石井 めぐみ(いしい めぐみ、1979年6月26日 - )は… 石井 めぐみ(いしい めぐみ、1979年6月26日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。元茨城県取手市議会議員(5期)。本名は根本 めぐみ(ねもと めぐみ)。元参議院議員の石井章は父。 茨城県取手市出身。聖徳大学附属聖徳高等学校(現在の聖徳大学附属取手聖徳女子高等学校)、目白学園女子短期大学(現在の目白大学短期大学部)を卒業した。 2001年より6年間、美容業界で勤務。2007年より介護施設職員、2009年より衆議院議員秘書を務める。 2011年4月、第17回統一地方選挙の後半戦で執行された取手市議会議員補欠選挙(定数3)に無所属で立候補し、首位当選を果たす。以後5回連続で当選した。
Ryu(リュウ、1974年4月26日 - )は、日本のものま… Ryu(リュウ、1974年4月26日 - )は、日本のものまねタレント、政治家。国民民主党所属の茨城県取手市議会議員(4期)。本名および市議会議員として活動する際の名義は山野井 隆(やまのい たかし)。 茨城県取手市出身。取手市立白山小学校・取手市立取手第二中学校・土浦日本大学高等学校・日本大学法学部法律学科卒業。大学在学中からテレビのものまね番組に出演。テレビ初出演となった『全日本そっくり大賞』でツートン青木(当時は青木努)、原口あきまさ等のメンバーを相手にグランプリを獲得。当時21歳での優勝はものまね番組では史上最年少である。大学卒業後、不動産会社の営業マンとして働いていた素人時代にもフジテレビの『発表!日本ものまね大賞』に出場し、久保田利伸の『LA・LA・LA LOVE SONG』を披露した。
中村 修(なかむら おさむ、1962年(昭和37年)2月17… 中村 修(なかむら おさむ、1962年(昭和37年)2月17日 - )は、日本の政治家。茨城県取手市長(1期)。 茨城県取手市出身。茨城県立藤代高等学校卒業。取手市で建材店の代表を務め、取手市スポーツ協会会長、取手市子ども会育成連合会副会長、取手リトルシニア野球協会会長、常総少年野球連盟会長、取手市商工会理事を歴任する。2004年(平成16年)から取手市議会議員を3期務める。2013年(平成25年)から茨城県議会議員(自由民主党)を4期務める。2023年(令和5年)3月取手市長選挙に立候補を表明。4月の選挙で自民党と国民民主党の推薦を受け、共産党推薦の元市議を破って初当選した。
石井 章(いしい あきら、1957年5月6日 - )は、日本… 石井 章(いしい あきら、1957年5月6日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)、参議院消費者問題に関する特別委員長、旧藤代町議会議員(4期)、取手市議会議員(2期)、旧藤代町議会議長、日本維新の会国会議員団両院議員総会長などを歴任。 茨城県取手市出身。3人兄弟の次男として、龍ケ崎市内の母親の実家で誕生。取手市で育つ。 取手市立藤代中学校、茨城県立土浦第一高等学校(夜間)、専修大学法学部法律学科(夜間)卒業。 1990年、藤代町議会議員に初当選。 2005年、藤代町の取手市への編入にともない、取手市議会議員となる。 2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に民主党から比例北関東ブロック単独31位で立候補し、初当選。
小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )… 小泉 俊明(こいずみ としあき、1957年4月26日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(3期)、国土交通大臣政務官(菅第1次改造内閣・菅第2次改造内閣)、民主党副幹事長、減税日本幹事長(第2代)、取手市議会議員などを歴任した。 茨城県北相馬郡取手町(現在の取手市)生まれ。取手町立小文間小学校、取手市立取手第一中学校、茨城県立竜ヶ崎第一高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学在学中は雄弁会に所属した。大学卒業後、中小企業経営者を経て取手市議会議員を務める。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に茨城3区から民主党公認で出馬。自由民主党の葉梨信行に敗れたが、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、初当選した。
川口 浩(かわぐち ひろし、1955年2月13日 - )は、… 川口 浩(かわぐち ひろし、1955年2月13日 - )は、日本の政治家、歯科医師。元衆議院議員(1期、民主党所属)。元茨城県議会議員(2期)。 茨城県取手市出身。板橋区立常盤台小学校、お茶の水女子大学附属中学校、日本大学第三高等学校卒業。1979年、東京歯科大学歯学部卒業。1980年に歯科医院を開設。 2002年12月8日の茨城県議会議員選挙に取手市選挙区から出馬し、初当選。2期目の途中だった2009年の第45回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロックから民主党公認で名簿順位30位で出馬し初当選。 2011年2月17日、民主党政権交代に責任を持つ会に入会。2月28日の衆議院予算委員長・中井洽に対する解任決議の採決では民主党政権交代に責任を持つ会の他15人が欠席する中で唯一出席して反対票を投じ、2011年度予算案の採決では他15人と同じように欠席した[要出典]。
大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月1… 大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月18日 - 2020年(令和2年)8月20日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(2期)。 現在の茨城県取手市に生まれる。1945年茨城県立取手園芸学校(現・茨城県立取手第一高等学校)卒。取手市議会議員を経て、茨城県議会議員に当選(自由民主党)。5期務め、県議会副議長を務めた。1995年取手市長に当選。1999年に再選。2003年に元取手市職員の塚本光男に敗れた。2020年に死去した。
菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月… 菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月10日 - 2011年(平成23年)6月8日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(4期)。 茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身。1938年旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現・茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)卒業。卒業後は朝鮮総督府鉄道局、川崎銀行、東晃製機を経て、菊地園芸を創業する。県造園建設協会を結成し、会長となる。その後取手市農業協同組合長となり、1979年取手市長に当選。4期務め、1995年に退任した。同年勲四等瑞宝章を受章した。2011年に死去した。
倉島 松男(くらしま まつお、1861年(文久元年10月) … 倉島 松男(くらしま まつお、1861年(文久元年10月) - 1938年(昭和13年)2月10日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 下総国相馬郡高須村(のち茨城県北相馬郡高須村→藤代町、現・取手市)に生まれる。漢学と英語を学ぶ。農業と商業を営み、北相馬郡内三十二ヶ村組合岡堰取締役、竜崎鉄道(株)社長となる。また、茨城県土地区画改正委員、同臨時博覧会事務委員、茨城県物産販売路調査のため渡米、第四回内国勧業博覧会審査官を務めた。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において茨城6区から自由党公認で立候補したが13票差で落選。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1898年の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。
寺田 省帰(てらだ せいき、1857年5月6日(安政4年4月… 寺田 省帰(てらだ せいき、1857年5月6日(安政4年4月13日)- 1942年(昭和17年)12月9日)は、日本の教育者、実業家、政治家。 衆議院議員、小樽貨物火災保険株式会社社長、富国火災海上保険株式会社社長などを歴任した。 下総国相馬郡井野村(現・茨城県取手市)で、農業・寺田伊兵衛の二男として生まれる。 1877年、千葉県師範学校を卒業。千葉県行徳小学校長、山形県鐘秀学校長、京都府属兼京都府高等女学校教諭を歴任。1890年、釧路小学校長に転じた。 1892年、榎本武揚、北垣国道が所有する小樽の十万余坪を宅地として開発する際、その経営を行う北辰社の主幹に就任。その後、小樽商業会議所特別議員、北海道水力電気取締役、旭川市街軌道社長、小樽運輸社長、小樽漁港社長などを務めた。
広瀬 誠一郎(ひろせ せいいちろう、1838年2月9日(天保… 広瀬 誠一郎(ひろせ せいいちろう、1838年2月9日(天保9年1月15日) - 1890年(明治23年)3月18日)は、幕末から明治時代前期の政治家、治水家。 下総国相馬郡下高井村(現在の茨城県取手市)の名主の家に生まれる。18歳で名主見習いとなり、父が在職中に病没したため跡を継ぐ。明治に入ると、下高井村組合取締役、戸長、勧農方頭取を経て、戸長頭取に就任し、地券調査に従事した。1879年(明治12年)茨城県会議員となったが、当時の県会では土木費について治水問題を優先すべきとする「河川党」と道路整備を優先すべきとする「山岳党」に分かれ意見が鋭く対立していた。こうした中で1881年(明治14年)県令の人見寧に利根運河開削を建議し、翌年北相馬郡長を発令された。