佐藤 健(さとう たけし、1967年〈昭和42年〉10月21… 佐藤 健(さとう たけし、1967年〈昭和42年〉10月21日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。長野県飯田市長(2期)。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校、東京大学法学部卒業。1991年(平成3年)4月、自治省に入省。 2011年(平成23年)5月、飯田市副市長を務めた。2019年(平成31年)3月に退任し、同年4月に総務省に復帰。地方公務員共済組合連合会事務局長を務めた。 2020年(令和2年)3月31日、総務省を退職。同年4月1日、任期満了に伴う飯田市長選挙に立候補する意向を表明。同年10月18日実施の市長選挙に立候補し、現職の牧野光朗ら2候補を破り初当選した。10月28日、市長就任。
牧野 光朗(まきの みつお、1961年〈昭和36年〉8月16… 牧野 光朗(まきの みつお、1961年〈昭和36年〉8月16日 - )は、日本の政治家、銀行員。元長野県飯田市長(4期)。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て、1985年(昭和60年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業。同年4月、日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。富山事務所調査役、企画部調査役を経て、2001年(平成13年)3月、同行のフランクフルト事務所長に就任。2002年(平成14年)6月、大分事務所長に就任。2004年(平成16年)3月、退職。 同年10月24日に行われた飯田市長選挙で2候補を相手に戦い初当選した。10月28日、市長就任。2008年(平成20年)、再選。2012年(平成24年)、無投票で3選。
佐々木 陸海(ささき りくかい、本名:ささき むつみ、194… 佐々木 陸海(ささき りくかい、本名:ささき むつみ、1944年1月29日 - 2019年12月19日)は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。日本共産党書記局次長、同幹部会委員、同中央委員会事務室責任者。 長野県飯田市出身。「陸海」の名は、戦時中の1944年(昭和19年)に生まれたため、父親が「将来は陸士(陸軍士官学校)か海兵(海軍兵学校)へ進むように」と願って付けられたとされる。信州大学文理学部を卒業後、赤旗外信部記者などを経て、1993年の第40回衆議院議員総選挙で旧東京10区から立候補し初当選。1996年の第41回衆議院議員総選挙では比例区(東京ブロック)単独で立候補し再選。3選を目指した2000年の第42回衆議院議員総選挙で東京13区から立候補するも落選。
田中 秀典(たなか ひでふみ、1940年(昭和15年)11月… 田中 秀典(たなか ひでふみ、1940年(昭和15年)11月5日 - 2011年(平成23年)4月28日)は、日本の政治家。長野県飯田市長。位階は正五位。旭日小綬章。 飯田市出身。青山学院大学経済学部中退。飯田市議会議員、飯田青年会議所理事長を経て、昭和63年(1988年)飯田市長選挙に当選し、4期務めた。2011年死去。死没日付をもって正五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年〈明治40年〉1月… 座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年〈明治40年〉1月1日 - 1978年〈昭和53年〉11月28日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県下伊那郡上飯田村(現・飯田市)で、座光寺和作、ゆきの二男として生まれた。上飯田高等小学校卒業後、飯田の松濤義塾に学ぶ。1924年(大正13年)4月、上飯田町役場に入り、1933年(昭和8年)長野県庁に転じ長野県書記となり、学務部社会課勤務、飯田職業紹介所勤務、長野県職業課勤務、知事官房秘書課勤務、下伊那地方事務所兵事厚生課長、同総務課長を歴任した。1947年(昭和22年)6月、飯田市助役に就任し、1956年(昭和31年)6月、駒ヶ根市助役に転じた。
羽生 三七(はにゅう さんしち、1904年〈明治37年〉1月… 羽生 三七(はにゅう さんしち、1904年〈明治37年〉1月13日 - 1985年〈昭和60年〉12月30日)は、大正、昭和期の日本の政治家、社会運動家。日本社会党参議院議員。「参議院の良心」と呼ばれた論客であった。 明治37年(1904年)1月13日長野県下伊那郡鼎村(現・飯田市)に米屋の長男として生まれる。飯田の松濤義塾に学び、家業のかたわら青年運動に参加する。山川均と出会い社会主義運動に加わるようになる。大正11年(1922年)秋、「下伊那文化会」を発展させ、自由青年連盟(Liberal Younger's League)を結成し、機関誌『第一線』を発行する。大正13年(1924年)治安警察法違反で検挙、起訴され、禁固4か月の判決を受ける。
清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20… 清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20日 - 1999年〈平成11年〉1月6日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県飯田市長。男性。位階は従六位。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)で、清水宗一、あき の長男として生まれた。1916年(大正5年)3月、長野県組合立竜東農学校卒業。1919年(大正8年)公立実業学校教師となる。1939年(昭和14年)長野県技師に転じ、県立農業講習副所長を務め、1952年(昭和27年)長野県経済部農業改良課長、1954年(昭和29年)南佐久地方事務所長を歴任。1955年(昭和30年)飯田市助役に就任し、13年間在任した。 松井卓治市長の後継者として1968年(昭和43年)10月、飯田市長選挙に当選し、1972年(昭和47年)10月まで1期務めた。
市瀬 泰一(いちのせ たいいち、1876年(明治9年)8月1… 市瀬 泰一(いちのせ たいいち、1876年(明治9年)8月14日 - 1950年(昭和25年))は、日本の実業家、政治家。長野県飯田市長。初名は市瀬 俊太郎。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。明治20年代から家業の飯田水引(元結)の製造販売業を承継。全国各地への出張販売に当たった後、1913年(大正2年)飯田に元結の原紙会社を設立した。1930年(昭和5年)家督を相続し世襲名の泰一を名乗った。 下伊那郡会議員、飯田町会議員を経て、1937年(昭和12年)飯田市会議員となり、初代議長を務めた。1939年(昭和14年)11月、飯田市長に推挙された。在任中は日中戦争下で、飯田銀座商店街商業組合での栄養食の共同炊事の実現、食糧増産のための野菜の種子無償配布、飯田百七銀行・信産銀行・伊那銀行の統合による飯田銀行の設立などを実現させた。
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - … 樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。
北原 阿智之助(きたはら あちのすけ、1868年3月26日(… 北原 阿智之助(きたはら あちのすけ、1868年3月26日(明治元年3月3日) - 1947年(昭和22年)11月29日)は、衆議院議員。号は痴山。 信濃国伊那郡座光寺村(現長野県飯田市)に庄屋の北原稲雄の次男として生まれ、明治20年(1887年)同郡上郷村の同族北原家の養子となる。 明治14年(1881年)に上京し、渡辺重石丸の道生館に学び、一旦帰郷、同18年(1885年)に再び上京して成立学舎、築地の英学校に学ぶ。和歌を海上胤平、俳句を正岡子規に師事する。同23年(1890年)雑誌「正気」を発行、子規の「日本新聞」俳句欄に投稿し、同30年(1897年)飯田で「松声会」を結成した。同35年(1902年)には伊那史料刊行会を設立し「伊那名勝志」を発行、菱田春草が挿絵を担当した。
牧野 元(まきの はじめ、文久元年3月12日(1861年4月… 牧野 元(まきの はじめ、文久元年3月12日(1861年4月21日) - 大正10年(1921年)1月25日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、長野市長。 信濃国伊那郡鼎村(現在の長野県飯田市)出身。漢学を学び、1882年(明治15年)に下伊那郡全部町村聯合会議員に、1884年(明治15年)に鼎村戸長に就任した。1890年(明治23年)より長野県会議員を務め、1893年(明治26年)には県参事会員に、1899年(明治32年)に県会副議長に選出された。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、第8回、第9回と連続当選を果たした。 1910年(明治43年)、長野市助役に就任。
伊藤 大八(いとう だいはち、1858年12月19日(安政5… 伊藤 大八(いとう だいはち、1858年12月19日(安政5年11月15日) - 1927年(昭和2年)9月10日)は、日本の政治家・実業家。帝国議会衆議院議員(5期)。 信濃国伊那郡、のちの長野県下伊那郡上殿岡村(伊賀良村を経て現在の飯田市上殿岡)出身。上京し中江兆民の仏学塾で学び陸軍幼年学校の通訳などを経験した後、1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙で初当選。自由党→憲政党→政友会と籍を置きつつ通算5期衆院議員を務め、この間逓信省鉄道局長(1898年/明治31年)・政友会幹事長(1910年/明治43年)を歴任。1913年(大正2年)に政友会総裁の原敬の意向によって南満州鉄道株式会社(満鉄)の副総裁に就任するも、創設以来行なわれていた合議制を廃止しようとして犬塚信太郎理事らの激しい抵抗を受け、野村龍太郎総裁・犬塚理事ともども罷免に追い込まれた。
12代 上柳 喜右衛門(うえやなぎ / うえやぎ きうえもん… 12代 上柳 喜右衛門(うえやなぎ / うえやぎ きうえもん、1849年10月26日(嘉永2年9月11日)- 1923年(大正12年)9月2日)は、日本の地主・実業家・政治家。衆議院議員、長野県下伊那郡飯田町長。旧名・久嗣、幼名・益太郎。 信濃国伊那郡飯田伝馬町(長野県下伊那郡飯田町を経て現飯田市伝馬町)で、酒造業・10代上柳喜右衛門の二男として生まれる。和漢学、算術を修めた。兄・喜一(久休〈ひさしげ〉、11代喜右衛門)の養子となり、その後、12代喜右衛門を襲名した。 1879年(明治12年)飯田町会議員に選出され(8期在任)、1891年(明治24年)下伊那郡会議員(2期在任)、1899年(明治32年)飯田町長(2期在任)にそれぞれ選出された。
北原 信綱(きたはら のぶつな、嘉永2年9月(1849年) … 北原 信綱(きたはら のぶつな、嘉永2年9月(1849年) - 明治34年(1901年)11月4日)は、日本の政治家(衆議院議員、長野県会議員)。初名は森太郎、通称は東五郎、諱は信允。 信濃国伊那郡座光寺村(現長野県飯田市)の庄屋北原稲雄の長男に生まれる。父に倣い、平田篤胤の没後門人となる。明治元年(1868年)の戊辰戦争では鎮撫副総督澤為量に従軍して奥羽地方を転戦した。翌年帰郷し、官軍から太刀一振りと金若干を賜り、信濃飯田藩主堀親広から士族に列せられた。同6年(1873年)村戸長、学校学事掛となり、同9年(1876年)名古屋裁判所に出仕し、翌年(1877年)山梨県属となったが、辞職し帰郷した。
渡辺 猶人(わたなべ なおと、1840年12月29日(天保1… 渡辺 猶人(わたなべ なおと、1840年12月29日(天保11年12月6日) - 1908年(明治41年)6月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 信濃国伊那郡飯田城下に飯田藩士の長男として生まれる。江戸に出て安井息軒に入門し、谷干城らと交誼を結ぶ。帰藩後は父が督学を務めていた藩の文学所の補佐を務めた。明治維新後は大宮神社祠宮を経て、長野県官吏となり、第19大学区第4小区戸長や学区取締などを務め、1882年(明治15年)に下伊那郡長、翌1883年(明治16年)に更級郡・埴科郡長に任命された。1889年(明治22年)に飯田町会議員、1891年(明治24年)に下伊那郡会議員になった。同年7月22日に飯田町長となった。