下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )… 下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )は、日本の政治家。民進党所属。本名、下條 光康(しもじょう みつやす)。
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下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )… 下条 みつ(しもじょう みつ、1955年12月29日 - )は、日本の政治家。民進党所属。本名、下條 光康(しもじょう みつやす)。
上原 康樹(うえはら やすき、1954年9月28日 - )は… 上原 康樹(うえはら やすき、1954年9月28日 - )は、日本の政治家。岩手県議会議員(2期)。元NHKシニアアナウンサー。 福島県立喜多方高等学校を経て早稲田大学教育学部を卒業後、1978年入局。 2019年7月31日にNHKを退職し、同年9月8日に投開票の岩手県議会選挙盛岡選挙区(定数10)に無所属で立候補し得票数1位で当選した。 2023年3月、無所属のまま、会派「希望いわて」入りした。 2023年9月3日投開票の岩手県議会議員選挙盛岡選挙区に再び無所属で立候補し得票数1位で再選した。
渡辺 幸子(わたなべ さちこ、1949年(昭和24年)4月1… 渡辺 幸子(わたなべ さちこ、1949年(昭和24年)4月18日 - )は、日本の政治家。女性初の元東京都多摩市長(2期)。 長野県松本市出身。1972年(昭和47年)3月、中央大学法学部卒業。多摩市役所に入庁。企画部副参事、総務部次長(1998年)、市民部長などを歴任した。 2002年(平成14年)2月23日、多摩市長の鈴木邦彦が収賄の容疑で逮捕される。鈴木は3月4日付で市長を引責辞任。渡辺は4月1日付で市役所を退職し、4月21日に行われた市長選挙に出馬。民主党の推薦と社民党の支持を受けた阿部裕行ら3候補を破り初当選した。多摩市初の女性市長。2006年(平成18年)再選。2010年(平成22年)引退。
有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 … 有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 - 2017年(平成29年)4月22日)は、第12代松本市長、松本広域連合長(初代)、長野県議会議員(民社党公認)、長野県農業後継者育成協会長。長野県松本市並柳生まれ。ハード事業(箱物行政)に積極的であった。 長野県松本市出身。1949年(昭和24年)に長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、農業に従事した、1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけて松本市農業委員を務める。1971年(昭和46年)に民社党公認で長野県議会議員に初当選し、1992年3月に松本市長に初当選、以降3期を務め、行政改革を推進するとともに、福祉ひろばを全地区に設置するとともに、美術館や市民芸術館の建設など芸術文化の振興に尽力した。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 20… 小沢 貞孝(おざわ さだたか、1916年12月1日 - 2002年12月17日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員。
小里 頼永(おり よりなが、安政2年5月1日(1855年6月… 小里 頼永(おり よりなが、安政2年5月1日(1855年6月14日) - 昭和16年(1941年)7月3日)は、長野県松本市出身の政治家。衆議院議員(自由党)、北海道空知支庁長、初代松本市長。号は雪洲、市隠。 松本藩士小里新五兵衛頼命の長男として江戸呉服橋の松本藩邸(松平丹波守の上屋敷。現在跡地は東京駅構内)で生まれる。9歳の時に松本に帰り、藩校崇教館で漢学を学んだ。廃藩置県後は開智学校英学課に学び、1875年(明治8年)8月30日、筑摩県師範学校を卒業。卒業後は筑摩県、のちに山梨県で訓導(小学校教員)を務めた。1878年(明治11年)3月27日、教職を辞する。自由民権運動が盛んになると、1879年(明治12年)に「要新聞」を発刊して自由民権を説いた。
上條 謹一郎(かみじょう きんいちろう、安政元年11月28日… 上條 謹一郎(かみじょう きんいちろう、安政元年11月28日(1855年1月16日) - 明治43年(1910年)9月19日)は、日本の政治家。 信濃国筑摩郡南新村(現長野県松本市)に、代々松本藩主戸田氏の御殿医(眼科)を務めた庄屋の長男として生まれ、漢学を武居用拙に学んだ。1875年上京して小石川同人社や学農社で英語や農学を修め、1879年帰郷した。 1889年町村制施行により東筑摩郡新村の初代村長となる。その後は郡会議員、長野県会議員を経て、1898年第5回衆議院議員総選挙に初当選、衆議院議員(立憲政友会)を2期務めた。 1899年には信濃民報社創設に尽力し、新村銀行を創設。1907年長野農工銀行取締役に就任した。
金井 清志(かない きよし、1852年9月12日〈嘉永5年7… 金井 清志(かない きよし、1852年9月12日〈嘉永5年7月29日〉 - 1933年〈昭和8年〉4月18日)は日本の政治家、実業家。位階は正七位。 信濃国安曇郡杏村(現長野県松本市)出身。金井磯衛の長男。1873年(明治6年)に梓村の副戸長に任命される。1880年(明治13年)4月、長野県会議員に南安曇郡選挙区の補欠として当選した。1882年(明治15年)12月から1884年(明治17年)1月まで第4代同県会副議長を務めた。その後、県内道路7路線を選定し開削工事を起工した。1883年(明治16年)下伊那郡長となり、翌1884年(明治17年)には激化事件の飯田事件が起きたが、暴発を未然に防いだ。
井上 信八(いのうえ しんぱち、1852年3月17日〈嘉永5… 井上 信八(いのうえ しんぱち、1852年3月17日〈嘉永5年2月21日〉 - 1922年〈大正11年〉7月9日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 信濃国筑摩郡笹賀村(のち東筑摩郡笹賀村、現・長野県松本市)出身。材木商を営み、町会議員、所得税調査委員、学務委員、高等小学校組合会議員等を務める。また、野口(合)業務担当社員、愛知農工銀行、熱田銀行、愛知燐寸各(株)取締役、愛知木材、中央煉瓦各(株)専務取締役、(株)鉄道車輪製造所取締役となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において愛知2区から無所属で立候補したが落選する。8月の第6回衆議院議員総選挙では日吉倶楽部から立候補して当選する。
市川 量造(いちかわ りょうぞう、1845年1月15日(弘化… 市川 量造(いちかわ りょうぞう、1845年1月15日(弘化元年12月8日) - 1908年(明治41年)2月15日)は、元長野県会議員、元信飛新聞社社長、啓蒙家。松本城が競売にかけられ落札されたが、買い戻した人物として知られる。幼名は泰之助。 信濃国筑摩郡松本城下の下横田町の名主の家に生まれ、明治維新後は南佐久郡郡長、戸長を務めた。幕末に江戸で学問を修めた後、松本に戻り『信飛新聞』を発行した(同紙は長野県初の日刊新聞)。 1872年(明治5年)、松本城が大蔵省によって競売にかけられ、天守閣が235両、付合物を合わせて計309両で落札された。落札者は天守閣を取り壊そうとしたが、量造は「城がなくなれば松本は骨抜きになる」と紙面で訴え、先祖伝来の蔵書を売るなどして金を工面し始める。
窪田 畔夫(くぼた くろお、1838年12月5日(天保9年1… 窪田 畔夫(くぼた くろお、1838年12月5日(天保9年10月19日) - 1921年(大正10年)4月30日)は、長野県の政治家。本名は窪田重国、号は松門であった。 信濃国筑摩郡和田町村(天領、現在の松本市和田)に生まれ、青年期から寺子屋を開いて教育に従事した 1872年に開智学校の前身となった筑摩県学の開設を進め、また、市川量造らとともに、松本を拠点とした『信飛新聞』の創刊に参加した。以降、同紙や、1876年に改題した『松本新聞』の紙面で、自由民権運動の論陣を張った。 1879年には、北安曇郡の初代郡長となり、在任中の1883年には渡辺敏らとともに白馬岳に初登頂した。 1888年に長野県会議員、1892年には帝国議会衆議院議員となった。