福江 仙太郎(ふくえ せんたろう、2002年2月5日 - )… 福江 仙太郎(ふくえ せんたろう、2002年2月5日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンレッドハリケーンズ大阪に所属するラグビー選手。 2020年、鳴尾高校卒業後、立命館大学に入る。なお鳴尾高校時代、第99回大会決勝の前座試合第12回U18合同チーム東西対抗戦に出場。 2024年、レッドハリケーンズ大阪に加入。
兵庫県立鳴尾高等学校:21人
※有名人ナビに登録されている21人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
福江 仙太郎(ふくえ せんたろう、2002年2月5日 - )… 福江 仙太郎(ふくえ せんたろう、2002年2月5日 - )は、ジャパンラグビーリーグワンレッドハリケーンズ大阪に所属するラグビー選手。 2020年、鳴尾高校卒業後、立命館大学に入る。なお鳴尾高校時代、第99回大会決勝の前座試合第12回U18合同チーム東西対抗戦に出場。 2024年、レッドハリケーンズ大阪に加入。
佐野 菜見(さの なみ、1987年4月17日 - 2023年… 佐野 菜見(さの なみ、1987年4月17日 - 2023年8月5日)は、日本の漫画家。女性。兵庫県西宮市出身。 2010年に読み切り作品「ノンシュガーコーヒー」が『Fellows!』(エンターブレイン)に掲載され、漫画家としてデビューする。 2013年には連載作『坂本ですが?』がコミックナタリー大賞を受賞した。同作はその後2016年4月から6月までテレビアニメ化された。 『ミギとダリ』のアニメ化を2か月後に控えた2023年8月5日、卵巣癌により死去。36歳没。
山中 絢子(やまなか あやこ、1986年10月14日 - )… 山中 絢子(やまなか あやこ、1986年10月14日 - )は、兵庫県出身の元タレント、レースクイーン。神戸女学院大学卒業。元所属事務所はワンエイトプロモーション。現在は芸能界を引退している。
稲田 康志(いなだ こうじ、1985年6月19日 - )は、… 稲田 康志(いなだ こうじ、1985年6月19日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 小学4年生から箕面西南フットボールクラブでサッカーを始め、中学でサッカー部に入部。間もなく、セレッソ大阪のU-15に加入し、本格的にサッカーを始めた。U-18主将時にJユース選手権ベスト4を達成したが、トップチームには進めなかった。大阪学院大学では4年生で主将を務め、同大学の関西学生サッカーリーグ初優勝に貢献した。 その後自ら練習生を志願し、ロアッソ熊本に入団した。デビュー戦は、2009年4月5日J2第6節対コンサドーレ札幌戦(4-0)。この年は12試合に出たが、定位置確保までは至らなかった。
小寺 右子(こてら ゆうこ、1977年7月14日 - )は、… 小寺 右子(こてら ゆうこ、1977年7月14日 - )は、朝日放送テレビ(ABC)所属のアナウンサー。 兵庫県西宮市の出身で、西宮市立浜脇中学校、兵庫県立鳴尾高等学校を経て、指定校推薦で青山学院大学経営学部へ進学。大学卒業後の2000年4月1日付で、岩本計介とともに、アナウンサーとして朝日放送(当時)へ入社した。 アナウンサーを志したきっかけは、高校2年時の1995年1月17日に、当時住んでいた西宮市内の実家で阪神・淡路大震災に遭遇したことにある。当時の実家は全壊に近い被害を受けていて、(朝日放送を含む)在阪民放局のアナウンサーが伝える震災関連の報道へ接するうちに、アナウンサーの仕事に対する敬意と使命感が芽生えたという。
堂森 勝利(どうもり かつとし、1976年6月29日 - )… 堂森 勝利(どうもり かつとし、1976年6月29日 - )は、兵庫県西宮市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 1995年にセレッソ大阪ユースからトップチームに昇格。1999年までにリーグ戦30試合に出場した。2000年にアルビレックス新潟に移籍。その後、JFLのチームなどでプレーし、2005年9月引退。引退後は若年層などの指導を行っている。
佐々木 恭子(ささき きょうこ、1972年〈昭和47年〉12… 佐々木 恭子(ささき きょうこ、1972年〈昭和47年〉12月17日 - ) は、フジテレビのアナウンサー。 兵庫県西宮市出身。神戸大学教育学部附属住吉小学校、神戸大学教育学部附属住吉中学校、兵庫県立鳴尾高等学校卒業。高校卒業後、父の仕事の関係で東京に転居した。一浪して東京大学文科三類に入学し、東京大学教養学部フランス科卒業。 1996年、アナウンサーとしてフジテレビ入社。同期入社の竹下陽平・藤村さおりとともに、河田町社屋時代最後の入社世代である。なお東京大学及び東京大学大学院出身のフジテレビアナウンサーの入社は1989年入社の智田裕一以来となる。その後は2017年入社の安宅晃樹まで同学出身のフジテレビアナウンサーは入社していない。
大石 昌義(おおいし まさよし、1972年7月18日 - )… 大石 昌義(おおいし まさよし、1972年7月18日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投右打。 一度現役を引退した後、打撃投手としての採用を受けた後に現役復帰し野手転向した変わり種である。 中学時代は常盤貴子の同級生であった。 鳴尾高卒業後、浪人中の1991年に広島東洋カープの新人テストを受け合格。1991年のプロ野球ドラフト会議で8位指名を受け入団するも、一軍登板のないままわずか2年で退団。2年目の終盤はファームで打者として出場していた。 その後、1994年に地元の阪神タイガースに打撃投手として採用されるが、6月に投手不足のため現役復帰。1996年には野手転向するが阪神でも一軍出場はならず、この年限りで現役引退。
風花 舞(かざはな まい、1971年6月6日 - )は東京都… 風花 舞(かざはな まい、1971年6月6日 - )は東京都出身の女優。元宝塚歌劇団月組トップ娘役。愛称はゆうこ。 東京青山の松山バレエ学校に、青南小学校の3年~中学2年まで在籍。松山バレエ団公演「ドン・キホーテ」「コッペリア」「くるみ割り人形」に出演。 1984年:第41回東京新聞全国舞踊コンクールバレエ第二部で入賞。 1990年:76期生として宝塚歌劇団に入団。 入団時の成績は40人中2番。花組公演『ベルサイユのばら〜フェルゼン編〜』で初舞台。初舞台にしてソロのダンスシーンを与えられる。 1991年1月14日:月組に配属。 1992年:OG大浦みずきを筆頭とするニューヨーク公演(NYジョイスシアター公演)に参加。
近藤 誠一(こんどう せいいち、1963年8月1日 - )は… 近藤 誠一(こんどう せいいち、1963年8月1日 - )は競技麻雀のプロ雀士。最高位戦日本プロ麻雀協会副代表。Mリーグでは2022-23シーズンまでセガサミーフェニックスに選手として所属し、2023-24シーズンからは同チームの監督を務める。愛称は「夢芝居」「大魔神の系譜」「せいちゃん」「不死鳥のお父ちゃん」「銭湯民族」。 兵庫県尼崎市出身。兵庫県立鳴尾高等学校を経て、静岡大学工学部電気工学科(応用数学講座)に進む。大学時代から麻雀に親しみ、卒業後は一旦ユニリーバ・ジャパンに就職するが、1988年に学生時代から憧れの金子正輝と麻雀を打ちたいと最高位のプロ試験を受けるものの不合格。一旦麻雀から離れ、佐鳴学院(現:佐鳴予備校)の数学講師を務める。
田村 正浩(たむら まさひろ、1961年4月22日 - )は… 田村 正浩(たむら まさひろ、1961年4月22日 - )は、近畿地方を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。タムラモータウン代表。 兵庫県西宮市甲子園生まれ、神戸市育ち。兵庫県立鳴尾高等学校を卒業後、愛媛大学法文学部法学科へ一度進学したが、中退して明治大学農学部農業経済学科に入り直した。明治大学在学時には放送研究会に所属し、東京アナウンスアカデミーにも通っていた。 1986年4月に北日本放送 (KNB) に入社し、制作部所属のアナウンサーとして3年間活動。その後は東京支社へ転勤し、営業職に従事していた。 1991年8月、同年10月の開局を控えていた青森朝日放送 (ABA) に入社。同局のアナウンサー1期生となり、スポーツ関係を主に担当した。
播摩 卓士(はりま たくし、1960年11月11日 - )は… 播摩 卓士(はりま たくし、1960年11月11日 - )は、TBSテレビ報道局編集主幹。記者、キャスター。 大阪府生まれ。兵庫県立鳴尾高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。専攻は国際経済論。1984年4月、TBS入社以来、報道局で経済全般、日米関係、国際政治などを取材。政経部記者、『筑紫哲也 NEWS23』ディレクター、経済部記者などを経て、1994年からワシントン特派員となる。1997年に帰国後、『筑紫哲也NEWS23』編集長、経済部長、『イブニング・ファイブ』編集長、JNNワシントン支局長などを歴任。 2000年から2001年にかけて慶應義塾大学に出向、グローバルセキュリティリサーチセンター研究員、オーストラリア国立大学客員研究員。
明石 昌夫(あかし まさお、1957年〈昭和32年〉3月25… 明石 昌夫(あかし まさお、1957年〈昭和32年〉3月25日 - 2025年〈令和7年〉5月19日)は、日本の音楽プロデューサー、編曲家、ベーシスト、マニピュレーター。大阪府出身、兵庫県西宮市育ち。 音楽好きの一家に生まれ、4歳からヴァイオリンを習い始める。中学時代に1960年代から1970年代のブリティッシュ・ロックに強く魅了される。兵庫県立鳴尾高等学校、大阪大学基礎工学部電気工学科を卒業。 1988年に制作したデモテープを評価したビーイングと契約。初編曲作品はB'zの「だからその手を離して」。その後、ビーイングアーティストを中心に多くのアーティストの編曲を担当した。1997年までB'zのサポートメンバーを務め、ベースとマニピュレーターを担当し、B'zの3人目のメンバーとも呼ばれた。
原 ゆたか(はら ゆたか、本名:原 裕。1953年〈昭和28… 原 ゆたか(はら ゆたか、本名:原 裕。1953年〈昭和28年〉4月28日 - )は、日本の児童文学作家、イラストレーター。熊本県出身。妻は絵本作家の原京子。 小学校時代は東京都北区赤羽台に住んだ。高校時代には兵庫県姫路市に住んでおり、よく姫路城の写真を撮っていた(兵庫県立鳴尾高等学校を卒業)。現在は東京都港区に在住している。 1973年、20歳でイラストレーターとしてデビュー。児童書の挿絵を手がけていたが、「絵を使ってページをめくる楽しさをもっと演出できるのでは」と思い、「レイアウトもすべてやらせて欲しい」と出版社に申し出たところ、「じゃあ描いてごらん」と言われたことからすべて自ら描くことになった。
上田 武司(うえだ たけし、1946年3月16日 - )は、… 上田 武司(うえだ たけし、1946年3月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手、内野手)・コーチ、評論家。 鳴尾高校ではエースとして活躍。3年次の1963年5月には、同年に夏の甲子園で優勝する明星高との練習試合で好投し、注目を浴びる。夏季兵庫大会では準々決勝に進出するが、宮本幸信、後にプロでチームメイトとなる吉田孝司のバッテリーを擁する市神港高に敗退。 卒業後の1964年に読売ジャイアンツへ入団。 1965年に内野手へ転向。1967年にはイースタン・リーグで打率.356をマークして首位打者、本塁打王にも輝いて二冠を獲得。 1969年9月8日のアトムズ戦(神宮)で浅野啓司から6年目で初のソロ本塁打を放つ。
藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年(昭和19年)1月… 藤本 敏夫 (ふじもと としお、1944年(昭和19年)1月23日 - 2002年(平成14年)7月31日)は、日本の学生運動指導者、政治活動家。有機農法実践家、大地を守る会初代会長、兵庫県立鳴尾高等学校卒業、同志社大学文学部新聞学科中退。 鴨川自然王国設立者。妻は歌手の加藤登紀子。娘は歌手のYae。 大地を守る会(オイシックス・ラ・大地の前身の一つ)の活動を通じて、三里塚闘争を行っている農家が結成した「三里塚農法の会」から有機農法の農産物を買い付けていた。大地を守る会が会社化した後は、活動内容が変質したことから、反対派と疎遠になった。
重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月1… 重森 孝子(しげもり たかこ、1939年〈昭和14年〉9月14日 - )は、脚本家(映画、TV)。兵庫県西宮市生まれ。 兵庫県立鳴尾高等学校~同志社大学文学部(1962年)卒。在学中は「第三劇場」に所属。卒業後、劇団仲間と結婚し上京、離婚後シナリオ研究所に学ぶ。在学中に浦山桐郎と知り合い、1970年に浦山との間の娘を出産。
中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 20… 中田 昌宏(なかた よしひろ、1935年2月22日 - 2009年11月16日)は、兵庫県西宮市鳴尾出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)。 現役時代は阪急ブレーブスに所属し、引退後も阪急のコーチ・代理監督・二軍監督を務めたほか、阪急の後身であるオリックスの編成部長・取締役等も歴任した。 鳴尾高校で投手として甲子園に2度出場。1951年の第23回選抜高等学校野球大会では1年上の野武貞次(法大-リッカー)との二本柱で勝ち進み、決勝に進出。決勝の対鳴門高戦で9回を投げ抜くが、1点リードして迎えた9回裏に味方のエラーで同点とされ、さらに自身の三塁牽制悪送球でサヨナラ負けを喫する。甲子園球場から徒歩2分のところにある鳴尾高の初の決勝進出とあって、球場を埋めつくした5万を越える観衆のほとんどが鳴尾高を応援していたが、この敗戦に一瞬で静寂に包まれた。
藤尾 茂(ふじお しげる、1934年〈昭和9年〉10月8日 … 藤尾 茂(ふじお しげる、1934年〈昭和9年〉10月8日 - 2022年〈令和4年〉10月8日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 兵庫県西宮市の代々歯科医を開業する家の男3人兄弟の末っ子として生まれる。長兄は小児科医、次兄は歯科医で、父親は藤尾を外科医にする希望を持っていたという。実家は甲子園球場から徒歩20分ほどの場所にあり、球場の声援が家まで聞こえたが、藤尾自身は小学生の頃から巨人ファンであった。 小学校時代から中田昌宏とバッテリーを組み、1950年に鳴尾高に揃って入学。1951年の春の選抜では六番打者、三塁手として出場。決勝に進出するが鳴門高に9回サヨナラ逆転負けを喫した。
鈴木 武(すずき たけし、1932年2月28日 - 2004… 鈴木 武(すずき たけし、1932年2月28日 - 2004年6月27日)は、兵庫県西宮市出身で、近鉄パールス(バファロー)と大洋ホエールズに在籍したプロ野球選手(内野手)である。 鳴尾高校では、1951年春の選抜に出場。同期の野武貞次(法大-リッカー)、1年下の中田昌宏の投の二本柱を擁し勝ち進む。決勝では鳴門高と対戦するが、9回サヨナラ負けを喫し準優勝にとどまる。この大会では打率.611を記録し、攻守両面で活躍、優秀選手に選出された。他のチ-ムメートでは、藤尾茂、山田清三郎がプロ入りしている。 高校卒業後、社会人野球の東洋レーヨンを経て、1953年に近鉄パールスに入団。1年目の開幕から遊撃手、二番打者に抜擢され、鳴尾高校の先輩に当たる日下隆と一、二番コンビを組んで多くの盗塁を成功させた。
日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010… 日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010年12月28日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(外野手)。 兄に大阪タイガースでプロ野球選手として活躍、引退後は政治家となった日下章がいる。息子は育英高校の夏の甲子園優勝監督(1993年)である日下篤。 鳴尾中学から法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中1回優勝。リーグ通算71試合出場、223打数71安打、打率.318、0本塁打、34打点。首位打者1回(1950年秋季リーグ)。 1952年に近鉄パールス入団。翌1953年には開幕から一番打者、右翼手に抜擢され、規定打席(10位、打率.285)にも到達した。1954年は近鉄の野手で初めてオールスターゲームに出場。