厚谷 司(あつや つかさ、1965年〈昭和40年〉10月21… 厚谷 司(あつや つかさ、1965年〈昭和40年〉10月21日 - )は、日本の政治家。夕張市長(2期)、元夕張市議会議員(2期)。 1965年(昭和40年)10月21日、北海道夕張市で生まれる。 1984年(昭和59年)に北海道夕張北高等学校を卒業したのち、1985年(昭和60年)4月より夕張市に奉職。 2005年(平成17年)、夕張市職員労働組合委員長に就任。 2011年(平成23年)に夕張市長に就任した鈴木直道の市民と対話をする姿勢に感銘を受け、同年4月に夕張市を退職したのち、同年5月、夕張市議会議員選挙に立候補し、初当選を果たす。 2015年(平成27年)4月、任期満了に伴う夕張市議会議員選挙に立候補し、無投票で再選を果たす。
秋元 克広(あきもと かつひろ、1956年(昭和31年)2月… 秋元 克広(あきもと かつひろ、1956年(昭和31年)2月2日 - )は、日本の政治家。北海道札幌市長(3期)。 北海道夕張市生まれ。北海道夕張北高等学校、北海道大学法学部(商法、経済法ゼミ)卒業。1979年(昭和54年)、札幌市役所に入庁。2004年(平成16年)企画調整局情報化推進部長、2008年(平成20年)南区長、2009年(平成21年)市長政策室長をそれぞれ務め、2012年(平成24年)に副市長に就任。 2014年(平成26年)9月1日、同市の経済人有志から2015年(平成27年)の札幌市長選挙(第18回統一地方選挙)への出馬要請を受け、9月5日、上田文雄市長に辞表を提出し、副市長を辞任した上で、9月16日に立候補する意向を表明した。
中松 義治(なかまつ よしはる、1946年(昭和21年)6月… 中松 義治(なかまつ よしはる、1946年(昭和21年)6月1日 - )は、日本の政治家。北海道小樽市長を務めた(1期)。 北海道夕張市に生まれる。1965年、北海道夕張東高等学校を卒業。同年、北海道拓殖銀行(拓銀)に入る。 1996年、拓銀小樽支店長となる。翌年拓銀は経営破綻に陥る。1998年、拓銀は北洋銀行に経営譲渡、中松は北洋銀行小樽中央支店長となる。その翌年、小樽市役所に収入役として迎えられる。7年間収入役として活動する。 その後は小樽商工会議所の専務理事となる。専務理事時代は小樽日専連ビルを小樽経済センタービルにした。 2011年の小樽市長選挙に立候補して自由民主党・民主党推薦を受け、元小樽市議の森井秀明と元衆議院議員の佐藤静雄を破り当選した。
藤倉 肇(ふじくら はじめ、1941年〈昭和16年〉4月7日… 藤倉 肇(ふじくら はじめ、1941年〈昭和16年〉4月7日 - 2016年〈平成28年〉7月3日)は、日本の実業家、政治家。夕張市長(1期)、夕張市議会議員(1期)。北海道夕張市出身。 1941年に、夕張市高松二区で生まれる。夕張北高校卒業後、横浜ゴムで働きながら日本大学経済学部二部を卒業。その後、十勝ヨコハマタイヤ・北海道ヨコハマタイヤ販売の2社の社長を務める。特に北海道ヨコハマタイヤ販売社長在任時には、系列販売会社として全国最下位近くだった売上高を在任中にトップにまで引き上げた実績を持つ。前任市長の後藤健二とは高校の同級生である。 2007年4月22日実施の北海道夕張市市長選では、連合の支持を受け優勢が伝えられていたものの、羽柴秀吉に追い上げを許しており、危機感を抱いた陣営は、投票日の3日前に、表向きは自主投票であった公明党とその支持母体である創価学会に支援を要請。
中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9… 中沢 健次(なかざわ けんじ、中澤 健次、1934年(昭和9年)9月15日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の政治家。位階は従四位。衆議院議員を4期務めた。 北海道夕張市に生まれる。夕張市立若葉小学校、夕張市立千代田中学校を経て、1953年、北海道夕張北高等学校卒業。夕張市職員労働組合書記長より全日本自治団体労働組合道本部書記長、同副委員長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙に岡田春夫の後継として日本社会党公認で旧北海道第4区から立候補し初当選(同じ区の社会党現職池端清一や田中派新人鳩山由紀夫も当選)。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で再選(同じ区の民社党新人小平忠正も当選)。
青木 銀一(あおき ぎんいち、1929年(昭和4年)11月1… 青木 銀一(あおき ぎんいち、1929年(昭和4年)11月19日 - 2019年(令和元年)5月5日)は、平成時代の政治家。北海道三笠市長。三笠市名誉市民。位階は従五位。旭日小綬章。 北海道夕張郡夕張町(現夕張市)出身。札幌鉄道教習所を卒業し、三笠市役所に入り、経済振興課長などを経て、1979年(昭和54年)より助役を1期務めた。ほか、商工会副会長を歴任した。 1991年(平成3年)三笠市長に当選し、2003年(平成15年)まで連続3期12年務めた。2004年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2019年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月1… 高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月18日 - 2002年(平成14年)8月29日)は、日本の政治家、官僚。従三位勲一等瑞宝章。 横浜市長(第25・26・27代)、全国市長会会長(第24代)、水資源開発公団総裁、建設事務次官を歴任。 北海道夕張郡夕張町(現:夕張市)出身。北海道立夕張中学校から北海道大学工学部土木工学科を卒業後、1952年に建設省に入省。建設事務次官を経て、1986年には水資源開発公団の総裁に就任した。 1990年2月15日、横浜市長の細郷道一が任期中に病死。細郷の死去に伴い4月8日に行われた市長選に、自民党幹事長在任中の小沢一郎や自民党の派閥で当時最大最強の経世会会長金丸信の後押しを受けて立候補。
中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日… 中田 鉄治(なかだ てつじ、1926年(大正15年)4月1日 - 2003年(平成15年)9月10日)は、日本の政治家。 夕張市長を1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年にわたり務めた。 秋田県に生まれ、生後すぐに夕張町へ移住する。 高等小学校卒業後、北海道殖産銀行(後の旧北海道拓殖銀行)、北海道炭礦汽船の事務職員を経て、1945年(昭和20年)秋に夕張市役所へ入庁した。 夕張市の企画室長だった1970年(昭和45年)に「石炭産業に未来はない」との観点から新産業誘致を打ち出すなど早くから炭鉱の斜陽化・衰退への危機感を持ち、夕張市助役を務めていた1977年(昭和52年)には「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして「石炭の歴史村」事業の計画の端緒を付けた。
寺前 巌(てらまえ いわお、1926年2月20日 - 202… 寺前 巌(てらまえ いわお、1926年2月20日 - 2020年6月6日)は、日本の政治家。日本共産党名誉役員。 北海道夕張市出身。京都青年師範学校(現、京都教育大学)卒。国鉄機関士、京都府議会議員を経て第32回衆議院議員総選挙に京都府第2区より立候補し初当選。以降、党中央委員、幹部会委員、国対委員長、常任幹部会委員、両院議員総会会長を歴任。国会では衆議院運輸委員会などに属した。 革新が強い京都において選挙では毎回安定した戦いを続けていたが、第37回衆議院議員総選挙において共産党が寺前と新人の有田光雄の2名を擁立したところ、絵に描いたような共倒れとなり落選した(両者の得票を足せば、1位当選者の得票をはるかに上回っていた)。
竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 20… 竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 2006年4月18日)は、日本の政治家、参議院議員(2期)。 北海道夕張市出身。1944年(昭和19年)逓信官吏講習所外国通信語学科を卒業後、札幌郵便局に入り、郵政事務官として勤務する。全逓北海道地方本部書記長を経て、1965年(昭和40年)参議院議員選挙に北海道地方区から日本社会党で立候補し当選。以後2期12年務める。1994年(平成6年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2006年(平成18年)4月18日、肺炎のため札幌市内の病院で死去、82歳。死没日をもって従四位に叙される。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
横路 節雄(よこみち せつお、1911年1月2日 - 196… 横路 節雄(よこみち せつお、1911年1月2日 - 1967年6月14日)は、日本の政治家。日本社会党所属の元衆議院議員(8期)、北海道議会議員(1期)。 北海道夕張市出身。札幌師範学校(北海道教育大学札幌校の前身)を卒業し、幌西小学校などで小学校教諭として勤務。北海道教職員組合委員長および日本教職員組合副委員長、北海道議会議員を経て、1949年第25回衆議院議員総選挙に北海道1区から日本社会党公認で立候補したが7位で落選。続く1952年10月第25回衆議院議員総選挙に立候補し初当選(通算8回当選。同じ北海道1区の社会党候補には道議会の後輩島本虎三もいた)。日本社会党の国対委員長や政審会長を歴任。