田昌宏とバッテリーを組み、1950年に鳴尾高に揃って入学。1951年の春の選抜では六番打者、三塁手として出場。決勝に進出するが鳴門高に9回サヨナラ逆転負けを喫した。
高山 邦男(たかやま くにお、1934年10月7日 - )は… 高山 邦男(たかやま くにお、1934年10月7日 - )は、長野県長野市出身の元プロ野球選手。 松代高校から1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。1956年に退団し、長野鉄道管理局に入社した。
竹田 篤司(たけだ あつし、1934年10月5日 - 200… 竹田 篤司(たけだ あつし、1934年10月5日 - 2005年6月3日)は、日本の哲学者。元明治大学教授。 愛知県生まれ。東京教育大学文学部哲学科、同大学院仏文学専攻博士課程中退。明治大学教養部教授を務め、2005年定年退任後、膵臓癌のため死去した。 デカルト、パスカルなどフランスモラリスト哲学者を研究し、『怪傑デカルト』の型破りな翻訳も話題になった。 西田幾多郎の弟子下村寅太郎に師事し、京都学派についても研究を進め、野上弥生子と晩年の田辺元との「往復書簡集」を編み、恋愛関係などを明らかにした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
前田 滋(まえだ しげる、1934年10月5日 - )は、日… 前田 滋(まえだ しげる、1934年10月5日 - )は、日本の経営者。荏原製作所社長、会長を務めた。山形県出身。 1949年に東北大学工学部機械工学科を卒業し、同年に荏原製作所に入社。1988年6月に取締役に就任し、1994年6月に専務を経て、1996年6月には社長に就任。2000年6月に副会長に就任。
松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭… 松岡 満寿男(松岡 滿壽男、まつおか ますお、1934年〈昭和9年〉10月4日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、山口県光市長(3期)を務めた。 旧・満洲国生まれ。戦後、山口県光市にて育つ。満寿男の名は大叔父の松岡洋右が「満洲の満、ジュネーブ(寿府)の寿から名づけた。山口県立光高等学校全日制普通科卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現日本製鉄)に勤めていたが、1971年(昭和46年)に父三雄が市長在職のまま急逝し、後任の光市長候補に担ぎ出され、36歳で初当選した。その後3回当選し、行政経験のない世襲の新米市長だったが多くの功績を残した。
桜井直(さくらい ただし、1934年10月3日 - )は日本… 桜井直(さくらい ただし、1934年10月3日 - )は日本の大蔵官僚。札幌国税局長、国税不服審判所次長、畜産振興事業団理事、道路開発振興センター副理事長、中小企業国際人材育成事業団理事などを歴任。 長野県出身。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1960年 大蔵省入省(主計局総務課)。1966年7月1日 飯田税務署長。1982年6月11日 内閣官房内閣調査室内閣調査官。1983年6月7日 札幌国税局長。1985年6月25日 国税不服審判所次長。1986年6月9日 退官。同年7月 畜産振興事業団理事。1992年6月 関西国際空港常務。1993年5月 同空港専務。1995年7月 道路開発振興センター副理事長。
大緑 勝五郎(おおみどり かつごろう、1934年10月3日 … 大緑 勝五郎(おおみどり かつごろう、1934年10月3日 - 没年不明 )は、高砂部屋に所属した元力士。本名は笊畑 勝成。現在の北海道芦別市出身。178cm、93kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り。 1953年9月場所初土俵、1960年7月場所で十両昇進。1962年7月場所には自己最高位となる十両筆頭まで番付を上げたが、3勝12敗と大きく負け越し幕内昇進はならなかった。この場所は部屋での感情の行き違いがあって自ら髷を切ってしまったために大銀杏を結えず、丁髷で土俵に上がった。17場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年5月場所限りで廃業した。
狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日… 狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日 - 1992年〈平成4年〉2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。選挙に立候補するときは「かのう 明男」という表記だった。 1934年(昭和9年)10月3日、神奈川県三浦郡葉山町生まれ。茨城県新治郡志士庫村(後の出島村、霞ヶ浦町を経て現在のかすみがうら市)出身。 1941年(昭和16年)4月、志士庫村立宍倉国民学校入学。小学2年生のときに父がニューギニアの戦いで戦死し、母も6年生のとき死去、狩野他3人の兄弟は親戚で別々に育てられる。1947年(昭和22年)4月、荏原中学校入学。1950年(昭和25年)4月、茨城県立土浦第一高等学校入学。
北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 20… 北村光治(きたむら みつはる、1934年10月2日 - 2006年)は、レスラー。ローマオリンピックライト級グレコローマン5位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。
餌取 章男(えとり あきお、1934年10月2日 - )は、… 餌取 章男(えとり あきお、1934年10月2日 - )は、日本の科学ジャーナリスト、江戸川大学名誉教授。 東京出身。1958年東京大学教養学部卒、日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)、日本科学技術振興財団(現テレビ東京)で科学番組の制作、演出を担当した後、日本経済新聞社に移り『日経サイエンス』編集長。この間テレビ番組に出演し広く知られる。日経サイエンス取締役、三田出版会専務、江戸川大学社会学部教授、同エクステンションセンター所長、2005年定年、名誉教授。その間、東京大学先端科学技術研究センター客員教授、日本科学技術振興財団理事、科学技術館副館長。
斎藤 吉見(さいとう よしみ、1934年10月2日 - 20… 斎藤 吉見(さいとう よしみ、1934年10月2日 - 2005年7月29日)は、日本の作家。齋藤 吉見名義もある。 静岡県生まれ。早稲田大学文学部仏文学科卒業。サラリーマン生活のかたわら小説を書き、1979年「倒産」が日経経済小説賞佳作入選。経済小説、歴史小説などを書いた。 2005年7月29日、脳梗塞のため70歳で死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日 - 20… 入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日 - 2019年8月5日)は、日本の俳優。東京市本郷(現在の東京都文京区本郷)出身。 都立小石川高校卒業。俳優座養成所第3期生。養成所卒業後の1954年、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し、劇団の主要メンバーとして活躍する。 この間の1952年、東映映画『泣き虫記者』で映画デビュー。大映映画『秘密』(1952年)『続十代の性典』(1953年)などに出演し大映と契約。『赤線地帯」(1956年、溝口健二監督)や『地上』(1957年、吉村公三郎監督)、『浮草』(1959年、小津安二郎監督)などに出演して印象深い演技を残す。 1960年代からは舞台を中心に活動、またテレビにも創成期から出演していた。
高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 198… 高野 哲夫(たかの てつお、1934年10月1日 - 1985年3月23日)は、日本の薬学者、薬害問題の運動家。 山形県生まれ。大連、東京で育つ。東京都立小石川高等学校卒、1959年京都大学医学部薬学科卒、64年同大学院薬学研究科博士課程満期退学。1981年「戦後薬害問題の研究」で北海道大学薬学博士。関西医科大学助手、立命館大学、京都府立医科大学講師を務めた。スモン、サリドマイドなど薬害問題にとりくむが、子供の頃のカリエスが33歳で再発し、病と戦いつつ50歳で死去した。反戦平和運動にも挺身。妻は高野恵美子(1938年京都府生まれ、旧姓森本。1962年神戸薬科大学卒業。会社勤務を経て1964年国立京都病院検査技師。
米倉 明(よねくら あきら、1934年10月1日 - )は、… 米倉 明(よねくら あきら、1934年10月1日 - )は、日本の法学者。東京大学法学部名誉教授。専門は民法。加藤一郎門下。弟子に道垣内弘人、角紀代恵、沖野眞已など。 研究対象は財産法から家族法に至るまで全分野に及んでおり、それぞれで高い評価を受けているが、とりわけ担保法の権威として知られる。また、特別養子制度の創設においては、人道的見地から積極的にこれを支持し、法理論における指導的立場に立った。 また2005年には、穂積八束の有名な論文の題名「民法出デテ忠孝亡ブ」をもじった「法科大学院出デテ研究亡ブ」という言葉で法学教育のあり方に疑義を呈するなど、活発に活動を続けている。 愛知県名古屋市出身。
伊奈 努(いな つとむ、1934年10月1日 - 1984年… 伊奈 努(いな つとむ、1934年10月1日 - 1984年9月1日)は、愛知県宝飯郡御津町(現:豊川市)出身のプロ野球選手。1953年から1956年の登録名は伊奈 勉(読み同じ)。
御巫 清泰(みかなぎ きよやす、1934年(昭和9年)10月… 御巫 清泰(みかなぎ きよやす、1934年(昭和9年)10月1日 - 2012年(平成24年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木技術者、実業家。運輸省港湾局長、関西国際空港会社社長を歴任。 1958年(昭和33年)東京大学土木工学科卒業。運輸省に入省し、港湾局環境整備課長、港湾局計画課長、港湾局技術参事官、港湾局長などを歴任。1998年(平成10年)関西国際空港代表取締役社長に転じ、2003年(平成15年)日本港湾協会会長となった。ほか、土木学会理事、関西支部長などを務めた。2005年(平成17年)土木学会功績賞受賞。2012年(平成24年)7月7日、急性硬膜下血腫により死去した。
高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - … 高橋 正康(たかはし まさやす、1934年10月1日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1957年に新潟大学人文学部経済学科を卒業し、同年4月に北越銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1999年4月から2003年4月までに頭取を務めた。 2006年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丸山 惠也(まるやま よしなり、1934年10月 - )は、… 丸山 惠也(まるやま よしなり、1934年10月 - )は、日本の経営学者。専門は経営学。学位は、博士(経営学)(立教大学・論文博士・1993年)(学位論文「日本的経営-その構造とビヘイビア」)。立教大学名誉教授。元東邦学園大学学長。北海道出身。 このほか、立教大学にて経済学部経営学科学科長や経済学部学部長、大学院経済学研究科研究科長など務める。 専門は経営学、生産システム論や地域経済論、アメリカ自動車産業の経営学史。特に地域再生と産業集積を研究。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 勉(もり つとむ、1934年10月 - 2022年8月6… 森 勉(もり つとむ、1934年10月 - 2022年8月6日)は、日本の金属工学者。東京科学大学名誉教授。マンチェスター大学名誉教授。日本金属学会賞受賞。 東京市四谷生まれ。1957年東京工業大学(現東京科学大学)理工学部金属工学科卒業、東京工業大学理工学部金属工学科助手。 1965年工学博士。ノースウェスタン大学博士研究員を経て、1968年東京工業大学工学部金属工学科助教授。1975年東京工業大学大学院総合理工学研究科材料科学専攻教授。1995年退官、名誉教授、リョービ研究部嘱託。村上雅人、佐藤彰一らと共同でe-Mn-Si系形状記憶合金を発見。 1996年にリョービ研究部嘱託を退職後、マンチェスター大学材料・素材学科教授、防衛大学校研究協力者なども務め、東京工業大学名誉教授、マンチェスター大学名誉教授、東京科学大学名誉教授の称号を受けた。
山本 義司(やまもと よしじ、1934年9月30日 - 20… 山本 義司(やまもと よしじ、1934年9月30日 - 2004年8月24日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
西本 鶏介(にしもと けいすけ、1934年9月30日 - )… 西本 鶏介(にしもと けいすけ、1934年9月30日 - )は、日本の児童文学作家、児童文学評論家。昭和女子大学名誉教授。 日本児童文学者協会、日本児童文学学会、日本文芸家協会、日本児童文芸家協会に所属。坪田譲治文学賞選考委員。 奈良県高市郡(現大和高田市)に県庁職員の長男として生まれる。年少時に児童文学者の中川正文の子ども会に参加する。 1958年國學院大學文学部日本文学科卒業。大学三年の時に、句集『薔薇と母』を刊行する。俳号を鶏介とする。卒業後、医学系出版社に務めるが、文学への志を捨てきれず、山本和夫らの「トナカイ村」に参加する。 1988年昭和女子大学文学部教授、2003年人間文化学部教授、2004年名誉教授、2005年退職。
勝俣 鎮夫(かつまた しずお、1934年9月29日 - 20… 勝俣 鎮夫(かつまた しずお、1934年9月29日 - 2023年9月13日)は、日本の歴史学者・日本中世史学者。東京大学名誉教授、静岡文化芸術大学名誉教授。東京生まれ。 勝俣久作の三男。中世期の農民、低い身分の民衆の生活実態を解明し、史学の研究対象を拡大した。「商返し」等の中世の法的習慣の内容と成立の過程を検証した。指導教官の佐藤進一より厳密な史料研究を受け、フランス・アナール学派の業績を批判的に検討し、日本の史学における中世期研究の方法を比較研究の手法を用いて再構築した。石井進、網野善彦、笠松宏至と共著がある。 1997年『戦国時代論』で角川源義賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
高橋 令則(たかはし よしのり、1934年(昭和9年)9月2… 高橋 令則(たかはし よしのり、1934年(昭和9年)9月29日 - 2016年(平成28年)9月3日)は、日本の政治家。 岩手県出納長、岩手県副知事、参議院議員(1期)、自由党岩手県総支部連合会会長などを歴任した。 1934年に岩手県岩手郡松尾村(現八幡平市)で生まれた。岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学法学部を卒業。 1962年(昭和37年)岩手県庁に入庁した。要職を歴任し、岩手県知事の中村直の下では出納長を務めた。後任の知事である工藤巌の下では副知事を務めた。工藤の退任にともない、1995年4月29日に副知事を退任した。同年、第17回参議院議員通常選挙への立候補を表明した。新進党の公認を受け、岩手県選挙区にて当選を果たした。
山崎 敏光(やまざき としみつ、1934年〈昭和9年〉9月2… 山崎 敏光(やまざき としみつ、1934年〈昭和9年〉9月28日 - 2025年〈令和7年〉1月31日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。位階勲等は正四位瑞宝重光章。 1957年(昭和32年)に東京大学理学部物理学科を卒業。東京大学原子核研究所助手、カリフォルニア大学およびニールス・ボーア研究所研究員、東京大学理学部講師、同助教授をへて、1972年(昭和47年)東京大学教授となる。1986年(昭和61年)東京大学原子核研究所長。退官後は東京大学名誉教授。日本学術振興会監事、財団法人仁科記念財団理事長(後任はノーベル賞受賞者の小林誠)などを歴任。 原子核物理の研究で知られ、中間子物理の実験的研究など卓越した業績で数々の受賞・受章を授与されている。
森泉 弘次(もりいずみ こうじ、1934年9月28日 - )… 森泉 弘次(もりいずみ こうじ、1934年9月28日 - )は、日本の人文学者。青山学院女子短期大学名誉教授。はじめロシア・英文学を専攻し、のちユダヤ教の研究に進んだ。 1934年、東京都生まれ。早稲田大学文学部露文科を卒業し、1962年に同大学院文学研究科修士課程を修了。北海道大学大学院文学研究科博士課程英米文学専攻に進み、1973年に中退した。 青山学院女子短期大学講師となり、後に助教授、教授昇進。2005年に青山学院女子短期大学を定年退任し、名誉教授となった。その後も聖学院大学教授として教鞭をとった。学界では、日本翻訳家協会事務局長を務めた。
須賀 信行(すが のぶゆき、1934年9月28日 - 201… 須賀 信行(すが のぶゆき、1934年9月28日 - 2018年1月18日)は、日本の空手家。 千葉県流山市出身。15歳のときに、高校の体育館で韓武舘の稽古風景をたまたま覗いたことから韓武舘に入門。1954年(昭和29年)、20歳のときに開催された空手界最初の全国大会である、第一回全国空手道選手権大会において優勝をする。第二回大会でも優勝し、連覇を果たすが、翌年の第三回大会では準決勝で足払いの後に突きを決められ一本負けをし、それを機に23歳にして現役選手を引退する。以降は当時新宿に所在した全日本空手道連盟錬武会の本部道場にて指導者となり、第5回大会、第7回大会で優勝した豊倉宏眞(現、錬武会副会長)などを指導する。