越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は… 越野 忠則(こしの ただのり、 1966年4月3日 - )は、日本の柔道家(講道館6段)。北海道白糠郡白糠町出身。 1991年の世界選手権で優勝し、1992年のバルセロナオリンピックでは銅メダルを獲得。現在は国際武道大学の准教授を務める。身長159cm。 1966年、釧路支庁(当時)に属する白糠町で、代々漁業を営む家の長男として生まれる。生まれつき大人しく内向的な性格の越野を見かねた両親の勧めで、小学校3年の時に町のスポーツ少年団で柔道を始めた。 心身を鍛えるために始めた柔道がいつの間にか生活の中心となり、町立白糠中学時代には道内でも知られる存在に。中学卒業後は漁師の道を歩むことを決められていた越野だが、柔道を続けたい気持ちを抑えきれず、両親と「中学校の全道大会で優勝したら高校進学、負けたら家業を継ぐ」という約束を取り付け、優勝を成し遂げた。
大久保 光哉(おおくぼ みつや、1965年(昭和40年)9月… 大久保 光哉(おおくぼ みつや、1965年(昭和40年)9月7日 - )は、日本の声楽家(バリトン)、合唱指揮者、音楽学者、舞台演出家、演奏会プロデューサー。書家。学位は博士(音楽)(東京芸術大学・2003年)。書家としての雅号は、大久保 北叟(おおくぼ ほくそう)。 北海道白糠郡白糠町出身。1984年北海道釧路湖陵高等学校卒業。大学在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属。1988年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 北海道銀行勤務を経て、東京芸術大学大学院後期博士課程修了。文化庁オペラ研修所第10期生修了。1997年度文化庁在外派遣研修員としてスウェーデンへ留学。帰国後は、札幌新人演奏会、日本演奏連盟新人演奏会(札幌交響楽団、末廣誠指揮)出演。
中野 孝行(なかの たかゆき、1963年8月28日 - )は… 中野 孝行(なかの たかゆき、1963年8月28日 - )は、日本の陸上競技指導者、元陸上選手。帝京大学駅伝競走部監督、帝京大学スポーツ医科学センター准教授。北海道白糠町出身。
アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1… アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1945年11月18日 – )は、アイヌ人実業家・作曲家・作詞家。別名はサンニョアイノ(考える人)、愛称はポンニー(小さな木の人)という。 「アト゚イ」は、「アトゥイ」と書くこともできるが、本人は「ト゚」を使った表記を一貫して使っている。 1945年(昭和20年)、北海道釧路支庁白糠町生まれ。アイヌ人が多く住む集落で育ち、アイヌ人のアイデンティティを持つ。母はアイヌ人、父は非アイヌ人だがアト゚イ出生前に姿を消した。小学生の頃には漁船に下働きとして乗り組み、櫓のこぎ方もそこで覚えた。アイヌの出自のために和人の子供から差別を受けることに我慢できず、小学校に通うのをやめた。
横内 昭光(よこうち あきみつ、1944年3月 - )は、元… 横内 昭光(よこうち あきみつ、1944年3月 - )は、元警察官。警視庁捜査1課管理官として定年を迎えた2004年、東京慈恵会医科大学(慈恵医大)青戸病院(現在の慈恵医大葛飾医療センター)に招聘され、病院内でおこるトラブルに対処する「院内警察」の第1号になった。 北海道白糠郡白糠町出身。1960年中学校を卒業後しばらく釧路炭田に属する本岐炭鉱の臨時職員として働いた。その後高校を卒業し、警視庁の警察官採用試験を受けて採用された。板橋警察署刑事課長・新宿警察署刑事第一課長などを経て、本庁捜査一課管理官(殺人捜査担当)を2年間務め、2004年3月に定年退職したが、警察人生41年間のうち36年間は刑事であった。
野上 正義(のがみ まさよし、1940年3月2日 - 201… 野上 正義(のがみ まさよし、1940年3月2日 - 2010年12月22日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。北海道白糠郡白糠村(現:白糠町)出身。愛称は「ガミさん」。息子はAV男優のトニー大木。 身長170cm。体重62kg。 北海道立釧路湖陵高校(現:北海道釧路湖陵高等学校)卒業。 NBK(日本文化協会)研究生を経て、劇団世代結成に参加。その後は青年プロ、東映、清野事務所に所属。 久保新二などの関係者からは「ガミさん」の愛称で親しまれていた。 一時期、読みを「のがみ せいぎ」としていた。 2010年12月22日、心不全のため死去。70歳没。
2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13… 2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13日 - 1987年10月15日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1963年11月~1987年9月。荒汐部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。北海道白糠町出身。本名は松井利雄(まつい としお)。 1936年に木村昭夫の名で初土俵。入門時は荒汐部屋の所属だったが、1943年1月場所後に5代荒汐は荒汐部屋を閉鎖して双葉山道場に弟子を譲った為、以降は双葉山道場から名称を変えた時津風部屋の所属となる。1950年1月に十両格に昇格。1956年5月に幕内格に昇格。1962年1月、2代式守伊三郎襲名。1963年9月場所、三役格行司の4代木村誠道がこの場所限り廃業したため、翌11月場所に38歳の若さで三役格に昇格。
四宅 ヤエ(したく ヤエ、1904年〈明治37年〉4月10日… 四宅 ヤエ(したく ヤエ、1904年〈明治37年〉4月10日 - 1980年〈昭和55年〉8月11日)は、日本のアイヌ文化伝承者。アイヌ語を母語に育った最後の世代の1人とされ、アイヌ語の白糠方言伝承者、ユカㇻ(叙事詩)の伝承者としても知られる。北海道白糠町や北海道東部でユカㇻ、舞踊、音楽などを伝承し、晩年は後進の指導や聞き取り調査などで、アイヌ文化の継承に貢献した。 北海道白糠で誕生した。旧姓は相戸(あいと)。両親を早くに亡くし、祖父と2人で、アイヌ語のみで生活した。祖父からアイヌの物語を聞かされ、祖父を訪ねてくる近所の人たちからも、アイヌ語、歌、舞踊、物語を教わった。 祖父と2人での生活は苦しかったが、後年、息子には「イコロ(宝物)は金銀や土地や屋敷ばかりでない」「私のイコロはアイヌの文化」と語っていた。