寺田 学(てらた まなぶ、1976年9月20日 - )は、日… 寺田 学(てらた まなぶ、1976年9月20日 - )は、日本の政治家。 内閣総理大臣補佐官(行政改革及び社会保障・税一体改革等担当)(野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(行政刷新及び広報担当)(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(国家戦略、行政刷新担当)(菅直人内閣)、衆議院議員(7期)などを歴任。 父は参議院議員や秋田県知事などを歴任した寺田典城。母方の祖父は秋田県議会議員を務めた寺田栄四郎。妻は参議院議員の寺田静。 秋田県横手市生まれ。横手市立横手南小学校、横手市立横手南中学校、秋田県立横手高等学校普通科、中央大学経済学部卒業。
柴田 正敏(しばた まさとし、1950年〈昭和25年〉12月… 柴田 正敏(しばた まさとし、1950年〈昭和25年〉12月27日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の秋田県議会議員(6期)。 秋田県議会議長(第68代)、雄物川町議会議員(1期)、全国都道府県議会議長会会長(第73代)などを歴任。 秋田県平鹿郡雄物川町(現在の横手市)で出生。雄物川町立福地小学校、雄物川町立雄物川中学校を経て、1969年(昭和44年)に秋田県立横手高等学校を卒業。高校卒業後は東京での生活を夢見ていたが、母からの頼みで農業を継ぐことなり、卒業と同時に就農。その後、全国農協青年組織協議会委員長や雄物川中学校PTA会長を歴任。 農業を営む中で自立した農業はできないものかと悩み、自身は仲間と共同でキノコの栽培をすることとなったが、全ての農業者が自立していくためには制度を変える事が必要だと考え、1999年(平成11年)、雄物川町議会議員選挙に出馬し、初当選。
三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は… 三井 マリ子(みつい マリこ、1948年5月21日 - )は、日本の政治家。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校からお茶の水女子大学文教育学部を卒業(専攻は英米文学)。米国コロンビア大学・大学院修士課程を修了(専攻は比較教育学、女性学)。上智大学法学部に学士入学するが、後に中退。桐朋女子中学校・高校、野津田高校、駒場高校の英語教員を経て、1987年4月の東京都議会議員補欠選挙に日本社会党公認で杉並区選挙区より立候補して初当選を果たし、以後2期務める。その後、1993年1月13日、社会党に離党届を提出した。同年7月2日に都議を辞職した。同月18日第40回衆議院議員総選挙に旧東京4区より無所属で立候補するが定数5に対し、8位で落選した。
五十嵐 忠悦(いがらし ちゅうえつ、1947年(昭和22年)… 五十嵐 忠悦(いがらし ちゅうえつ、1947年(昭和22年)7月18日 - )は、日本の政治家。秋田県横手市長を2期、旧横手市長を3期務めた。 武蔵大学経済学部を卒業後、都内の印刷会社勤務を経て帰郷。家業の印刷業に従事する。 1997年、当時の横手市長・寺田典城が秋田県知事選挙に立候補するため、市長を退職。寺田の退職に伴って実施された横手市長選挙に立候補し、初当選した。2001年にも再選され、2005年には無投票で3選。 2005年10月1日、旧横手市と増田町・平鹿町・雄物川町・大森町・十文字町・山内村・大雄村の8町村が対等合併し、新・横手市が誕生。それに伴い10月23日に実施された市長選挙で旧平鹿町長の柿崎幹夫ら2候補を破り、新市の市長として初当選。
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22… 千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月20日)は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。 秋田県横手市生まれ。旧制横手中学校、旧制弘前高等学校を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける。 卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。 1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。 市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
鈴木 清(すずき きよし、1907年4月29日 - 1993… 鈴木 清(すずき きよし、1907年4月29日 - 1993年2月18日)は、日本のプロレタリア作家、政治家。 秋田県平鹿郡旭村(現・横手市)出身。横手中学から山形高等学校へ進学するも社会運動にかかわって中退。 山形高校在学中に紺野与次郎らとともに社会主義運動に入る。その後上京し、東京合同労組書記などを経て職工になる。1929年、四・一六事件に連座し逮捕される。ほどなくして創作活動に入り、『監房細胞』(1931年)などの小説を著し、日本プロレタリア作家同盟の秋田支部を結成して活動した。作家同盟解散後も創作活動を続けたが、1940年には東北農業研究所を設立、農村での改良運動にかかわる。 第二次世界大戦後は政治活動も行い、1946年には旭村の村長職もつとめた。
鈴木 弥五郎(彌五郎、すずき やごろう、1902年(明治35… 鈴木 弥五郎(彌五郎、すずき やごろう、1902年(明治35年)10月11日 - 1951年(昭和26年)12月31日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 秋田県平鹿郡浅舞町六日町(平鹿町を経て現横手市)で生まれる。 小学校卒業後、甘粕正彦大尉と知り合い、満州に渡り特務機関員として活動。帰国して熊谷直太代議士の秘書を務めた。その後、大阜鉱業取締役、東北鉱業専務取締役、帝国農産興業社長、北洋漁業労働組合委員長などを務めた。 その後、秋田県平鹿郡増田町に移り開拓事業に従事。東北日本国民党を設立して1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に秋田県全県区から出馬して当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で秋田県第2区から民主党公認で出馬して再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 … 笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 - 1982年5月15日)は、日本の政治家。秋田県横手市出身。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)などを務めた。 秋田県立横手中学校、第一高等学校を経て、1926年東京帝国大学英法科卒業。農林省入省。販売改善課長、埼玉県経済部長、米穀課長、本省会計課長などを経たが、その後、山林局長のときに、戦時中の政府・軍部の方針であった里山伐採・平地林伐採運動について『行き過ぎのないように』との局長通達を全国の林務課長あてに出したことが、全国知事会で問題となり、熊本の営林局長に左遷させられる事態となった。本省の局長が営林局長に降格されることは、いまだかつてないことであった。
土田 荘助(莊助、つちだ そうすけ、1888年(明治21年)… 土田 荘助(莊助、つちだ そうすけ、1888年(明治21年)3月13日- 1962年(昭和37年)8月25日)は、大正から昭和時代の農場経営者(馬産)、地主、実業家、政治家。衆議院議員。 秋田県平鹿郡、のちの館合村(大雄村を経て現:横手市)で素封家土田万助の長男として生まれる。仙台第一中学校(現:宮城県仙台第一高等学校)を卒業した。 平鹿郡大森町菅生田(現:横手市大森町)の土田農場を経営し、馬産に取り組み、競走馬「フレーモア」の生産者として知られた。秋田県畜産組合議長、馬政協議会議員、帝国馬匹協会特別会員、中央畜産会特別議員、秋田県畜産組合長、日本競走馬生産者協会会長、地方森林会議員、秋田県耕地協会評議員、大日本山林会評議員などを務めた。
塩田 団平(しおた だんぺい、旧字体: 塩田 團平、1881… 塩田 団平(しおた だんぺい、旧字体: 塩田 團平、1881年〈明治14年〉4月1日 - 1963年〈昭和38年〉4月16日)は、日本の政治家。銀行家。羽後銀行(現:北都銀行)頭取。 秋田県雄物川町(現:横手市)沼館の大地主の長男として生まれる。幼名、重三。明治41年、父親が死去し、8代目の団平を襲名。 旧制秋田中学、東京高等商業学校(現:一橋大学)を卒業。帰郷後、1913年(大正2年)32歳で沼館町(現:横手市)町長に就任し、1946年(昭和21年)まで町長を務めた。また、この間には1919年(大正8年)からは秋田県会議員を2期、1924年(大正13年)からは衆議院議員を2期(第15回、第17回総選挙当選)、1939年(昭和14年)には、貴族院多額納税者議員にも選出され、同年9月29日に就任し、同成会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在職した。
土田 万助(萬助、つちだ まんすけ、1869年2月16日(明… 土田 万助(萬助、つちだ まんすけ、1869年2月16日(明治2年1月6日)- 1942年(昭和17年)6月15日)は、明治から昭和時代の大地主、篤農家、林業家、政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 出羽国平鹿郡、のちの秋田県平鹿郡館合村(大雄村を経て現横手市)で土田吉治の長男として生まれ、土田彦七の養子となる。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て秋田師範学校に進学したが中退して帰郷した。1905年(明治38年)養父の隠居により家督を相続した。 1900年(明治33年)館合村農会を設立し、科学農法を導入し米の品質改良に尽力。1905年(明治38年)に計画された区画整理事業を推進し、1917年(大正6年)までに450ヘクタールが完成した。
中村 千代松(なかむら ちよまつ、1867年2月19日(慶応… 中村 千代松(なかむら ちよまつ、1867年2月19日(慶応3年1月15日) - 1941年(昭和16年)8月4日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党)、ジャーナリスト。号は木公 出羽国(秋田県)平鹿郡阿気村(大雄村を経て現横手市)の奥山家に生まれた。明治29年11月中村宗興の二女ノブに入夫婚姻。内藤湖南、畑山呂泣らと明治18年秋田県師範学校を卒業後、秋田市内で教鞭をとる。博文館編集部員、忠愛新報編集長、教育報知主筆、明治新聞主筆、報知新聞記者、秋田魁新報主筆を経て、1913年(大正2年)より秋田新聞社社長を務めた。 1915年、第12回衆議院議員総選挙に出馬して、当選を果たした。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
伊藤 直純(いとう なおずみ、万延元年12月30日(1861… 伊藤 直純(いとう なおずみ、万延元年12月30日(1861年2月9日) - 昭和8年(1933年)8月8日)は、日本の政治家。秋田県横手市生まれ。号は耕余(こうよ)。農村振興、交通網の整備、文化・教育振興など秋田県の近代化を進めた。 出羽国仙北郡金沢中野村に、後に初代金沢村長となる豪農・伊藤兵吉の長男として生まれる。慶応2年(1866年)から横手町の漢学塾「三近堂」で須田水明に学び、明治10年(1877年)に上京し根本通明の私塾で漢学、大沼枕山から漢詩を学ぶ。明治14年(1881年)、父の命で明治天皇巡幸を歓迎するため帰郷。その後再び上京し専修学校(後の専修大学)で学ぶ。卒業後は帰郷し青年会活動に力を入れる。
土谷 全次(つちや ぜんじ、安政2年5月10日(1855年6… 土谷 全次(つちや ぜんじ、安政2年5月10日(1855年6月23日) - 昭和10年(1935年)4月6日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。高崎市長。医師。 出羽国平鹿郡睦合村(現在の秋田県横手市)出身。秋田医学校を卒業した。高崎市に医院を開業し、高崎市医会会長を務めた。高崎市会議員、同参事会員、群馬郡会議員、同参事会員、県会議員に選出された。 1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その後、1921年(大正10年)から高崎市長を務めた。