ゆずさん(本名:佐々木 優〈ささき ゆう〉、1998年(平成… ゆずさん(本名:佐々木 優〈ささき ゆう〉、1998年(平成10年)9月14日 - )は、日本のお笑い芸人。吉本興業所属。柴田町地域おこし協力隊員。旧芸名はゆうさん。 宮城県柴田郡柴田町出身。身長157cm、体重56kg。血液型O型。 2020年(令和2年)11月8日、同期の芸人のろくんと跳躍ぴょんぴょんズを結成。2022年(令和4年)12月23日、2年先輩の芸人笹やんとこぐま組を結成。 2024年(令和6年)に千葉県市川市から故郷の柴田町へ戻り、4月1日には柴田町地域おこし協力隊に任命された。それに伴い、柴田町の有名な「雨乞の柚子」をPRするため、同時に芸名をゆうさんからゆずさんに改名した。 同年7月25日には柴田町のイメージキャラクターである「はなみちゃん」と共にお笑いコンビ「ゆずさんとはなみちゃん」を結成し、M-1グランプリ2024に出場した。
井澤 巧麻(いさわ たくま、1994年3月28日 - )は、… 井澤 巧麻(いさわ たくま、1994年3月28日 - )は、日本の俳優。宮城県柴田郡柴田町出身。サンミュージックブレーン所属。 2013年、ソニー・ミュージックアーティスツ初のボーイズオーディション「ダンリョク」でファイナリストに選ばれる。同期には渡辺佑太朗がいる。 2015年1月、サンミュージック若手俳優ユニット「SUNPLUS」に所属。 2018年6月16日、ソロイベントで1st ALBUM「INTRODUCTION」を発売、全楽曲のプロデュース・作詞作曲を自身が担当。 2024年12月31日、SUNPLUSを卒業。 2026年4月30日、所属事務所であるサンミュージックブレーンを退所。 特技はギター、作詞作曲、DTM、中国語。
渡邉 和也(わたなべ かずや、1988年7月20日 - )は… 渡邉 和也(わたなべ かずや、1988年7月20日 - )は、宮城県柴田町出身で短距離走が専門の陸上競技選手。400mで45秒71の自己ベストを持つ。2014年世界リレー男子4×400mの日本代表。 宮城県柴田町出身。柴田町立船岡中学校、宮城県柴田高等学校、東北福祉大学卒業、東北福祉大学大学院修了。 陸上競技は小学4年の時に始め、高校まで走幅跳中心の選手だった。船岡中学校時代にジュニアオリンピックD優勝、全日本中学校選手権9位、国民体育大会少年Bで4位に入り、記録面でも7m05の宮城県中学記録(2003年日本中学ランキング1位)を樹立している。柴田高校時代にはインターハイ走幅跳で9位、4×100mRで8位、国民体育大会少年B走幅跳で3位などの成績を残した。
水戸 まなみ(みと まなみ、1982年8月27日 - )は、… 水戸 まなみ(みと まなみ、1982年8月27日 - )は、曲に込められた想いを手話で表現しながら歌う日本の歌手である。本名及び旧活動名義:水戸 真奈美(読み同じ)。宮城県柴田町出身。
平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は… 平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は、宮城県柴田郡柴田町出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校から1993年に横浜マリノスに加入。1999年はモンテディオ山形、2000年はベガルタ仙台にそれぞれ期限付き移籍。2001年は横浜F・マリノスに復帰。 2002年、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、2003年より完全移籍。 2004年6月にアルビレックス新潟に加入。同年限りで契約満了、2005年からはJFLのFCホリコシ、ソニー仙台でプレー。 2007年をもって現役を引退して、2008年から日本サッカー協会に職員として勤務。
黒瀬 寛幸(くろせ ひろゆき、1977年 - )は、日本のミ… 黒瀬 寛幸(くろせ ひろゆき、1977年 - )は、日本のミュージシャン。エレクトリックベース ウクレレ奏者。宮城県柴田郡柴田町出身、名取市在住。国立仙台高等専門学校(旧宮城工業高等専門学校)卒業。 12歳でベースを手にし、20歳でウクレレを手にする。ファンク・フュージョンでベースに目覚めジャズ、ラテンミュージックを得意とする。 TMF '95 全国大会オーディエンス大賞受賞等、その他多数のコンテストで賞を受賞。桜井哲夫、鈴木宏幸、深井克則に師事。バークリー音楽院の奨学金オーディションに合格し渡米するも同時多発テロによって帰国。現在は専門学校、ミュージックスクール等にてベース科、ウクレレ科、音楽理論科、アンサンブル等において教鞭を執る。
橋本 清仁(はしもと きよひと、1971年5月8日 - )は… 橋本 清仁(はしもと きよひと、1971年5月8日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(2期)。 宮城県に生まれる(本籍は柴田町)。宮城県仙台第一高等学校、早稲田大学法学部卒業。鹿野道彦元農林水産大臣秘書、介護老人保健施設専務理事、農業生産法人取締役を歴任。 2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では宮城3区で自由民主党の西村明宏に敗れたものの約200票差まで迫り、重複立候補した比例東北ブロックで復活し初当選。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では西村に約2万票差で敗れ、比例復活もならず落選した。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では西村を比例復活すら許さずに破り、小選挙区で初めて当選。
菊地 美紀(きくち みき、1967年5月27日 - )は日本… 菊地 美紀(きくち みき、1967年5月27日 - )は日本の写真家。 東北各地での商業写真・商品撮影などの後上京、写真家細江英公が主宰する写真教室CORPUS第5期に学ぶ。同時にフリーランスとして活動.。 1993年、写真教室【CORPUS】第5期生の佐々木六介、細渕太麻紀、西岡浩記、笠井爾示、大井慶子、2期の谷口雅彦と写真集団CUM-ADMIXを結成。 1994年、写真家谷口雅彦、村瀬太加夫と実験写真家ユニット「527」を結成、1999年の解散まで9回の展覧会を行う。 1999年頃、故郷宮城県に戻り、中国・ベトナムなどアジア各地の撮影に赴く。 一方、東北大学総合学術博物館での標本写真撮影、総合学術コレクションの図録撮影などに携わる中、2011年3月11日、大学での撮影中、東日本大震災に遭遇し、緊急時に冷静な判断をする難しさを痛感し、日々の備えや状況確認は日常の観察から生まれることを実感。
平間 淳(ひらま じゅん、1964年 - )は、日本の映画監… 平間 淳(ひらま じゅん、1964年 - )は、日本の映画監督。宮城県柴田郡柴田町出身。 嘗ては佐藤正宏・久本雅美・柴田理恵・すずまさ・なんきん・梅垣義明らが所属している喰始主宰劇団「WAHAHA本舗」の裏方兼役者として活動していた。
安孫子 三和(あびこ みわ、1961年1月23日 - )は、… 安孫子 三和(あびこ みわ、1961年1月23日 - )は、日本の漫画家。宮城県柴田郡柴田町出身、同県在住。血液型はA型。宮城県白石女子高等学校卒業。 1983年、専門学校日本ビジネススクール仙台校(現・日本デザイナー芸術学院仙台校)在学中に、『別冊LaLa』夏の号「ロマンチストな虹たち」でデビューする。 1987年「LaLa」6・7月号に、人間語を話す猫・みかんのあったかファンタジー「吐夢と不思議な猫」を発表し好評を博す。翌1988年1月号より「みかん・絵日記」として連載を開始。テレビアニメ化も果たす。 ほかに「真夜中を過ぎても」「天使の降る日」「海を見ていた犬」などの作品がある。同県出身の漫画家、かどたひろしは、専門学校で同じクラスであり、友人でもある。
及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )… 及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )は、宮城県柴田町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 東北高では1977年に、同期のエース佐々木淳を擁し、左翼手として春の選抜に出場。2回戦で丸亀商に敗れる。同年夏の県予選でも決勝に進むが、佐々木が肩を故障し、1年下の薄木一弥(電電東北)が先発。仙台育英の後に広島で同僚となる大久保美智男に、延長12回の接戦の末0-1で完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社。都市対抗では試合出場がないが、1981年の日本選手権では先発出場。 1981年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団。 1983年に一軍デビューを果たし中堅手として2試合に先発出場を果たすが、結果を残せなかった。
大久保 初男(おおくぼ はつお、1955年2月26日 - )… 大久保 初男(おおくぼ はつお、1955年2月26日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離。元仙台大学助教授。 宮城県柴田町出身。東北高等学校卒業。大東文化大学時代に箱根駅伝で大活躍。とりわけ山登りの技術に長け、5区で4年連続区間賞を獲得するという金字塔を打ち立てた。山登りの名人との異名をとった。いわゆる「山の大東」を象徴する野武士の一人。 スポーツライターの生島淳は今井正人以前の「元祖・山の神」は大久保であると言及している。 大学卒業後は大昭和製紙に奉職。仙台大学助教授などを歴任し、仙台大学陸上競技部監督も務めた。 長男の大久保陸人も陸上選手で、2015年に父と同様、大東文化大学に入学。
小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日… 小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。 1947年、宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)に、大池唯雄(小池忠雄)の長男として生まれる。父の大池は、「兜首」および「秋田口の兄弟」にて第8回直木三十五賞を受賞するなど、小説家として活動していた。 宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学理学部物理学科を卒業。その後、同大学の大学院に進学し、理学研究科修士課程を修了。 1972年、短歌結社「短歌人」に入会。その後、高瀬一誌の薫陶を受ける。1975年、埼玉県の浦和実業学園高等学校へ理科教師として就職。
広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 -… 広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 - 1979年8月6日)は、宮城県柴田郡柴田町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は及川 惣吉(おいかわ そうきち)→片岡 惣吉(かたおか -)。身長180cm、体重105kg。最高位は東前頭3枚目(1952年1月場所・1953年3月場所)。 なお、四股名の表記については、「広」の字が旧字体の「廣」となっている文献も見受けられる。 17歳の時上京して角界入りし、1937年1月、元関脇・清瀬川率いる伊勢ヶ濱部屋より初土俵を踏んだ。 序二段に付いてから負け越しなしで1941年1月場所で新十両昇進、そして、1943年1月場所で入幕を果たした。
大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1… 大池 唯雄(おおいけ ただお、1908年10月30日 - 1970年5月27日 )は、日本の作家。本名は小池忠雄(こいけ ただお)。 宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)出身。仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)、旧制第二高等学校文科甲類卒、東北帝国大学文学部中退。 東北初の直木賞作家。幕末や明治維新など、歴史に題材を求めた短編を多く残している。社会教育にも力を注ぎ、槻木公民館長、柴田町公民館長などを歴任。船岡中学校校歌の作詞も手掛けた。1939年、「兜首」「秋田口の兄弟」で、第8回直木三十五賞受賞。 1970年5月27日に死去。告別式は同月30日、柴田町立船岡小学校体育館で町の教育委員会葬として行われた。
平井 弥之助(ひらい やのすけ、1902年(明治35年)5月… 平井 弥之助(ひらい やのすけ、1902年(明治35年)5月16日 - 1986年(昭和61年)2月21日)は日本の電力土木技術者、電力事業経営者。昭和時代の電力開発に卓越した見識と強い使命感をもって貢献したと伝承されている。また女川原子力発電所等の建設にあたっては貞観地震、慶長三陸地震による大津波を考慮した適切な技術的助言を与えた。平井彌之助とも書く。 主な経歴は『土木史研究』第18号による。 平井は次に示す伝承のように、技術者としての合理性と電気事業者としての責任感に基づいて地震・津波対策の重要性を説いた。地震・津波の恐ろしさを実感していたと云われ、「貞観大津波(869年)は岩沼の千貫神社まで来た」と語っていたという。
小室 達(こむろ とおる、1899年〈明治32年〉8月10日… 小室 達(こむろ とおる、1899年〈明治32年〉8月10日 - 1953年〈昭和28年〉6月18日)は、日本の彫刻家。 1899年(明治32年)8月10日、宮城県柴田郡槻木村大字入間田(現・柴田町)に、小室源吾(後の槻木町長)の三男として生まれた。 1919年(大正8年)、(旧制)白石中学校(現・宮城県白石高等学校)を卒業すると、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑造部に進学した。その後、同校を首席で卒業し、研究科に進んだ。 第4回帝展(帝国美術院展覧会、現日展)に「想」を初出品すると、第5回帝展からは無鑑査となり、27歳ながら日本美術界での地位を確立した。第6回の帝展には「構想」を出品し、特選となった。
飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月… 飯淵 七三郎(飯渕、いいぶち しちさぶろう、1846年11月8日(弘化3年9月20日)- 1926年(大正15年)4月20日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 素封家・飯淵藤七の長男として陸奥仙台藩領柴田郡船岡村(船岡町を経て現柴田町)に生まれる。1874年(明治7年)11月、家督を相続した。1879年(明治12年)船岡村会議員に当選。翌年、宮城県会議員となる。1893年(明治26年)久保寺豊太郎から仙台の日進学舎を買収し、同校の改革に努めた。ほか、柴田郡会議員、同議長代理などを歴任した。また、農家の指導啓発に尽力するとともに、船岡村農会を設立して肥料購入、資金融資の便宜を図った。