伊藤 伸(いとう しん、1978年 - )は、デジタル庁参与… 伊藤 伸(いとう しん、1978年 - )は、デジタル庁参与、構想日本総括ディレクター、元内閣府行政刷新会議事務局参事官。 1978年生まれ。北海道本別町出身。北海道帯広柏葉高等学校、同志社大学法学部卒業。同志社大学在学中より衆議院議員(山井和則)秘書を務め、その後、参議院議員(松井孝治)秘書を経て、2005年より政策シンクタンク構想日本に政策スタッフ。2008年より政策担当ディレクターとなる。2009年10月、内閣府行政刷新会議事務局参事官として入府し、事業仕分けをはじめとした行政改革全般や行政刷新会議事務局のとりまとめ等を担当。2013年2月、内閣府を退職し構想日本に帰任(総括ディレクター)。
野崎 貴裕(のざき たかひろ、1974年11月19日 - )… 野崎 貴裕(のざき たかひろ、1974年11月19日 - )は、日本の元長距離スピードスケート選手。北海道本別町出身。元スピードスケート日本代表選手の野崎千春は姉。 1993年に北海道本別高等学校卒業。1997年に日本大学卒業後、王子製紙スケート部に入部。 1995年の世界選手権バゼルガ・ディ・ピネ(イタリア)大会で総合4位となる。1998年の長野オリンピックでは5000mにおいて17位の成績を収める。 2002年の第71回全日本スピードスケート選手権大会で総合優勝。2003年の第5回アジア冬季競技大会5000mで金メダル。同年現役を引退する。 2004年より、苫小牧市内の高校で教鞭を執るかたわら、高校生にアイスホッケーやスピードスケートの指導をする。
野崎 千春(のざき ちはる、1973年5月12日 - )は、… 野崎 千春(のざき ちはる、1973年5月12日 - )は、北海道本別町出身の元中長距離スピードスケート選手。弟の野崎貴裕も元スピードスケート日本代表選手。 1992年に北海道本別高等学校卒業後、三協精機(現・日本電産サンキョー)スケート部に入部。1996年に全日本スピードスケート距離別選手権大会1500m優勝。1998年長野オリンピックで1500m15位、3000m17位の成績を収める。2000年に現役を引退後、カナダに留学。2001年に早稲田大学第二文学部に入学、英語教員免許を取得。大学を卒業後、2005年に高校教諭となる。
川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は… 川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道本別町出身。白樺学園高等学校を経て三協精機所属時代にインスブルックオリンピック、レークプラシッドオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは5000m24位、1980年のレークプラシッドオリンピックでは1000m23位、1500m20位、5000m25位だった。現役引退後は帯広市教育委員会に所属し小中学生のスケート指導に当たった。 2010年バンクーバーオリンピックにコーチとして参加。
三浦 和哉(みうら かずや、1953年1月23日 - )は、… 三浦 和哉(みうら かずや、1953年1月23日 - )は、日本の実業家。日立キャピタル代表執行役社長を経て、同社取締役会長、春光懇話会副会長。元リース事業協会会長。 北海道本別町出身。中学で札幌市に移り、札幌啓北商業高校卒業後、現在のNTT東日本勤務と同時に小樽商科大学短期大学部入学。その後退社と短大の退学を経て再受験し、1976年小樽商科大学商学部卒業、日立リース(現三菱HCキャピタル)入社。2003年リテール事業部門ビジネス機器事業開発部長。同年執行役常務。2005年執行役副社長。2007年代表執行役執行役副社長兼取締役。2009年から代表執行役社長兼取締役を務め、日本市場の縮小が続く中、M&Aなどで海外事業の強化を進めた。
平手 則男(ひらて のりお、1948年12月8日 - )は、… 平手 則男(ひらて のりお、1948年12月8日 - )は、北海道中川郡本別町出身のスピードスケート選手・指導者である。札幌五輪・インスブルック五輪日本代表。 釧路第一高校卒業後、三協精機に入社。 1972年に開催された札幌オリンピックで初代表に選ばれ500m出場。17位。 1975年に開催された第1回全日本スプリント選手権で優勝を果たす。 1976年のインスブルックオリンピックでは500mと1000mに出場。500m16位、1000m30位。 引退後は三協精機の監督に就任。 1980年のレークプラシッドオリンピックでは日本代表コーチを務める。 その後は清水宏保の指導に当たり、長野オリンピックでの金メダル獲得をサポートした。
多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本… 多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本の銅版画家。北海道本別町出身。北海道本別高等学校卒業。千葉県市川市在住。 代表作は、銅版画・江戸川乱歩の世界、新十二神将合体図など。近年は鉛筆画の作品にも力を入れている。銅版画「三極」は横綱日馬富士の化粧まわしの原画となった。
河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )… 河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡本別町出身。同町出身者として初のオリンピック代表選手である。名字の読みは「こうの」ではなく「かわの」である。 1962年、北海道帯広三条高等学校を卒業。立教大学に進学し、卒業後は実業団のSSSスケート(長野)に入った。現役引退後、1年間の会社員生活を経て本別町教育委員会に勤務。2000年から2003年の間本別町教育長を務めた。 大学2年時の1964年インスブルックオリンピックに出場、5000m26位、10000m32位だった。
室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 200… 室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 2003年12月8日)は日本の武道家であり、教育者。戦後、北海道に空手を普及した先駆者。 1980年(昭和55年)の和道流、和道会の分裂騒動においては全日本空手道連盟和道会へ所属。北海道大学退官後は、空手道関連の役職から退き、後任に道を譲る。生涯個人の道場を持たず、流派を問わずして空手振興に尽力した。晩年は、合気柔術の大東流合気柔術幸道会の顧問を務め、空手道では全日本清心会(清心流空手道)技術顧問も務めた。
澤井 トメノ(さわい トメノ、1906年〈明治39年〉 - … 澤井 トメノ(さわい トメノ、1906年〈明治39年〉 - 2006年〈平成18年〉2月2日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道の本別町教育委員会発行による『十勝本別アイヌ語分類辞典』への編集協力をはじめとして、記録や資料の少ない十勝地方のアイヌ語方言の伝承など、アイヌ文化の振興に大きく貢献した。 福島県から北海道へ入植した和人の両親のもとに誕生した。戸籍上は1909年(明治42年)生まれだが、実際には3年早い。生後間もなく、本別町のアイヌ女性である清川ネウサルモンの養女となり、アイヌ語で育てられた。17歳で澤井家に嫁いだ。 養母のネウサルモンは、アイヌの口承文学や歌謡の高名な伝承者であった。トメノもまた、12歳から13歳の頃までに養母から多くのアイヌ文化を教わり、アイヌ語十勝方言の数少ない伝承者となった。