安達 栄司(あだち えいじ、1965年 - )は、日本の法学… 安達 栄司(あだち えいじ、1965年 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。立教大学法学部教授。新潟県長岡市出身。 1983年、新潟県立長岡高等学校卒業、1987年、立命館大学法学部法学科卒業。1989年、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了、1995年、早稲田大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。在学中にドイツのケルンに留学した。1995年、静岡大学人文学部法学科助教授、2002年4月 成城大学法学部助教授、2004年、同教授。同年、弁護士登録(第二東京弁護士会)。2010年、立教大学大学院法務研究科教授。
斎藤 馨(さいとう かおる、1955年5月 - )は、日本の… 斎藤 馨(さいとう かおる、1955年5月 - )は、日本の造園学者、環境学者。東京大学名誉教授。東京農業大学教授。 新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡高等学校を経て、1981年千葉大学園芸学部造園学科卒業。1983年東京大学大学院農学系研究科林学専攻修士課程修了。1986年同博士課程単位取得退学、プレック研究所研究員。1987年同主任研究員。1989年東京大学農学部附属演習林助手。1994年東京大学農学部附属演習林講師、農学博士。1995年東京大学農学生命科学研究科森林科学専攻助教授。1999年東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学専攻助教授。2010年同教授。東京大学秩父演習林の記録を続け、発信システムの開発などを行い、2011年には本多静六賞を受賞した。
岡村 達也(おかむら たつや、1954年10月23日 - )… 岡村 達也(おかむら たつや、1954年10月23日 - )は、日本の心理学者、文教大学教授。臨床心理学専攻。 新潟県長岡市生まれ。1978年東京大学文学部卒、83年同教育学部教育心理学科卒、85年同大学院教育学研究科第1種博士課程中退、東京都立大学 (1949-2011)経済学部助手、1990年専修大学文学部講師、助教授、1998年文教大学人間科学部助教授、教授。
吉野 正三郎(よしの しょうざぶろう、1951年 - 200… 吉野 正三郎(よしの しょうざぶろう、1951年 - 2007年9月3日)は、日本の法学者、弁護士。専門は民事訴訟法・倒産法。法学博士(筑波大学)。新潟県出身。 新潟県長岡市生まれ。1973年 学習院大学法学部卒業。1981年 フライブルク大学法学部で博士号取得。1981年 早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。 1983年 立命館大学法学部助教授。1989年 東海大学法学部教授。 1990年 弁護士登録(東京弁護士会)。 1996年 法学博士(筑波大学)取得。2003年 青森大学大学院環境科学研究科客員教授。 2005年 ミネルヴァ経営法務研究所所長。2005年 弁護士として懲戒処分を受ける。
溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - … 溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - 2010年1月4日)は、日本の地震学者。専門は地震計測。東京大学地震研究所教授を経て、同大学名誉教授。地震防災対策強化地域判定会会長・地震予知連絡会委員・中央防災会議委員などを歴任。新潟県長岡市出身。 微小地震の研究で知られ、地震予知の対象をプレスリップ(前兆すべり)に限定するなど前兆分析の分野で大きく貢献した。
大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 202… 大井 邦雄(おおい くにお、1933年3月19日 - 2020年1月20日)は、日本の英文学者、早稲田大学名誉教授。位階は正五位。 新潟県長岡市生まれ。1954年新潟県立長岡高等学校卒、1959年早大文学部英文科卒、1964年同大学院博士課程満期退学。早稲田大学文学部助教授を経て教授。2003年定年、名誉教授。2014年、瑞宝中綬章受章。正五位。 シェイクスピア、エリザベス朝演劇が専門。 2020年1月20日死去。86歳没。没後に正五位に追叙された。
平原 春好(ひらはら はるよし、1933年 - )は、日本の… 平原 春好(ひらはら はるよし、1933年 - )は、日本の教育学者。教育学博士(論文博士・1967年)(「「帝国憲法」下における教育行政原則の成立と批判の研究」)。神戸大学名誉教授。 長岡市生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1967年、「「帝国憲法」下における教育行政原則の成立と批判の研究」で、教育学博士の学位を取得。 東京大学助手、神戸大学助教授を経て、教授。1996年、定年退官、名誉教授、工学院大学教授。のち帝京大学教授、2003年に退職。ハーバード大学共同研究員。日本教育法学会会長(1995-1997年、1999-2001年)。
高鳥 正夫(たかとり まさお、大正11年(1922年)11月… 高鳥 正夫(たかとり まさお、大正11年(1922年)11月3日 - 平成11年(1999年)12月31日)は、日本の法律学者。短期大学基準協会会長、東横学園女子短期大学学長等を歴任。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 新潟県長岡市生まれ。 昭和22年(1947年)に慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、助手、助教授を経て、1957年(昭和32年)から1986年(昭和61年)まで教授。専攻は商法だが、証券取引法及び経済法など研究業績の幅が広い。津田利治が創設した慶應義塾大学商法研究会を継承した。 法務省法制審議会商法部会委員、大蔵省公認会計士審査会委員、大蔵省企業会計審議会委員などを歴任し、昭和57年まで慶應義塾図書館長、慶應義塾研究・教育情報研究センターの立ち上げを主導した。
谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 20… 谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 2023年7月16日)は、日本の物理化学者。工学博士。東京工業大学、長岡技術科学大学名誉教授。新潟県長岡市出身。 延伸高分子膜法による偏光吸収スペクトルの測定技術の確立およびその結果の理論的解析のパイオニア。 主な著書に化学の話シリーズ4「気体の話」など。 1950年、東京工業大学理学部化学科卒業。 1959年、東京工業大学助手。 1961年、東京工業大学工学博士。 1963年、東京工業大学助教授。 1969年、東京工業大学教授。 1978年、長岡技術科学大学教授。 1988年、長岡技術科学大学名誉教授。 1991年、東京工業大学名誉教授。
宗田 一(そうだ はじめ、1921年3月1日 - 1996年… 宗田 一(そうだ はじめ、1921年3月1日 - 1996年7月7日)は、新潟県寺泊(現長岡市)出身の医史学者。 1941年(旧制)官立金沢医科大学薬学専門部(現在の金沢大学医薬保健学域薬学類)を卒業。薬学史、医史学の硏究。日本医史学会常任理事、野間科学医学研究資料館理事。 国際日本文化研究センター所蔵の宗田文庫は、宗田一が収集した、医学史・薬学史に関する書籍、図版資料などを中心とする日本医療文化史の資料コレクションで、目録が作成されており、国際日本文化研究センターサイトでも検索できる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
伊東 多三郎(いとう たさぶろう、1909年2月10日 - … 伊東 多三郎(いとう たさぶろう、1909年2月10日 - 1984年10月29日)は、日本史学者、東京大学名誉教授。専門は日本近世史。研究分野は、近世の文化史・社会史から政治史に、そして経済史にまで及ぶ広範囲なものであった。この他、自治体史編纂にも積極的に取り組み、『水戸市史』『小千谷市史』『新潟県史』の編纂に関わった。 新潟県古志郡富曽亀村亀貝(のち長岡市亀貝町)に伊東三次郎の長男として生まれた。1921年旧制長岡中学入学、1925年旧制新潟高等学校文科乙類入学、1928年卒業。1931年東京帝国大学文学部国史科卒業、大倉精神文化研究所の嘱託となる。翌1932年に卒業論文『国学の史的考察』(大岡山書店、1932年)を刊行し、東京帝国大学文学部史料編纂所嘱託。
矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2… 矢島 悦太郎(やじま えつたろう、1906年3月6日 - 2001年2月22日)は、日本の社会政策学者。中央大学名誉教授。中央大学経済学部長や、社会政策学会代表幹事を務めた。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。井藤半彌ゼミ出身。1958年から1960年まで第5期社会政策学会代表幹事。1963年から1967年まで中央大学経済学部長。1970年から1972年まで第11期社会政策学会代表幹事。中央大学バドミントン部部長なども務めた。中央大学定年後、1986年まで亜細亜大学教授。2001年2月22日、急性肺炎のため死去。
今泉省三(いまいずみ せいぞう、1905年10月4日 - 1… 今泉省三(いまいずみ せいぞう、1905年10月4日 - 1978年12月14日)は、日本の歴史家。 新潟県長岡市生まれ。1929年、明治大学政治経済科専門部卒業。長岡市役所に勤務し、厚生課長、秘書課長等を務める傍ら、長岡地方の郷土史研究を行い、『長岡の歴史』の執筆や資料集『越佐叢書』の編纂を行う。1955年には長岡市立互尊文庫館長となり、1965年退職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
熊谷 洋(くまがい ひろし、1904年10月17日 - 19… 熊谷 洋(くまがい ひろし、1904年10月17日 - 1992年11月11日)は、昭和・平成期の医師、薬理学者。 東京大学医学部教授。東京大学医学部長。日本医師会副会長。日本医学界会長。東京大学薬学科薬品作用学教室の初代教授。医学界や薬理学界の多くの人材を育てた。旧姓 瀬水。 新潟県長岡市出身。旧制新潟県立長岡中学校卒。旧制新潟高校卒業。1930年(昭和5年)東京帝国大学医学部医学科卒業。1943年(昭和18年)薬理学教室講師のままジャカルタに赴任し、日本占領下のオランダ領東インド・ジャカルタの医科大学(ジャワ高等医学校)で医学の教授にあたる。1946年(昭和21年)復員、同年から1957年(昭和32年)まで東京大学医学部薬学科薬品作用学教室の初代教授を兼任。
大藤 時彦(おおとう ときひこ、1902年7月16日 - 1… 大藤 時彦(おおとう ときひこ、1902年7月16日 - 1990年5月18日)は、日本の民俗学者。 1902年、山口県生まれ。新潟県古志郡長岡町(現・長岡市)育ち。 早稲田大学文学部を中退。柳田國男に師事し、日本民俗学会を設立し、代表も務めた。大橋図書館に司書として勤務したほか、成城大学教授として教鞭をとり、1973年定年退職し、名誉教授となった。
谷口 腆二(たにぐち てんじ、1889年〈明治22年〉2月1… 谷口 腆二(たにぐち てんじ、1889年〈明治22年〉2月15日 ‐ 1961年〈昭和36年〉2月12日)は、日本の医師、細菌学者。 新潟県長岡市出身。旧姓、藤田。医学博士(1923年) 大阪大学微生物研究所の設立に尽力し、第3代所長となった。設立においては、関西を代表する実業家、山口玄洞(やまぐち げんどう)の支援を受けた。「喧嘩谷口」というあだ名で呼ばれた大阪大学医学部の昭和初期の「名物」研究者で、微生物病研究所の設立など大阪大学の研究機関としての地位向上に貢献した。山村雄一元大阪大学総長もその免疫学の授業について「体が震えるくらい興奮した」「斬新で魅力的であった」と記している。 1906年に新潟県立長岡中学校(旧制)を卒業。
赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月2… 赤沼 智善(あかぬま ちぜん、1884年(明治17年)8月25日 - 1937年(昭和12年)11月30日)は日本の仏教学者、専攻は原始仏教。大谷大学教授。 1884年(明治17年)、新潟県長岡市上田町の願浄寺で生まれた。真宗大学に入学し、仏教学を学んだ。1909年、同郷の山辺習学と共に浩々洞同人となり、清沢満之の下で学んだ。真宗大学研究科を卒業後、山辺習学と共に仏教研鑽のためにインド、セイロンに留学し、イギリスを経て1919年に帰国。 同1919年9月、真宗大学教授に任じられた。大学では、原始仏教ならびにパーリ語を講じた。在職中は、同大学図書館長なども務めた。1921年、国際的視野をもった鈴木大拙、佐々木月樵らとともに、仏教本来の意義を欧米に伝えることを主な目的として"東方仏教徒協会"(The Eastern Buddhist Society)を設立。
小野塚 喜平次(おのづか きへいじ、1871年2月10日〈明… 小野塚 喜平次(おのづか きへいじ、1871年2月10日〈明治3年12月21日〉 - 1944年〈昭和19年〉11月27日)は、明治後期から昭和前期の政治学者。日本初の政治学者の一人とされる。東京帝国大学総長。 1871年、柏崎県古志郡長岡城下上田町(現:新潟県長岡市上田町)に生まれる。級友の身代わりに校長排斥事件の責任をとって長岡中学校を中途退学後に上京し、共立学校から一高を経て、1895年(明治28年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進んだ。 1897年(明治30年)文部省から在外研究を命ぜられ、ヨーロッパに留学。1901年(明治34年)帰国後に日本初となる政治学講座の教授となる。
武石 貞松(たけいし さだまつ、1868年 - 1931年)… 武石 貞松(たけいし さだまつ、1868年 - 1931年)は、明治時代から昭和時代の漢学者、詩人、教育者。諱は潜、字は伯龍。 越後国南蒲原郡中之島村大字長呂(後に新潟県中通村)の名主武石弘六の長男として生まれる。長岡の誠意塾に学び、頭脳明晰で師匠の高橋竹之助の信任厚く、塾頭に選ばれる。ここで堀口九萬一と知り合い親友となり、義兄弟の契を結ぶ。長呂の若宮社には、弟の武石弘三郎が制作した2人の胸像が建つ。 後に故郷に戻り自邸にて漢詩塾および修斉館を開き地域の教育に尽力した。東北日報(新潟日報の前身)の漢詩撰者を務め、同紙の同時期の俳句撰者は会津八一であった。また、水田区画整理事業の「島田他三ケ字耕地整理」に従事、ツツガムシ対策により名古屋大学医学部の林直助を村に招待、信濃川流域の荒地に柳を植樹し行李の生産を勧めるなど地域振興に努め、農業整備や架橋、信用組合創立に取り組んだ。
小金井 良精(こがねい よしきよ、1859年1月17日(安政… 小金井 良精(こがねい よしきよ、1859年1月17日(安政5年12月14日) - 1944年(昭和19年)10月16日)は、明治から昭和にかけて活躍した解剖学者・人類学者。森鷗外の妹婿であり、星新一の祖父にあたる。陸軍軍医総監椰野巌は甥である。 越後長岡藩士で家老河井継之助に信任を得て郡奉行などの長岡藩要職を歴任した小金井儀兵衛の次男として、越後国古志郡長岡(現新潟県長岡市)の今朝白町に生まれた。母は新潟奉行小林又兵衛の長女幸子。長兄は自由民権運動家で衆議院議員を務めた小金井権三郎。母幸子の兄小林虎三郎は、吉田松陰と並び佐久間象山門下の二虎と称された。 1870年(明治3年)10月大学南校を経て、1872年(明治5年)10月第一大学区医学校(東京大学医学部の前身)に入学、1880年(明治13年)7月に東京医学校(同年5月第一大学区医学校から改称)を卒業した。