川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4… 川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4日 - )は、日本の俳優、演出家。劇団NLT代表。NPO法人日本オペレッタ協会副理事長。
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川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4… 川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4日 - )は、日本の俳優、演出家。劇団NLT代表。NPO法人日本オペレッタ協会副理事長。
青山 良彦(あおやま よしひこ、本名同じ、1943年12月7… 青山 良彦(あおやま よしひこ、本名同じ、1943年12月7日 - )は、東京都出身の俳優。 東京都千代田区神田須田町出身。学習院初等科、中等科、高等科第2学年終了後の1962年に大映演技研究所に16期として入り、大映からニューフェイスとしてデビュー。1964年、TBSのドラマ『父子鷹』(国際放映制作)に出演した後、同年『十七才は一度だけ』より大映にて本格デビュー。その後大映を経て、プランニング・メイに所属。 なお、近衞甯子(甯子内親王)、久邇朝宏(久邇宮)は学習院初等科時代の同級生。 『泥棒番付』(1966年)で勝新太郎と共演して以来、2年間ほど半ば押しかけのように、付き人のような感じで勝に付き、以後勝のことを「オヤジ」と呼ぶほどの濃い付き合いが続いていたという。
二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日 - 202… 二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日 - 2021年〈令和3年〉8月21日)は、日本の俳優。本名および旧芸名、二瓶 正典()。 東京府東京市麹町区永田町出身。麹町中学校、専修大学附属高等学校卒業。二瓶事務所を経て、メセナに所属していた。 実父はドイツ人。映画が好きであったことから、高校3年生時に俳優を志し東宝芸能学校の夜間部に入る。 1960年に東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く。1961年、岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍した。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年に『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かま… かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)千代田区出身。 父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。
生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不… 生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不詳)は、日本の俳優、元子役である。本名同じ。 1917年(大正6年)2月12日、東京府東京市神田区神田(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。 1923年(大正12年)12月、渋谷幡代尋常小学校(現在の渋谷区立幡代小学校)1年生の時、築地小劇場で小山内薫演出『そら豆が煮えるまで』で初舞台を踏む。1934年(昭和9年)、青山学院中等部を卒業するまでに、父親である生方賢一郎(1882年 - 1961年)が関係する新劇協会や築地座の公演に子役として出演した。 映画では中学校1年から教育映画や1932年(昭和7年)に公開された、鈴木重吉監督映画『熊の出る開墾地』などに出演していたが、1934年(昭和9年)、父・賢一郎が在籍するP.C.L.映画製作所が製作した木村荘十二監督映画『只野凡児 人生勉強』に出演したのがきっかけで中学卒業直後の同年4月に入社。
木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 20… 木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 2004年11月7日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画美術家、劇作家、演出家、俳優、彫刻家。本名は木俣 三郎(きまた さぶろう)、舞台俳優・映画美術家としては衣 恭介(ころも きょうすけ)、時代劇俳優としては木南 兵介(きなみ へいすけ)、現代劇俳優として鬼塚 大吉(おにつか だいきち)等、多くの別名をもつ。プロダクション鷹・日東テレビ映画の創業者・元代表取締役、ムービーブラザースの共同代表を歴任した。高見順の短篇小説『大部屋の友』の主人公モデル、あるいは世田谷区・豪徳寺の「無名戦士慰霊記念碑」のレリーフ彫刻を手がけた彫塑作家としても知られる。
吉頂寺 晃(、1906年(明治39年)4月7日 - 不明)は… 吉頂寺 晃(、1906年(明治39年)4月7日 - 不明)は、日本の俳優。本名は岡崎 光彦(旧名・岡崎 光)、旧芸名に吉頂寺 光、吾妻 三郎。東京市神田区出身。 第一早稲田高等学院を中退した後、高松プロ吾妻撮影所の研究生となる。 1926年(大正15年)、タカマツ・アズマプロ製作の『男児一諾』でデビューする。翌1927年1月、松竹蒲田撮影所に移り、吾妻三郎に改名。小津安二郎監督のデビュー作『懺悔の刃』などに主演するが、松竹蒲田が時代劇の制作を停止したことから退社。1928年2月に河合プロダクションに入社するが、同年6月に東亜キネマに移籍し、芸名を吉頂寺 光に戻す。1930年1月、帝国キネマ長瀬撮影所に移籍し、新興キネマに組織変更された後も在籍。
川田 弘道(かわた こうどう、1893年1月26日 - 没年… 川田 弘道(かわた こうどう、1893年1月26日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。本名絲井川 清(いといがわ きよし、新漢字表記糸井川 清)、活動期の最後の数年に川田 弘三(かわた こうぞう)と名乗る。 1893年(明治26年)1月26日、東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区神田地区)に生まれる。 長じて長野に移り、1913年(大正2年)3月、旧制・長野県師範学校(現在の信州大学教育学部)を卒業、旧制小学校の教諭となる。その後、教職を辞して役者に転向し、1916年(大正5年)、東京市下谷区二長町(現在の東京都台東区台東1丁目)の市村座で旧劇(歌舞伎)の舞台に立つ。1923年(大正12年)、松竹蒲田撮影所に入社、同年5月11日に公開された『雪の夜話』(監督池田義臣)に出演して、満30歳で映画界にデビューする。
東屋 三郎(あずまや さぶろう、1892年5月15日 - 1… 東屋 三郎(あずまや さぶろう、1892年5月15日 - 1935年7月3日)は、日本の俳優である。本名は油屋 三三郎(あぶらや さんざぶろう)。 1892年(明治25年)5月15日、東京市神田区駿河台南甲賀町(現在の東京都千代田区神田駿河台三丁目)に「油屋 三三郎」として生まれる。父親は代議士の光妙寺三郎、母親は柳橋の芸者・お六。1893年の父の死後は、父の親友であった西園寺公望が引き取って養育した。 慶應義塾大学に入学、在学中に青山杉作らと出会い、1917年(大正6年)2月17日、新劇の劇団「踏路社」を結成する。『画家とその弟子』で初舞台を踏む。 1920年代には、舞台協会に参加し、1923年(大正11年)、舞台協会が日活向島撮影所と出演提携を結び、サイレント映画に出演する。