梶山 弘志(かじやま ひろし、1955年〈昭和30年〉10月… 梶山 弘志(かじやま ひろし、1955年〈昭和30年〉10月18日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、自由民主党国会対策委員長(第61代)。 経済産業大臣(第25-26代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)・産業競争力担当大臣・国際博覧会担当大臣・ロシア経済分野協力担当大臣・原子力経済被害担当大臣(第4次安倍第2次改造内閣・菅義偉内閣)、内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革)・まち・ひと・しごと創生担当大臣・行政改革担当大臣・国家公務員制度担当大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、国土交通副大臣(第2次安倍内閣)、国土交通大臣政務官(第1次安倍内閣)、衆議院災害対策特別委員長、同国土交通委員長、自由民主党幹事長代行(第8代)、同政務調査会長代理、同経理局長、同政務調査会副会長、同広報戦略局長、同副幹事長、自由民主党茨城県支部連合会長などを歴任。
宮田 達夫(みやた たつお、1953年〈昭和28年〉9月19… 宮田 達夫(みやた たつお、1953年〈昭和28年〉9月19日 - )は、日本の政治家。元茨城県常陸太田市長(1期)。 茨城県常陸太田市生まれ。茨城県立太田第一高等学校及び早稲田大学教育学部卒業。1976年、茨城県庁に入庁。県理事兼産業立地推進東京本部長などを歴任し、2014年4月、常陸太田市副市長に就任。 2021年5月9日告示、16日投票の常陸太田市長選挙に立候補し、無投票で初当選した。 2025年3月6日、5月18日に投開票の常陸太田市長選に立候補せず引退する意向を表明した。理由として、「健康上の理由」としている。
梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月… 梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月27日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房長官(第60・61代)、法務大臣(第52代)、通商産業大臣(第49代)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、衆議院議員(9期)、自由民主党国会対策委員長(第35代・37代)、自由民主党幹事長(第29代)を歴任した。竹下派七奉行の1人に数えられる。 茨城県出身。茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業後、日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)土木工学科卒業。家業の石材業を継ぐ。
塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 19… 塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 1975年12月7日)は、日本の政治家。総理府総務長官・労働大臣。正三位勲一等。通商産業大臣を務めた塚原俊平は長男。 現在の茨城県常陸太田市に、下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)や太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)などの校長を歴任し、茨城教育界で名校長として知られた教育者・塚原末吉の二男として生まれる。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、水戸高等学校を経て、1935年東京帝国大学文学部社会学科を卒業後、同盟通信社に入社し10年間の記者生活を送る。 戦後は官界に転じ、情報局情報官、内務省地方局世論調査課長を務めた後、1947年増田甲子七運輸大臣秘書官となる。
宮田 重文(みやた しげふみ、1898年(明治31年)3月1… 宮田 重文(みやた しげふみ、1898年(明治31年)3月17日 - 1973年(昭和48年)12月6日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)、茨城県久慈郡太田町長、常陸太田市長、同名誉市民。旧姓は立川。 茨城県久慈郡太田町(現常陸太田市)で、立川義之の三男として生まれる。茨城県立太田中学校(現茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)を経て、1921年(大正10年)早稲田大学政治経済科を卒業した。 1921年、明治屋に入社し、1926年(大正15年)に丸の内支店次長で退職して帰郷した。書籍・学用品販売業の宮田家の養子となった。茨城新聞社に入社し、営業局外交部長に就任。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙に大学の恩師五来欣造が茨城県第2区から立候補した際に、選挙事務長を務めたが五来は落選した。
渡辺 覚造(わたなべ かくぞう、1891年(明治24年)6月… 渡辺 覚造(わたなべ かくぞう、1891年(明治24年)6月30日 - 1972年(昭和47年)3月1日)は、日本の医師、政治家。貴族院議員多額納税者、水戸市長、医学博士。 茨城県久慈郡世矢村(現・常陸太田市)出身。茨城県立太田中学校卒、1919年(大正8年)旧制愛知医科大学(現・名古屋大学医学部)卒。同大学付属病院に勤務。1929年(昭和4年)に水戸市で病院を開業する。1936年(昭和11年)大洗海岸に結核患者のサナトリウム大貫海岸病院を開設した。 1942年(昭和17年)1月、茨城県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税議員に互選され、同月23日に就任し同成会に所属。同年10月、水戸市会の推薦により水戸市長に就任した。
河盛 安之介(かわもり やすのすけ、1886年〈明治19年〉… 河盛 安之介(かわもり やすのすけ、1886年〈明治19年〉10月29日 - 1976年〈昭和51年〉7月24日)は、昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。大阪府堺市長(第9代〈官選〉、第13代〈公選〉)。堺市「100万都市(政令指定都市)」生みの親。 竹内権兵衛の三男として茨城県に生まれ、のち河盛又三郎の養子となる。1909年(明治42年)東京高等商業学校本科を卒業し、のち専攻部を修業する。1921年(大正10年)広島県呉市に合資会社河盛商店を創業し業務執行社員を務める。翌年の1922年(大正11年)には有限責任堺興業信用組合を創立し組合長理事となった。ほか、堺醤油製造合資会社業務担当社員などを経て、河又醤油社長、南海土地建物取締役、河盛商店監査役、大醤(河又醤油とイヅミイチ(大阪府貝塚市)が合同で設立)初代社長などを歴任した。
石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月2… 石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月26日 - 1948年〈昭和23年〉3月25日)は、大正から昭和前期の剣道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。 茨城県久慈郡、のちの久米村(金砂郷村、金砂郷町を経て現常陸太田市)で生まれる。1911(明治44年)に分家した。 中央大学で学び、銀行業に従事。大蔵省嘱託となり、狩猟調査委員を務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に茨城県第4区から出馬して初当選。以後、第15回、第16回、第18回、第19回総選挙で再選され、衆議院議員に通算5期在任した。この間、齋藤内閣と岡田内閣の陸軍参与官などを務めた。1935年(昭和10年)には、昭和会の結党にも参加した。
竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10… 竹内 権兵衛(たけうち ごんべえ、1875年(明治8年)10月7日 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、大正から昭和時代戦前の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は幸太郎。 茨城県久慈郡、のちの太田町(現常陸太田市)出身。先代権兵衛の長男として生まれ、1913年(大正2年)家督を相続と共に幼名を改める。 1914年(大正3年)以降、茨城県農工銀行監査役、日本製鋼取締役、日本赤十字社茨城支部商会議員などを歴任した。ほか、水浜電車社長、茨城土木工業、鹿島軌道、日立電気各取締役を務めた。 1918年(大正7年)9月29日には茨城県多額納税者として貴族院議員に互選され、1921年(大正10年)5月17日に除名されるまで務めた。
関 信之助(關、せき しんのすけ、1853年3月26日(嘉永… 関 信之助(關、せき しんのすけ、1853年3月26日(嘉永6年2月17日)- 1917年(大正6年)1月21日)は、明治から大正前期の日本の弁護士・政治家。衆議院議員。 常陸国久慈郡薬谷村(茨城県久慈郡久米村、金砂郷村、金砂郷町を経て現常陸太田市)で、医師・関文友(文雄)の二男として生まれた。 1875年(明治8年)法律学を学ぶため水戸に遊学し、北辰社を設立。1878年(明治11年)法典研究と自由民権運動推進のため水戸法学館を設け幹事に就任。有志と自由党茨城地方部を結成し、その後、茨城自由党に改称し主事に就任した。 1882年(明治15年)代言人試験に合格し代言人(弁護士)を開業。代言人組合会長、水戸弁護士組合会長なども務めた。
立川 興(たちかわ さかん、1852年(嘉永5年10月)- … 立川 興(たちかわ さかん、1852年(嘉永5年10月)- 1906年(明治39年)11月25日)は、明治時代の政治家、銀行家、醸造家。衆議院議員(2期)。 水戸藩の郷士・立川直行の子として常陸国久慈郡太田村(茨城県久慈郡太田町を経て現常陸太田市)に生まれる。父直行は辰介と称していたが次郎左衛門と改名し、金嶺と号した。天保3年正月3日、久慈郡和久村の和田長四郎の長男として生まれ、叔父で常陸太田の豪商の立川邦章の養子となった。藩主徳川斉昭が江戸駒込邸に幽閉されると、同志と共に江戸に向かい斉昭の名誉回復に務め、その後も幕末の志士として奮闘し資金援助を行った。文久3年に里正となり、維新後は戸長を務め、太田銀行を創立し頭取となり、第百四国立銀行の取締役などを務めた。