石井 露月(いしい ろげつ、1873年(明治6年)5月17日… 石井 露月(いしい ろげつ、1873年(明治6年)5月17日) - 1928年(昭和3年)9月18日)は、日本の俳人。本名は祐治。 秋田県河辺郡女米木(めめき)の農家石井常吉の二男として生まれる。幼時に祖父与惣右衛門から実語教を口伝で習って覚えた。祖父はまた発句もよくしたので、それも覚えた。少年時代はとにかく読書欲旺盛で、川向かいの村落に小舟で渡り本を借りてきて読んでいたという。高麓小学校では成績優秀で、文部省から賞品に論語の本を贈られるほどであった。また、12歳頃から既に盤虎・李花園・雲城・芥郎などと号して文筆に親しんでいた。 1888年(明治21年)秋田中学校に入学。中学時代は江帾澹園に漢詩漢籍を習い創作の添削指導も受けるなどしていたが、脚気を患い3年で退学。
稲見 貞蔵(いなみ ていぞう、1872年(明治5年5月)- … 稲見 貞蔵(いなみ ていぞう、1872年(明治5年5月)- 没年不詳)は、三重県四日市市長。 秋田県秋田市出身。1892年(明治25年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。滋賀県属、奈良県属、内務省地方局勤務、新潟県佐渡郡長、同北蒲原郡長、新潟県勧業課長、北海道庁空知支庁長を歴任した。1916年(大正5年)に退官し、三井炭鉱庶務課長、新潟市貯蓄銀行支配人を務めた。 1918年(大正7年)、四日市市長に選出され、1期在任。退任後の1923年(大正12年)、旭川市助役に選ばれた。 その後東京市麻布区長を務めた。
井口 阿くり(いのくち あくり、1871年1月12日(明治3… 井口 阿くり(いのくち あくり、1871年1月12日(明治3年11月22日) - 1931年(昭和6年)3月26日)(通名:井口 あくり、本名:藤田 阿久利)は、日本の体育学者。女子体育の母・日本体育の母。 現在の秋田県秋田市南通亀の町出身。アメリカ留学後女子高等師範学校や日本体育会体操学校の教授を勤め、学校体育にスウェーデン体操を導入した。女子体育の先駆者で「日本女子体育の母」と呼ばれる。1911年(明治44年)藤田積造と結婚し藤田姓となる。 1871年1月12日(明治3年11月22日)、秋田久保田城下亀ノ町廓に住む父井口糺(タダス)、母ミヱの間に9人兄弟の四女として出生。糺は戊辰戦争において久保田藩を勤王に導いた傑士で、大正天皇即位のおり従五位を追贈されている。
寺崎 広業(てらさき こうぎょう、慶応2年2月25日(186… 寺崎 広業(てらさき こうぎょう、慶応2年2月25日(1866年4月10日) - 1919年2月21日)は、秋田県出身の日本画家。 放浪の画家といわれた寺崎広業は慶応2年(1866年)久保田古川堀反(秋田市千秋明徳町)の母の実家久保田藩疋田家老邸で生まれた。寺崎家も藩の重臣であった。父の職業上の失敗もあって横手市に移って祖母に育てられた。幼児から絵を好みすぐれていたというが貧しく、明治10年(1877年)には太平学校変則中学科(現秋田県立秋田高等学校)に入学するも一年足らずで退学。10代半ば独り秋田に帰り牛島で素麺業をやったりしたという。秋田医学校にも入ったが学費が続かなかった。結局好きな絵の道を選び、16歳で手形谷地町の秋田藩御用絵師だった狩野派の小室秀俊(怡々斎)に入門、19歳で阿仁鉱山に遊歴の画家第一歩を印したが、鹿角に至った時戸村郡長の配慮で登記所雇書記になった。
安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866… 安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和11年(1936年)12月26日)は、日本のジャーナリスト、マスメディア経営者、俳人、郷土史研究家。通名および俳号は「和風」をそのまま音読みして「わふう」。秋田県の地方紙「秋田魁新報」の事業拡大に貢献し、秋田魁新報社三大柱石の一人と称された。「魁の安藤か、安藤の魁か」と言われるほど、新聞記者としての名声を全国にとどろかせた。 俳号・雅号として他に、柳外、夢蝶、時雨庵、大蕗軒、白松子、太平山人、城南陰士、自適庵、布々木園、蝶々、松陰舎、松庵など十数以上を用いていた。 秋田藩士安藤和亭(通名は和市)、イクの長男として生まれる。
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治… 田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日〈元治元年10月15日〉- 1940年〈昭和15年〉12月6日)は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。衆議院議員。文部大臣。族籍は秋田県士族。 出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。田中隆世の長男。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、1889年(明治22年)7月に帝国大学法科大学卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現:秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。
町田 忠治(まちだ ちゅうじ、文久3年3月30日(1863年… 町田 忠治(まちだ ちゅうじ、文久3年3月30日(1863年5月17日) - 昭和21年(1946年)11月12日)は、明治から昭和期の政治家、実業家、ジャーナリスト。 衆議院議員(当選10回)。立憲民政党・日本進歩党総裁、農林大臣・商工大臣・大蔵大臣(兼任)などを歴任したが最晩年は公職追放された。正三位勲一等。号は幾堂。愛称はノンキナトウサン。 出羽国秋田郡久保田城下の秋田保戸野八丁新田上丁(現秋田県秋田市保戸野八丁)に秋田藩士・町田伝治の四男として誕生。父伝治は3歳の時に亡くなったため、祖父町田平治と母シン子によって育てられた。大正期の『中央公論』編集長・滝田樗陰は甥にあたる。 1875年(明治8年)に叔母町田直の養子となり、家督を継いだ。
青木 定謙(あおき さだかね、安政3年8月4日(1856年9… 青木 定謙(あおき さだかね、安政3年8月4日(1856年9月2日) - 昭和5年〈1930年〉4月10日)は、内務官僚、札幌区長。 秋田市角館出身。1875年(明治8年)に小学校教員となり、その後仙北郡書記、山形県警部、秋田県警部、秋田県属を歴任した。1890年(明治23年)、秋田県参事官に任じられ、高知県参事官、島根県警部長、和歌山県警部長、新潟県警部長、広島県警部長、広島県事務官・第四部長を歴任した。 1906年(明治39年)、札幌区長に選出され、1912年(大正元年)まで在任した。 1922年(大正11年)より義勇財団海防義会の理事を務めた。
小泉 吉太郎(こいずみ きちたろう、1851年10月1日〈嘉… 小泉 吉太郎(こいずみ きちたろう、1851年10月1日〈嘉永4年9月7日〉 - 1895年〈明治28年〉6月22日)は、日本の政治家。初代秋田市長。 久保田藩士小泉七郎右衛門の長男に生まれる。戊辰戦争に参加し、由利方面の戦闘で負傷する。1872年(明治5年)、上京し有馬私学校で学ぶ。1874年(明治7年)夏に一度秋田に戻るが、秋に再び上京し、北州舎で学ぶ。1876年(明治9年)、父の死により秋田に戻り、秋田県庁に務める。1884年(明治17年)、士族授産団体秋田社を創立し、社長となる。1889年(明治22年)4月、市制施行により秋田市が発足、市会議員選挙を経て、5月13日に市長に選出され、27日に正式に就任した。
大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日(18… 大久保 鉄作(おおくぼ てっさく、嘉永3年11月28日(1850年12月31日) – 大正10年(1921年)7月5日)は、日本の新聞記者、政治家。 秋田市長(第5代)、衆議院議員(立憲政友会)、秋田県会議長、秋田県会議員などを務めた。 久保田藩士大久保盛実の長男として中谷地町(現秋田市)に生まれる。藩校明徳館で漢学を学んだ後、東京に出て1875年(明治8年)より朝野新聞の記者となった。帰郷後の1881年(明治14年)に秋田日報を創刊し、1883年(明治16年)に秋田改進党を結成した。同年、秋田県会議員に選ばれ、後に議長に就任した。後藤象二郎が大同団結運動を唱えると、これに呼応して東北九州連合の必要性を説いて、精力的に活動した。
金沢 松右衛門(金澤、かなざわ まつえもん、1850年5月3… 金沢 松右衛門(金澤、かなざわ まつえもん、1850年5月3日(嘉永3年3月22日)- 1924年(大正13年)9月18日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・平治。 先代金沢松右衛門の二男として出羽国秋田郡土崎湊(秋田県南秋田郡土崎港町を経て現・秋田市)に生まれる。兄は夭折し、二男である松右衛門が家督を継いだ。1883年(明治16年)以降、南秋田郡学務委員、同郡肴町および連合町会議員、南秋田・河辺両郡連合町村会議員、南秋田郡会議員などを歴任する。 のち、秋田県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、1892年(明治25年)6月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
大島 久直(おおしま ひさなお、1848年10月1日〈嘉永元… 大島 久直(おおしま ひさなお、1848年10月1日〈嘉永元年9月5日〉- 1928年〈昭和3年〉9月27日)は、明治・大正期の日本の陸軍軍人。軍事参議官、教育総監、近衛師団長等を歴任し、官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵に昇る。 久保田藩久保田出身。槍術師範・大島久徴の次男として生まれる。江戸へ留学している最中に戊辰戦争が勃発し参戦の為に帰郷し、事故により負傷する。その後父が大館市十二所に転勤になり同行。さらに上京し明治3年(1870年)4月、第3番大隊に配属され、明治4年(1871年)5月には陸軍中尉に初任。同年11月、大尉に進み翌1872年(明治5年)、第7番大隊副官。1874年(明治7年)、歩兵第2連隊大隊長となり、少佐進級の後の1875年(明治8年)12月には東京鎮台幕僚参謀副長に任ぜられる。
小野岡 義禮(おのおか よしひろ、天保8年7月12日(183… 小野岡 義禮(おのおか よしひろ、天保8年7月12日(1837年8月12日)- 大正2年(1913年)8月7日)は、出羽国久保田藩(秋田藩)士。幕末期の久保田藩で家老職をつとめた。義礼と書かれている文書があるが正しくは旧字の義禮である。「ぎれい」とも読む。幼名は慶之助。家格は引渡一番座。 天保8年7月12日(1837年8月12日)、久保田城下(現、秋田県秋田市)に生まれる。 祖父小野岡義音は、享和3年11月26日(1804年1月8日)から文政2年10月21日(1819年12月8日)までと天保4年10月6日(1833年11月17日)以降天保12年(1841年)までの2度にわたって久保田藩の家老を勤め、国学者平田篤胤とは懇意の間柄であった。
小野崎 通亮(おのざき みちすけ / みちあき、天保4年2月… 小野崎 通亮(おのざき みちすけ / みちあき、天保4年2月29日〈1833年4月18日〉 - 1903年〈明治36年〉7月21日)は、幕末から明治期の久保田藩士、国学者、神職、政治家。貴族院勅選議員。通称・鉄蔵。雅号・琴廼屋、烟水、九春軒。 出羽国秋田郡久保田城下亀ノ丁新町(現秋田県秋田市)で、久保田藩士、郡奉行・小野崎通孝の長男として生まれる。平田篤胤と親交があり神道家であった父通孝から神道を伝えられ、吉川忠行の惟神館で和魂洋才を学び、文久3年(1863年)同志と雷風義塾を設立して講師に就任。慶応4年1月(1868年)藩校明徳館教授兼砲術頭となる。戊辰戦争では吉川忠安らと勤皇を主張して藩論を導き、遊撃隊参謀として秋田戦争に従軍した。
石井 忠行(いしい ただつら、文政元年8月26日(1818年… 石井 忠行(いしい ただつら、文政元年8月26日(1818年9月26日) - 1894年(明治27年)8月6日)は、江戸時代後期から明治時代にかけての著述家、旧久保田藩士。通称は弥五右衛門、雅号は伊頭園。 出羽国秋田郡久保田城下手形谷地町(現・秋田市手形新栄町)に生まれる。 1842年7月10日(天保13年6月3日)、忠行が数え25歳の時に父・忠潔が49歳で没する。 忠行は1863年(文久3年)、久保田藩の蝦夷地御持場見分御用出役として蝦夷地の増毛陣屋に赴任し、さらに大坂詰勘定吟味役や能代方同吟味役を歴任する。次いで財用奉行に栄進し、そのとき城下大堰端側、楢山本新町(通称裏町)の南角屋敷に移った。
小玉夕美子(こだま ゆみこ、12月5日 - )は、日本のモデ… 小玉夕美子(こだま ゆみこ、12月5日 - )は、日本のモデル。秋田県秋田市出身。ステラ所属。
三浦 えりか(みうら えりか、11月9日 - )は、日本の漫… 三浦 えりか(みうら えりか、11月9日 - )は、日本の漫画家。秋田県秋田市出身。総合病院薬剤師として8年、調剤薬局薬剤師として4年勤務した。在職中に漫画家デビューし、上京後派遣薬剤師のかたわら漫画を描く。2020年8月から2022年8月まで、『月刊!スピリッツ』(小学館)で『処方箋上のアリア』が連載された この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
天寿 光希(てんじゅ みつき、9月10日 - )は、宝塚歌劇… 天寿 光希(てんじゅ みつき、9月10日 - )は、宝塚歌劇団星組に所属する男役。
いずみ べる(9月7日 - )は、日本のイラストレーター・漫… いずみ べる(9月7日 - )は、日本のイラストレーター・漫画家・同人作家・ゲームクリエイター。秋田県秋田市出身。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
桜庭 みさお(さくらば みさお 5月27日 - 生まれ)は、… 桜庭 みさお(さくらば みさお 5月27日 - 生まれ)は、秋田県を中心に活動する。秋田県秋田市勝平出身、秋田市立勝平中学校卒。秋田県立秋田北高等学校卒業後、シアトルへ留学する。帰国後、主にテレビ・ラジオ番組のパーソナリティやナレーター アナウンサー業を担うフリーパーソナリティ
高橋香純(たかはし かすみ、5月24日 - )は、株式会社ウ… 高橋香純(たかはし かすみ、5月24日 - )は、株式会社ウイング元所属の気象予報士。秋田県秋田市出身。法政大学法学部卒業後、気象予報士試験に合格し2008年に登録。2009年1月から2012年12月までミヤギテレビの専属気象予報士として契約。2013年3月に女子を出産。ニックネームは「かすみん」。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宇都宮 貴子(うつのみや たかこ、3月29日 - )は、秋田… 宇都宮 貴子(うつのみや たかこ、3月29日 - )は、秋田県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。 秋田県秋田市出身。市内で料亭を営む家庭に生まれる。 東京経済大学短期大学部を卒業後、秋田テレビ (AKT) に入社。同局のアナウンサーを務めた後、エフエム秋田 (AFM) のアナウンサーになる。フリーに転じてからは、テレビへの出演やイベントの司会をしながらエフエム秋田のパーソナリティも務めている。エフエム秋田との関わりは長く、開局に向けての準備段階から携わっている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
佐々木 李子 は、日本の声優、歌手、女優。ボーカルユニット「… 佐々木 李子 は、日本の声優、歌手、女優。ボーカルユニット「Re-connect」のメンバーである。旧芸名は佐々木莉子、Rico(リコ)。
三浦 由美子 は、日本の元女子プロ野球選手。秋田県秋田市出身… 三浦 由美子 は、日本の元女子プロ野球選手。秋田県秋田市出身。
渡部 まさみ(わたべ まさみ)は、日本の漫画家、イラストレー… 渡部 まさみ(わたべ まさみ)は、日本の漫画家、イラストレーターである。 秋田大学卒業後、社会経験を経て、トキワ荘プロジェクトでデビューしてマンガボックスで「くのいち女子高生 音無さん」を連載した[出典無効]。
佐藤 美弥 は、日本の元女子バレーボール選手。
サリコ(6月8日 - )は、日本の女性歌手、歌い手、作詞家、… サリコ(6月8日 - )は、日本の女性歌手、歌い手、作詞家、声優。秋田県秋田市出身。血液型はAB型。所属レーベルは無呼吸Swimming Records。 むさしのFM 2022年5月 第一週目パワープレイ楽曲 FMヨコハマ「KANAGAWA MUSIC LAND」番組内コーナー 2022年6月 第四週目紹介楽曲 ※2022年8月8日、配信リリース。
山後 美奈子(さんご みなこ、2月21日 - )は、秋田放送… 山後 美奈子(さんご みなこ、2月21日 - )は、秋田放送のディレクター、元アナウンサー。 秋田県秋田市出身。旧姓:大沢(おおさわ)。夫は同じく秋田放送社員(1987年当時は報道部所属)。結婚後も1989年までは大沢姓で活動していた。 アナウンサー時代にはラジオ番組『ABSどんぱんワイド80分』や『あさ採りワイド秋田便』『ABSおはようワイド』『ヤスオとミナコのナマナマ歌謡曲』『まっぴる御免! 歌謡りくうえすと』などのパーソナリティを務めていた。また、2004年には『歌のない歌謡曲』のパーソナリティを務めていた。『ABSどんぱんワイド80分』のパーソナリティー時代には「五城目のトメさん」のナレーションも務め秋田県民を笑いの渦にまきこみ話題を呼んだ。
石亀 協子(いしがめ きょうこ、2月16日 - )は、秋田県… 石亀 協子(いしがめ きょうこ、2月16日 - )は、秋田県秋田市出身のヴァイオリニスト。 日本の秋田県秋田市出身。 1993年、東京・浜離宮朝日ホールにてデビューリサイタルを行い、活動を始める。 1999年、桐朋女子高校音楽部ヴァイオリン科を卒業、ウィーン国立音楽大学に留学。 2001年から2004年に、ドイツ・リューベック音楽大学へ留学。 2005年、国際コンクールIBLA Grand Prizeにて最高位ならびにバッハ賞を受賞。また、同年、第3回東京音楽コンクール弦楽部門第3位およびミケランジェロ・アバド国際ヴァイオリンコンクール最高位(1位なしの2位)を受賞。 2011年4月時点で、東京都在住。
石井 資子(いしい もとこ、2月3日 - )は、元秋田テレビ… 石井 資子(いしい もとこ、2月3日 - )は、元秋田テレビのアナウンサー、元NHK山口放送局の契約キャスター。 秋田県秋田市出身。聖霊女子短期大学付属高等学校を卒業後、神奈川県の短期大学で英語を専攻。 短大を卒業後、アナウンススクール山本勉強会の社会人受講を経て、2008年に秋田テレビに入社。報道制作局に配属され、2016年4月まで同局のアナウンサーを務めた。在籍中、担当番組の記者も兼務していた。 退社後、2017年4月から2019年3月までNHK山口放送局『情報維新!やまぐち』のサブキャスターを務めた。
佐川 聖二(さがわ せいじ)は、日本のクラリネット奏者、指揮… 佐川 聖二(さがわ せいじ)は、日本のクラリネット奏者、指揮者、吹奏楽指導者。 秋田市立山王中学校吹奏楽部にて、クラリネットと出会う。秋田県立秋田高等学校を経て、1975年に、東京芸術大学器楽科を卒業し、同大学院へ入学。在学中の1976年に、東京交響楽団に入団。1977年、同大学院を修了。1980年に、文化庁派遣海外研修員としてウィーンに1年間留学。これまで、クラリネットを北爪利世、千葉国夫、三島勝輔、アルフレート・プリンツらに師事。指揮を金子登、遠藤雅古らに師事。 2001年6月、25年間 首席クラリネット奏者を務めた東京交響楽団を退団した。 尚美学園大学にて講師を務めたほか、1979年に結成された「東京クラリネット・アンサンブル」として、またフリーランスとして室内楽、ソロ奏者としても活動。
堀井 美香 は、フロム・ファーストプロダクション所属のフリー… 堀井 美香 は、フロム・ファーストプロダクション所属のフリーアナウンサー、ナレーター、元TBSのエグゼクティブアナウンサー、ラジオパーソナリティ。愛称は、イカ。
阿部 彩(あべ あや)は、NHK秋田放送局のキャスター。 2… 阿部 彩(あべ あや)は、NHK秋田放送局のキャスター。 2018年にNHK函館放送局に入局。退局後は、フリーアナウンサーとして活動。 2021年から2年間、あきた観光レディーとして活動。2022年に秋田放送局へ[要出典]。
戎谷 南山(えびすや なんざん、1866年(慶應2年)- 1… 戎谷 南山(えびすや なんざん、1866年(慶應2年)- 1949年(昭和24年)は、明治~昭和初期の画家。本業は菓子屋。秋田県秋田市土崎港生まれ。本名は戎谷亀吉。「後三年合戦絵詞」の模写をライフワークとした。 出羽国秋田郡土崎湊町(現在の秋田市)に生まれる。1886年(明治19年)、一家で仙北郡金沢本町村(のちの金沢町、現在の横手市)に移住し、菓子屋を営み、南山も家業に従事した。 絵画の趣味が高じて画家として活動した。金沢の歴史に感銘し、かつて金沢で起こった戦役である後三年の役を描いた「後三年合戦絵詞」の模写を始める。1901年(明治34年)より度々上京し、帝室博物館に通い所蔵の絵巻を記憶し、博物館の便所で書き写した。