NOKKO(ノッコ、1963年11月4日 - )は、日本のシ… NOKKO(ノッコ、1963年11月4日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名、保土田 信子。旧姓、山田。ロックバンドレベッカのボーカル。 埼玉県浦和市(現・さいたま市桜区)出身、静岡県熱海市在住。ワタナベエンターテインメント所属。 埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)さいたま市立田島中学校出身。名前の信子は生まれ月が11月(November)であることから、祖母により命名された。実家は電気店を営んでいた。 小学1年生の頃から10年間クラシックバレエを習い、バレリーナを目指していたが、体型の変化や経済的な理由により断念。目標を失っていた時、兄(山田貢司)に誘われ、アマチュアバンドのキーボード担当として音楽活動を始める。
井田 國彦(いだ くにひこ、旧芸名;井田 州彦・井田 弘樹、… 井田 國彦(いだ くにひこ、旧芸名;井田 州彦・井田 弘樹、1963年8月11日 - )は、日本の俳優、演出家である。埼玉県さいたま市出身。 さいたま市立桜木小学校、さいたま市立桜木中学校 、埼玉県立川口高等学校、東京デザイン専門学校卒業。 劇団ひまわり、劇団東京乾電池。吉本興業所属を経て独立し、株式会社スリーベイシスを設立。フジテレビの平岩弓枝ドラマシリーズ『花祭』でテレビドラマデビュー。 幅広いジャンルの演技に挑む個性派の俳優である。俳優活動以外にも、芸術活動として、舞台を中心とした、映画・TV番組などの企画・演出、脚本、プロデュースも手掛ける。 写真家・映像作家としても精力的な活動をしている。
宮嶋 謙(みやじま けん、1963年8月8日 - )は、日本… 宮嶋 謙(みやじま けん、1963年8月8日 - )は、日本の政治家。茨城県かすみがうら市長(1期)。元かすみがうら市議会議員(2期)。 埼玉県さいたま市出身。明治学院高校卒業。明治学院大学中退。印刷会社を経て出版業界へ。 2010年(平成22年)、結婚を機に家業の牧場に就業。 2015年(平成27年)、かすみがうら市議会議員に初当選。 2018年(平成30年)、かすみがうら市長選挙に出馬し、落選。 2019年(平成31年)、かすみがうら市議会議員に当選(2期目)。 2022年(令和4年)3月30日、かすみがうら市議会議員を辞職し、任期満了に伴うかすみがうら市長選挙に立候補する意向を表明。同7月10日に行われた市長選挙は、現職が引退を表明し、新人4人の選挙戦となるが、市民による草の根の活動から、市民による政治を訴え、3候補を抑え初当選した。
若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、19… 若田光一(わかた こういち、Koichi Wakata、1963年(昭和38年)8月1日 - )は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士。博士(工学)。菊池寛賞受賞者(2014年)。
榊 邦彦(さかき くにひこ、1963年3月14日 - )は、… 榊 邦彦(さかき くにひこ、1963年3月14日 - )は、日本の小説家。埼玉県さいたま市(旧大宮市)出身。本名は神田 邦彦(かんだ くにひこ)。
小田原 豊(おだわら ゆたか、1963年2月6日 - )は、… 小田原 豊(おだわら ゆたか、1963年2月6日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身のドラマー・プロデューサー。血液型はB型。 1982年、平井豊、根岸孝旨、小田原豊の3人でロックバンド「POW!」を結成(当初はKIDSというバンド名だった)。 1985年にPOW!とレベッカとの対バンがきっかけで、レベッカに3代目ドラマーとして加入。 1988年、レベッカ在籍時、自身がリーダーを務めたバンド「TRAUMA」を始動。メンバーは小田原豊(ドラムス)、元TENSAWの横内健亨(ギター)、六川正彦(ベース)。一度きりのライブ、一枚のアルバムをリリースしたのち長期活動休止した。 1989年、織田哲郎が結成したTOUGH BANANAに参加。
古川 俊治(ふるかわ としはる、1963年1月14日 - )… 古川 俊治(ふるかわ としはる、1963年1月14日 - )は、日本の政治家、医師、弁護士。TMI総合法律事務所アソシエイトで、自由民主党所属の参議院議員(2期)。
野﨑 浩成(のざき ひろなり、1963年 - )は、日本の経… 野﨑 浩成(のざき ひろなり、1963年 - )は、日本の経済学者、東洋大学教授。 1986年慶應義塾大学経済学部卒業。1991年エール大学経営大学院修了。2010年千葉商科大学大学院博士課程修了、「金融システム安定化に向けた銀行政策 邦銀経営者特性、報酬体系、モラルハザードの視点」で博士(政策研究)。2001年HSBC証券会社株式調査部シニアアナリスト兼調査部長、2004年シティグループ証券マネジングディレクターなどを経て2015年京都文教大学総合社会学部教授。2018年東洋大学国際学部教授。2015年、金融審議会専門委員。
沖潤子(おき じゅんこ、1963年 )は、日本の美術家。 1… 沖潤子(おき じゅんこ、1963年 )は、日本の美術家。 1963年、埼玉県浦和市生まれ。 子どもの頃から絵を描くのが好きで美術大学を目指して予備校に通ったが受験には至らなかった。20代半ばでセツ・モードセミナーに入学。その後一人で子育てをせざるを得ない状況にあり経済的な事情から商品企画会社に就職した。大手玩具メーカーを担当しパッケージデザインなどを手掛け原価計算・生産・納品管理までをおこなった。 亡くなった母の洋裁道具や布を引き取り、2002年より母親が遺した布や糸を用いて独学で刺繍を始めた。当時中学生の娘が、亡母が大切にしていた「リバティ」の布を切って刺繍を施し、沖の誕生日に手提げを贈ってくれた。
愛川 裕子(あいかわ ゆうこ、1962年4月2日 - )は、… 愛川 裕子(あいかわ ゆうこ、1962年4月2日 - )は、埼玉県さいたま市出身の女優。本名:石倭 今日子。旧芸名:石倭 裕子(いしわ ゆうこ)。血液型は、B型。岩橋事務所に所属していた。エ・ネスト所属。 東京工芸大学短期大学部卒業。短大を卒業する時に就職先を考えてみて「女優しか思い浮かばなかった」とのことで、東京芸能学院に入り演技を勉強。1984年、日本テレビ系放送の火曜サスペンス劇場『霧の旅路』でデビュー。初舞台は1985年秋、高橋英樹主演の明治座公演『武田信玄』。映画デビューは1987年1月公開の東映映画『夜汽車』。主に2時間ドラマの出演が多い。趣味はピアノ、ゴルフ。特技は日舞、ソシアルダンス。
長堀 肇(ながほり はじめ、1962年3月7日 - )は、埼… 長堀 肇(ながほり はじめ、1962年3月7日 - )は、埼玉県さいたま市出身の元社会人野球選手(外野手)、野球指導者。 上尾高校時代には1979年夏開催の第61回全国高等学校野球選手権大会に一塁手として出場。1回戦で牛島和彦、香川伸行、山本昭良、山脇光治らを擁する浪商高校と対戦。後1死まで迫るも敗退した。高校時代の監督に野本喜一郎、同級生に仁村徹、福田治男らがいる。 高校卒業後には仁村徹、福田とともに東都大学野球連盟所属の東洋大学経営学部に進学。大学時代は外野手として活躍し、リーグのベストナインも3度受賞している。1982年には第11回日米大学野球選手権大会に日本代表として出場。 1984年に東洋大学を卒業後は日本電信電話公社に入社し、同社の電電東京野球部に入部。
古澤 明(ふるさわ あきら、1961年12月1日 - )は、… 古澤 明(ふるさわ あきら、1961年12月1日 - )は、日本の物理学者。専門は、非線形光学・量子光学、特に量子テレポーテーションの研究。学位は工学博士。東京大学大学院工学系研究科教授。 専門は非線形光学、量子光学。1998年、留学先のカリフォルニア工科大学で、量子テレポーテーション実験に成功。1997年に世界で初めて量子テレポーテーションを実現したD. Bouwmeesterの実験は条件付きで計測できるものであったのに対し、古澤は完全な状態の量子テレポーテーションを実現した。2004年、3者間の量子もつれ制御に成功。さらに2009年には、9者間の量子もつれ制御に成功した。2013年、これまでの100倍以上という61%の高い成功率(超大規模量子もつれ)を達成。
添田 毅司(そえだ たけし、1961年〈昭和36年〉9月24… 添田 毅司(そえだ たけし、1961年〈昭和36年〉9月24日 - )は、日本の実業家。ジブラルタ生命保険株式会社代表取締役社長。 長男は元サッカー選手の添田隆司。 埼玉県さいたま市出身。1985年(昭和60年)横浜国立大学経済学部卒業後、日本酸素入社。1986年(昭和61年)日本情報開発入社。1988年(昭和63年)プルデンシャル生命保険入社。2016年(平成28年)プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険取締役。2019年(令和元年)6月ジブラルタ生命保険株式会社代表取締役社長。
高畑 博(たかはた ひろし、1961年(昭和36年)6月24… 高畑 博(たかはた ひろし、1961年(昭和36年)6月24日 - )は、日本の政治家。埼玉県ふじみ野市長(5期)。ふじみ野市議会議員(1期)、上福岡市議会議員(1期)を務めた。 埼玉県浦和市(現さいたま市)生まれ。上福岡市立第2小学校(現ふじみ野市立上野台小学校)、上福岡市立第2中学校(現ふじみ野市立葦原中学校)、埼玉県川越商業高等学校(現川越市立川越高等学校)卒業。高校卒業後の1980年4月より、家業の食品小売業を継ぐ。 2003年4月、上福岡市議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。2005年10月1日、上福岡市・入間郡大井町の合併によりふじみ野市が発足し、2007年4月のふじみ野市議会選挙に無所属で出馬して当選。
池田 誠剛(いけだ せいごう、1960年12月16日 - )… 池田 誠剛(いけだ せいごう、1960年12月16日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元サッカー選手の池田伸康の兄にあたる。
麻生 いずみ(あそう いずみ、1960年11月14日 - )… 麻生 いずみ(あそう いずみ、1960年11月14日 - )は、日本の漫画家。埼玉県大宮市(現、さいたま市出身)。血液型B型。 代表作に『光の伝説』がある。 大学在学中の1980年、『マーガレットスペシャル』に掲載された『NYでドッキリ!』でデビュー。1985年から1988年にかけて『マーガレット』で新体操漫画『光の伝説』(全16巻)を連載。1986年にはアニメ化もされ、代表作となった。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
大久保 治信(おおくぼ はるのぶ、1960年11月11日 -… 大久保 治信(おおくぼ はるのぶ、1960年11月11日 - )は、日本のキーボード奏者。 埼玉県さいたま市出身。盆帆与四(ぼんぼよよん)名義での活動歴もある。 妻は歌手の香寿美(1995年結婚)。 音楽への関心は、1976年にエマーソン・レイク&パーマーに触れたことに始まる。翌年、高校の学園祭で初めてキーボードに触れる。1978年より大浜和史のアシスタントを務める傍ら、大浜よりジャズ理論を学ぶ。 1980年の沖田浩之サポートから、本格的な音楽活動を始めた。1991年にはMEN'S5にキーボードの「盆帆与四」名義で参加する。 2002年、プログレッシブバンド『GOOD JOB』を結成(翌年解散)。
加藤 陽子(かとう ようこ、1960年 〈昭和35年〉10月… 加藤 陽子(かとう ようこ、1960年 〈昭和35年〉10月 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本近現代史。学位は、博士(文学)。本名は、野島陽子。元東京大学教授。歴史学研究会委員長。埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身。夫は予備校講師の野島博之。 2010年に著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞受賞。 幼い頃は、当時の古代エジプトブームに影響され、考古学者になりたいと考えていた。女子校の桜蔭中学校・高等学校で学び、部活動では社会科部に所属して、文化祭では「世界恐慌と一九三〇年代のアメリカ」をテーマにして発表を行ったという。図書館の蔵書数が最も多いことから東大の受験を決め、本を読むことが大好きであったことと自立した人間になりたいという思いから、研究者あるいは作家になることを目指していた。
石堂 藍(いしどう らん、1960年1月29日 - )は、日… 石堂 藍(いしどう らん、1960年1月29日 - )は、日本の書評家、文芸評論家、フリー編集者。幻想文学の評論を中心に活躍する。本名、川島徳絵。
佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日… 佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日 - )は、日本の作家、元外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授、名桜大学名誉博士、辺野古基金共同代表。学位は神学修士(同志社大学・1985年)。 在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。その経験を生かして、インテリジェンスや国際関係、世界史、宗教などについて著作活動を行なっている。 東京都渋谷区生まれ、埼玉県大宮市(現:さいたま市)育ち。大宮市立大砂土小学校、大宮市立植竹中学校卒業。幼少時は日本キリスト教会大宮東伝道所に通っていた。 1975年、埼玉県立浦和高等学校入学。
赤石 路代(あかいし みちよ、1959年10月11日 - )… 赤石 路代(あかいし みちよ、1959年10月11日 - )は、日本の女性漫画家。埼玉県浦和市出身。武蔵野美術大学卒業。 浦和第一女子高等学校時代は漫画同好会に所属。1979年、小学館新人コミック大賞に入選。1980年、『別冊少女コミック』1月増刊号掲載の「マシュマロティーはひとりで」でデビュー。1993年、「ワン・モア・ジャンプ」で第39回(平成5年・1993年度)小学館漫画賞児童部門を受賞。 その後、『月刊フラワーズ』で「めもくらむ〜大正キネマ浪漫〜」で完結、『姉系プチコミック』で「うしろに何かみえてますが」を連載中。『ミステリーボニータ』で不定期連載していた「天の神話 地の永遠シリーズ」完結。
末松 広行(すえまつ ひろゆき、1959年〈昭和34年〉5月… 末松 広行(すえまつ ひろゆき、1959年〈昭和34年〉5月28日 - )は、日本の農林水産官僚、教育者。東京農業大学総合研究所特命教授。 農林水産省関東農政局長、農村振興局長、経済産業省産業技術環境局長などを経て、農林水産事務次官を務めた。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。県立浦和高校に進学し、剣道部に所属していた。菱沼義久農林水産省技術総括審議官、元外交官・作家の佐藤優、Jリーグの村井満は高校のクラスの同級生。 1983年に東京大学法学部を卒業し、同年4月農林水産省へ入省。1998年には農水大臣秘書官となった。2000年には農林水産省食品流通局企画課食品環境対策室長となり、2002年からは、内閣参事官として小泉政権時代に総理官邸に出向。
片山 さつき(かたやま さつき、1959年〈昭和34年〉5月… 片山 さつき(かたやま さつき、1959年〈昭和34年〉5月9日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚、実業家、行政書士。自由民主党所属の参議院議員(3期)、財務大臣(第25-26代)、内閣府特命担当大臣(金融)、租税特別措置・補助金見直し担当大臣。旧姓は、朝長(ともなが)。日本の憲政史上初の女性財務大臣である。 内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、参議院決算委員長、参議院外交防衛委員長、自由民主党金融調査会長を歴任した。元衆議院議員(1期)。元大蔵省主計官。公益財団法人日本不動産学会会員。株式会社片山さつき政治経済研究所元代表取締役。 埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ。
舘 逸志(たち いつし、1959年3月13日 - )は、日本… 舘 逸志(たち いつし、1959年3月13日 - )は、日本の内閣府官僚。タイ王国政府顧問、内閣府大臣官房審議官、経済社会総合研究所総括政策研究官、国土交通省政策統括官、地域活性学会副会長、初代日本英国政府奨学金留学生同窓会理事長等を歴任した。名誉大英帝国勲章、タイ王冠勲章受章。 埼玉県浦和市駒場出身。本太小学校、本太中学校、埼玉県立浦和高等学校を経て、1981年埼玉大学経済学部経済学科卒業、経済企画庁入庁。1983年環境庁出向(環境白書担当)。1985年経済企画庁調査局海外調査課アメリカ班長。 1986年から英国政府奨学金(英語版)を得てロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学し、1987年ロンドン大学経済学修士。
加藤 好男(かとう よしお、1957年8月1日 - )は埼玉… 加藤 好男(かとう よしお、1957年8月1日 - )は埼玉県浦和市(現、さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
荻原 浩(おぎわら ひろし、1956年〈昭和31年〉6月30… 荻原 浩(おぎわら ひろし、1956年〈昭和31年〉6月30日 - )は、日本の小説家・漫画家。埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身。埼玉県立大宮高等学校、成城大学経済学部卒業。 大学在学中は広告研究会に所属。1980年、大学卒業後、広告代理店に入社。1991年、ふたつめの広告代理店を辞めて独立し、フリーのコピーライターとして築地に事務所を構える。39歳のときに小説を書き始める。小説を書き始めた理由について『作家の履歴書』では「広告の文章ってどこまで書いても所詮はひとのもの」であり、「だれにも邪魔されない文章を書いてみたくなった」から、『私がデビューしたころ』では「暇が怖かったから」「毎日の仕事に倦んでいた」からだと答えている。
古屋 範子(ふるや のりこ、1956年5月14日 - )は、… 古屋 範子(ふるや のりこ、1956年5月14日 - )は、日本の政治家。公明党顧問。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。 衆議院議員(7期)、総務大臣政務官、公明党女性委員長、厚生労働副大臣などを歴任した。 1975年3月、埼玉県立浦和第一女子高等学校卒業。1979年3月、早稲田大学第一文学部卒業。聖教新聞社出版局に勤務。 2003年11月、第43回衆議院議員総選挙比例南関東ブロック公明党第3位で初当選。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙比例南関東ブロック公明党第2位で再選。 同年11月、第3次小泉改造内閣で総務大臣政務官に就任。2006年9月、第1次安倍内閣発足に伴い、総務大臣政務官を退任。
三田 完(みた かん、1956年3月18日 - )は、日本の… 三田 完(みた かん、1956年3月18日 - )は、日本の小説家、俳人。
萩原 健太(はぎわら けんた、1956年2月10日 - )は… 萩原 健太(はぎわら けんた、1956年2月10日 - )は、日本の音楽評論家・ディスクジョッキー・音楽プロデューサー・作曲家・音楽家。CS-TBS番組審議委員、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。 メジャーなポップ・ミュージック(主にアメリカのヒットチャート系)に精通しており、なかでもザ・ビーチ・ボーイズ、エルヴィス・プレスリー、ザ・ベンチャーズのマニアである。 裁判官の父親の転勤に伴い、北海道や千葉県など転々として育つ。早稲田高等学校を経て早稲田大学法学部に進む。在学中は放送研究会に所属。音楽評論家の宮治淳一は一年後輩で交友関係にある。またサザンオールスターズの桑田佳祐とは、サザンがデビューする以前からの友人であり、アマチュア時代のサザンに加入していたこともある、とラジオ番組で明らかにしている。
田中 孝司(たなか こうじ、1955年11月2日 - )は、… 田中 孝司(たなか こうじ、1955年11月2日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身 の元サッカー選手。元日本代表。サッカー指導者。サッカー解説者。ポジションはMF、DF。 明治大学を経て、1978年に日本サッカーリーグの日本鋼管サッカー部(のちのNKK)に入部。JSL1部で通算143試合出場を記録した。1982年1月16日のボカ・ジュニアーズ戦で日本代表として初出場した。なお、国際Aマッチで通算20試合3得点を記録して日本代表の主将も務めた。なお、1982年1月に行われた日本代表vsボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)との3試合で、ディエゴ・マラドーナとマッチアップした。 1988年に引退後は1989年から1992年までNKKのコーチを務めた後、1993年にはU-18日本代表の監督を務め、1995年から名古屋グランパスエイトのコーチに就任した。
堀尾 正明(ほりお まさあき、1955年〈昭和30年〉4月2… 堀尾 正明(ほりお まさあき、1955年〈昭和30年〉4月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者、ニュースキャスター、ラジオパーソナリティ、明海大学外国語学部客員教授、元日本体育大学客員教授、エフエム戸塚取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー(局次長級)。 父親は鉱山技術者で、マンガンなどの鉱脈を探して全国を転居した。岡山県岡山市で生まれ、山形県、愛知県、神奈川県と移り、中学から埼玉県大宮市で育つ。埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学第一文学部哲学科を卒業する。中学校の卓球部で大宮市大会で優勝し、高校生時代はサッカー部でレギュラーメンバーとして活動する。大学在学中に文学座附属演劇研究所研究生としてミュージカルに出演、劇団俳優座映画放送部に所属して『大空港』(フジテレビ系)で東南アジアから来たマフィアの「ジミー」役など、テレビドラマに出演した。
岡村 秀樹(おかむら ひでき、1955年2月1日 - )は、… 岡村 秀樹(おかむら ひでき、1955年2月1日 - )は、日本の実業家。埼玉県さいたま市出身。 トムス・エンタテインメント代表取締役社長、セガ代表取締役社長兼COOを経て、2015年4月にセガホールディングス代表取締役社長に就任した。同年5月コンピュータエンターテインメント協会会長に就任。2018年日本eスポーツ連合会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
吉田 真理子(よしだ まりこ、1954年7月27日 - )は… 吉田 真理子(よしだ まりこ、1954年7月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手で現在は指導者。モントリオールオリンピック金メダリスト。 埼玉県立久喜高等学校を卒業後、日立バレー部に入部。全日本に選出され、1976年のモントリオールオリンピックで金メダルを獲得した。 1979年3月に現役引退。その後ママさんバレーのコーチなど指導者を行う傍ら、知り合いのテレビマンに誘われる形で1980年当時『小川宏ショー』(フジテレビ)のレポーターも務めていた。
丸山 圭子(まるやま けいこ、1954年5月10日 - )は… 丸山 圭子(まるやま けいこ、1954年5月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、元大学教員。1976年の「どうぞこのまま」の大ヒットで知られる。埼玉県浦和市(合併後:さいたま市浦和区)出身。ドリーム・ウィーバーと業務提携。 自宅は子供の頃に出来た南浦和駅の近くにあった。両親とも教師で、「音楽の道に進まなかったら、大学の教育学部に進学して先生になっていたと思う」と述べている。二つ年上に姉の影響で、3歳からピアノを習う。小学校高学年で浦和児童合唱団にも入る。中学時にフォークソングが流行したことから、自身も友達のギターを借りジョーン・バエズから五つの赤い風船、ベッツィ&クリスなどを弾き語る。
榎本 一夫(えのもと かずお、1953年12月18日 - )… 榎本 一夫(えのもと かずお、1953年12月18日 - )は、日本のデザイナー、有限会社バナナグローブスタジオ元代表取締役。 愛称は「えのん」「えのっぴ」「えのサン」など。 『ドラゴンクエスト』のロゴデザインで知られている。また、集英社の少年向け漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」の一員であり、同コーナーに携わっていたさくまあきらが制作したコンピュータゲーム『桃太郎伝説』およびその派生作品である桃太郎電鉄シリーズでは、同コーナーの作画を担当していた土居孝幸が榎本をモデルとしてデザインしたキャラクター・貧乏神(ボンビー)が登場する。 埼玉県さいたま市出身。浦和市立高等学校、駒澤大学法学部卒業。
笹川 博(ささがわ ひろし、1953年5月5日 - )は、埼… 笹川 博(ささがわ ひろし、1953年5月5日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)。現在は横浜DeNAベイスターズの取締役。 中学までは投手だった。野球部監督の長谷川和雄から誘われ、埼玉県立大宮高校に進学。大柄の体格を買われ、捕手に転向した。高校2年生の秋、1970年秋季県大会決勝に進出するが、深谷商の竹内広明に完封を喫する。高校3年生夏の1971年夏の県大会でも準決勝に進むが、熊谷商に敗退し甲子園には出場できなかった。 1971年のドラフト7位で大洋ホエールズへ入団。愛称は「ペロ」。長身の大型捕手として期待されるが、伊藤勲、福嶋久晃、辻恭彦と層の厚い捕手陣もあって一軍に上がれず、主に一軍、二軍でブルペン捕手を務めることが多かった。
蓜島 邦明(はいしま くにあき、1953年1月30日 - )… 蓜島 邦明(はいしま くにあき、1953年1月30日 - )は、日本の作詞家、作曲家、編曲家。 埼玉県さいたま市出身。城西大学経済学部卒業。『世にも奇妙な物語』シリーズのテーマ曲「ガラモン・ソング」で知られる。 幼少期より「ものづくり」に関心があり彫刻家を目指すものの、大学卒業後に「養子になってほしい」と言われて叔父が営むパン屋へ就職しパン職人となる。その後一転して好きだった音楽の世界へ転身し、当時まだ登場して間もなかったシンセサイザーを購入して独学で作曲家への道に進む。劇団にて音響を担当し、作曲活動を開始する。 建築様式におけるオブジェや様式美術に興味を持ち、彫刻家を目指すものの、その過程で素材の出す音に出会い作曲家になる。
タケカワ ユキヒデ(本名:武川 行秀〈読み同じ〉、1952年… タケカワ ユキヒデ(本名:武川 行秀〈読み同じ〉、1952年10月22日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター・作家。ゴダイゴのメインボーカルであり、ほとんどのシングル曲の作曲者。アメニティ所属。帝京大学客員教授。身長172cm、血液型B型。 「竹川行秀」と誤記されることが多いことから、カタカナで表記されている。 埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)生まれ。5歳からヴァイオリンを、10歳から作曲を始める。母方曽祖父が国産ヴァイオリンメーカー鈴木バイオリン製造創業者の鈴木政吉。母方大叔父に、ヴァイオリン教育のスズキ・メソードで名高い鈴木鎮一がいる。また、父方の祖父は判事の武川佳海である。父は、『「第九」のすべて』(芸術現代社)などの著作がありベートーヴェン研究家、音楽評論家として著名な武川寛海という音楽家の家系。
五十嵐 淳子(いがらし じゅんこ、1952年9月20日 - … 五十嵐 淳子(いがらし じゅんこ、1952年9月20日 - )は、日本の女優。戸籍名、中村 淳子(なかむら じゅんこ)。血液型A型。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。身長163cm(1972年3月)。 夫は、歌手・俳優の中村雅俊。 家族は夫と1男3女。うち、長男の中村俊太は元俳優。三女はモデル・タレントの中村里砂。 東京・渋谷区千駄ヶ谷に自らのフラワーショップ『パストーン』を主宰。フラワーアレンジメントスクール講師も務めており、好評で各種イベントなどにも参加していたが、2020年に惜しまれながら閉店した。 「五十嵐じゅん」として活動していた1971年にユニオンレコード(テイチクのレーベル名)よりレコードデビュー。
天地 真理(あまち まり、1951年〈昭和26年〉11月5日… 天地 真理(あまち まり、1951年〈昭和26年〉11月5日 - )は、日本の歌手、女優、タレント。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。本名:青木 眞理(あおき まり)、旧姓:齋藤(さいとう)。愛称:マリ、隣のマリ、白雪姫。 1970年代前半に天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなり、一世を風靡した。血液型はO型。身長158 cm(1972年3月)。 出生時の本名は齋藤 眞理(さいとう まり)、結婚後の本名は青木 眞理(あおき まり)である。なお「眞理」という名の命名者は、埼玉県比企郡都幾川村(現:ときがわ町)にある臨済宗妙心寺派の寺院「法燈禅林 皎円寺」(こうえんじ)の住職であった柳瀬有禅である。
島村 雄二(しまむら ゆうじ、1951年10月6日 - )は… 島村 雄二(しまむら ゆうじ、1951年10月6日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 埼玉県立大宮高等学校では、1967年、1年生ながら控えの内野手として夏の甲子園に出場。チームメートに2年上のエース金子勝美、吉田誠、1年上の新井良雄、同期の鈴木治彦がいた。1回戦で報徳学園と対戦。9回裏2死までリードするがここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した。秋の埼玉国体では、決勝でエース河原明を擁する大分商を降し優勝。翌1968年夏には新井が主戦投手となり、三塁手、七番打者として県予選決勝に進出するが、春の選抜で優勝した大宮工の吉沢敏雄に抑えられ0-1で敗退。
鈴木 葉留彦(すずき はるひこ、1951年7月25日 - )… 鈴木 葉留彦(すずき はるひこ、1951年7月25日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元プロ野球選手・コーチ・監督、解説者。旧名は鈴木 治彦(読みは上記と同じ)。現役時代の愛称は「はっぱ」。 大宮高校では、1967年に1年生ながら一塁手として夏の甲子園に出場し、1回戦で報徳学園と対戦。9回裏2死までリードするがここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した。しかし、秋の埼玉国体では、決勝で大分商の河原明を打ち崩し初優勝を飾る。チームメイトに2年上のエース金子勝美、左翼手の吉田誠、1年上に右翼手の新井良雄らがいた。2年次の1968年夏は新井を主戦投手として県予選決勝に進出するが、春の選抜で優勝した大宮工の吉沢敏雄に抑えられ0-1で敗退。
名尾 良泰(なお よしやす、1951年(昭和26年)2月 -… 名尾 良泰(なお よしやす、1951年(昭和26年)2月 - )は、埼玉県さいたま市出身の経済産業官僚。1974年に東京大学法学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。在イタリア日本国大使館参事官、関東経済産業局長等を経て2003年7月に退官。2004年より日本自動車工業会の副会長・専務理事を10年務める。尚、実父は元参議院議員の名尾 良孝(なお りょうこう、1917年(大正6年)3月18日 - 1991年(平成3年)5月6日)。
おかべ りか(1950年11月10日 - 2017年7月8日… おかべ りか(1950年11月10日 - 2017年7月8日)は、日本の女性漫画家・挿絵画家。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。獨協大学外国語学部フランス語学科卒業。 おもに児童書・絵本・育児誌などを中心に漫画や挿絵、翻訳などを手がける。子供の視点を中心にした、鋭い観察眼と人物描写に基づくユーモラスな作風が特色。また1970年代には集英社『明星』などで挿絵を描いていた。 福音館書店より刊行していた月刊誌『おおきなポケット』では漫画作品を断続的に連載。うち『とちめんぼう劇場』『よい子への道』などを単行本化。 2002年より北澤楽天顕彰会理事。他、さいたま市民漫画展(のち北澤楽天漫画大賞)審査員、さいたま市文化財等選考委員を務める。
佐藤 敬次(さとう けいじ、1950年9月22日 - )は、… 佐藤 敬次(さとう けいじ、1950年9月22日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手である。ポジションは投手。 大宮工業高校では1968年に春夏の甲子園に出場。春の選抜では、エース吉沢敏雄や左翼手、四番打者の布施章(松下電器-日本通運-全大宮)の活躍もあって勝ち進む。準決勝では箕島高の東尾修を打ち崩し、決勝では吉沢と尾道商の井上幸信との投手戦を制し、「初出場初優勝」の快挙を成し遂げた。しかし吉沢の控え投手であった佐藤はこの大会で登板機会がなかった。夏の選手権は2回戦で津久見高の石井吉左衛門(鐘淵化学)に抑えられ敗退するが、この試合で吉沢をリリーフし甲子園初登板を果たす。他の高校同期では、外野手の石井清一郎(阪急)、控え投手の奈良正雄(ロッテ)がプロ入りしている。
福家 三男(ふくや みつお、1950年7月7日 - )は、埼… 福家 三男(ふくや みつお、1950年7月7日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者、ゼネラルマネージャー。 1966年に浦和南高校に入学。1969年度にインターハイ、国体、高校選手権の三冠を達成したチームでキャプテンを務める。福家は高校2年生の春に背中を痛めて7ヵ月間入院のため留年し、三冠達成時は入学から4年目だった。この浦和南高校は漫画・アニメ『赤き血のイレブン』のモデルとなり、作中に登場するGKの大平洋平は福家を基にしている。1970年4月のアジアユース選手権では、ユース日本代表のGKとして6試合に先発出場。 高校卒業後は明治大学に進学。在学中の1972年に若手主体の日本代表Bに招集された。
松谷 有希雄(まつたに ゆきお、1949年10月20日 - … 松谷 有希雄(まつたに ゆきお、1949年10月20日 - )は、日本の厚生労働技官、小児科医。厚生労働省医政局長、国立療養所多磨全生園長、国立保健医療科学院長、国際医療福祉大学副学長、厚生労働統計協会会長等を歴任。 埼玉県さいたま市生まれ。1975年北海道大学医学部卒業、聖路加国際病院小児科研修医。聖路加国際病院チーフ・レジデントを経て、1980年ピッツバーグ大学公衆衛生大学院修士課程修了。1981年厚生省入省。2005年から厚生労働省医政局長を務め、卒後臨床研修の必修化などを実施した。2007年国立療養所多磨全生園長。2012年国立保健医療科学院長。 2015年国際医療福祉大学副学長。2016年大塚ホールディングス取締役。
市川哲夫(いちかわ てつお、1949年(昭和24年)8月9日… 市川哲夫(いちかわ てつお、1949年(昭和24年)8月9日 - )は、ドラマプロデューサー。東京放送で多年にわたりテレビドラマ制作に携わり、制作現場を離れてからは、TBSメディア総合研究所『調査情報』編集長を担い、退社後、中央大学総合政策学部特任教授に転じた。2024年現在は、日本映画テレビプロデューサー協会事務局長、放送批評懇談会、報道活動部門選奨委員を経て、在野のプロデューサーとして活動中。 埼玉県浦和市(現:さいたま市)生まれ。埼玉県立浦和第一女子高等学校附属幼稚園、浦和市立高砂小学校、浦和市立岸中学校を経て、1965年に県立浦和高校へ進学、新聞部長、生徒会副会長を務める(作家の佐藤優は、浦高新聞部の10年後輩に当たる)。
吉田 誠(よしだ まこと、1949年7月24日 - )は、埼… 吉田 誠(よしだ まこと、1949年7月24日 - )は、埼玉県与野市(現在のさいたま市中央区)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 大宮高校では1967年、3年生の時に四番打者、左翼手として夏の甲子園に出場。1回戦で報徳学園と対戦、9回裏2死までリードするがここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した。この一戦では、バックスクリーン左へ大本塁打を打ち込んで、各球団のスカウトに注目される。秋の埼玉国体では、決勝まで勝ち進み、エース・河原明を擁する大分商を降し優勝した。後にプロ入りするチームメイトに、同期のエース・金子勝美、右翼手の新井良雄(2年生)、一塁手の鈴木治彦、控え内野手の島村雄二(いずれも1年生)がいた。
金子 勝美(かねこ かつみ、1949年5月31日 - )は、… 金子 勝美(かねこ かつみ、1949年5月31日 - )は、埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。娘は女子プロゴルファーの金子絢香。 埼玉県立大宮高等学校では1966年、2年生の時に三塁手として春の選抜に出場。1回戦で宮崎商を降すが、続く2回戦で平安高の門野利治に抑えられ惜敗。同年の秋季関東大会県予選からエースとなり、1回戦で深谷商をノーヒットノーランに抑える。秋季関東大会では決勝に進むが、桐生高に大敗した。翌1967年には夏の甲子園に出場。1回戦で報徳学園と対戦、9回裏2死までリードするが、ここから反撃を許し、大会史上初の本盗による逆転サヨナラ負けを喫した。