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相撲
7人
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政治家・議員
4人
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歌手・シンガー
1人
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銀行家
1人
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軍人
1人
※有名人ナビに登録されている13人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
佐々木 真央(ささき まお、1994年7月26日 - )は、… 佐々木 真央(ささき まお、1994年7月26日 - )は、日本の歌手。青森県南津軽郡田舎館村出身。好きな食べ物は筋子。公式サイトはこちら 幼年期から夢であった歌手への道に諦めきれず2014年3月に上京。同年5月にTBSテレビのオーディション番組『Sing! Sing! Sing!』に腕試しのつもりで応募。約半年におよぶ歌唱審査などをへて初代グランプリを受賞。のち2015年3月25日にミニアルバム「佐々木真央」を発売とともにメジャーデビュー。2016年2月所属事務所を退所、その後は活動休止。2018年1月より活動再開。Arte株式会社所属。 2015年4月29日 南青山MANDALAにて初の単独ライブ「田舎館村からきた佐々木真央です!」開催。
照喜(てるき、1968年(昭和43年)8月10日 - )は、… 照喜(てるき、1968年(昭和43年)8月10日 - )は、大相撲の幕内呼出である。本名は工藤 隆久(くどう たかひさ)。青森県南津軽郡田舎館村出身。安治川部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。血液型はB型。 呼出になる前は安治川部屋の力士で四股名は「陸奥龍」を名乗った。1984年5月場所で初土俵を踏む。1987年1月場所で力士を廃業。最高位は序二段103枚目だった(1986年9月場所)。その後、呼出に転じて安治川部屋所属の「陸奥夫」となった。安治川部屋の師匠が陸奥嵐から旭富士に代わり、呼出名を「安喜夫」に変えた。所属する安治川部屋は伊勢ヶ濱部屋に変わり、これに伴い呼出名も「安喜夫」から「照喜」に変えた。
栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日 - … 栃勇 義治(とちいさみ よしはる、1947年10月2日 - )は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は阿保 鉄雄(あぼ てつお)。身長177cm、体重115kg。得意手は左四つ、押し、吊り。最高位は東前頭7枚目(1971年1月場所) 中学生の時から相撲を始めて同郷の栃ノ海に憧れ、中学校卒業後に栃ノ海の姉の紹介で春日野部屋へ入門し、1963年(昭和38年)3月場所に於いて初土俵を踏んだ。 入門後は押し相撲の指導を受け、1969年(昭和44年)7月場所で新入幕を果たした。しかし立合いの鋭さに欠けたために幕内では苦戦し、さらに1972年(昭和47年)9月場所で右肩を負傷してからは不振で、翌年9月場所では幕下まで落ちた。
栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)… 栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし、1938年(昭和13年)3月13日 - )は、青森県南津軽郡光田寺村(現在の田舎館村)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士、第49代横綱。身長177cm、体重110kg。得意技は左四つ、寄り、上手出し投げ、両前褌、足癖。本名は花田 茂廣(はなだ しげひろ)。花田という苗字で同じ青森津軽地方出身であるが、初代若乃花、貴ノ花との血縁はない。年寄・春日野時代、姓を『宮古』とするが停年(定年)退職後は再び花田に戻した。現在存命中の歴代横綱の中では最も古い代の横綱である。
一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 … 一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 - 1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は須藤 良一(すどう りょういち)。最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は右四つ、寄り。 明治時代初期から中期にかけて活躍した、大関・一ノ矢藤太郎の曾孫。 同郷で、後に十両まで出世した栃ノ森(後、栃ノ関に改名)の実兄が角界入りの橋渡し役となり、地元の公田寺中学校を卒業後に春日野部屋へ入門した。 なお、入門のために故郷・青森を発つ際には、栃ノ森本人が迎えに来てくれたという。 初土俵は、1953年5月場所。
鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月1… 鈴木 孝雄(すずき こうゆう、1937年〈昭和12年〉2月10日 - )は、日本の政治家。元青森県南津軽郡田舎館村長(5期)。旭日小綬章受章。 田舎館村出身。青森県立黒石高等学校卒業後、家業の農業に従事。1983年10月に田舎館村議会議員になる。1991年10月1日から1995年9月30日まで第12代同副議長を、同年10月2日から2001年3月9日まで、第18・19代同議長を務めた。 1999年10月1日に行われた田舎館村議会議長選挙に絡み、9月4日に阿部潤司村議から現金30万円を受け取り投票を約束したとして、2001年2月9日に収賄の疑いで逮捕された。鈴木は賄賂を飲食代などに使ったものの別の村議から議長選に出馬するよう説得されたため賄賂を阿部に返金した上で議長選に立候補、阿部との一騎打ちとなったが議長に再選した。
栃ノ関 雅清(とちのせき まさきよ、1932年11月1日 -… 栃ノ関 雅清(とちのせき まさきよ、1932年11月1日 -没年不明 )は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は工藤 勇三(くどう ゆうぞう)。167cm、79kg。最高位は西十両20枚目。得意技は左四つ、下手投げ。 1950年9月場所に初土俵。1956年1月場所に十両昇進したが5勝10敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落した。在位はこの場所のみに終わった。1959年9月場所に26歳で廃業。幕下・三保錦・千尋洋と初っ切りを務めたことがある。
田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 200… 田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 2001年12月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党所属の衆議院議員。青森県南津軽郡田舎館村出身。姓のうち「沢」の戸籍上の表記は「澤」。 津島文治元青森県知事の娘婿で、1947年、29歳で青森県議会議員に初当選。1960年、「津軽のケネディ」を名乗って衆議院議員選挙に立候補し、初当選。以来12回連続当選(当選同期に宇野宗佑・海部俊樹・亀岡高夫・仮谷忠男・細田吉蔵・小沢辰男・佐々木義武・谷垣専一・久保田円次・伊藤宗一郎・田川誠一・藤井勝志など)。 自民党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に属し、衆議院議院運営委員長、国土庁長官、自民党国会対策委員長、農林水産大臣、防衛庁長官などを歴任。
対馬 勝雄(つしま かつお、1908年(明治41年)11月1… 対馬 勝雄(つしま かつお、1908年(明治41年)11月15日 - 1936年(昭和11年)7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵中尉。 二・二六事件の反乱部隊に参加した青年将校の一人で、事件当日に首相官邸襲撃を実行し、事件後に死刑判決を受け、銃殺刑に処せられた。 青森県南津軽郡田舎館村垂柳の貧農の生まれ。 1915年(大正4年)春から青森師範学校附属尋常小学校に通い始め、成績優秀で3年から終業式の度に運動が優等として壇上に呼ばれたり、全科目の成績は10段階評価でほとんどが10であった。勉強好きで本を好んでいたが家計のことを考えて買って欲しいと頼むことはなかった。卒業式では総代となり、褒章に国漢文辞書を貰った。
綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう、1901年8月2… 綾ノ浪 俊一郎(あやのなみ しゅんいちろう、1901年8月25日 - 1984年7月1日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で湊川部屋、追手風部屋、再度湊川部屋に所属した力士。本名は鈴木 俊一郎(すずき しゅんいちろう)。身長170cm、体重94kg。最高位は東前頭7枚目。得意手は突っ張り、押し。 1921年1月場所に初土俵。この間親方が亡くなり、後継が決まるまでのあいだ追手風部屋に預けられ、1929年1月場所に十両昇進、新設された湊川部屋に戻って1930年5月場所に新入幕。春秋園事件に加担し、1932年1月場所に脱退(番付からは削除され、実質的最終場所は1931年10月場所)した。脱退後は青森市で酒屋を経営した後、再び上京して江東区深川で飲食店「角力屋」を経営した。
葛原 運次郎(くずはら うんじろう、1880年〈明治13年〉… 葛原 運次郎(くずはら うんじろう、1880年〈明治13年〉 - 1945年〈昭和20年〉12月)は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県南津軽郡田舎館村長、弘前市長。 青森県南津軽郡豊蒔村(現在の田舎館村豊蒔)出身。東奥義塾から第二高等学校を経て、東京帝国大学文学部に進む。1905年(明治38年)文学部講師嘱託となり、市村瓚次郎の助手として満州へ渡る。帰朝後は、東奥義塾教師、千葉県成田中学校長など全国各地の校長を歴任し、1926年(大正15年)大館中学校から弘前中学校の第14代校長となる。 1931年(昭和6年)同校生徒の「嶽温泉籠城ストライキ」の責任を取り、翌春校長を辞職。1940年(昭和15年)田舎館村長となり、1942年(昭和17年)7月には弘前市長に就任した。
佐藤 源蔵(さとう げんぞう、1857年11月20日(安政4… 佐藤 源蔵(さとう げんぞう、1857年11月20日(安政4年10月4日)- 1937年(昭和12年)1月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 陸奥国津軽郡畑中村(現在の南津軽郡田舎館村)に生まれる。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を持つ大地主 佐藤治郎左衛門の長男。 その後、1889年(明治22年)の 町村制施行とともに田舎館村収入役に就任し、2期務める。1905年(明治38年)佐藤、田沢周助(田沢吉郎の父)、宮舘貞吉の提唱により信用組合を創立し、組合長に就任。衆議院議員の加藤宇兵衛や宇野清左衛門と共に、黒石銀行取締役や津軽銀行取締役などを歴任し、県内での銀行の普及に努めた。
一ノ矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1856年4月29日(… 一ノ矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1856年4月29日(安政3年3月25日) - 1923年(大正12年)2月15日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は福士 藤太郎。最高位は大関。現役時代の体格は178cm、95kg。 角界の革命児と謳われた初代高砂に入門し、1880年(明治13年)5月場所序ノ口。序ノ口から7場所目となる1883年(明治16年)5月場所で入幕を果たす。彼の入幕以降2026年3月場所時点まで143年間、青森県出身の幕内力士(現在は錦富士が平幕に在位)が不在だった場所は一度もない。幕下二段目から十両を一気に飛び越しての昇進であり、期待の大きさをうかがわせる。