堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5… 堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5日 - 2006年〈平成18年〉1月12日)は、日本のマスコミ研究者、成城大学名誉教授。 京都府出身。弟は映画監督の堀川弘通。成城高等学校卒、京都帝国大学文学部哲学科心理学専攻卒、朝日新聞社入社、調査部に勤務しジャーナリズム研究を行い、1961年「新聞における取材と表言に関する科学的研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。のち成城大学教授、文芸学部長、1982年定年退任、名誉教授。1977年日本新聞学会会長。インタビューを「面接」と訳し、「面接博士」と呼ばれた。
古谷 倉之助(ふるや くらのすけ、1911年5月4日 - 1… 古谷 倉之助(ふるや くらのすけ、1911年5月4日 - 1961年)は、東京都出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手、一塁手、外野手、二塁手。 史上初の打点王を獲得し、史上初タイとなる本塁打王も獲得している。 八王子中学から八王子実業団を経て1936年に名古屋金鯱軍へ入団。金鯱軍では主将を務めたほか、投手としては先発陣の一角を占め、打っては時には4番に座るなど、主力選手として活躍した。 1年目の1936年秋季リーグでは、山下実、藤村富美男と並んで本塁打王を獲得。さらに打点王も獲得。打率は中根之に及ばず2番目の成績だったためプロ初の3冠王とはならなかったが、見事2冠王となった。この年の秋季リーグは投手兼任だったが全試合出場を記録している。
何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7… 何 初彦(が はつひこ、1911年5月4日 - 1997年7月19日)は、日本の新聞学研究者、東京大学名誉教授[3]。東京大学新聞研究所所長、上智大学教授などを歴任した[3]。
池田 恒雄(いけだ つねお、1911年〈明治44年〉5月3日… 池田 恒雄(いけだ つねお、1911年〈明治44年〉5月3日 - 2002年〈平成14年〉2月9日)は、日本のスポーツを中心としたジャーナリスト、出版社経営者。ベースボール・マガジン社(以下、BBM)の創立者。社長・会長を歴任。 相撲評論家の池田雅雄は弟。工藤写真館が実家の妻とは離婚。作家の工藤美代子、BBM2代目社長の池田郁雄、3代目社長の池田哲雄(三男)、翻訳家の池田晶子は実子。スキー選手の猪谷千春は元娘婿。元産経新聞記者でジャーナリストの猪谷千香は孫。英文学者の池田雅之は甥。 新潟県北魚沼郡小出町(現・魚沼市)出身。旧制・新潟県立小千谷中学校を経て、早稲田大学文学部を卒業。大学在学中の1931年に雑誌「野球界」の編集に携わり、雑誌編纂や野球の魅力にとりつかれていく。
野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 … 野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の実業家。株式会社岡山日日新聞社代表取締役社長、岡山放送株式会社取締役相談役などを歴任した。弟である野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。 岡山県総社市真壁出身。國學院大學卒業。新聞聯合社に入社する。1936年、同盟通信社に入社する。1946年、時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社(のちに岡山日日新聞社)代表取締役に就任する。 岡山日日新聞社代表取締役社長、会長、岡山放送取締役相談役のほか、岡山通信土木代表取締役、フジボーリング代表取締役、日本シール販売代表取締役、フジビル取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事などを歴任した。
山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1… 山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1日 - 1992年(平成4年)4月16日)は、日本の実業家。滋賀県出身。1935年(昭和10年)に日本銀行入行。東亜研究所主任研究員(交通)を経て、1945年(昭和20年)に国土計画へ入社。近江鉄道代表、西武鉄道取締役、西武バス社長などを歴任、同時に(社)東京バス協会会長、(社)日本バス協会副会長他、運輸省関連要職を務める。社主堤康次郎の衆議院議長時代は堤清二と共に議長秘書官として政治活動を支えた。 1986年(昭和59年)、勲三等旭日中綬章を受章。
吉田 豊信(よしだ とよのぶ、1911年(明治44年)4月3… 吉田 豊信(よしだ とよのぶ、1911年(明治44年)4月30日 - 1984年(昭和59年)7月21日)は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(4期)。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 兵庫県飾磨郡白浜村(現・姫路市)生まれ。旧制姫路中学校卒業後、東京帝国大学法学部に進み、高等試験並びに内務省幹部採用試験に合格した。1934年(昭和9年)、内務省に入省、大阪府、岩手県で勤務ののち、1938年(昭和13年)、陸軍に召集され姫路の第10師団歩兵第39連隊に入隊した。その後、甲種幹部候補生採用試験に合格、東京の陸軍経理学校への入校を経て、陸軍主計少尉に任官し、第10師団経理部で物資統制主任将校を務めた。1942年(昭和17年)2月、召集解除により内務省に復帰し、福岡県、愛知県で勤務、終戦後は厚生省佐世保引揚援護局総務部長、愛知県教育部長を務める。
戸田 康英(とだ やすひで、1911年4月30日 - 197… 戸田 康英(とだ やすひで、1911年4月30日 - 1977年4月2日)は、日本の宮内省・宮内庁官僚。東宮侍従。旧松本藩主戸田子爵家の当主で、祖父は第2代子爵戸田康泰、父は第3代子爵戸田康保。浅野忠允(浅野鉄馬養子)、本多光孝(本多忠昭養子)は実弟である。 学習院初等科・中高等科を経て東京帝国大学文学部卒業。1935年宮内省図書寮に入省。1937年侍従、1946年皇太子傅育官として明仁親王に仕えた。1965年4月、東宮侍従長に就任する。英国女王エリザベス2世の戴冠式を始め、皇太子の海外訪問にたびたび随行した。1968年11月、松本市名誉市民となる。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。
松村 達雄(まつむら たつお、1911年4月29日 - 19… 松村 達雄(まつむら たつお、1911年4月29日 - 1990年8月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。専門は英国近代小説。 1911年(明治44年)大阪市心斎橋生まれ。大阪高等学校 (旧制)を卒業後、東京帝国大学英文学科に入学。同大学院に進み、1938年(昭和13年)に修士課程を修了。 卒業後は世界経済調査会で研究員を務めた後、明治大学文学部教授に就任。戦後、東京大学教養学部教授を務めた。1972年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は玉川大学教授として教鞭をとった。
瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月1… 瑛九(えいきゅう、1911年4月28日 - 1960年3月10日)は、日本の画家、版画家、写真家。前衛的な作品、抽象的な作品(抽象絵画)が多い。本名、杉田 秀夫。QEiとも自署した。浦和画家として有名。 宮崎県宮崎市に生まれる。瑛九の生家は宮崎市内で眼科医院を営んでいるが、極度の近視のため家業を継ぐことはできなかった。1925年、宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)を中退して上京。日本美術学校卒業。 1934年に生涯の友人となる画家の山田光春(当時は教員)と出会う。1935年に中央美術展に初入選した。山田らと芸術家クラブふるさと社を結成した。この頃より美術評論家の外山卯三郎や、画家の長谷川三郎と親交を深める。
曽田 範宗(そだ のりむね、1911年4月28日 - 199… 曽田 範宗(そだ のりむね、1911年4月28日 - 1995年6月30日)は、日本の機械工学者、文化功労者。 新潟県柏崎市出身。1935年東京帝国大学工学部機械学科卒。1941年東京帝大助教授、1949年「摩擦の研究」で工学博士、東大理工学研究所教授、1968年東大宇宙航空研究所長。1972年定年退官、名誉教授、1976年理化学研究所理事、80年同研究顧問、相談役。1981年豊田工業大学客員教授。 1971年『摩擦の話』で毎日出版文化賞受賞、1975年紫綬褒章受勲、1981年勲二等瑞宝章受勲、1989年文化功労者。1968-1971年日本潤滑学会長、1971年日本航空宇宙学会長、1975年日本機械学会長。
伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 198… 伊藤 和衛(いとう かずえ、1911年4月28日 - 1989年6月4日)は、日本の教育学者、東京教育大学名誉教授。 福島県いわき市生まれ。1941年、東京文理科大学卒業。東京都教育研究所を経て、1964年から東京教育大学教育学部(教育行財政講座)教授。1961年、「教育の機会均等」により、東京文理科大学文学博士。1975年、定年退官、名誉教授、山梨英和短期大学教授。1989年6月4日、急性腎不全のため死去。 日本教育行政学会の創設に携わり、1974年から3年間会長を務めた。
島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> … 島村 道康(しまむら みちやす、1911年 <明治44年> 4月28日 - 1989年 <平成元年> 2月19日)は、日本の経営者。位階は従四位。 なお名前については、音読みの「どうこう」と呼ばれることも多かった。 高知県高知市出身。1935年に東京商科大学本科を卒業し、同年4月に第一銀行に入行。1963年11月に取締役に就任し、1966年11月に常務。1968年から翌1969年にかけて起きた第一銀行と三菱銀行の合併騒動では、合併反対派の急先鋒として当時同行会長だった井上薫らに与し、合併を推進した頭取の長谷川重三郎と対立したため、長谷川の逆鱗に触れた島村は銀行を追い出され東亜ペイントに転出を余儀なくされた。
町田 業太(まちだ ぎょうた、1911年〈明治44年〉4月2… 町田 業太(まちだ ぎょうた、1911年〈明治44年〉4月27日 - 1993年〈平成5年〉8月18日)は、日本の実業家。兼松社長、会長を務めた。ボリビア国名誉総領事。 群馬県前橋市出身。旧制前橋中学校を経て、1932年に横浜高等商業学校を卒業し、同年に兼松商店に入社した。1952年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1964年に副会長に就任し、1965年には社長に昇格した。1976年に会長に就任し、翌年から相談役を務めた。 1965年兼松副社長の時にボリビア国名誉領事、1978年には同名誉総領事となる。 1968年にブラジルよりカブラル勲章授与。1974年にはボリビアよりコンドル勲章を授与される。
山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 19… 山口 久太(やまぐち ひさた、1911年4月26日 - 1993年7月12日)は、日本の教育者。元日本体育協会副会長、名誉副会長。東海大学体育学部長。 1911年、、佐賀県東松浦郡相知町(現唐津市)に生まれる。下村湖人の薫陶を受け、旧制唐津中学(現在の佐賀県立唐津東高等学校)卒業後、周囲が旧制高等学校の進学を薦める中、日本一の体育教師を目指して、東京高等師範学校(現・筑波大学)体育科に進学する。1934年3月、東京高等師範学校体育科を卒業。体育教諭として、旧制甲府中(現・山梨県立甲府第一高等学校)、旧制広島一中(現・広島県立国泰寺高等学校)に奉職。戦後千葉県に体育担当地方事務官として招かれて、千葉県立佐原高等女学校校長、千葉県立船橋高等学校校長を務める。
田中 精一(たなか せいいち、1911年(明治44年)4月2… 田中 精一(たなか せいいち、1911年(明治44年)4月26日 - 1998年(平成10年)6月24日)は、昭和から平成にかけて活動した日本の実業家。位階は従三位。 中部電力第4代代表取締役社長(のち会長・相談役)を務め、名古屋財界の重鎮であった。 中部電力以外では東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役会長、中部経済連合会会長、日本電気協会会長、西ドイツ名誉領事、中部新国際空港建設促進協議会代表理事、名古屋グランパスエイト会長、ナゴヤドーム会長、財団法人東海産業技術振興財団理事長などを歴任。 勲等は勲一等瑞宝章。西ドイツからドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章、フランス政府からレジオン・ド・ヌール勲章を受章。
加藤 静雄(かとう しずお、1911年(明治44年)4月25… 加藤 静雄(かとう しずお、1911年(明治44年)4月25日 - 1960年(昭和35年)12月7日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓は増田。 静岡県志太郡豊田村(現焼津市)の増田家に生まれる。静岡県立志太中学校(現静岡県立藤枝東高等学校)の第一期生で、同校4年修了で静岡高等学校に進んだ。1939年(昭和14年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業。戦後、東京の加藤家の養子となるが、焼津に在住した。 実業界では、合資会社東亜製作所副会長、焼津水産取締役社長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙で静岡県第1区から日本社会党公認で出馬して実業家の長兄、増田年郎の援助と志太中同窓生の支援を受けて当選し、衆議院議員に1期在任した。
川村 徳久(かわむら とくひさ、1911年4月25日 - 1… 川村 徳久(かわむら とくひさ、1911年4月25日 - 1944年)は、兵庫県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手)。妻は宝塚歌劇団18期生の秦都美子。
斎藤 信(さいとう まこと、1911年4月25日 - 200… 斎藤 信(さいとう まこと、1911年4月25日 - 2008年4月5日)は、日本のドイツ語・日蘭関係史学者。名古屋市立大学名誉教授。 東京市神田区(現千代田区)生まれ。1937年東京帝国大学文学部独文科卒。陸軍教授、戦後は米子医療専門学校教授、鳥取大学学芸学部助教授、金沢大学法文学部助教授、1957年名古屋市立大学教養部教授、1975年定年退官、名誉教授、藤田学園保健衛生大学医学部教授、1984年同客員教授。ドイツ語教員のかたわら、シーボルト親子の著書を翻訳した。
近藤 いね子(こんどう いねこ、1911年4月25日 - 2… 近藤 いね子(こんどう いねこ、1911年4月25日 - 2008年11月13日)は、日本の英文学者。津田塾大学名誉教授。旧姓は佐藤 いね子。 神奈川県中郡秦野町(現:秦野市曽屋)出身。父親は第2代秦野町長を務めた佐藤政吉。1944年に近藤正夫(物理学者、学習院大学教授)と結婚し、1950年に一女をもうける。 1924年、東京女子高等師範学校附属高等女学校入学。1929年、女子英字塾本科入学。1932年東北帝国大学英文科に入学し、1935年卒業、文学士。1937年ケンブリッジ大学大学院に入学し、1939年に修了、Master of Letters。帰国後の1941年夏目漱石『こゝろ』を英訳、翌42年にその功績により、第11回岡倉賞を受賞。
景山 俊弘(かげやま としひろ、1911年(明治44年)4月… 景山 俊弘(かげやま としひろ、1911年(明治44年)4月23日 - 1999年(平成11年)3月19日)は、日本の政治家。掛合町議会議員、掛合町長を歴任した。位階は従五位。 旧制松江中学校(現島根県立松江北高等学校)卒。島根県の大財閥として重きをなしていた田部長右衛門知事の秘書をつとめる。1942年から1951年に合併するまで旧掛合村村議となり、町制施行後は引き続き掛合町議となる。また同町教育委員を1952年から1955年まで務め、同町農業委員も1957年から務めた。後に、掛合町から竹下登が田部の後押しを受け、県議を経て国会議員となると、景山は竹下側近として掛合町議会議員となり、町議会議長となった。
中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月… 中村 拓道(なかむら たくどう、1911年(明治44年)4月22日 - 1974年(昭和49年)5月28日)は、日本の政治家。青森県八戸市の12代目市長。 1911年(明治44年)4月、 青森市に生まれる。旧制青森中学校(現青森県立青森高等学校)を経て、1930年(昭和5年)、青森県師範学校を卒業し、小学校で教鞭を執る。1941年(昭和16年)、 青森県庁に入庁。地方事務所長などを歴任する。1951年(昭和26年) 、青森県議会議員に立候補して初当選、連続四期在職する。農林商工水産農地副委員長、予算特別委員長、水産商工公安副委員などを経て、1961年(昭和36年)、 県議会副議長に就任。1964年(昭和39年)、東北電力(株)監査役に就任。
新城 常三(しんじょう つねぞう、1911年4月21日 - … 新城 常三(しんじょう つねぞう、1911年4月21日 - 1996年8月6日)は、日本の歴史学者。日本中世の交通史を専門とした。 福島県若松市生まれ。1933年に水戸高等学校卒業。1936年に東京帝国大学国史学科卒業。同期に奥田眞啓らがいる。同史料編纂所員を経て、1949年に北海道大学助教授、同大学教授を経て、1959年に九州大学教授、1976年定年。同年、成城大学教授、1982年退職。 1961年、「社寺参詣の社会経済史的研究」により、東京大学から文学博士の学位を授与される。1983年、『新稿社寺参詣の社会経済史的研究』で角川源義賞受賞。没後従四位勲四等旭日小綬章。
小関 周一(おぜき しゅういち、1911年4月21日 - 1… 小関 周一(おぜき しゅういち、1911年4月21日 - 1995年10月31日)は、日本の経営者。三菱製紙社長を務めた。和歌山県出身。 1932年に横浜高等商業学校を卒業し、同年に三菱製紙に入社。 1960年11月に取締役に就任し、1962年11月に常務、1968年12月に専務を経て、1970年5月に社長を就任。1978年6月に取締相談役に就任し、1981年6月から相談役を務めた。 1977年10月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年10月31日心不全のために死去。84歳没。
成良 一郎(なりよし いちろう、1911年(明治44年)4月… 成良 一郎(なりよし いちろう、1911年(明治44年)4月20日 - 2000年(平成12年)5月7日)は、日本の地方事務官である。 戦前は熊本県、沖縄県、岐阜県などに勤務し、戦後は主に栃木県で勤務した。栃木県では初代教育長に就任し、副知事も務めた。 1911年(明治44年)4月20日、成良清一の次男として大分県臼杵市に生まれる。 1930年(昭和5年)4月、福岡高等学校文科丙類に入学した。 1933年(昭和8年)、福岡高校を卒業した後、東京帝国大学法学部政治学科に入学した。1936年(昭和11年)には高等文官試験行政科に合格する。 1936年(昭和11年)3月、東京帝国大学を卒業後、地方事務官として熊本県に勤務する。
大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2… 大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2004年2月28日)は、日本の政治家、外交官、華族(侯爵)。 貴族院議員、参議院議員(1期)、コロンビア駐箚特命全権大使、ガーナ駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京帝国大学の経済学部に入学し、1935年に卒業した。1947年、父である大隈信常の死去にともない、爵位を襲爵し侯爵となった。 1947年2月に貴族院議員に就任したが、日本国憲法施行により貴族院が廃止されたため、3か月弱で貴族院議員としての地位を失った。また、同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選を果たした。参議院では民主クラブに所属した。任期満了まで2か月あまりを残し、1953年4月に議員を辞職した。
岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20… 岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20日 - 2000年(平成12年)1月27日)は、日本の昆虫学者。東京都立大学名誉教授、日本昆虫学会名誉会員、日本動物分類学会名誉会員。 日本のショウジョウバエ科昆虫の分類学的研究を進めたことで知られる。父は英文学者の岡田哲蔵、息子は地質学者の岡田昭明。 1910年5月20日、東京府麻布区笄町(現:東京都港区麻布)に生まれた。 1933年、東京帝国大学(現:東京大学)理学部動物学科に進学。丘英通に師事し、双翅目昆虫の形態学を研究。卒業後東京市水道局、日本大学第三中学校教諭を経て、東京帝国大学農学部の副手に着任。 第二次世界大戦時に台北に移り、台北帝国大学医学部助手、台湾省立衛生試験所顧問を歴任しながら研究活動を行った。
国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2… 国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2002年以前)は、日本の経営学者。 山口県柳井市生まれ。1934年東京商科大学卒業。増地庸治郎の指導を受けた。1940年東京外国語学校教授、1952年旧・東京都立大学教授、1961年東北大学経済学部教授、1961年「収支分岐点」で東北大学経済学博士。1974年定年退官、名誉教授、専修大学教授。81年退職。
受田 新吉(うけだ しんきち、1910年5月18日 - 19… 受田 新吉(うけだ しんきち、1910年5月18日 - 1979年9月21日)は、昭和期の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(12期)。 山口県大島郡大島町(現周防大島町)出身。日本大学法科卒業。青年学校長、中学校校長、山口県教職員組合副委員長を経て政界入り。無所属、日本社会党(左右分裂時は右派社会党)を経て民社党結成に参加し、党中央執行委員や国会議員団長を務めた。 1963年8月、大島町公民館建設資金として10万円寄付により1964年4月18日紺綬褒章受章。 1979年、体調を崩し、声が出なくなる病に倒れたため引退を表明し、後継者に受田の元秘書で山口県議会議員の部谷孝之を指名。同年9月21日、肺癌のため茨城県新治郡桜村の筑波大学附属病院で死去した。
東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉… 東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉5月16日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族。久邇宮邦彦王の第3王子。旧名邦英王(くにひでおう)。香淳皇后の弟。第125代天皇・明仁(上皇)は甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)は大甥にあたる。妻は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子。元衆議院議員・亀井久興は妻の甥。後述の経緯により1931年に皇族の身分ではなくなったが、皇族出身者としては記録に残る限りで一番長寿であった人物である(死去時点で103歳7か月16日、37851日)。 1910年(明治43年)、久邇宮邦彦王の第三男子として誕生。東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のように可愛がられており、子女がなかった同夫妻は、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えることとなり、邦英王は、1919年(大正8年)10月26日の吉辰を卜して東伏見宮邸に移った。
近盛 晴嘉(ちかもり はるよし、1910年5月16日 - ?… 近盛 晴嘉(ちかもり はるよし、1910年5月16日 - ?)は、日本のジャーナリスト、歴史家。 兵庫県出身。早稲田大学政治経済学部卒。大阪毎日新聞記者をへて、大阪読売新聞社勤務。1965年定年退職、帝塚山学院短期大学教授を務め、78年定年退職。ジョセフ彦記念会会長を務めた。
黒木 しのぶ(くろき しのぶ、1910年5月15日-1964… 黒木 しのぶ(くろき しのぶ、1910年5月15日-1964年1月15日)は、日本の女優。本名︰石崎 錦。北海道樺戸郡月形町出身。 札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)卒業。北海タイムス(現・北海道新聞社)編集部勤務ののち上京し、銀座でホステスとして働く。1932年、スカウトされて日活太秦撮影所現代劇部に入社、同年『さらば東京』でデビュー。その後、『一九三二年の母』『霧の夜の客間』『モダン・マダム行状記』などに助演。『さらば東京』で共演した佐分利信と結婚し1934年に引退。1964年、肝臓癌で死去した。墓所は小平霊園。 『日本映画人名事典 女優編』キネマ旬報社
相沢 良(あいざわ りょう、明治43年〈1910年〉5月15… 相沢 良(あいざわ りょう、明治43年〈1910年〉5月15日 - 昭和11年〈1936年〉1月28日)は、日本の女性平和運動家、共産党活動家。 青森県南津軽郡野沢村(現在の青森県青森市)吉野田字木戸口2番地に生まれる。相沢家は3代続く藩医の家であった。家族は、父・武良、母・秀、祖母、姉・千代、妹・京、弟・企救麿。父の助手や看護婦も住み込みで働いていた。 1923年(大正12年)4月、県立青森高等女学校に進学。小学生当時の相沢良は、2つ年長の青森高女の姉・千代と同級生で仲の良い淡谷のり子が遊びに来ていて、出会っている。 1927年(昭和2年)3月卒業後、英語を習得するため黒石の親戚の家から弘前女学校に1年間通う。
田澤 巌(たざわ いわお、1910年〈明治43年〉5月15日… 田澤 巌(たざわ いわお、1910年〈明治43年〉5月15日 - 1990年〈平成2年〉6月30日)は、日本の政治学者。専門は政治思想史学、ヨーロッパの哲学史。北海道教育大学名誉教授・元旭川大学女子短期大学部学長。山形県出身。 『北海道人物・人材リスト 2004 か-と』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木全 竹雄(きまた たけお、1910年5月14日 - 没年不… 木全 竹雄(きまた たけお、1910年5月14日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手(ポジションは外野手)。
三村 二(みむら たすく、1910年5月14日 - 1980… 三村 二(みむら たすく、1910年5月14日 - 1980年9月29日)は、日本の歯学者。専門は、生体硬組織再生学。 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)卒業後、1933年に東京高等歯科医学校を卒業した。その後、東京高等歯科医学校の助教授を務め、東京医学歯学専門学校医学科を卒業した。 1950年には東京医科歯科大学歯学部の教授となり、歯学部歯科薬物学講座(現・東京科学大学大学院医歯学総合研究科硬組織薬理学分野)を開設した。1965年から1968年まで東京医科歯科大学の歯学部長を務め、1969年から1973年まで新潟大学歯学部の教授を務めた。
高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13… 高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13日 - 1987年(昭和62年)1月10日)は、日本の近代文学者。成城大学名誉教授。 早稲田大学、お茶の水女子大学などの非常勤講師も務めた。耽美派や芥川龍之介などの研究で知られる。多くの研究書と啓蒙書、3冊の受験参考書がある。 1960年(昭和35年)9月に新塔社で刊行された『新釈 現代文』は、現代文を読むための「たった一つのこと」だけを説いた高校生、大学受験生向けの本である。約20数年間、現代国語の受験参考書としてベストセラーとなった。「たった一つのこと」とは、文脈を追跡するための「内面的運動感覚」である。論旨の展開を追跡する論理感覚とでもいうものであった。
椿 繁夫(つばき しげお、1910年5月13日 - 1991… 椿 繁夫(つばき しげお、1910年5月13日 - 1991年10月26日)は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員。 鳥取県東伯郡羽合町(現在の湯梨浜町出身)。13歳の頃大阪へ出て旋盤工となる。 大阪市役所職員を経て、社会大衆党公認で大阪市会議員選挙に立候補し、当選する。 戦後日本社会党結成に参加し1950年の第2回参議院議員通常選挙で参議院議員に当選(3年議員)。1952年左右分裂で社会党左派に参加。1953年の第3回参議院議員通常選挙で落選するが、社会党再統一後の1956年に第4回参議院議員通常選挙で返り咲く。通算3期務める。 日本社会党の役員としては党参議院国会対策委員長を経て、1963年河上丈太郎委員長の下で党参議院議員会長に就任。
石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 19… 石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 1998年5月29日)は、日本の会計学者。小樽商科大学名誉教授。元札幌学院大学学長。 日本会計学会理事や北海道経済学会代表理事なども務めた他、北海道大学、北見工業大学、北海学園大学、札幌大学、専修大学北海道短期大学、札幌短期大学など多くの非常勤講師も務めた。 『札幌学院 商経論集 第2巻第3号』(札幌学院大学商経学会、1986年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11… 鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11日 - 1993年(平成5年)5月23日)は、日本の実業家。元鈴与会長。旧名 鈴木一郎。 静岡県出身。鈴与商店社長で貴族院議員、6代目鈴木與平の長男として生まれる。清水市立清水尋常高等小学校卒業。静岡県立静岡中学校から、旧制静岡高等学校へ進んだが、2年次から旧制成城高等学校に転学し、卒業した。1935年(昭和10年)、京都大学経済学部卒業。山下汽船入社。1937年(昭和12年)4月、鈴与商店に転じ、1940年(昭和15年)5月、鈴与商店並びに鈴与倉庫、清水食品各社長に就任。同年8月、静岡鉄道監査役に選ばれ、次いで取締役となる。1944年(昭和19年)、鈴与社長。
武藤 守一(むとう しゅいち、1910年5月11日 - 19… 武藤 守一(むとう しゅいち、1910年5月11日 - 1970年9月30日)は日本の経済学者。学校法人立命館総長。立命館大学学長。 岐阜県生まれ。1936年(昭和11年)3月、立命館大学法経学部経済学科を卒業後、研究生として立命館に残る。主として金融経済論、経済政策論、経済理論を中心に研究。1941年(昭和16年)に立命館大学講師、1942年(昭和17年)に同大学助教授、1943年(昭和18年)に同大学教授に就任した。その後、同大学院経済学研究科長、経済学部長、教学部長、図書館長などを歴任。1969年(昭和44年)には立命館総長事務取扱に就任。翌1970年(昭和45年)2月1日行われた総長選挙を経て戦後長らく総長の地位にいた末川博の後を受け立命館総長となった。
福田 克己(ふくだ かつみ、1910年5月10日- 2001… 福田 克己(ふくだ かつみ、1910年5月10日- 2001年2月26日 )は、日本の経営者。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長、会長を務めた。 山口県出身。1935年に神戸商科大学を卒業し、1937年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1960年11月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1972年11月に専務を経て、1974年5月には社長に就任。1982年6月に会長に就任し、1986年6月に取締役相談役を経て、1988年6月には相談役に就任。 1988年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年2月26日、心不全のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹内 照夫(たけうち てるお、1910年5月10日 - 19… 竹内 照夫(たけうち てるお、1910年5月10日 - 1982年8月23日)は、中国哲学者、北海道大学名誉教授。 東京生まれ。文芸評論家・竹内良夫は弟。東京帝国大学卒。1961年「仁の古義の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。北海道大学助教授、教授、関西大学教授、1978年退任。武田泰淳は友人。
清水 信一(しみず しんいち、1910年5月10日 - 19… 清水 信一(しみず しんいち、1910年5月10日 - 1969年1月10日)は、日本の宗教家。天祖光教(てんそこうきょう)の教祖である。男性。天祖光教信者からは「蔽顔の救主(べいがんのくじゅ)」と称される。 石川県江沼郡大聖寺で生まれる。 1923年8月6日(大正12年)、数え14歳の時に福井県の九頭竜川に注ぐ竹田川上流の釜ヶ淵で友人と水浴中に突然神隠しに遭い、京都の鞍馬山に入山。 30歳の初めまで、日本国内・朝鮮半島・満州を巡り、天地創造の神「天祖」より世の救いの啓示を受け、1942年(昭和17年)、愛知県東春日井郡志段味村(現・名古屋市守山区)に本部として聖地「天母里(てんぼり)」を築き、宗教法人天祖光教を設立する。
斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月… 斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月8日 - 1984年〈昭和59年〉11月9日)は、日本の水産学者。魚の鮮度判定指標(k値)の開発者。日本における水産科学、特に水産食品化学の権威として知られ、魚の鮮度・旨みの化学的分析に大きな功績を残した。理学博士。 1910年(明治43年)、群馬県伊香保町(現・渋川市)に生まれる。群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)、旧制成城高等学校を経て、1935年(昭和10年)北海道帝国大学理学部化学科を卒業。北大では田所哲太郎に師事。 北海道大学講師、助教授を勤めたのち、1951年(昭和26年)に北海道学芸大学教授に就任。1953年(昭和28年)に北海道大学水産学部教授となる。
中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 19… 中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 1999年10月10日)は、日本の翻訳家・作家。本名は石川佐喜子 北海道札幌市出身。日本女子大学英文科卒業。1942年に発表した小説『雪のりんご畑』が改造社の文芸推薦を受け、その後数作を発表。戦後は翻訳家としての活動が中心となり、数多くの英米文学の翻訳を行う。中でも角川文庫版『赤毛のアンシリーズ』は、その格調高く、且つ温かみのある訳文によって親しまれ、村岡花子訳の新潮文庫版とともにロングセラーとなった。 その他の著書に評伝『ロレンスを愛した女たち』、エッセイ『トマス・ハーディの全小説を楽しむ』などがある。
杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7… 杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7日 - 1965年(昭和40年)8月31日)は、日本の政治家。初代青森県むつ市長(2期)。 青森県下北郡田名部町(のち大湊田名部市、現在のむつ市)生まれ。旧制青森県立青森商業学校(現在の青森県立青森商業高等学校)を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部法学科卒。卒業後は、家業の製材、運輸業に従事した。1941年(昭和16年)田名部町会議員に当選。1947年(昭和22年)の青森県議会議員選挙に社会党公認で立候補したが、落選した。1948年(昭和23年)3月に町会議員を退任した。1951年(昭和26年)青森県議会議員に当選。1959年(昭和34年)4月まで2期務めた。
高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 … 高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 - 1945年〈昭和20年〉1月8日)は、日本の詩人。 1910年(明治43年)5月4日、岡山県邑久郡牛窓町(現:瀬戸内市)の素封家に生まれる。 1919年(大正8年)、前年の父の死去を機に分家し、母の実家がある滋賀県犬上郡彦根町(現:彦根市)の外馬場に移り住む。 彦根尋常高等小学校(現:彦根市立城東小学校)を卒業。 1928年(昭和3年)、滋賀県立彦根中学校(現:滋賀県立彦根東高等学校)を卒業。 1930年(昭和5年)12月、金沢の第九連隊第一中隊に、幹部候補生として入隊。 1932年(昭和7年)、母と別居し、國學院大学附属高等師範部に入学。
赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 19… 赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 1990年6月8日 )は、日本の舞台美術作家、絵本画家、絵本作家。
川口 敏男(かわぐち としお、1910年(明治43年)5月3… 川口 敏男(かわぐち としお、1910年(明治43年)5月3日 - 1989年(平成元年)7月16日)は日本の詩人。 1910年(明治43年)5月3日に兵庫県で生まれる。1942年(昭和17年)に法政大学文学部英文学科を卒業する。 17歳ごろから詩作を始め、百田宗治に師事して『椎の木』の同人となる。1935年(昭和10年)に『木欒』を主宰し、1937年(昭和12年)に阪本越郎らと『純粋詩』を創刊する。 1989年(平成元年)7月16日に死去、79歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。