和嶋 未希(わじま みき、1972年5月30日 - )は、日… 和嶋 未希(わじま みき、1972年5月30日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、山形県議会議員(2期)を務めた。 山形県酒田市大宮生まれ。生家は農家。酒田市立亀城小学校、酒田市立第三中学校、山形県立酒田東高等学校、日本大学芸術学部放送学科卒業。酒田市立第三中学校在校時には生徒会長を務めた。1995年、地元・酒田市の企画制作会社に入社し、2002年まで勤務した。 2003年4月、山形県議会議員選挙の酒田市選挙区(現在の酒田市・飽海郡選挙区)から民主党公認で出馬し、初当選した。初当選時は山形県議会で唯一の女性議員であった。2007年の県議選で再選。二期連続のトップ当選を果たす。2009年、山形県議を辞職。
阿部 寿一(あべ じゅいち、1959年〈昭和34年〉8月17… 阿部 寿一(あべ じゅいち、1959年〈昭和34年〉8月17日 - )は、日本の政治家、建設官僚。衆議院議員(1期)、山形県酒田市長(4期)を歴任した。 山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校、東京大学法学部を卒業し、建設省に入省。本省勤務の他、鳥取県や総理府への出向を経験し、1998年11月に大臣官房人事課長補佐で建設省を退官。 1999年4月、酒田市長選挙に無所属で出馬・初当選し、続く2003年4月の酒田市長選挙で再選される。2005年11月には新設合併した新制酒田市長選挙に出馬し、初代市長に就任。2009年11月の酒田市長選挙に出馬し2選(旧酒田市時代と併せて4期)。 2012年、自由民主党は第46回衆議院議員総選挙に向け、山形3区の現職加藤紘一を公認。
丸山 至(まるやま いたる、1954年(昭和29年)3月7日… 丸山 至(まるやま いたる、1954年(昭和29年)3月7日 - )は、日本の政治家。元酒田市長(2期)。 山形県酒田市に生まれる。 山形県立酒田東高等学校 - 山形大学人文学部を経て1977年、行政職員として酒田市に採用される。 キャリアを積みながら昇任した丸山は、商工港湾課、企画調整課、水道部管理課で課長に就任、その後は健康福祉部で地域医療調整監、財務部長、総務部長を歴任した。 また、庄内地域の自治体が共同で設立した「公設民営」の私立東北公益文科大学の創設にも関わりを持つ。 2012年12月、58歳だった丸山は酒田市を定年前に退職し、新たに特別職として副市長に任命される。 副市長として在任中、病気療養で職務を離れた前市長本間正巳の職務代理者として、市政の舵取り役を任された。
本間 正巳(ほんま まさみ、1947年(昭和22年)3月8日… 本間 正巳(ほんま まさみ、1947年(昭和22年)3月8日 - 2015年(平成27年)7月20日)は、日本の政治家。山形県酒田市長(1期)。 山形県酒田市生まれ。1970年の東北学院大学卒業後に山形県庁に入庁し、総務部長などを歴任。2007年、山形県企業振興公社理事長に就任。 2009年、酒田市の副市長に就任。2012年、同市市長阿部寿一が辞職し第46回衆議院議員総選挙に立候補したのに伴い行われた市長選挙に立候補し、初当選を果たす。 2014年5月、咽頭癌の除去手術のため宮城県名取市の宮城県立がんセンターに入院し、その後山形市の病院で投薬と放射線手術を受けた。入院する際には、市議会議長に日付を空欄にした状態の辞表を事前に提出していた。
田澤 一二(たざわ かつじ、1921年〈大正10年〉3月 -… 田澤 一二(たざわ かつじ、1921年〈大正10年〉3月 - 2007年〈平成19年〉12月3日)は、日本の政治家、獣医師。第3代立川町長(4期) 1939年(昭和14年)に山形県立庄内農業学校を卒業。1942年(昭和17年)、麻布獣医専門学校(現:麻布大学) 卒業。狩川家畜診療所長を経て立川町議会議員を5期務めた。この間、同議会副議長を1期務めた。 町長選挙に立候補して、前収入役など新人3人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:94.57%(前回比:-pts) 前町議との争いとなったが、これを破って再選を果たした。 ※当日有権者数:6,298人 最終投票率:94.43%(前回比: 0.14pts) 1977年(昭和52年)は無投票で3選を果たした。
国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12… 国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12日 - 1953年〈昭和28年〉12月27日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第7代市長。 1913年(大正2年)山形県飽海郡酒田町(現・酒田市)に鐙谷一郎の4男として生れ、 国井家の養子となる。1930年(昭和5年)山形県立酒田中学校(山形県立酒田東高等学校)を卒業する。 1936年(昭和11年)に早稲田大学法学部を卒業。卒業後は 鶴岡水力電気株式会社に入社する。 1946年(昭和21年) 加藤精三市長の下で鶴岡市助役に就任し、 鶴岡市消防長も務める。 1951年(昭和26年)4月、鶴岡市会議員に当選する。 1952年(昭和27年)10月に 鶴岡市長に当選する。
本間 重三(ほんま じゅうぞう、1909年(明治42年)10… 本間 重三(ほんま じゅうぞう、1909年(明治42年)10月5日 - 1964年(昭和39年)11月4日)は、昭和時代の政治家。山形県酒田市長。 酒田本間氏の一族、本間鐐吉の二男として生まれ、兄鉄之助の跡を継ぐ。山形県立酒田中学校を経て東京商科大学を卒業し、1933年(昭和8年)より酒田市役所にて勤務する。庶務課長、考査役、総務課長と歴任したのち、1946年(昭和21年)青塚恒治前市長が公職追放となると市長代行者に選任された。翌年の1947年(昭和22年)4月には公選初代酒田市長に就任。3期12年に渡り務め、1959年(昭和34年)に退任した。 市長在任中は、戦後復旧、酒田病院設立などに尽瘁した。
山木 武夫(やまき たけお、1893年(明治26年)4月4日… 山木 武夫(やまき たけお、1893年(明治26年)4月4日 - 1983年(昭和58年)10月11日)は、昭和時代の政治家。農政家。衆議院議員(1期)。別名に栄太、孫左衛門。 農業・山木孫左衛門の長男として山形県東田川郡新堀村落野目(現酒田市落野目)に生まれる。1910年(明治43年)藤島の庄内農学校を卒業し、家業に従事する傍ら新堀村小学校の代用教員を務める。県立自治講習所に入り加藤完治に学び、1918年(大正7年)同所を卒業すると農村問題に取り組み、大陸移民政策の推進に関与した。1928年(昭和3年)落野目信用組合を組織し同組合長となり、農業倉庫を設立し、県信用組合連合会、県連合農業倉庫、北斗会などの理事を歴任した。
2代 阿部 孫左衛門(孫左衞門、あべ まござえもん、1874… 2代 阿部 孫左衛門(孫左衞門、あべ まござえもん、1874年〈明治7年〉4月10日 - 1914年〈大正3年〉12月30日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、山形県東田川郡新堀村長。幼名・直之助。 山形県田川郡新堀村(のち東田川郡新堀村大字新堀、現酒田市)で、地主・先代阿部孫左衛門、野江夫妻の長男として生まれる。新堀村止善学校初等学科、酒田琢成学校を経て、1889年(明治22年)、酒田尋常高等小学校を卒業。1890年(明治23年)に東京に出て二松学舎、東京数学院などで学んだ。 1904年(明治37年)、父の死去に伴い家督を相続し、孫左衛門(2代)を襲名した。吉田堰水利組合会議員、東田川郡会議員、新堀村長などを務めた。
池田 藤八郎(いけだ とうはちろう、1863年2月11日(文… 池田 藤八郎(いけだ とうはちろう、1863年2月11日(文久2年12月23日) - 1911年(明治44年)7月7日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。山形県飽海郡酒田町長。幼名は辰三郎、別名に光礼。 本間光貞の二男として出羽鶴岡藩領飽海郡、のちの酒井新田村天王下(山形県飽海郡西荒瀬村を経て現酒田市)に生まれる。1879年(明治12年)上京し同人社に入り碩学中村敬宇のもとで漢学や英学を修めたのち帰郷する。1882年(明治15年)飽海郡の中学校教員となり、1885年(明治18年)24歳の時、酒田本町の池田家の養子に入り名を藤八郎に改めた。1889年(明治22年)酒田町会議員に当選し、酒田町長、飽海郡会議員、同議長を経て、1902年(明治35年)山形県会議員に当選する。
本間 光義(ほんま こうぎ/みつよし、1861年8月29日(… 本間 光義(ほんま こうぎ/みつよし、1861年8月29日(文久元年7月24日) - 1925年(大正14年)3月24日)は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(1期)。通称は友次郎。 本間光貞の長男として出羽鶴岡藩領飽海郡、のちの酒井新田村天王下(山形県飽海郡西荒瀬村を経て現酒田市)に生まれる。長きにわたり飽海郡会議員、同参事会員を務め、1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では山形県第3区から出馬し当選する。のち酒田町農会副会長や光ヶ丘園芸組合長となり果樹栽培に従事した。ほか、山形県会議員を務めた。
鳥海 哲四郎(とりうみ/とりのうみ てつしろう、1859年6… 鳥海 哲四郎(とりうみ/とりのうみ てつしろう、1859年6月6日(安政6年5月6日) - 1914年(大正3年)4月6日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。 松沢与五郎の四男として出羽鶴岡藩領飽海郡牧曽根村(山形県飽海郡北平田村を経て現酒田市)に生まれ、1877年(明治10年)同郡上蕨岡村上寺(蕨岡村を経て現遊佐町)の鳥海午治郎の養子となる。蕨岡村会議員を経て、1896年(明治29年)飽海郡会議員、1899年(明治32年)より山形県会議員を務めた。1904年(明治37年)3月の第9回衆議院議員総選挙では山形県郡部から立憲政友会所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。 1907年(明治40年)蕨岡村長となり、1913年(大正2年)再選した。
初代 阿部 孫左衛門(孫左衞門、あべ まござえもん、1847… 初代 阿部 孫左衛門(孫左衞門、あべ まござえもん、1847年4月19日(弘化4年3月5日)- 1904年(明治37年)2月15日)は、日本の地主、政治家。衆議院議員、山形県東田川郡新堀村長。幼名・今吉。 出羽国田川郡新堀村(のち山形県東田川郡新堀村大字新堀、現酒田市)で、地主・阿部彦太郎の二男として生まれ、同村の本家・阿部孫右衛門の養子となる。 東田川郡新堀学校世話掛、飽海郡南山牛場看守人、余目勧業区連合村会議員、新堀学校通学村連合会議員、学務委員、山形県会議員、東田川郡勧業会員、新堀村長、東田川郡会議員、同郡参事会員などを務めた。 1894年3月、第3回衆議院議員総選挙に山形県第三区から出馬して当選。
小野寺 順太(おのでら じゅんた、1843年4月12日(天保… 小野寺 順太(おのでら じゅんた、1843年4月12日(天保14年3月13日) - 1910年(明治43年)7月22日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。通称は友直。 大組頭小野寺惣三郎の長男として出羽鶴岡藩領飽海郡飛鳥村(山形県飽海郡南平田村、平田村、平田町を経て現酒田市)に生まれる。1868年(明治元年)家督を相続し肝煎、ついで戸長となり、1882年(明治15年)から1902年(明治35年)まで20年間に渡り山形県会議員を務めた。1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙では山形県郡部から憲政本党所属で出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。 この間、区書記兼村長、学務委員、町村連合会議員、山形県参事会員、南平田村会議員、飽海郡会議員、同議長、郡教育会議員、地方森林会議員など多くの公職を歴任した。
本間 耕曹(ほんま こうぞう、1842年(天保13年6月)‐… 本間 耕曹(ほんま こうぞう、1842年(天保13年6月)‐ 1909年(明治42年)12月18日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。浮世絵の蒐集家、浮世絵商。 現在の山形県酒田市において生まれる。本間家4代目の本間光道の三男であった本間光和の次男として出生、幼名を友三郎と言った。 早くから江戸へ出ており、江川太郎左衛門の塾で洋学や剣術を学んだ。また、一時は長崎の砲術家の高崎四郎右衛門のもとで塾頭を務め、蝦夷地の北方警備の任にあたった。戊辰戦争を前にサハリンから帰郷する際にはアカハネ・スネルの船で酒田に戻るが、その折に、スネルとの知遇を得て、本間家の銃器購入のため働いたほか、仙台藩、米沢藩、会津藩などの兵器の買い入れにも携わった。